二日目の夜
洗い場で開けてはいけない扉を開きかけた後、俺は優奈と二人で浴槽に入っていた。
うちのお風呂は二人で入るには狭いので、優奈の膝の間に割り込むようにして入っている。格好は所謂体育座りで顔の下半分までお湯に浸かった状態だ。
ちなみに髪は二人共タオルで包んで湯船に浸からないようにしているので、昨日のように貞子のようになってはいない。
『……ねぇ、アリシア……記憶を消す魔法って、ある?』
『記憶操作、確か闇魔法にそんなのがあったと思います……ですが、闇魔法の適性が無いイクトさんが使うのは難しいと思います。魂を魔力に変換して注ぎ込めばあるいは……』
『魂か……』
「あなた達、何を物騒な話をしてるの……さっきのが恥ずかしかったのはわかるけど、そんなことで魂を代償にしようとするんじゃないわよ……いい加減立ち直りなさい」
浴槽に体を横たわらせて、開けっぴろげにして寛いでいる優奈が呆れた口調で言う。
さっきの痴態を思い出して、いたたまれない気持ちで一杯になって、俺は両手で抱えた膝をより強く抱きしめた。
「だいたい、あたし達は家族なんだから、お互いの恥ずかしいところなんていくらでも知ってるでしょ。それがひとつ増えたところで、今更でしょうに」
後ろから手が伸びてきて優奈に抱きかかえられた。俺は思わず体を竦める。
「ひゃぅ……!?」
柔らかさに体が包まれる。特に後頭部にあたるふたつの膨らみの存在感は格別で、押し潰される感触が肌にダイレクトに伝わってくる。
「これから女の子のことでわからないことや失敗してしまうことが出てくると思うの。アリスは今まで男だったんだから。でもそのことを知ってるのはあたしたち家族だけだから。両親には話し辛いことも多いだろうし、あたしには遠慮しないで欲しいんだ」
「……優奈」
「どんな相談だって大丈夫。恋愛相談もいいよ、相手が女子でも男子でも、ね? でも、変な男に引っかからないように気をつけてね。男は狼なんだよ。体目当てで言い寄ってくるようなのがほとんどなんだから」
「……男がどういう視線で女の子を見てるのか優奈より判ってると思うからね?」
男が声を掛けるときに下心を持っているのは事実だろうけど、体だけ目当てっていうのはそれほど多くないと思うんだけどな。
とはいえ、男子高校生が彼女としたいことなんて十のうち九くらいはセックスだろうから、それほど間違って無い気がするのは悲しいところだ。
「今まではお兄ちゃんがあたしのことを守ってくれてたからね。これからは、あたしがお姉ちゃんなんだから、アリスのことはあたしが守るよ」
優奈に抱きしめられる力が強くなる。
「……だから、もう居なくなったりなんてしないでね」
震えるような声で優奈は言った。
背中の彼女がどんな表情をしているのかわからない。
……思い返せば優奈は結構ブラコン気味の妹だった。この一年で俺は彼女にどれだけ辛い思いをさせてしまっていたのだろう?
優奈が過剰にお姉ちゃんぶって俺に構いたがるのもその反動なのかもしれない。
だとすれば俺は……
俺は体の力を抜いて背中の優奈に体を預けてもたれかかる。
「わかった。約束するよ……お姉ちゃん」
素直に優奈の厚意を受け入れて、俺は妹になることにした。
兄として妹を守る必要が出るときまで、しばらくお兄ちゃんは休業しよう。
※ ※ ※
その後、優奈が髪を洗ってから二人でお風呂から出る前に洗顔をした。お風呂上がりに髪を乾かすのが大変と言う優奈に対して、アリシアが教えてくれた乾燥で瞬時に余分な水分を飛ばしたらまたズルいと言われた。「優奈は使わない?」と聞いたら、「勿論使うわよ」との返答も前と一緒だった。
お風呂から出ると夕飯の準備が出来上がっていた。ホットプレートを使った焼き肉パーティーだ。
ちょっと奮発をした和牛の肉を買ったようで、柔らかく肉汁もたっぷりなお肉は最高だった。焼き肉のタレのかかったお肉をご飯と一緒に食べたときに特にアリシアは感動していたみたいで、念話で延々と聞こえる感嘆の声に対して、家族みんなが温かい視線で見守っていた。
※ ※ ※
ご飯も終わって、俺は自分の部屋に戻ってベッドに体を横たえる。昨日に引き続いて色々なことがあった。異世界から戻ってまだ二日目だというのが信じられないほどだ。
俺は念話を切ってアリシアと二人で話をする。
『アリシア……話をしていいか?』
『勿論ですけど……口調がイクトさんに戻ってますよ?』
『二人の間で話をするときくらい勘弁してくれよ。アリシアと二人のときくらいアリスじゃなくて幾人でいたいんだ、俺は』
『わかりました。それで何か用事ですか?』
『用事ってほどじゃないんだけど……いろいろと相談せずに決めちゃったことも多かったからさ。アリシアはそれで良かったのかなぁって思って』
『もうこの体はイクトさんのものなんですから、わたしのことを気にする必要なんて無いって、何度も言ってるじゃないですか……』
『でもなぁ……』
『そんなことよりも、明日から勉強を頑張らないと。いろいろ覚えないといけないこと多いんですよね?』
『うう、憂鬱だ。がんばって受験勉強してやっと受かったのに、もう一度やり直しだなんて』
『わたしも一緒にやりますから、試験に受かるように頑張りましょう!』
『……がんばるよ』
まあ、魔王を倒すよりかは気楽にこなせるはずだ。仕損じても命を失うこともない。
平穏無事な学校生活に思いを馳せているうちに、俺はやがてやってきた心地よい眠気に身を任せた。