神代翡翠(夜の帳)
俺は翡翠に押し倒されていた。俺の下半身の上に翡翠が馬乗りになり、布団に手をついた翡翠の両腕の間に俺の顔が挟みこまれて、布団に抑え込まれている。
壁ドンならぬ、布団ドンとでも言うのだろうか?
「ええと、翡翠? ……冗談、だよね?」
「冗談だと思う?」
「翡翠が無理矢理こんなことするとは思いたくない」
「無理矢理なんてしないわよ。了承はこれから取るもの」
翡翠は右手で俺の左頬を撫でながら応えた。
そんな無茶苦茶な……
「もう一度聞くけど、アリスは私のものになる気は無い?」
翡翠が俺の銀色の髪を手で梳きながら問う。
「その気はないよ。私が好きなのはアリシアだから」
「……私をあなたのものにしてくれても良いのだけれど?」
「それもないから」
俺の否定の言葉をきっかけにして、翡翠の指が首筋から胸元に浴衣の中に越境してくる。少し冷たい感触に体を震わせる。
「仕方ないわね……だったら、予定通り一晩の思い出だけで我慢することにするわ」
翡翠の頭が近づいてきたかと思うと、俺のうなじに口づけてきた。そのまま舌を這わせてきて、俺は体を強張らせる。目の前にある翡翠の頭から、シャンプーのいい匂いが鼻腔をくすぐる。
「なんだか、話の流れがおかしくない?」
体をよじらせて翡翠の攻めから逃げようとするが、下半身を完全に固定されているせいで逃げられない。翡翠の唇が啄むようにうなじに何度も重ねられて、その度にちゅっぱっという水音が聞こえてきて。
……くすぐったさに変な声が出そうになる。
「おかしくなんかないわよ。アリスが生きていたことを黙っていた事を許す代わりに思い出を貰う約束だったでしょ? 男女の間で一晩の思い出と言えばそういうことじゃない」
……そ、そうなの?
「……あきれた。もしかして、そんなことも理解せずにきたの?」
「そ、それは……その……」
「でも、もう遅いわ」
翡翠の手が太腿を撫であげてきて体がぞわっと反応して震える。
さっき翡翠に整えて貰った浴衣の下半身は、既に翡翠の手によって無残にはだけられて今は腰帯の周りに布が纏わりついてるだけの状態になっている。
「ちょ……ちょっと、翡翠!?」
翡翠が俺の浴衣の腰帯に手を触れたかと思うと一瞬で結びが解けてはらりと布団に落ちた。さっき整えたときに何か細工をしたのだろうか?
翡翠の手によって浴衣は俺の上半身からも滑り落ちて、翡翠の前の俺は下着姿――就寝用の履きやすい白地チェックの綿の女児ショーツと、スリップのみの上半身――になってしまう。
「ひどいよアリス、私信じてたのに……アリスは私の心を弄ぶつもりなの?」
翡翠の手が腰に触れて円を描くようにお腹を撫で回す。
「客観的に見て弄ばれているのは私の方だと思うんだけど……」
「私は正当な権利を履行しているだけよ。約束を反古にしようとしているのはアリスの方じゃない」
翡翠の指が責めるように俺のヘソをいじくる。未知の感覚に思わず翡翠の手首を掴んで抵抗する。
「……私、アリスのことを信じていいの?」
翡翠が体全体で覆い被さってきて、俺の鎖骨を口に含んで舐め回す。空いた左手で今度は俺の太腿の内側を撫でて来る。ぞわっとする感覚に俺は身を固くして耐える。
「それは、こっちの台詞なんだけど……」
翡翠の行動に俺は抵抗するが、今の俺は体格も力も翡翠に劣るので上手く抗えていない。魔法を使えばなんとでもなるけれど、翡翠に強引すぎる手段はあまり使いたくなかった。
「アリスの思い出だけ貰えたらそれ以上は望まないから。明日からは普通の女友達になるって誓うわ」
翡翠は今のところ俺の肝心なところには触れていない。彼女なりの配慮なのか、ただ焦らしているだけなのかはわからないけれど、俺の同意を得るまでは、これ以上先に進もうとはしないようだ。
「これは私達が幼馴染に戻る為に必要な儀式なの。だから、お願いアリス……」
返答することが出来なかった。俺は既に翡翠の仕掛けた網の中に居て、受け入れる以外の選択肢は無い。
だけど、ここで受け入れてしまったら、アリシアに対する申し訳が立たない。
俺は黙ったまま、執拗に与えられる中途半端な刺激に耐えていた。
「……やっぱりあの娘なのね」
俺に対して縋るような様子から、刺々しい口調に翡翠の雰囲気が変わる。
「アリシアの許可さえあればいいんでしょ? ねえ、アリシア、聞いてるのよね?」
『……ヒスイさん、わたしはイクトさんに何かを許可する立場にはありません』
「つまり、アリスが私と一晩過ごす事を認めるってことでいいのね?」
『なんで、そうなるんですか……わたしはイクトさんの判断に従うって言ってるんです』
「自分は関係ないっていうのは卑怯よ。もし、本当にアリス自身に委ねるっていうのなら、精神同調を切って完全にアリスひとりの判断に任せなさい」
『……わ、わたしにもイクトさんがどんな選択をするのか見届ける権利はあると思います。もし、イクトさんが選択したら、わたしは同調を切るつもりでいます』
「だったら、ちゃんと当事者として向き合いなさいって言ってるの! あなたは、私とアリスが何をしても平気なの? どうなのよ!?」
『そ、それは……』
「もし、アリスが何をしても構わないって言うなら、私はあなたからアリスのことを奪うわ。何をしてでも」
暫し沈黙。
『……い、いやです』
やがて、頑なだったアリシアの口から、否定の言葉がこぼれた。
『そんなの嫌です。嫌に決まってるじゃないですか!』
心の関を乗り越えたアリシアの感情は留まることをしらず、次から次へと言葉が飛び出てくる。
『ヒスイさんは何なんですか! イクトさんはわたしの事が好きって言ってるのにデートに誘ったり誘惑したりして。少しの間くらいそっとしておいてくれてもいいじゃないですか!?』
「私は不戦敗は嫌だもの」
『イクトさんもイクトさんです! わたしのことを好きって言っておきながら、ヒスイさんに迫られて鼻の下伸ばしたり、胸をじーーっと見てたり、今だっていろいろ期待してるんじゃないですか!?』
「ご、ごめん……」
『大体、ずっと想ってたってヒスイさんは言いますけど、想ってた長さならわたしも負けてません! わたしはお告げを聞いてから、いつか出会うわたしの勇者様はどんな人なのだろうって、想いを募らせてきたんです。想いの長さでヒスイさんに負けたりはししません!』
感情を爆発されるアリシア。
何故か翡翠は不敵に微笑んでいた。
ああ、できるなら俺が精神同調を切りたい……
『イクトさんはわたしのことを好きと言ってくれています。だからヒスイさん、イクトさんを誘惑するのはやめて下さい!』
「断るわ」
翡翠は良い笑顔で言い切った。
『はぁ!? な、なんで断るんですか! 何がしたいんですか、ヒスイさんはっ!』
「だって、私は今日アリスとの思い出を作る為にここに居るもの。あなたまで私の意図に気づいてなかったとは言わないわよね?」
『そ、それは……』
「あと、正直なところ、あなたの意志は関係ないの」
『でも、だったらどうして……』
「そうね……私は性的趣向はノーマルだと思ってたの。幾人が、アリスになったときもあくまで私が好きなのは幾人だから普通なんだってそう思ってた。だけど、さっきお風呂であなたたちに悪戯してたときに気づいたの。女の子同士もアリだなって……」
『ちょっ!? な、何ですか、それ……!? ダメです、わたしは完全にノーマルですから、ヒスイさんの趣味に巻き込まないで下さい!』
「あなた達二人一緒に愛してあげる。これなら二人とも気持ちよくなれるし、オールオッケーじゃないかしら?」
『いいこと思いついたみたいに言わないで下さい! オッケーじゃないですから!? イクトさんも黙ってないで何か言って下さい!』
「わ、私は……」
翡翠の指がさわさわと触れるか触れないかくらいのくすぐったく甘い感触を与えてくる。
「ねぇ……いいわよね?」
「ひ、ひゃい!?」
みっ――みみ、耳ぃ!?
翡翠の舌が耳の穴に侵入して、ちろちろと蠢いていて。
まるで、頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されているかのようで。
「だ、だめ――っ!」
もう限界だ。
魔法を使って翡翠を引き剥がそうとして。
翡翠を見た瞬間に体が固まった。
――涙
ぽたりと雫が落ちてきて、俺の頬を濡らす。
下ろした髪で翡翠の表情は見えない。
両頬には涙の筋。
「今日だけでいいから……私を拒絶しないで、お願い……」
そこに居たのは俺のせいで傷ついた一人の女の子で。
思わず俺は手を伸ばしかけて止める。
彼女を選ばなかった俺にできることなんてなくて。
だから、せめて――
「ごめん、アリシア……」
俺は体から力を抜いた。
これが正しい選択なのかどうか、わからないけど……
『……いえ、いいです。イクトさんが決めたなら、わたしは――』
「……いいの?」
俺の手に手を重ね合わせてギュと握りしめながら、恐る恐るといった様子で翡翠は問う。
「あ、ああ……」
若干の不安を感じながらも、俺は翡翠にこたえた。
俺からは何もしない。
けど、翡翠のしたいことを今晩だけは受け入れよう。
「ふふっ……ありがとうアリス」
目元を拭って、翡翠は俺を強く抱き締めてきた。
鼻と鼻がくっつきそうなほどに顔を近づけてきて、思わず顔を背けようとしたけど、頬が翡翠の手で固定されていて顔を動かせない。
翡翠が髪をかきあげた拍子に表情が見えて。
ぞくりと背筋が寒くなる。
それはニヤリと笑った捕食者の顔で。
涙の筋はもう見えなかった。
「ちょ!? 泣いていたんじゃ――!?」
「泣いていたわよ……? だってここで中途半端に終わったら悲しいもの」
「だっ――!?」
騙された!?
『ず、ずるいです、ヒスイさん!』
「アリシアはアリスの判断に従う。今更前言の撤回はしないわよね?」
『そ、それは、言いましたけど……!?』
「安心して。バージンまで奪ったりはしないわ。唇もアリシアに残しておいてあげる」
慌てふためく俺とアリシアを意に介さず、翡翠は俺の口に伸ばした指を押しあてて宣言する。
「だけど、それ以外は全部貰うから」
翡翠は舌なめずりをした。
『ちょ、ちょっとまって下さい。せ、せめて、わたしは同調を切りますから――あぁぁ!?』
「今からずっとスイッチを入れたままにしてあげる……一人だけオフになんてさせてあげない」
「ちょっ!? や、やぁ……だっ、だめぇ!」
『あ、あぁぁぁ……!』
俺は勘違いしていた。
俺がいなくなったことで翡翠は傷ついただけじゃない、それ以上の強さを身につけていたんだ。
俺はそのことを心と体に刻み込まれた。
快楽か苦痛かわからなくなるほど強い刺激で気を失うまで。




