兄妹(冬の訪れ)
ある日の放課後、俺はウィソ部の部室にやって来ていた。
だが、部室にいたのは翡翠だけで、俺の目当ての相手は居なかった。
「こんにちは、アリス、アリシア」
ノートを開いて宿題をしていたらしい翡翠が、俺に気づいて顔を上げて挨拶をする。
俺達は二人で挨拶を返した。
「今日も蒼汰は多分こないと思うわよ」
「やっぱりそうかぁ」
翡翠と学習机を挟んだ向かいに腰を降ろした俺は、ふぅと溜息ついた。
「あいつ、いったいどうしたんだよ……」
温泉旅行からの帰りの道中、俺は蒼汰に自分の正体とこれまでの経緯を明かす事を翡翠とアリシアに告げた。
蒼汰と涼花の間の誤解も無くなった今、俺の正体を蒼汰に隠す理由は無くなっていたからだ。
「もし、黙っていた事を理由に蒼汰がアリスにエッチな事を要求をしてきたら私に言ってね。懲らしめてやるから」
それに対して翡翠は真剣な顔で俺に助言してきた……そんな事を考えるのは翡翠だけだと思う。
大体アイツは見た目は怖いが、中身は俺以上にへたれなのだ。そうでなければ、あいつの事を慕っているのが見え見えな、巨乳美人の涼花に未だ手出ししてないなんてあり得ない。
その日の夜、早速俺はスマホで蒼汰にメッセージを送った。
『明日の放課後二人で大事な話をしたいんだけど時間大丈夫かな?』
『すまん。明日は予定がある……しばらく用事が立て込んでいて、時間取れなさそうなんだ。悪いけど、落ち着くまで待ってもらえないか?』
『わかった』
その後、ウィソ部のグループに、しばらく部活に出られなくなった旨のメッセージが入っていた。
そのときは特に気にしなかった。翌週には期末テストが控えていたこともあり、その関係で忙しいのだろうと思っていた。
だけど、テストが終わり十二月になった今でも蒼汰は部活に出て来ていない。
「もしかして、私避けられてるのかなぁ……?」
再び放課後の部室に居た翡翠と話をする。
早く俺が幾人である事を明かしてしまって、昔みたいに気軽に付き合いたいのに、それが叶わない現状にやきもきしていた。
……なんであいつが俺を避けるのか理由が分からない。
「蒼汰は、あなたから愛の告白をされると思っているみたいよ?」
「……へ?」
何それ、訳が分からない。なんで俺が……?
「あなたと涼花と蒼汰の三角関係は校内ではそこそこ有名よ。蒼汰を取り合って部活では水面下で戦いを繰り広げているらしいわね」
「なんでそんな……」
『イクトさんはクラスでソウタさんの事を好きって事にして男子避けにしてるんですから噂だって広がりますよ』
……あ、そうだった。
「……アリス、あなたそんな事してたの?」
「ち、違うよ! しようと思ってした訳じゃなくて、蒼汰と話してるところをクラスの女子に見られて勘違いされちゃったから、仕方なくそうなっているというか……」
「まあそれはいいわ……実は問題はそれだけじゃないの」
「……ん?」
「以前涼花が不良グループに攫われかけた騒動があった事は知ってるかしら?」
「涼花に聞いた。それをきっかけに蒼汰が不良グループを壊滅させてヒラコーの暴れ狼って呼ばれるようになったとか……」
「その不良グループ、リーダーは補導されたんだけど、幹部の何人かは証拠不十分で解放されたみたいの。そのメンバーが蒼汰に復讐を計画しているって噂があるみたいで、蒼汰からは私も気をつけるようにって言われてるわ」
翡翠は学用カバンを掲げて、ついている防犯ブザーを見せてきた。
「……つまり、蒼汰は私に近づかないようにして巻き込まれないようにしてるってこと?」
「そうだと思うわ。だから、待って欲しいっていう返事なんじゃないかしら。……あなたの告白に真面目に解答するつもりはあるみたいよ?」
「告白前提みたいに言うのはやめて……正直、嫌すぎる」
俺はホモじゃない。
蒼汰とはまた一緒にいたいって思うけど、それは男同士の友人としてだ。他の人に俺の事を話す訳にはいかないからこんな関係を望めるのは蒼汰だけだっていうのに。
「それにしても、水くさい話だなぁ……荒事ならいくらでも付き合うのにさ」
「そういえば、あなた達って異世界で命のやり取りを繰り広げてきたのよね……」
『はい。祝福は望めませんから魔法の威力はかなり制限されますけど、それでも戦闘訓練されてないただの人相手なら決して負けませんよ』
「その外見だもの。戦う姿なんて想像も出来ないし、関わらせたくない蒼汰の気持ちは当たり前だと思うわ」
まあ、そりゃそうか。
事情を知らない相手には俺は無力な少女にしか見えないだろう。
「もし、翡翠や蒼汰に何かあったら、いの一番に知らせて欲しい。すぐに駆け付けるから」
俺は胸を張って握り拳で自分の胸元を叩いて言う。
「ふふっ……頼もしいわね、ありがとう」
俺は真剣に言ってるつもりなのに、何故か翡翠は笑いながら返してきた。俺は不満に思い唇を尖らせる。
男なんだから、こういうときは素直に頼られたいって思う。
「ごめんなさいね、アリスがあまりにも可愛いものだから……大丈夫、ちゃんと頼りにしてるわよ。幾人はいつだって私のピンチに助けに来てくれたもの……私信じてるから」
不意に俺の目を真っ直ぐ見て、そんなふうに言うのだから翡翠はずるいと思う。俺は翡翠の目から視線を逸して指で頬をかいて気を落ち着かせる。
『私もイクトさんをサポートしますから……頼って下さいね、ヒスイさん』
「アリシアも、ありがとうね」
アリシアの言葉で硬直が解けた俺は小さく息を吐いた。
「ところで、翡翠はクリスマスパーティは行くの?」
この学校では毎年12月24日に生徒会主催で学校の体育館でクリスマスパーティが開かれるらしい。特にクリスマス予定の無かった俺は優奈と一緒に参加することにしていた。
「私の家は神道だもの、クリスマスには縁が無いわよ。そういえば、今年のパーティはコスプレ推奨って書いてたけど何か着ていくつもりなの?」
「私はアリシアの法衣を借りるつもり」
『一応由緒あるミンスティアの巫女の法衣なんですけどね……この国だとコスプレにしか見えないかもしれませんけど』
「そうだ、翡翠も巫女服で一緒に参加すればいいんじゃないかな!」
「私の巫女服もコスプレじゃないんだけど……まあ、いいわ。バイトの勧誘と神社の宣伝がてらってことにしたら、父さんも許してくれそうね。考えてみるわ」
「……え? いいの?」
「あなた達と一緒に過ごせるイベントなんて貴重だもの、なるべくなら参加したいと思うわ」
もう一年が終わる。来年はもう蒼汰と翡翠は受験生だ。進路をどうするかは聞いていないが、いずれにしても一緒に学生として過ごせる時間はもう長くない。
「……ちなみに、私はパーティの後も予定は空いてるけど?」
翡翠が艶っぽく微笑んで言う。温泉旅行の記憶がフラッシュバックして、頭に血が登ってしまう。
『残念ですが、そっちはもう予約が入ってますから結構です!』
漫画やテレビ等からの知識でクリスマスは恋人と過ごすものという事を知ったアリシアは、クリスマスの夜は二人で居る事を望んだ。勿論、俺に断る理由なんて無かった。
アリシアと同調して夜を過ごす日は週に一回あるか無いかくらいの頻度だし、まだまだアリシアと一緒にしてみたい事もいろいろある。
……だけど、翡翠との記憶はそれ以上に鮮烈的で、目を瞑るとまだ翡翠の肌の感触や匂いを思い出せるくらいだった。
「あら、残念。気が変わったらいつでも声を掛けてね」
翡翠が少し舌を出して人差し指で舌をなぞる。見え透いた挑発だが、悲しい事に俺の体はその仕草に反応してしまう。
『変わりませんから! 恋人達の夜を邪魔しようとしないで下さい!』
アリシアは語気を強めて言う。
「ごめん、翡翠。クリスマスはそういう予定だから……」
「気にしなくていいわ。大丈夫よアリシア、私から手を出したりなんてしないから……約束だもの」
翡翠はにっこり微笑んで、手を振って部室から立ち去る。
部室には俺達がひとり残されて立ち尽くしていた。
アリシアは無言だった。
そして、俺はそんなアリシアに何を言えば良いのかわからなかった。




