闇の禁呪(前編)
ばたんと音を立ててドアが閉められた。
カチャリと鍵が掛けられる音が聞えて俺は思わず息を呑んだ。
「こ、ここは……?」
エイモックに連れられてやってきた場所は、簡素なパイプベッドで半分以上が埋まっている狭い部屋だった。
奥には浴室が見える。どうやら、寝泊りができるような造りになっているらしい。
「休憩所だ、倒れた酔客の介抱に使う場所だな……まあ、別の用途に使われる事の方が多いようだが」
間接照明で照らし出された室内は紫色に薄ぼんやりと染まっていて、とてもいかがわしい雰囲気を醸し出している。ベッドサイドに置いてあるティッシュがやけに生々しい。
「……それで、貴様が知りたい事というのは何だ?」
そんな雰囲気に委細構わず、ベッドに投げ出すように腰を下ろしたエイモックは、上半身を壁に預けて鷹揚に問いかけて来た。
「……そ、それは……その……」
だけど、俺は経験した事の無い雰囲気に呑まれてしまい上手く言葉が出て来ない。
「どうした? ……邪魔が入らない場所を希望したのは貴様であろう」
確かに移動をお願いしたのは俺からだった。
お店の人がときどき行き交う店内では、こちらの事情を含めた相談ができないからだ。
念話で話すにしても、その間は二人で無言で座り続けることになり好奇の視線に晒されるので落ち着かない。
「でも、その……鍵……」
だからと言って、そういう用途に使われる密室でこの男と二人きりになるというのは、身の危険を感じざるを得ない。
だが、エイモックはそんな俺の態度に意外そうな顔をして応えた。
「邪魔が入らないようにしただけだ。大体、魔法の使える貴様にとってこんなドアなど物の数に入らないであろうに」
「……そ、それもそうだな」
確かにエイモックの言う通りだった。何でもするという覚悟をしてきたせいか、少し変な先入観ができていたのかもしれない。
「わかったら、さっさと座るがいい。我は見下されるのは好かぬ」
「お、おう……」
俺は、なるべくエイモックから離れたベッドの隅に腰を下ろした。制服のスカートの裾を整えてから、胸に手を当て深呼吸をし気持ちを落ち着かせる。
「ふっ……今の貴様は、まるで初めて伽に来た生娘のようだな」
「なっ!?」
エイモックはそういう経験があるのか!?
神官ズルい。
「そう言えば、貴様は元男だったな。女としての経験は無いか……それで、なんだ? 男を知りたいというなら、考えてやらぬ事も無いぞ」
「ふ、ふざけるな! 誰が望むかそんなこと!」
冗談じゃない。
俺は思わず激昂したが、エイモックは表情ひとつ変える事なく涼しい顔のままだ。
「ならば、はやく用件を言え。我に話があると言ったのは貴様であろう」
声を上げた事でやや緊張がほぐれた俺は、ここに来た目的を思い出してエイモックに向き直る。
「……俺と体を共有しているアリシアの事だ」
一度話を始めると周囲の事はもう気にならなくなった。
俺はエイモックに事情を説明していく。
俺とアリシアが魂を共有するようになった経緯。
アリシアの魂が減衰していっているという現状。
そして、アリシアを救う為に魂を操作する方法を探している事。
「俺は彼女を救いたいんだ。アリシアは魂に関する魔法なんて無いと言っていたけど、闇魔法に詳しいお前なら何か知ってるんじゃないかと思って」
「魂の操作か……確かに闇魔法の範疇であるな」
「本当か!?」
「魔力で擬似的な手を造りだして魂に触れる魔法がある……まあ、貴様の望む結果は得られんが」
「……どうして?」
「魔法で人の魂に触れて、それを体から取り出す事はできる。だが、魂というのは人という器から取り出すと、形を保てず瞬時に霧散してしまうのだ」
「つまり、その手段さえ探す事ができたら――」
「不可能だ。魂を取り出して他者に移す方法は、繰り返し研究されてきた。だが、未だそれを成功させた者はいない」
エイモックはそこまで言った後で俺を見て、思い出した様に訂正する。
「いや、唯一の成功例が目の前にいたな。存在の同一性を利用して世界転移の際に魂を移したのだったか……よくもまあ、そんな無謀な事を思い付いたものよ」
「アリシアのした事ってそんなに無茶な事だったのか?」
俺が聞くと、エイモックは呆れを表情に出して言った。
「正気とは言いがたいな。理論的には可能でも、魂が歪に結合されたり、双方の魂が壊れたり、即廃人になっていても不思議では無い。成功したのは奇跡と言っていいだろう」
……アリシアは俺を救う為にそんな危険な橋を渡っていたのか。
「……とにかく。同じように見つかっていない手段があるかもしれないって事だな」
「……否定はせぬ。だが、魔法を得られたとして貴様はどうやって検証するつもりだ?」
「そりゃ、実際に試してみて……あっ……」
そこまで考えて言葉に詰まる。
まさか人体実験をする訳にもいかない。
「昔の話だ。とある国の王が不老不死を求めて魔道士と結託し、民を使って人体実験を繰り返した。結果、多くの人命が失われ、その国は滅んだ」
この事がきっかけで、ダクリヒポスの信徒は迫害されるようになり、人の世から逐われる事になったとエイモックは語った。
どこの世界も権力者が不老不死を求めるのは一緒らしい。
魔法という超常の力が身近な分、可能性を感じて余計に諦めきれないのかもしれない。
「数を減らし魔の島に渡った我らの祖先は、過ちを繰り返さぬよう魂を操作する魔法を禁呪としたのだ」
「そんな事が……」
「ミンスティアの巫女もこの事は承知しているであろう。だが、敢えて貴様には伝えなかったのだろうよ」
過去に禁呪として葬られた魂に関する魔法。
巫女であるアリシアは世に残っていない闇魔法の存在を知っていた。エイモックの言っている事が正しい可能性は十分あると思われた。
「……それでも、なお、貴様は魂を操作する魔法を求めるのか?」
「俺は……」
……諦めきれない。
アリシアを救う為にやっと見つけた手掛かりだった。
「ならば、その魔法教えてやらぬ事もない」
「……っ!? お前はその魔法を使えるのか!」
「無論だ、我は闇の神官だからな。禁呪も習得している」
「お願いだ……いや、お願いします、教えて下さい! 俺にできる事なら何だってする!」
「……ほう、何でも?」
「ああ……アリシアが助かるのなら、俺はお前に全てを差し出しても構わない」
真正面にエイモックを見据えて俺は言った。
エイモックは俺の体を無遠慮に一瞥してからおもむろに口を開いていう。
「……それは別にいらぬ。貴様のような発育の悪い娘を好んで抱く趣味は無い」
「!? だ、だって、前に俺を妃にしたいって……!」
「王の妃として水の巫女を欲していただけだ。今の我にそのような気持ちは微塵とない。女に不自由している訳でも無いからな」
「そ、そうか……」
覚悟を決めていた分、拍子抜けしたような気持ちになる。
喜ぶべき事の筈なんだけど、どこか釈然としない思いが胸によぎる。
「貴様がどうしても我に抱かれたいと言うのであれば、考えてやらなくもないぞ?」
「だ、誰がそんな事言うか!」
「まあ、今日のところはツケにしといてやろう……この国で生きていくうちに、貴様に頼る事もあるだろうからな」
「わ、わかった……」
こいつに借りを作るのは気が進まなかったが、仕方ない。
ともかくこれで、一歩前進だろう。
気分的には後一歩でアリシアを救う事ができるように思えた。
その一歩が過去に不老不死を目指した人々が決して詰める事のできなかった距離だったとしても。




