2月
私はアリサ。ただのアリサだ。
人生の全てを費やした自己満足を完遂して、私は自分の人生のエンディングを迎えた。
後は幕を引かれるのを待つだけの身の上である。
この結末に異論は無い。
むしろ、最高の結末であると言える。
私は私のわがままを貫き通した。
異世界そのものと接続して得た法外な魔力によって無理矢理伸ばした寿命。
その魔力は時間転移の際に殆どが失われていた。
その反動で私はいつ老衰して死亡するかもわからない。
そんな人間と関わりをもって良いことなんてない。
だから、余生は誰とも関わらずに過ごそうと思っていた。
いや、エイモックおじさんは頼ってしまったけれど。
あの人はなんというかドライで、来る者は拒まず、去る者は追わずを徹底している。
それが、今の私は居心地良く感じていた。
私がいつ居なくなってもあの人は何も思わないだろうから。
いや、そうでもないのかもしれない。
なんだかんだであの人が義理堅いのは、私は良く知っていた。
自室で静かに一人でウイスキーを傾けながら別れを惜しんでくれたりするのだろうか。
それなら、嬉しいと思う。
私がこの世界に残すのは、それくらいでいい。
そう思っていた。
でも、私は再会してしまった。
アリシア、私の大切な人。
それでも、すぐに別れたら問題ない。
いくら私に恩があるとはいえ初対面の他人なのだから、素っ気ない態度でいればそれで終わる――はずだった。
けれど、アリシアは私の消極的な拒絶を無視するように、ぐいぐいと迫ってきた。
根負けした私は、彼女と連絡先を交換する。
普段おっとりしてるのに、いざというときの押しが強いのは私が知るアリシアのままだった。
連絡先を交換したアリシアは、私のことを根掘り葉掘り聞くようなことはしなかった。
私が自分のことを話したがらないと知っているからだろう。
その代わり、アリシアは自身のことを語ってくれた。
生まれ育った異世界でのこと。
現在のアリスである幾人と出会って異世界を巡り魔王を討伐するまでの旅路。
それから、この世界に来てからアリスと二心同体で過ごした日々のこと。
彼女が秘密を全部話してくれた意図はわからない。
私は昔本人から聞いていたから、知っていたけれども。
そして、私が彼女を救った後のこと。
アリシアとしてアリスと並んで過ごす日々。
アリシアは毎日その日あったことを画像つきで報告してくれた。
学校でクラスメイトと一緒の休み時間。通学路で見かけたかわいい猫。放課後に友達とカラオケ。評判のお店で食べた新作ソフトクリーム。家で家族との団欒。
アリシアから次々に送られてくる画像は、私にとって、眩しくて、懐かしくて、嬉しくて、何よりもかけがえのない物で――
毎日送られてくる画像を保存して、何度も、何度も見返した。
アルバムを買ってプリントアウトした写真を入れていった。
自分の罪で何もかもを失った私が、長い長い旅路の果てに手に入れることのできた宝物。
アリシア達が手に入れた幸せという結末を確認できた。
これ以上を望むのはわがままでしかない。
だけど、思わずにはいられなかった。
この中に自分がいたら、どれだけ幸せなのだろう、と。
悠久の時を一人で過ごしたのだ。
孤独には慣れていた、その筈だった。
けれど、かつて享受していた暖かさの片鱗に触れてしまったら、もう、独りの寒さに耐えることが難しくなっていた。
アリシアから彼女の誕生日パーティに誘われたとき、私は断りを入れた。
けれど、アリシアはいつにも増して頑なだった。
命の恩人であるアリサさんに祝ってほしいです。家族全員がアリサさんにお礼を言いたいんです。お母様の料理はどれも美味しいですよ? わたしも及ばずながら手伝います。アリサさんのこと他人とは思えないんです。魔法と体のことで相談したいことがあります。
アリシアは、さまざまな方法で私を誘惑してきた。
そして、そのどれもが私に非常に有効だった。
私は誕生日パーティに出席することにした。
かつて我が家では毎年2月9日に誕生日パーティが行われていた。
2月8日生まれの優奈ねえさんと、2月10日生まれのアリスママ、二人の誕生日を間の日に合わせて祝うというのが習慣だったからだ。
それに加えて、今のアリシアはアリスと一緒の誕生日とのことだった。
去年はアリシアの魂が消失しかかってたこともあって心からお祝いできなかったこともあり、今年は盛大に祝おうということになったらしい。
誕生日当日。
アリシアの家に迎え入れられた私は、立ち眩みを覚えた。
悠久の時の彼方、私が幼少を過ごした頃の懐かしい記憶。
圧倒的な感情の波が押し寄せてくる。
私の記憶よりも整然としているように思えるのは、私達というちいさな汚し手がいないからだろう。
部屋のあちらこちらに張られたシールとか落書きとか。それらが無いのは少し寂しかったけど。
それでも、変わっていないところは全く変わらなくて。
そんな空間に居ることは耐えがたくて。
私は魔法で涙腺をコントロールしないといけなかった。
リビングには来客が勢揃いしていた。
アリスママ、アリシア、翡翠母さん、優奈姉さん、蒼汰父さん、じいちゃん、ばあちゃん、……神代の方のおじいちゃんはいないけど、私の大切だった家族が全員。そして、家族ではなかったけど、本当に良くしてくれた涼花おばさんも。
いや、彼らは私の家族ではない。この世界において私は産まれることはないのだから。そう自分に言い聞かせても、彼らが揃って楽しそうに談笑している光景をまた見ることができた私は感情を抑えられなくて。
「アリサさん!?」
ダメだ。
私は膝から崩れ落ちてしまっていた。
※ ※ ※
気がつくと私はベッドに眠らされていた。
……ああ、この天井。
私たちの部屋だ、安心した。
私は……何をしてたんだっけ?
「大丈夫ですか?」
アリシアが尋ねてきた。心配そうに見下ろしている。
「怖い夢を見ていたの……長い長い悪夢だった」
「……そうですか」
「私のポカでみんなが居なくなって、最後まで一緒だったあなたも失ってしまって、私一人取り残されてしまう――そんな夢」
「……大丈夫ですよ、アリサさん。私はここに居ますから」
「ん……アリシア……」
私の手をアリシアはぎゅっと握ってくれる。私と比べて小さくて暖かい手。
「ごめんなさい……体調が悪かったのですか? パーティに強引に呼んでしまいましたかね……」
パーティ? 何のことだっけ……
生じた疑問符で現実に引き戻される。
「あ……」
夢なんかじゃなかった。
「ここは……」
「わたしとアリスが二人で使っている部屋です」
「……そっか」
よく見ると家具や小物の種類が記憶の中にある私の部屋とは違う。
しかし、ベッドがひとつしか無いのはどうなんだ。
アリスママの私生活の爛れっぷりは前も一緒だったけど。
いや、さすがに前と比べたらマシ、なのかな?
しかし、不用意なことを口走ってしまった気がする。
忘れてくれることは無いだろうな、アリシアは。
「……その、間違っていたらごめんなさい。アリサさんはわたしと血縁がある方なのですか?」
「……どうして、そう思ったの?」
「他人とは思えないんです。いまこうしてお話しているだけで、懐かしく感じていて……それに、アリサさんが家族だったら嬉しいです」
アリシアは孤児院で育てられた。
本当の意味で彼女が家族というものを理解したのはこの世界に来てからだと聞いている。
もっとも、私と一緒に生まれた彼女は、それらを当然理解していたのだけれど。
如月の家はアリシアを家族として受け入れているのだろうけど、今の彼女には血のつながりはなく、どこか遠慮があるのだろう。
そんな彼女に血縁であると名乗り出てしまっていいのだろうか。
私は迷う。
そして、私が迷った時点で聡い彼女はもう確信してしまっていた。
「やっぱり、そうなんですね」
「……ええ、そうよ」
私の考えることを読むことに関して彼女の感は世界一だった。
誤魔化す術なんて持っていない。私は認めることにした。
それに……アリシアに嘘はつきたくなかった。
「私はあなたと血の繋がった双子の妹よ」
「なるほど……って、ええ!? 妹、ですか?」
「そうよ」
「どう見ても同い年には見えませんが……」
「私は時空魔法でいろいろ誤魔化しているから」
「はぁ……嘘ではないようですね」
私の外見年齢は二十歳頃に固定してあるとはいえ、小学生と言っても通じるアリシアと比べたら親子に見えるくらい違うだろう。
「え? わたしお姉ちゃんなのに……?」
アリシアは自分の体型を見下ろして私と比べて絶望しているようだった。
残念ながら将来もそのままだということは確定している。
というか、アリシア自身も知らないことだけれど、その体の肉体年齢は二十歳過ぎだ。
「……まあ、それはいいです」
アリシアは再び真剣な視線を向ける。
「わたしとあなたの過去に何があったか教えてはもらえませんか?」
「それは、できない」
今は失われた未来で何が起こったかなんて知る必要はないし、話すつもりもない。
「やっぱり、そうですか」
その返事はアリシアも想定していたようだった。
「もし話してもいいと思ったら話して下さいね?」
「……わかった」
そんな日は来ないだろうけれど。
それから、私たちはリビングに戻った。
いつまでもパーティの主役が席を外すのも良くない。
アリシアと話したことで幾分気持ちも落ち着いていた。
私はパーティの参加者に謝罪と挨拶を行った。
誕生日プレゼントとしてアリスとアリシアに用意したのは指揮棒くらいのコンパクトな魔導杖。
彼らの持つ杖は大型の世界樹の杖一本の筈だった。
これなら普段から持ち運ぶこともできるだろう。
一見ただの棒に見えるが、内側に魔法をサポートする魔法陣をびっしり刻んである。
この世界では発達することのないであろう科学と魔法が融合した魔法工学を駆使したものだ。
魔法の有用性は言わずもがなだ。
魔法バレのリスクはあるけど、私みたいに積極的に喧伝するようなことをしなければ大丈夫だと思う。
優奈には学校でも使えそうなブランドコスメをプレゼントした。
喜んでいたけど、自分にも魔法関係の何かがあるのかと期待してたみたいで複雑そうにしていた。
魔力が無くても使える魔道具はあるけれど、そんなものを世に出す訳にはいけないから渡すことはできない。
パーティーには笑顔しかなかった。
アリスママは年相応の幼さだったし、蒼汰父さんはなんというか童貞っぽくて残念な感じがした。
翡翠母さんにはこの年齢でも勝てる気がしなくて、優奈ねえさんはそのままだった。
おばあちゃんが作ってくれた料理は相変わらず美味しかったし、おじいちゃんは渋くてかっこよかった。
涼花さんは蒼汰父さんに気があるみたい……人の趣味には口は出さないでおこう。
私の知る父さんは、なんだかんだでアリスママとずるずると関係を続けてたみたいだけど、アリシアがいる以上可能性は無いだろうし何も問題は無いだろう。
この世界に居場所ができてしまった。
だから、その居場所を守るために最後まで見守ろう。
アリシアはアリシアで変わらない。
他のみんなも私の知る家族じゃなかったけど、それでもやっぱり他人とは思えない。
だから――私は最後までわがままになることにした。
彼女達と一緒に人生を楽しもう。
この命尽きるまで。
私はアリサ。アリシアの妹。




