神代翡翠(駅の構内で)
『イクトさん、わたし今日は精神同調切りますね』
デート開始早々、アリシアがそんなことを言い出した。
『どうしてそんな事を言うのさ?』
『今日はイクトさんと翡翠さんとのデートですから、わたしがお邪魔するのは良くないと思うんです』
アリシアと念話で話していた為、沈黙していた俺を訝しんだ翡翠が話し掛けてくる。
「……どうしたの? アリス」
「その……アリシアがデートだから、精神同調を切るって言っててさ……」
「アリス、今日は私とデートのはずよね?」
「う……そうだけど……やっぱり、ダメかな?」
『そんなの、ダメに決まってるじゃないですか。イクトさんはもう女性なんですから、少しは女心をわかりましょうよ……』
『ぐぅ……』
それでも、俺はアリシアと温泉街に行ってみたかったんだ。彼女が新しい体験をして無邪気にはしゃぐ様子が好きだから。
「……別にいいわよ、アリシアも一緒で」
翡翠の返事は意外にも了承を告げるものだった。
「え……いいの?」
「私だけ除け者にされるのは嫌だから、アリシアの声は私にも聞こえるようにしておいてね……後、ひとつ貸しにしとくから」
「ありがとう、翡翠」
翡翠に貸しを作るのは少しだけ怖い気もしたが、取り敢えずはアリシアと一緒に温泉旅行を楽しめる事を喜ぶとしよう。早速俺は念話のリンクを翡翠と繋ぐ。
『え、ええと、いいんですかね……あの、お久しぶりです。ヒスイさん』
『こんにちはアリシア、文化祭以来ね。いいのよ、気にしなくて。悪いのはこの唐変木だから』
『なんだか、すみません……ほんと、イクトさんはもう……』
割りと酷い言われようだけど、それで二人が意気投合してくれるならいいかな……
「それじゃあ、行きましょう。電車に乗り遅れてしまうわ」
温泉街行きは一本電車を逃すと次は一時間後にしか来ない。少し待ち合わせ時間には余裕を持たせていたけど、さっきのやりとりで大分時間を取られてしまった。
俺達は駅に向かって早足で歩きだした。
駅についてから、アリシアのテンションはだだ上がりだった。
『イクトさん、鉄道ですよ、鉄道! 工業革命における物流の要となった鉄の道! すごい、線路が延々と続いてます! この先は見知らぬ土地に続いてるのですね……!』
『……アリシアってこんな娘だったの?』
『アリシアは好奇心旺盛だから……近代史で学んだ鉄道を実際に目の当たりにして、ちょっと興奮しているみたい』
『それに電車もアニメで見たのと一緒です! 無骨な四角いシルエットをした銀の車……あぁ、素敵です、素晴らしいです……ミンスティア様に感謝の祈りを!』
そんなアリシアの様子を見て、翡翠はくすりと笑った。
『なるほどね、あなたや優奈が気にかける理由がわかった気がするわ……』
電車に乗ってもアリシアの興奮は冷めやまぬ様子だった。
そういう態度を一切出さずに身を引こうとしていたと思うと、逆に少し寂しさを感じてしまう。
『車とはまた違うこの車窓の光景、そしてこの揺れはレールの継ぎ目によるものなんですよね! 独特なリズムが心地よいですねぇ……!』
電車が動き出してしばらくはそんな感じだった。
ややあって、アリシアは少し冷静になったらしく、静かに見守っている俺達に気がついたようだった。
そして、羞恥と戸惑いの混ざった声が聞こえてくる。
『ご……ごめんなさい。わたし一人で興奮しちゃって……えっと、やっぱり、今からでも同調切りましょうかね?』
『気にしなくていいわ。微笑ましいものをみれたから。アリシア、あなた可愛いのね』
『ふぇ……!? な、何を言うんですか、もう……からかわないで下さいよ』
『アリシアは可愛いぞ』
『なんですか、なんなんですか!? もう、二人ともいじわるです』
アリシアのふくれっ面が視えたような気がした。
俺と翡翠は互いの顔を見合わせて笑った。
そんなやりとりの間にすっかり緊張の解れた俺達は、三人でお互いの事やこれから行く温泉の事などの雑談して過ごした。
電車が目的地につくまでの一時間半ほどの時間は、あっという間だった。
※ ※ ※
『暖かいですねぇ。これはなかなかどうして気持ちいいです……』
温泉街について、まず最初にしたことは駅の構内にある無料の足湯を利用することだった。
俺はミュールを脱いで、ワンピースの裾を少しだけたくし上げて足を湯に浸ける。足首から先が暖かいお湯に包まれてとても心地よい。
足湯に浸かっていると足だけじゃなくて身体全体がぽかぽかしてきて、とてもふにゃっとゆるむ。
温泉に浸かるのとはまた違った趣があって俺は好きだ。
翡翠も隣に並んで足湯に浸ってる。
……ちょっと近いかも?
いや、足湯は公共の場所だから詰めて座るのはわかるけど、だからと言って拳一つ分も離れていないのはちょっと近すぎる気がする……腕と腕は触れ合っちゃってるし、香水をつけているのか何だか判らないけど、翡翠からいい匂いがしてきて落ち着かない。
「足だけなんてって、今まで足湯を使った事は無かったけど、思ったよりいいものね、これ」
俺の耳元で翡翠がそう囁くように言う。くすぐったくて変な顔になったかもしれない。
何だか周りの人に見られているような気がするのは、気のせいだろうか? 正面の大学生っぽい男の人の一団とか特に注目されてるような……
『「ひゃぅ!?」』
俺とアリシアは同時に小さく悲鳴を上げる。
翡翠が突然に足を絡めて来たのだ。
「んっ……!」
彼女は足の指先で俺の足の裏をくすぐってきたり、指の付け根を親指で一本一本確認するように這わせてきたりと、足で俺にいたずらしてくる。
微妙な刺激がとてももどかしい。
『翡翠、ちょっと……ダメだって……』
このままだと何だかおかしな雰囲気になりそうで、俺は翡翠から逃げ出すように足湯から足を引き上げた。ここは公共の場所なのだ。
幸い翡翠はそれ以上ちょっかいを掛けてくることは無く、目を細めて艶やかに微笑むと、すらっとした足を足湯から上げた。
俺はフェイスタオルを取り出して、濡れてしまった足を拭きながら、今回の旅行の先行きに一抹の不安を覚えた。
……大丈夫なのかな、俺?




