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異世界から戻った俺は銀髪巫女になっていた  作者: 瀬戸こうへい
第五章 Alicemagic

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デート(その終わりに)

 夕陽に照らされて紅く染め上げられた屋上。

 遠方に見えるビルは影に沈み、空は朱と紺のグラデーションを描いている。

 それはとても幻想的で、まるで夢でも見ているかのように現実感が乏しい光景だった。


「卒業式……?」


 俺はアリシアが発した言葉の意味を確認するように呟く。


『はい、そうです。と言っても、わたしは学校に籍はありませんので気分だけですけど』


 アリシアはおどけた調子で言う。


『わたし自身に思い残すことはありません。観覧車でお話した通りです。心残りはひとつ、イクトさんのことだけです』


「……俺?」


『……ごめんなさい、イクトさんと一緒に居られなくて。そして、そのことをずっと黙っていたことも』


「謝らないで。一緒に居られないのはアリシアのせいじゃない。アリシアが俺に打ち明けられなかったのだって、俺がしっかりしていなかったのが悪いんだし――」


『黙っていたのは完全にわたしのわがままです。イクトさんのせいなんかじゃありません』


 アリシアは俺の言葉を間髪入れずに否定する。


『イクトさんと同じものを見て、同じものを食べて……一緒の時間を過ごして、ふたりで笑った日々。これらは全てわたしの大切な思い出です。だから――』


 自分の得になるようについた嘘だからアリシアが全部悪い、なんて理屈らしい。

 それらの思い出は俺にとっても掛け替えのないものだし、損得を言うなら、何度もアリシアに助けられた俺の方がよほど得しているというのに。


『謝らないといけないことは、それだけじゃありません。わたしは残された時間を隠したままイクトさんの恋人になりました。関係を深めるほど、別れるときにイクトさんをより傷つけるとわかっていたのに……』


 アリシアは申し訳なさそうに言う。


『告白されて、イクトさんがわたしと一緒の気持ちだと知って、本当に嬉しかったんです……だから、本当は受け入れるべきじゃないとわかっていても、イクトさんのことを拒絶できませんでした』


「アリシアの恋人になれて俺も嬉しかった。だから、そんな風に言わないでよ。アリシアに拒絶されていた方がよっぽど辛かったと思うから」


 俺はわざと明るく応える。

 こんなことでアリシアに罪の意識なんて持って欲しくなかった。


『……イクトさん。ありがとうございます』


 だけど、アリシアの口調は重いままで。


『でも、ごめんなさい。わたしは、もうひとつわがままを言います。言わないといけないんです』


 それから、少し間を置いて――


『イクトさん、わたしとの恋人関係を解消して下さい』


 アリシアは俺にそう告げた。


『わたしはイクトさんから、たくさんの想いをいただきました。自分勝手な申し出だとわかってます……でも、イクトさんの人生はこれからも続いていきます。だから、ちゃんとわたしから卒業して下さい。そうしたら、わたしは安心して行くことができますから』


 アリシアはことさら明るくそんなことを言う。

 自分勝手と言いながら、あくまで遺される俺のことを心配しての申し出だった。

 でも……


「嫌だ」


 だけど、それだけは受けられない。


『え、えっと……わたしの最期のお願いでもだめですか……?』


「ダメ……だな。最期にアリシアを一人にすることなんてできないよ」


『それだと、わたしに心残りができて心配なんですけれど……』


「悪いけど心配したままでいてよ……俺は今もアリシアに心を奪われたままなんだ。それくらい責任取って貰ってもいいだろ?」


『……それだと、イクトさんが余計に辛くなるだけですよ?』


「構わない。将来どうなるかなんてわからないけど、せめて最期の瞬間までアリシアの恋人で居たいんだ」


『……もう、しょうがないですね、イクトさんは』


 アリシアは困った様子で、でも嬉しそうに応えた。


『ひとつだけ約束してください。これから先、誰かと恋人になるかならないかはイクトさんの自由です。ですが、わたしを理由にして、お断りすることはしないで下さい』


「わかったよ」


「お付き合いするにしろしないにしろ、ちゃんとその人と向き合って返事をして下さいね。それが、ヒスイさんでも、ソウタさんでも、それ以外の方でも……』


「……どうして、その二人の名前が出てくるの?」


『ヒスイさんのイクトさんへの想いは誰よりも強く真剣です。わたしのことを全部知ってなお、不戦勝を良しとせず対等なライバルとして、わたしにぶつかってきたくらいですから。本当に容赦なく……』


 嘆息混じりにアリシア。

 翡翠とのことを思い出しているのだろう。

 ……いろいろあったな。


『わたしはヒスイさんに感謝しているんです。彼女が居なければ、わたしはイクトさんとお付き合いすることはなかったと思いますから……イクトさんと向き合うことを躊躇っていたわたしを叱責してくれて、勇気を与えてくれたんです』


 話を聞いていると翡翠の考えることがわからなくなる。

 俺とアリシアのことを応援してくれているのかそうじゃないのか……


『最近アプローチが控えめなのは、わたしのことを考えて遠慮してくれているのかもしれません。ですが、わたしが居なくなったら、本気でイクトさんを落としにくるんじゃないでしょうか?』


「うへぇ……」


 思わずそんな声が出る。

 決して翡翠のことを嫌いな訳じゃない。

 でも、翡翠と居ると俺が俺でなくなってしまうというか、いつも以上に女にされてしまう気がして――それが、少し怖いのだ。


『あと、ソウタさんはなんだかんだでイクトさんが一番心を許している相手だと思いますから』


「でも、男同士だぜ……?」


 俺はホモじゃない。

 だから、蒼汰のことを好きになるなんてあり得ない。


『今は男性と女性ですよ。イクトさんはわざとその辺を理解しないように誤魔化してるところがありますよね?』


「そんなこと……」


 蒼汰から自分のことを性欲の対象として見られていることはわかる。

 だけど、それは男だったらやむを得ない感情で、恋愛感情があるかどうかは全く別の話だ。

 ……でも、アリシアにその違いがわからなくても仕方ないか。


『まぁ、それはいいです。とにかく誰をパートナーに選ぶかはイクトさんの自由ですから、イクトさんの思うままにやっちゃって下さい』


「そんなこと言われても……」


 俺が好きなのはアリシアだけだ。

 他の人とどうこうなるなんて考えも及ばない。


『あ……悪い男の人に引っ掛からないように気をつけて下さいね。ただでさえ、イクトさんは隙が多いんですから……エイモックなんて、ぜぇぇぇったいにダメですからね!』


「……わかったよ」


 まるで母さんのような言い分に、俺は苦笑交じりに答える。

 アリシアがそんな調子だったから、とてもこれで最期っていうのが信じられなくて。


「もう、本当にどうしようもないの? お休みの期間をもっと長く取るとか……」


 そんな益体もない質問をした。


『……ごめんなさい、それは無理なんです』


 俺の浅はかな考えは、即座に否定された。

 当たり前だ。

 アリシアがこんな可能性を検討してないはずもない。


『わたしの魂はもう形を保てなくなっているんです。お休みの日を増やしてエネルギーの補充ができても、入れ物自体が維持できなくなればどうしようもありません』


 アリシアは淡々と自分の状態を告げる。


『それに、イクトさんとの同調も切れかかっています。残っているのは視覚と聴覚だけ……それも感覚は薄くなっていて、今は暗闇の中でテレビを見ているかのようにぼんやりとしか感じられません』


「そんな……」


『今のわたしは例えるなら、湖の真ん中でもがいて、なんとか水面に顔だけ出ているような状態なんです。気を抜けばわたしの意識は水の中に沈んでしまい、もう二度と戻る事は無いでしょう』


 アリシアが語る状況は俺の想像していたよりも酷くて。

 それを敢えて教えてくれたのは、俺が無為な希望を抱かないようにという彼女なりの優しさだった。


「やっぱり、俺の魂を取り出して体をアリシアに返すべきじゃ――」


『無用です』


 衝動的に口走った言葉は、アリシアによってばっさり拒否される。


『イクトさんをこの世界に無事に戻すことはわたしの誓いでした。それは完全な形で果たすことはできませんでしたが、それでも、イクトさんの命を救えたことはわたしの誇りなんです。だから、それを無かったことにしないで下さい』


「……俺にできることはもう何もないの?」


『……そんなことないですよ。そうですね……それじゃあ、わたしのことを憶えていてください』


 これもまたわがままですね、とアリシアは笑った。


『イクトさんと冒険した日々、この世界ですごした日々、全部がわたしの宝物です。だから、イクトさんにとってもそれらが大切なものだったらいいなって思うんです』


「うん」


 それは間違いなく。


『それから、イクトさん自身の人生を楽しんで生きて下さい。そして、いつかふと振り返って、こんなことがあったと笑顔でわたしのことを思い返してくれたなら嬉しいです』


「……うん」


 それはまだ自信はないけれど……


『イクトさんのことを考えたら、わたしのこと忘れて下さいって言うべきかもしれませんけど……ごめんなさい。わたしはわがままです。わたしはイクトさんの記憶に残っていたいと思ってしまうんです』


「そんなこと……頼まれなくても、忘れられるはずもないよ」


 そのとき、下校時間を知らせるチャイムが鳴った。


『……さて、そろそろ時間ですね』


 空は深みを増して僅かに茜色が残るのみだった。

 太陽の姿はビルの間に隠れて半月の月が薄く姿を現していた。


『わたしの魂はミンスティア様の元に召されますが、イクトさんの体にも魂の残滓が残ると思います……だから、イクトさんとわたしはこれからもずっと一緒なんです』


 最後の最後でアリシアはそんなことを言う。

 アリシアは何も感じることもできず、誰にも伝えることもできなくなるというのに。


『だから、さよならは言いません』


 俯きそうになるのをぐっと堪えて俺は前を向く。

 学校の屋上、遠く影に隠れた街並み、茜色の空。

 黄昏に暮れる景色をアリシアに見せるため、そして俺自身の目に焼き付けるために、目を見開いた。


『これまでありがとうございました……海に泳ぎに行く約束、守れなくてごめんなさい』


 そう言えば、結局アリシアと海に泳ぎに行くことができなかった。

 なんで、去年の夏に俺は海に行かなかったんだろう。

 水着が恥ずかしいなんて我慢すれば良かっただけなのに。


『それではイクトさん、お元気で……大好きです。わたしの勇者様』


「ああ、俺も……大好きだよ。アリシア!」


 歯を食いしばって口角をあげる。

 最後まで笑顔で。


『あぁ……楽しかったぁ……』


 最期にアリシアは満足げに呟いて。


「――っ!?」


 唐突に訪れる喪失感。

 俺の中からアリシアの存在が消えた。


「あ……ぁぁ……っ……」


 ぽっかりとできた空白を抑えるように、俺は右手で胸元を掻きむしるように掴んだ。立っていることができなくて、俺は崩れ落ちるように膝をつく。


「ううぅ……ぁ……」


 そのまま上半身を屈めて、小さく丸くなる。

 溢れ落ちる雫がポタポタと、コンクリートの屋上に跡をつけていく。


「ぁ……アリシアぁ……」


 呼び掛けても、もう何も返ってこない。


 脳裏にアリシアの姿が次々に浮かんで消えていく。


 美味しいものを食べて無邪気に微笑むアリシア。

 新しい体験に我を忘れて興奮するアリシア。

 俺の事を遠慮気味に揺さぶって起こしてくるアリシア。


 一緒に生きていたかった。

 もっと楽しいことや嬉しいことを共有したかった。

 もっともっとアリシアに幸せを感じて欲しかったんだ。


「アリスっ!!」


 どこかで聞き慣れた声がする。

 うずくまっている俺に誰かが駆け寄ってきて、抱きついているみたいだった。それが誰かなんてわかっていた。


「優奈……アリシアが行ってしまったんだ……」


 これだけは伝えないといけない。

 そう思った俺は、なんとか言葉を絞り出して。


「わかってる! わかってるから……!」


 無理に言葉にしなくていいと、優奈は俺を包み込んで、ただ抱きしめてくれていた。


「なぁ……俺は最後まで笑っていられたかな……?」


 そんなことを優奈に聞いてもわかるはずもないのに、俺は聞かずにはいられなかった。


 ……もう、声が聞こえない。


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