文化祭二日目(祭りの後)
『……そう。それなら仕方ないわね』
覚悟を決めて想いを告げた俺に対して、翡翠の反応はあまりにもあっさりしたものだった。
『……えっと』
想定外の反応に、逆に俺は困惑してしまう。
『振った方がなんて顔してるのよ。さっきアリシアと話したときに何となく予想出来てたから、心の準備が出来てただけよ……ショックを受けてない訳じゃないんだから』
『ご、ごめん……』
気まずい沈黙。
この状況になるのを恐れていたから、翡翠に自分の正体を明かさなかったと言っても過言ではない。
これで翡翠との関係が壊れてしまったらと思うと怖くて、でも、どうしていいのかわからない。俺は彼女の好意を拒絶してしまった側だから。
『まあいいわ……それよりもひとつ大事なことを聞き忘れていたから教えて欲しいの』
『……な、何かな?』
会話が続くことにほっとしながら、俺は翡翠に質問の内容を聞いた。それが、どんな地雷であるかも知らずに。
『どうして、幾人が生きてる事を私に教えてくれなかったの?』
その問いに俺は言葉を失う。
それは、翡翠と正面から向かい合うことから逃げた俺の罪。
翡翠は笑顔のままだったが、これは間違いなく本気で怒っているときの反応だ。
『私がどれだけ幾人の事を心配したかわかる? そりゃ誰にでも話を出来ないって事情は聞いたけど、私達兄妹にくらい話してくれても良かったよね?』
翡翠が身を乗り出してきて俺に迫る。俺はたじろぐばかりだ。
『それは……その……体がこんな風になっちゃったし……』
『だから何? どんな体になっても幾人は幾人でしょ。あなたと私達って、そんなことで、どうにかなってしまう関係だとでも思っていた訳?』
『それは……その……』
俺は自分の卑怯さを突き付けられて何も言うことが出来ない。
『幾人はズルいよ……』
翡翠が握った手を俺の胸元にぶつけた。
『あなたが死んだって思って、毎日辛くって、苦しくって、もうぐちゃぐちゃになってしまいそうだったのに……幾人のバカ、酷いよ……』
翡翠はそのまま両手で交互に俺を何度か力なく小突く。俺はされるがままに受け止める。物理的な痛みは無い。けれど、込められた感情がすごく痛い。
翡翠の伏せた顔からぽたりぽたりと水滴が落ちて床に跡をつける。
『……ごめん、翡翠』
『簡単に許してなんてあげないんだから……』
『俺はどうすれば翡翠に償いをすることが出来るのかな』
『……思い出が欲しい』
『……え?』
『昨日の約束はまだ有効よね。何処にでもデートに付き合ってくれるっていうやつ』
『え、ええと……今日デート出来たからもうその話は無しになったんじゃ……?』
『それとこれとは話が別よ。その権利を使って二人で旅行に行きたい。あなたが、アリシアの事が好きなのは判ってる。だから……あなたとの思い出を頂戴』
俺と一緒に旅行した思い出が欲しいということか。それくらいの希望なら応えてしまっても問題無いだろう。
それで俺のした事が許されるなら、むしろありがたい。
『うん、わかったよ。それで翡翠の気が済むなら……』
正直、今日みたいな楽しい時間を二人で過ごせるなら歓迎だ。告白がダメになってもこうして友達を続けられるのは嬉しく思う。除け者にするみたいで優奈や蒼汰にはちょっと悪い気がするけれど。
『約束、だからね』
『う、うん……』
翡翠の気合の篭った念押しに、俺は少したじろぎながら返事をした。
※ ※ ※
『翡翠姉にばれたって!? ……あー、やっぱり気づいてたかぁ』
文化祭を終えて優奈と二人で帰宅する途中、俺は今日あったことを優奈に報告した。
『……優奈は知っていたの?』
『知らなかったけど、翡翠姉は私にも探りを入れて来てたから……』
俺が行方不明になってから落ち込んでいた優奈が急に元気になった事も、翡翠が俺が幾人である事を証明する裏付けになったようだった。
『それで、どんな事があったか教えて?』
俺は優奈に今日あった事を順を追って話していった。
翡翠の告白を断ったことを話したときは、俺の頭に手を置いて「そっか……大変だったね」と労ってくれた。
アリシアへの告白に対しては「アリシア、良かったね」と少し泣きそうになってた。
その後の翡翠の糾弾に対しては「……後で私も翡翠姉に謝っとくよ」と言う。
そして、許してくれる条件として受けた旅行と思い出の話をすると何故か顔色を変えた。
『アリス……あなた、意味をわかって、その提案を受け入れたの?』
『? なんでそんなに怒って……あ、そうか。悪いけど翡翠との約束だから優奈とは一緒に行けないよ?』
『そんなこと望んでないわよ、バカ! ……もういい、アリシアと二人で話させて』
『……なんだよ、いったい』
その後、優奈はアリシアと何か話しながら顔色をくるくる変えて百面相をしていた。
合間に俺に向けられる視線は何故かとても冷たいように思えた。
……なんなんだよ、ほんと。
※ ※ ※
家に帰っても優奈は不機嫌なままで、アリシアに聞いても何を話したのか教えてくれず、俺は悶々としたままて過ごした。
そんな状態のまま、一日が終わって、自分の部屋に寝り後は寝るだけとなった。
この後アリシアと話をして、寝る前に精神同調を切ってごにょごにょするのがいつもの流れだった。
『イクトさん……今日はありがとうございます。二人きりのときにしたかったので返事が遅くなりました』
アリシアは改まって俺にそう告げた。
『お、おう……』
昼間の俺のした告白が思い出されて気恥ずかしい。
『わたしもイクトさんのこと大好きです……ずっと、一緒に居たいって思います』
『俺もだよ。アリシアの事が好きだ』
声に出すと自分の気持ちが実感できて暖かい気持ちになる。同時に昼間の翡翠の事を思い出して胸がチクリと痛んだ。
『……だけど、もし、他に好きな人ができたら遠慮しないで下さい。わたしでは幾人さんと共に歩むことは出来ませんから』
『そんなこと言うなよ。例え並んで歩けなくてもアリシアとはずっと一緒だろ?』
俺は胸元に手を置いてアリシアに語りかける。
『……わたしは幾人さんに幸せになって欲しいんです』
『アリシアと生きることが俺の幸せなんだよ。だから、そんな心配なんてしなくていい』
お互いがお互いのことを好きと言っているのに、なんでこんな辛い気持ちにならないといけないんだろう?
『……幾人さんお願いがあります』
何かを決意したような口調でアリシアは俺に語りかけてくる。
『今晩は精神同調を切らなくてもいいですか』
『……それって?』
俺は唾を飲んだ。
『わたしと繋がったままして欲しいんです。イクトさんと一緒がいいです……』
アリシアの告白に節操なく体が反応してしまう。
『あっ……』
俺の昂りはそのままアリシアに伝わって、そのアリシアの反応でまた体が昂ぶってしまう。
……これは、やばいかもしれない。
『……いいの?』
『……はい。イクトさんに気持ちよくして欲しいんです』
まだ触れてもいないそこは既に熱を帯びてしまっている。未知への期待に頭が一杯になって、感じていた不安や焦燥は頭の中から消えてしまう。
『イクトさん……大好きです』




