4月
※エピローグ12話です。ノクターンの番外編に掲載しましたが、表現を押さえたバージョンをこちらにも掲載します。ノクターン掲載の「After Story」を読んでからの方が理解しやすいかと思われます。
日曜日の朝。
わたしことアリシア・ヘレニ・ミンスティアは、春の暖かな日差しが入り込むリビングで、のんびりティータイムを過ごします。
お茶請けはチョコクッキー。
この世界の食べ物は何もかもが素晴らしいです。自分の体で味わえるようになってからは特にそう思います。
食べ過ぎてしまうと余分な肉がついてしまうのが、唯一の悩みどころですけど……
「贅沢な話です」
わたしが生まれた場所では、考えられないことでした。
「……もう一ヶ月になるんですね」
最期になるはずだったイクトさんとのデート。その最後で、わたしはこの体を得ることになりました。
それから、わたしはイクトさんの家に住まわせて貰っています。いわゆる、押しかけ女房というやつですね。
えへへ……イクトさんの女房ですって。
部屋もイクトさんの部屋を使わせてもらっています。
一階の客室をわたしの部屋にしようかとイクトさんのご両親に提案されたのですが、わたしからお願いしてイクトさんと一緒の部屋にして貰いました。
少し前までは四六時中イクトさんと一緒だったからとか、客室にあるイクトさんのお仏壇を見ると罪の意識を感じてしまうとか、そんな理由をつけて。
本当はイクトさんと離れたくなかっただけなんですけど。
そんなわたしの考えはお父様とお母様には見透かされていたでしょうけれど、許可して下さいました。
それからイクトさんと2人でゆっくり過ごす――という訳にはいきませんでした。
異世界産まれのわたしが生きていく為には、この世界での身分が必要です。
イクトさん――アリスのときと同じようにお父様が全部手配をして下さいましたが、わたし自身も慌ただしい日々を過ごすこととなりました。
そうして、わたしは如月アリシアになりました。
正式にイクトさん達の家族になった訳です。
イクトさんこと如月アリスとの関係は従姉妹ということになりました。
わたしたちの容姿は瓜二つなので、姉妹にするという案もありましたが、それだと結婚ができませんので。
今のところ同性では結婚できないとのことですが、将来できるようになる可能性はありますので一応。
わたし個人としては、そこまでこだわりは無いのですけどね。
体を得た以上、イクトさんを他の人に譲るつもりはありませんので。
アリスはわたしの嫁なのです!
学校への転入手続きもなかなかハードスケジュールでした。
というのも、なるべく早く転入したかったからです。学校には翡翠さんも蒼汰さんもいらっしゃいますし、アリスは無防備で危なっかしいところがあるので、なるべく直ぐ側で見守っていたかったので。
学校には優奈が居るので、変な間違いが起きることは無いとは思いますけど……
幸い転入試験は、イクトさんと意識を共有していたときの記憶があったので、問題ありませんでした。
ちなみに、一番苦労したのは日本語の発声です。
そして、今週の頭から学校生活が始まりました。
「この一週間、楽しかったなぁ……」
イクトさんと一緒に目覚めて、イクトさんと一緒の制服を着て、イクトさんと一緒に通学路を歩いて登校し、イクトさんと一緒に授業を受けて、放課後も一緒にウィソ部の活動をして。そして、イクトさんと一緒に下校する。
転校の際の自己紹介ではアリスの恋人宣言をして、わたしとアリスとの仲を周知しました。
これで、ひとまず安心です。
平穏な学校生活という日常。それは、始まったばかりで、これからずっと続いていく。
「それにしても……まるで、夢をみているみたいです」
わたしはチョコクッキーを噛む。口内に広がる、チョコレートの幸せな甘さと、クッキーのサクサクとした食感。
今でも、これは現実ではなくて、わたしが死の間際に見ている幸せな夢か幻ではないかと考えるときがあります。
「……ふぅ」
わたしはティーカップを口元に運ぶ。
香りの良い爽やかな紅茶が、甘く乾いた口内を潤す。
イクトさんの命を救うため、わたしは自分の体にイクトさんの魂を融合させました。その結果、わたしの魂は徐々に消えていく……そのはずでした。
わたしの存在を継続させるには、二つの物が必要でした。わたしの魂に適合した魂を移す為の器。そして、器に魂を移す為の手段。
イクトさん達は必死になって探してくれましたが、その片方ですら見つけることはできませんでした。
それこそ、奇跡でも起こらないとわたしは生きられない、そのはずだったんです。
「でも、奇跡は起こりました」
突如現れた一人の魔法使いによって。
今でも到底信じられない話です。
アリサと名乗ったその人のことをわたしは知りません……そのはずです。
物心ついた頃からの記憶全てを辿っても、一度たりともアリサという人との接触はありませんでした。
わたしは彼女に出会ったことすらない筈です。
ですが、彼女はわたしの家族であるとイクトさんに名乗ったそうです。わたしたちの事情についても詳しかったようなので、彼女はわたしと無関係ではない……と思います。
何より、わたしはアリサのことを知っている筈だというざわめきが、心の中にありました。
わたしは、彼女のことが気になって仕方ありません。
「アリサさん。あなたはいったい……」
記憶が操作されている可能性についても考えましたが、わたしの記憶にほころびはありませんでした。
蘇生まで行うような魔法使いでしたら、完璧な記憶操作もできるのかもしれませんが……
もしそうだったら、考えても仕方ないので諦めるしかないでしょう。
わたしの家族と言えば、孤児院のみんなや教会の人たち。
魔法使いという点で考えると、わたしの後を継いで水の巫女になったはずの彼女でしょうか?
……違う気がします。
わたしはあの子にあまり好かれてはいませんでしたし、名前も全然違いますから。
わたしは産まれた日に孤児院に預けられたと聞いています。そのあたりの詳しい事情は聞きませんでしたが、わたしに血の繋がった家族が存在していたとしてもおかしくはないでしょう。
捨てられた時点で縁が切れていると思っていたので、わたしからは探したことはありませんでしたが……
「わたしの母さんや姉さん?」
口に出してみるが、微妙にしっくりきません。けれど、惜しい感じもするので、大きく外れてはいないような気もします。
「血の繋がった家族、ですか……」
わたしにとっての家族は孤児院のみんなでした。孤児院のみんなとの関係は、わたしにとって大事な物でしたが、どちらかと言うと一緒に生きていく為の仲間、運命共同体といった意味合いが強い物でした。
そのため、つい最近まで親と子の関係を中心とした家族というものについて実感が湧きませんでした。
それを知ったのは、イクトさんと家族とのやり取りの中でのことです。
「アリサさんがわたしの血縁だったとして、みなさんのような関係を築くことができるのでしょうか?」
自分で口に出しておいて、難しいだろうな、とも思います。
信頼というのは血の繋がりだけで得られるものではなくて、一緒に暮らしていく中で培われていくものでしょうから。
けれど、アリサさんとなら違うのではないかと期待しているわたしがいます。何故だか理由はわかりません。
「……これが、血というものなのでしょうか?」
今のわたしはイクトさんの家族に受け入れて貰っている状態です。みんなわたしを家族として認識して良くしてくれていて、居心地は決して悪くありません。
けれど、イクトさんの家族に加えて貰っているという遠慮はどうしても出てきてしまうもので……そのため、血の繋がりのある関係に憧れているのかもしれません。
そうでないと、アリサさんのことがこれほどまでに気になる理由に説明がつきません。
「アリサさん……」
会ったことも話したこともない相手。
けれど、わたしはアリサさんに会いたい、話をしたい。
命の恩人だからというだけじゃない。
わたしは、彼女のことを知らないけれど、知っている。
アリサさんが与えてくれたこの体。
魔法でアリスの体を複製したのだと考えていたのですが、違うようでした。
自分の体であるという確信はあるのに、以前とは幾分かズレがある。
病院で調べたところ、遺伝子的にもアリスとは若干の差異があるようです。
それに、不思議なことがもうひとつあります。
わたしが目覚めたとき、未知の魔法の情報が頭の中にありました。
わたしの知る魔法とは全く異なる概念を組み込まれた魔法。
それらは複雑に圧縮されていて、魔力効率が異常な程高められていました。
従来の魔法と比べて3倍以上です。
魔力を使って起動する分には問題ないのですが、解析するには使われている技術が高度すぎて全く理解できませんでした。
「これは、アリサさんが考案した術式なのでしょうか?」
そうだとしたら、わたしを救うことができたというのにも納得ができます。
それにしても凄まじい。
わたしが習得した魔法も代々の巫女が研鑽して効率を高めてきたものだというのに、どれだけの研究をすればこのような魔法を考案できるのでしょう。
「それに、あんな魔法まで……」
わたしの記憶領域にある魔法。
その中で変わったものがひとつ。
それは、女性に男性の生殖器を生やすことのできる魔法。
疑似精子の生成もできて、なんとそれで妊娠することも可能みたいです。
なお、妊娠しないようにすることもできるようでした。
アリサさんがどういう意図でこんな魔法を創り出したのか不明です。
ただ、これらはイクトさんと愛し合うのに都合の良い魔法でした。
子供を残すのは遺伝子が近すぎるので考えた方が良いかもしれませんが……少なくとも当面は考えなくて良いでしょう。
あれやこれや彼女に関しては腑に落ちないことばかりです。
いつかアリサさんにそのへんの事情を聞くことができるのでしょうか?
「……でも」
本当はそんなことはどうでもよくて。
彼女に会いたい。
そして、御礼を言いたい。
そもそも彼女がこの世界に居るかどうかも不明なのだ。彼女はわたしのたった一人の――
「?」
たった一人のなんなのでしょう。
やはり、記憶を操作されているのかもしれません。
もどかしい。
「……思い出せないという感覚はこのような感じなのでしょうか?」
完全記憶能力があるわたしには今まで無縁だった感覚。
「アリサ、あなたはわたしにとって何なのでしょう……?」
答えの無い問いは、宙に漂って消えた。




