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エンドリア物語

「入隊試験」<エンドリア物語外伝48>

作者: あまみつ

 魔法協会本部、戦闘魔術師部隊のマリカ・ライドンは早朝訓練を終え、いつも通り、戦闘部隊の事務所の扉を開けた。

 部屋にいたのは副官代理のテートだけで、書類を片手に難しい顔をしていた。

「おはようございます」

「おはよう」

 書類から顔をあげずにテートが返事をした。

 マリカが自分の席に向かおうとしたところで、テートが声をかけてきた。

「少しいいか?」

「何かありましたでしょうか?」

 テートが椅子をクルリと回し、マリカの方を向いた。

「今年の魔術師部隊への入隊希望者が非常に多い。実践的な試験でふるい落とすように隊長から言われたが、マリカならばどのような試験がいいと思う?」

「筆記試験や実技試験はやらないのですか?」

 マリカの時も入隊希望者は多かった。200人以上いたはずだ。筆記試験と実技試験で8人までふるい落とされた。

「やったあとだ。例年のレベルでやったのだが、60人以上残ってしまった。受験者した人数も500人以上と多かったが、受験者のレベルが例年に比べて格段に高い」

「なぜ、急激に増えたのですか?」

 テートがニヤリと笑い、くだけた様子で言った。

「そりゃ、桃海亭だろ」

 マリカは目を細めた。

 朝から嫌いな単語を聞いてしまった。『桃海亭』は嫌いだ。『ウィル』はもっと嫌いだ。

「桃海亭のおかげ、と言うべきかな。我々戦闘魔術師が表だって活動せざるえないことが増えて、世に広く知られるようになったからだろうな」

 そこでテートの顔から笑みが消えた。

「本来ならば影に潜んでいる我々が、光の下に引きずり出されてしまった。人の目に触れぬ世界で静かに仕事を終えていた我々が、頻発する大規模災害をくい止めるために死にものぐるいで動かざる得ない。異常事態だ。その異常事態の発生源が桃海亭だとわかっていても、我々にできることは何もない」

 桃海亭の2人組が動き出す前は、魔法協会の裏の仕事がほとんどだった。禁を破った魔術師の捕獲や処刑、魔法協会に敵対する国家や組織に裏から圧力をかける為の情報を取得したり、内部の人間を操作したりもした。魔法協会という巨大組織が円滑に動く為の実働部隊だった。

 それがあの2人組のせいで、別の仕事が増えた。

「上の考えもわからないことはないのだが」

 テートが呟いた。

 たとえば、未知の遺跡が見つかり、壁に解読されていない文字が書かれていた場合、前ならば調査隊と研究者を送って、調査書と研究資料を作って終わりだった。だが、ムー・ペトリという天才が現れたことで、魔法協会に欲が出た。

 ムー・ペトリに調査させれば、失われた知識が蘇るかもしれない。

 あらゆる手を使ってムー・ペトリに遺跡に送り込み、その結果、知識の取得と一緒に大規模災害を引き起こす。尻拭いは魔法協会の災害対策室だ。戦闘の可能性があれば、災害対策室は戦闘部隊に出動を要請してくる。必然的にムー・ペトリの尻拭いを戦闘部隊もやることになる。

「せめて、もう少しでいい、助けたいと思える相手ならばよいのだが」

「はい」

 返事を求めていないことはわかっていたが、マリカは同意をしめした。

 この間の古代神復活の時など、災害対策室は周囲の住民の避難、2次災害を想定しての魔術師の手配など奔走していた。マリカ達戦闘部隊は、ムー・ペトリが呼び出した豪華な宝飾品をまとった泥のような古代神を取り巻いていた。資料にも載っていない神と戦わなければならないかもしれない状況に遺跡の室内は糸がピーンと張ったような緊張に包まれていた。

 ムー・ペトリは古代神と意志の疎通をするために、空中に様々な魔法文字を書いていた。勝手に古代神を呼び出したことは許せないが、自分の知識欲を満たすためでも、必死に頑張っている姿に我慢ができた。

 問題はウィルだ。

「その前にゴナス島の戦闘に参加はしてもらっていたが、あれは……」

 テートが額を押さえて首を振った。

 寝ていた。

 怪しげな古代神が出現して、戦闘部隊が臨戦態勢で取り巻いている状況で、遺跡の床に寝転がったウィルは、気持ちよさそうに爆睡していた。

 2時間ほどで古代神と話が通じるようになり、1時間ほど話した後、古代神に帰って行った。なぜ、帰ったのか、どのような方法を使ったのか、ムー・ペトリ以外はわからない。古代神が帰った後、ムー・ペトリは床に倒れ、そのまま爆睡したからだ。報告書はいまだに提出されていない。

「ウィルの言い分もわからなくはない。戦えない、魔力はない、知識もない、起きていても何もできない。それが事実でも、せめて、隣で命をかけている我々に『自分にできることは何でもやる』というような殊勝な態度を示して欲しいと思うのだが」

「願うだけ無駄です」

 うら若き女性のマリカに、胸を『ペタンコ』、顔を『丸顔童顔』と平気でいえる無神経男だ。

 あの脱力しきった顔をもう一度、力一杯殴りたいと思っているのだが、まだ願いはかなっていない。

 その時だった。

 マリカの脳が閃いた。

 あの憎たらしいウィル・バーカーに一泡ふかす方法だ。

 マリカはこらえきれない笑みを浮かべ、テートに言った。

「実践的な試験を思いつきました。聞いていただけますか?」





「なんで、オレなんだよ!」

 驚愕したウィルの顔が心地よい。

 マリカは緩みそうになる頬を引き締めた。

「愛するカナリアが飢え死にしないようにだ。我々の試験を手伝ってくれれば金貨10枚を進呈しよう」

 ロウントゥリー隊長が笑顔で説明した。

 場所は桃海亭、カウンターをはさんで向かい合っているのは、ウィルとロウントゥリー隊長。隊長の後ろにはテートとマリカが並んでいる。

「大丈夫だ。まだ、少しだけど金はあるし、野菜もペトリの爺さんからもらったばかりだ。1週間くらいは飢え死にしない」

 しどろもどろで答えている。

「アビッソ公国から公邸の損傷の賠償金の請求がまもなくされるはずだ」

「はあ?あれはオレには関係ないだろ!」

 ロウントゥリー隊長がカウンターに手を乗せて、人差し指でコツンとたたいた。

「いま、自分には関係ないと言ったな」

「言った」

「公邸の損傷の犯人は誰だ?」

 ウィルの目が一瞬泳いだ。

「えーと、何をいって、いるのでしょうか?」

「知らなければ、私のカナリアはこう言う『何を言っているんだ?』と。『オレに関係ない』ということは、オレ以外の誰が壊したのだ?」

 ウィルの額に汗が浮かんだ。

 他の人間ならばここで逃げるのだが、ウィルは逃げない。逃げれば隊長に殺されることを理解している。自分の強みを失わないために、どのように動けばいいのか知っている。

「隊長は犯人をご存じですよね?」

「知らないな」

「そちらに請求したくないから、オレに回すことにしたんですか?」

「何を言っているのかわからない」

「わかりました。アビッソ公国の請求は犯人に回してください。オレは金貨10枚で雇われます。それでどうですか?」

「契約成立だ」

 笑顔のロウントゥリー隊長と、恨めしそうな顔のウィル。

 ウィルが隊長を苦手と思っていることはマリカも知っている。それでも、ウィルが隊長のお気に入りであることは変わらず、そのことだけでもウィルは嫌悪するに値する。

「試験は簡単だ。場所はキケール商店街。商店街の外に出たものは失格とする。すでに商店街の避難ははじめているから、試験開始の12時には誰もいないようになっているはずだ」

「あの、お客がいなくなると商店街の人に迷惑が……」

「キケール商店街には見舞金として金貨10枚を払ってある」

 ウィルが小さくうなずいた。

「私が『はじめ』と言ってから10分間、逃げ回ってくれればいい。合格者は【攻撃して、それが有効である】者だ。触れただけでダメだ。かすり傷でもいい。有効な攻撃を受けた者を、私に報告しろ」

「試験を見ないのか?」

「愛しいカナリアの活躍を、私が見ないと思うのか?」

 笑顔のロウントゥリー隊長に、ウィルが肩を落としている。

「準備ができた頃だ。さあ、行こう」

 隊長がウィルをうながすと、トボトボとカウンターから出てきた。一瞬銀色がきらめいた。

「ダメか」

「オレを殺しても、いいことなんてないだろう!」

 隊長の短剣の突きを、ウィルがかわしていた。攻撃の前兆はなかった。マリカだったら、確実に刺されていた。

「私が楽しいからに決まっているだろ」

 高笑いをしてロウントゥリー隊長が扉をでていった。

 その後ろをビクビクしているウィルがついていった。

 隣にいたテートが息を長く吐いた。

 そして、感慨のこもった声で言った。

「なぜ、あれが避けられるのか、私はいまだにわからない」



「ウィルが、ウィルが」

 太った丸顔の男性が前の花屋で騒いでいた。花屋の扉から出ようとするのを、痩身の男性と若い女性がひきとめている。

「大丈夫ですよ、会長。ウィルくんは怪我をしたりしませんから」

 後ろから上品な女性がおっとりとなだめている。

「こんなことなら、金貨なんかいらない。試験をやめさせないと」

「お金は大事です、会長」

 強い口調で言ったのは若い女性。

「ウィルは絶対に大丈夫です」

「でも、ウィルは……」

「万が一、うっかり死んだら、あたしが精魂込めた花輪を作ってあげます」

 そう言った若い女性にマリカは見覚えがあった。マリカに『ウィルに近づくと不幸になる』と教えてくれた女性だ。あの様子だと、作る花輪には【祝】の文字を入れそうだ。

「やはり、この試験は……」

「ほら、大丈夫ですからね」

 3人がかりで男性を扉の中に引き入れた。

 ウィルのつぶやきが耳に入った。

「優しさが消えていく」

 ロウントゥリー隊長が前に進み出た。

「これより、試験を行う。攻撃対象はここにいる若者、ウィル・バーカー。時間は10分間。武器、魔法、どのような方法でもいい。彼に対しての攻撃が成功した者を合格とする。審判は私とウィル・バーカー」

「待ってくれ。魔法と飛道具は禁止にしてくれ」

「受験者がこれしかいないのだ、禁止するほどでもないだろ」

 約60人。

 全員が魔法も体術もすでに修得している。一斉に飛びかかられたら、マリカには逃げきれる自信はない。敵であれば取り囲まれて殺されるだろう。

「鬼、悪魔、サディスト!」

「では、試験を開始する。はじめ」

 ロウントゥリー隊長が後ろに下がった。

 受験者たちはウィルを取り囲むように動いた。あらかじめ、受験者たちで打ち合わせていたのだろう。逃げ場がないように、位置を計算してある。

「ひでー、オレの人権は無視かよ」

 最初の一人が剣を横に振った。ウィルは一歩下がって、ギリギリのところで避けた。剣が振り切られたタイミングで、剣を振ってきた男の手首に飛び乗った。次に頭に、そして、別の男の飛び移り、地面に飛び降りた。

 2秒足らずで囲いを抜けた。

 驚いている受験者を尻目に、逃げていく。

「追え!」

 誰かが叫んで、一斉に追いかけていく。魔法弾が次々飛んでいくが、背中に目がないのに器用に避ける。高速飛翔で追い抜いた若い女が前に立ちはだかった。

 ウィルが叫んだ。

「ペタンコ!」

 女が停止した一瞬の隙をつき、横を抜けていく。

「効いた、効いた」

 嬉しそうにいったウィルに女の魔法弾が襲いかかった。が、あっさりと避けた。

 数人の男が魔法で長距離ジャンプをして、ウィルの前に立ちはだかった。

「こいつはダメかな」

 Uターンをして、受験者が集団の方に戻ってくる。

「オレに任せろ!」

 集団から浮き上がった男が、ツブテをばらまいた。

「あー、危ないなあ」

 ウィルはツブテの少ない通りの脇の方に移動した。

「受験生の皆さん、そのツブテに気をつけてください。爆発系と思われます。怪我すると動けなくなって、試験を落ちますから、避けて、ほい、避けて」

 集団がばらまかれたツブテの前で停止した。

 その集団に向かって、ウィルはツブテの間をピュンピョンと近づいていく。

「なにを考えているの」

 思わず、声が出た。

「見ていろ」

 隊長が笑顔だ。

 いつもは無表情の隊長がウィルを見ているときは笑顔になる。ペットのようなものだとわかっていても腹立たしい。

 功を焦ったのか、数人がツブテの間に足を踏み入れた。

 爆発が起きた。爆発が連鎖して、数人が爆風で通りの店にたたきつけられた。

「ほら、危ないといっただろ」

 ウィルは既に渡りきっていた。そして、大柄な受験生を盾にしていた。

「10人は減ったな」

 そういうと、集団の後ろに向かって駆けだしていく。

 無傷のようだ。

 その後も、受験生をあおって、汚い手を駆使して、逃げまくった。

 閃光弾が空にあがった。

「終了だ」

 隊長の声に、ウィルと受験生が桃海亭の前に戻ってきた。

 ウィルは元気で、受験生のほとんどが疲れ切っている。足に怪我をして動けず通りにうずくまっている受験生も数人いる。重傷者がいないのは、ウィルと受験生の双方が注意していたからだろう。

「合格者は何人だ?」

 隊長がウィルにきいた。

「オレに攻撃が成功したのは2人」

 その後、小さく肩をすくめた。

「でも、合格者は1人」

「どいつだ?」

「わかっているんだろ?」

「お前の口から聞きたい」

 会話だけを聞けば親しい間柄に聞こえるとマリカは思って、思った自分に嫌悪した。

「合格者は、あそこの白いローブに緑の帯をつけた魔術師。長いローブに騙された。魔法弾を使う射手だ。オレが商店街のあっちの端にいるとき、長距離で超小粒の魔法弾を正確に当てた。いい腕をしていた」

「そこのローブ、合格だ」

 合格を告げられた魔術師が、恭しくお辞儀をした。

「もうひとりは、そこの陰にいる黒い戦闘服の男。オレの大切なシャツの袖を切りやがった」

「攻撃に成功したのに、合格でない理由は?」

「そいつは仕事で来ている。部隊に入る気は最初からない。だから、受験者ではない」

「仕事の内容は?」

「ターゲットの殺害」

「ターゲットは?」

「気づいていないはずないよな、ロウントゥリー隊長」

 黒い戦闘服が消えた。

 次の瞬間、ロウントゥリー隊長が地面に右手をたたきつけた。その手の中に黒い戦闘服の頭があった。

 白目をむいて気絶している。

「わかっている。ここでは殺しはしない」

「その優しさをオレにも欲しいです」

「こいつに言ったのではない。キケール商店街を大事に思っている化け物に言っただけだ」

 気配はマリカも感じていた。

 桃海亭の店内から、ジッとうかがっている気配。

 同じ気配の人物に一度だけ会ったことがある。長い黒髪の美少年だった。

「化け物に言っておけ。出たら殺すぞ」

「すみませんが、化け物という呼び方は桃海亭では使わないでください」

「化け物で十分………ではないな」

「そうなんです。当店には『化け物』と呼ばれるのが2人いるんです。オレだけが真っ当な人間で、心優しい善良な道具屋なんです」

 そう言うと、何かをつかんで持ち上げた。

「ボクしゃん、化け物じゃないしゅ、天才しゅ」

 ムー・ペトリだった。

 気配がなかった。

 いや、そうじゃない。マリカが張り巡らせていたのは、この試験に何かの意志を向けた気配だ。単純に見物に来たムー・ペトリは引っかからなかったのだ。

 ムー・ペトリの上着の襟を持って、つり上げたウィルだが、すぐに下ろした。

「隊長、こちらでお願いします」

「まあ、いいだろう」

 そう言うと、頭をつかんでいた男を、テートの方に放った。

「テート、そいつを尋問室にご案内しろ。私は試験を続ける」

「わかりました」

 テートは魔力が込められた紐で男をしばりあげると、抱えて高速飛行で飛んでいった。

 隊長が受験生達に向かって言った。

「さて、諸君。今年の入隊予定は10名だ。先ほど1名決まったが、あと9席が空いている。この9席に座るものをこれより決める。

 場所は先ほどと同じくキケール商店街。商店街の外に出たものは棄権と見なす。先ほどは攻撃を課題としたが、今回は防御が課題だ。諸君等を攻撃するのは、ここにいるムー・ペトリ」

 受験者の間から「おぉ!」とか「彼が」とか聞こえる。

「ムー・ペトリを直接攻撃することは禁止する。彼がモンスターを召喚した場合、そのモンスターを攻撃することは良しとする。彼の攻撃をかわし、残った9名が合格者となる。棄権する者はいま申し出ろ」

 誰も手を挙げない。

 怪我をして動けず、通りに転がっている数人をのぞき、デスゲームに参加するようだ。

「動けなくなった者は棄権と見なして、我々が排除する」

 数人の戦闘魔術師が、通りで動けなくなっていた受験者を通りの外に連れて行った。白魔法を使えるものが治療をする手はずが整っている。

 隊長は屈んで、ムー・ペトリと同じ顔の高さになった。

「通常では見ることができないような攻撃を数多く出して欲しい」

 ムー・ペトリが頬を膨らませた。

「なして、ボクしゃんがするしゅ?」

「報酬はキャンディー・ボンの棒つきキャンディを100本だ」

 顔がパァーと明るくなった。満面の笑顔だ。

「やるしゅ」

 隊長が立ち上がって、受験生の方を向いた。

「では、9席を争ってくれたまえ」

 片手をあげた。

「開始だ」





「吐きそうだ」

 戦闘魔術師部隊の中堅隊員のロイが壁に手を突いた。

「新入隊員の前ではやるなよ」

 テートが楽しそうに言った。

「テートさんは先に帰られて、あの惨状を見ていないから」

「それほど、ひどかったのか?」

「阿鼻叫喚の地獄絵図ですよ」

 青い顔のロイが不愉快そうに言った。

 マリカの脳裏にもムー・ペトリが行った試験が蘇り、吐き気がこみ上げてきた。

 ムー・ペトリが最初にしたのは現世召喚だった。ポスフ火山に住む、巨大百足キザクムカデを召喚した。体長20メートルをこす百足が空中から次々に落ちてきた。十数匹をこす巨大百足が濃緑色の腐食性毒液をまき散らして暴れ回った。受験生たちは百足と戦う意志があるものの、逃げ回るだけで精一杯だった。

 次に空から振ってきたのは、白い粉だった。雪のように降りつづき、地面に積もると骸骨戦士になった。

「これがウィングフロウか」

 ロウントゥリー隊長のつぶやきで、マリカにもネクロマンサーが使う最上級難度の呪文であることがわかった。4、50体の骸骨戦士が二手に分かれて戦い始めた。激しい戦いの最中、鋭い剣は暴れ回る巨大百足も切り裂き、青い体液が飛び散った。

 腐食液の酸っぱい臭いに、体液の生臭い匂いが混じり、受験生の数人が吐いた。

「次、いくしゅ」

 ムー・ペトリの声が響き、地面が盛り上がった。1メートルほどのマグマゴーレムが5体、出現した。灼熱の身体から溶け出すマグマを滴らせて歩き回る。

「火傷するだろ!」

 ウィルの怒鳴り声が響いた。

「わかったしゅ」

 マグマゴーレムを消してくれるというマリカの予測を裏切り、1メートルをこす巨大な氷が次々と落下してきた。

「冷やすしゅ」

 のんきな声で言っているムー・ペトリを殴りたいとマリカは心から思った。

 この時点で受験生の半分以上が負傷して動けなくなっていた。戦闘魔術師達やウィルが担いで、商店街の外に連れ出していた。

 マリカも手伝ったが、地面には腐食性の液が飛び散り、それに体液も加わり足下はぬかるんで力が入らない。触れたら熱傷確実のマグマゴーレムが右往左往しており、骸骨戦士が鋭い剣を振り回し、巨大な百足が暴れ回っている。自分だけでも命がなくなりそうな状況なのに、重傷の受験生を担いで移動するのは無謀だった。それでも、マリカは己が戦闘魔術師である自負から救出に参加することをためらわなかった。

「次、おっきいの行くしゅ」

「いい加減にしろ!」

 ウィルのラリアートがムーに入ったとき、初めてウィルの感謝した。

 ようやく、終わったと思ったマリカの目に、無数の黄色い水球のようなものが空中に浮かんだのが見えた。直径5センチほどで、プヨプヨと動いている。

「こんなのやつを出すな!」

 ウィルが怒鳴っている。

「見たことがないな。こいつは何だ?」

 冷静なロウントゥリー隊長の声が聞こえる。

「異次元モンスター。触れた者に張り付いて、幻覚を見せるんだ。聴覚も嗅覚も、とんでもなく狂うんだよ」

 無数に浮かんでいる黄色い水球。

 マリカは上を見た。

 逃げるとしたら上しかない。だが、水球はキケール商店街を覆うようビッシリと浮かんでいた。

「これでは飛べない!」

 同僚のロイが悲痛な声をあげた。

 ウィルの怒声が響いた。

「さっさと消せ!」

「失敗しゅ」

「モジャ、早く帰ってきてくれよ~」

 受験生たちは次々に倒れていき、彼らを担ぎ上げた隊員達は襲いかかってくるモンスター達を避けながら、死にものぐるいでキケール商店街の外を目指した。

 マリカもその1人だった。

 あの時の視界は現実感を失い、身体を包み込む臭気は骨まで溶かしそうな強烈なものだった。

「マリカ?」

 テートの心配そうな声で、マリカは我に返った。テートがこちらを見ていた。マリカはテートに言わなくてはいけないことを思い出して、頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

「何かしたのか?」

「私があのような試験を提案した為に惨事が起きました」

 ムー・ペトリが行った試験を受けた受験者全員が重傷を負った。ロウントゥリー隊長は、その中の6人を『目に戦う意志が残っている』という理由で合格にした。

 桃海亭での試験の任務に参加した隊員も全員負傷した。うち、5名が重傷。重傷の1名と軽傷の2名が隊を辞めた。

「惨事は隊長が勝手にやった試験でおこった。マリカのせいではない」

「でも」

「隊長が『今年の入隊者は使えそうだ』だと言っていた。そんなことで悩むより、新入隊員に抜かれないよう技を磨くことだ」

 何も言えなくなり、マリカは一礼して自分の席についた。

 怪我をしなかったのは、ロウントゥリー隊長とウィルだけだ。隊長は高笑いしながら、受験者を両手に抱えて、地獄と化した商店街を疾走していた。ウィルは受験者を担ぎ、商店街をマイペースで歩いていた。襲いかかってくるモンスターを淡々と作業のように避けていた。

 隊長が19名、ウィルが10名、約半数が2人によって救出された。

 マリカが助け出したのは2名。隊員の中では多い方だが、魔力を持たないウィルに負けたのが悔しくてたまらない。

 机に何かがドサッと置かれた。

 顔を上げると笑顔のテートがいた。

「隊長が持って行く予定だったが、急用が入って持っていけなくなったそうだ。代わりに届けてくれ」

「これは?」

「ムー・ペトリに支払うキャンディだ」

 桃海亭に行けということらしい。

「でも、私は」

「命令だ。さっさと行って、一発殴れば気が済むだろう」

 あの寝ぼけた顔を殴る。

 殴れたら、このモヤモヤした気分が晴れる気がした。

 マリカは机の上の紙袋をつかんで、敬礼した。

「わかりました。これより、桃海亭に行って参ります」





「隊長、忙しいんだ」

 ウィルが嬉しそうだ。

「代わりにキャンディを届けにきました。その顔を殴らせてください」

「へっ?」

「殴らせろと言っているのよ。言葉がわからないの?」

「胸が『ペタンコ』だと言ったのを、まだ怒っているのか?」

 作戦は考えてきた。

 予備動作なく、短い距離で拳を突き出した。

「おっと!」

 マリカの拳は、当たらなかった。

「なんで、逃げるのよ!」

「ララみたいなこと、言うなよ」

「お友達の殺し屋と一緒にしないで!」

「ララは”暗殺者”と言わないと怒るんだ。別にどっちでも同じだと思うんだけどなあ」

「とにかく、このキャンディが欲しければ、殴らせて」

 手に持った紙袋をヒラヒラさせる。

「それはムーの報酬だろ?」

「そうよ」

「なんで、オレを殴るんだ?」

「配送料」

「郵便で送れよ」

 ウィルには殴られる気がない。

 そして、今のマリカの技術ではウィルを殴れない。

 せっかく、桃海亭まできたのに、ウィルを殴ることができない。

 このまま帰るのも業腹なので、マリカはささやかな腹いせをして帰ることにした。

「ロウントゥリー隊長の秘密を知りたくない?」

「教えるから殴らせろとか言うんじゃないだろうな?」

 露骨に警戒している。

「ロウントゥリー隊長の机には姿写しの水晶板が置かれているの」

「へぇー、家族がいたんだ。ちょっと、意外だったな」

「本当かは知らないけれど、隊長は天涯孤独と聞いているわ」

「まさか………恋人?」

 目を輝かせて、食いついてきた。

「よく知っている人が写っているんだけど」

「オレも知っている?」

 マリカがうなずくと、一生懸命考えている。

 試しに殴ろうとしたが、軽くよけられた。

「わかった。イヴォンヌさんだろ」

 戦闘魔術師で最も美しいと言われている女性だ。長身で彫りの深い美貌で大人の魅力に溢れている。

 マリカは首を横に振った。

 そして、ゆっくりと言った。

「ウィル・バーカー」

「オレがどうかしたのか?」

 マリカは黙っていた。

 数秒後、ウィルは指で自分の顔をさした。

「もしかいて、オレ?」

「そうよ、そのボーとした土鳩顔がアップで飾られているの」

「鳩は違うだろ」

「戦闘魔術師隊の隊員は、隊長の机を見る度にウィル・バーカーの顔を見ることになるの」

「嘘だよな」

「隊長の執務室に行く度に、ウィル・バーカーの顔を見ることになる私たちの気持ちがわかる?」

 隊長の机に姿写しの水晶が置かれたとき、きっと美しい女性が写っていると思っていた。のぞきこんで、ウィル・バーカーだった時の衝撃は忘れられない。

「嘘だと思うなら、こんど隊長に会ったときに聞いたら?」

「本当なのか」

「隊長にとって、あの水晶板に写っているのは『私が殺す可愛いカナリア』らしいわ」

「待ってくれよ」

「『私が殺すまで、元気に生き延びておくれ』とも言っているのを聞いたわ」

「あの人、何考えているんだよ」

 ため息をついて考え込んでいるので、隙があるかと拳をつきだしたが避けられた。

 殴れなかったが、落ち込んでいる姿に少し気分が晴れた。

「隊長に殺されないように頑張ってね」

 帰ろうとしたとき、ローブの裾が握られていることに気がついた。

「キャンディ、欲しいしゅ」

 ムー・ペトリだった。

 いたことには気がついていたが、ウィルに気を取られて忘れていた。

 持ってきた紙袋を渡した。

「確かに渡したわよ」

 袋をのぞきこんだムー・ペトリの目つきが変わった。

「違うしゅ」

「何がよ」

「これはボクしゃんが欲しかったキャンディー・ボンのペロペロキャンディじゃないしゅ」

 一本取り出して、マリカの前に出した。

 包み紙はキャンディ・ボン。柄のついたねじり棒の飴だ。

「どっちでも変わらないでしょ。とにかく渡したから」

 無視して、マリカは踵を返した。

 店の扉を抜けようとしたとき、背中に魔法弾が当たったのを感じた。

 まさか、キャンディごときで魔法弾を撃つと思わなかった。

 ゆっくり倒れていくマリカの耳に、ウィルのつぶやきが届いた。

「隊長は何を考えているんだよ。姿写しの水晶板は高いんだぞ。どうせなら、シュデルを写せよ。シュデルのなら買い手はいるけど、オレのじゃ、ただでも売れないぞ。オレの姿写しが欲しいなら、安い水晶球で作れよ。水晶球なら漬け物の重しとして使えるんだぞ」

 鈍感ウィルには腹いせにもならなかったか、と意識が薄らいでいく中、マリカは思った。




「可愛い髪ね」

 先輩で美人戦闘魔術師のイヴォンヌに言われた。

「ありがとうございます」

 昨日、桃海亭で魔法弾を背中に受けて倒れたが、意識はすぐに戻り、夕方には隊に戻った。

 そこで、事務方がキャンディー・ボンとキャンディ・ボンを間違えて商品を発注したことを知った。それを知った隊長はわざわざ用事を作って、桃海亭にキャンディを届けにいかなかった。

「その髪はいつまでなの?」

 イヴォンヌが心配そうに聞いてきた。

「1年間はこのままだそうです。ムー・ペトリのオリジナル魔法なので本部の魔術師には解くことができないそうです」

「ムー・ペトリにはお願いしてみた?」

「あのチビに頭をさげるくらいなら、一生このままでもいいです」

 意識が戻ると、髪が見事なピンク色になっていた。

 俗にキャンディ・ピンクと呼ばれる可愛いピンク色だ。

 テートが自分の席から、声をかけてきた。

「ウィルに頼めば、戻してもらえるのではないか?」

「ご安心ください。この色では任務に差し支えると思いますで、今日の午後スキンヘッドにするつもりです」

「ピンク色でも問題ないと思うのが」

「訓練の予定が入っていますので、これで失礼します」

 礼をして部屋を出た。足早に訓練場に向かう。

 ピンクは桃海亭の色だ。桃海亭の髪色でいるならスキンヘッドの方がましだ。

「よくもピンクに変えたわね」

 許さない。

 ウィルもチビ魔術師も。

 あの2人を倒すために、力をつけ、技を磨く。

 憎しみで感情がどす黒くなっているのに、肉体も魔法も今鍛えれば、飛脚的に成長しそうな柔らかい状態を維持できている。

「待っていなさいよ」

 今のマリカには隊長が言っていた『私が殺すまで、元気に生き延びておくれ』という気持ちがよくわかった。

 頻繁に狙われているウィル達が次に会うまで生きていてくれる保証はない。

「生きていなさいよ。あなた達を殺すのは、このマリカ・ライドンなのから」

 本部の長く暗い廊下を、この先に光があることを信じ、マリカは前を向いて歩き続けた。


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