誕生日(その7)
どたどたと部屋の外から足音が聞こえてきた。
「アーリースー!」
聞き慣れた声と一緒に、それは勢い良く近づいて来て、蒼汰の部屋の前で止まった。
俺はササッと蒼汰から離れた。
蒼汰に甘えている姿を知り合いに見られるのは、すごく恥ずかしいと思ったからだ。
「アリスー!? いるのー!?」
バーンと音を立てて襖が開き、制服姿の翡翠が現れた。
「アリス、やっと会えたわ……」
俺の姿を確認した翡翠は、部屋に入ってきて後ろ手で襖を閉めた。獲物を見つけた狩人のように視線は俺をロックオンしている。
「お見舞いにアリスのお家まで行ってたんだけど、まさかこんなところに居たなんて。灯台下暗しとはこの事ね……蒼汰、アリスが弱っているのにつけ込んで、変な事してないわよね?」
「そんなことする訳ないだろ……お前、俺をなんだと思ってるんだ」
「……性欲猿?」
「ちょっ!? それは酷くねぇ!?」
「……まあ、そんな事はどうでもいいわ」
ばっさりと蒼汰の抗議を切り捨てた翡翠は、つかつかと俺に近づいて来て、そのままの勢いで俺を抱き締めてきた。
「ひゃぃ!?」
「アリスはとうとう知ってしまったのね……辛かったわよね」
蒼汰と違って圧倒的に柔らかい感触に、兄妹でこんなに違うものかと思ったけれど、それよりも翡翠の言った言葉に聞き捨てならない違和感があって。
「ええと……翡翠はアリシアの事……?」
いい匂いのする豊満な翡翠の胸にうずまったままで、俺は翡翠に問いただす。
「……ええ、知っていたわ」
どうして翡翠がアリシアの事を……?
そう疑問に思っていると、翡翠はそれに答えるように続ける。
「私はアリシアの魂の状態をずっと見て知っていたから……あなた達の事を知ったあの日、アリシアにその事を尋ねて事情を聞いたの」
翡翠は俺の後頭部をやさしく撫でながら話を続ける。
「私は魂の状態を見れば、その人の体調や健康状態がある程度わかるわ」
それは、翡翠の巫女としての能力だった。
言われてみると、思い当たる節もある。俺達の体調が悪い時、いつも誰よりも(ときには本人よりも)早くその事に気づいて、気遣ってくれていたのが翡翠だった。
「アリシアはアリスと同調しているとき、魂のエネルギーを消費しているの。そのエネルギーは同調を切っている間に回復していて、最初の頃は朝になれば全快していたわ」
寝ている間は同調が切れているから、その間に回復していたのだろう。
「けど、月日が経つにつれて、アリシアの魂の状態は悪化していった……徐々にエネルギーの回復が遅くなっているみたい」
翡翠の話で、アリシアが夜に早めに同調を切る事にしたり、お休みの日を作るようになった本当の理由がわかった。
彼女はそうしたかった訳じゃなくて、そうしないと魂が持たなかったのだ。
「段々と同調を保つのが難しくなっている事をアリスに気づかれたくなかったんでしょうね。アリシアは相当無理をしていたみたい……一昨日に見たアリシアの魂はかなり酷い状態だったわ」
「そんな……」
週に一日としていたお休みの日が段々と増えていけば、俺もアリシアの状態を疑問に思うようになっていた可能性は高い。
そうならないように無理をしたアリシアの事を思うと胸が痛くなる。
「今は一昨日よりも随分安定している。だから、すぐに危険な状態になる事は無いと思うわ……もうすぐ、同調もできるくらいに回復するんじゃないかしら?」
「ほんと!?」
「今までずっと私はあなた達を見てきたから……信用して貰っていいわ」
「アリシアが、戻ってくる……!」
もう一度アリシアに会える。
俺は暗闇の中で灯りを見つけたような気持ちになる。
「だけど、これはただの小康状態でしかないの。このままだと、そう遠くない未来にアリシアの魂が消えてしまう事に変わりはないわ」
「……うん」
……それでも。
このまま永遠の別れになるかもしれないと思っていたさっきまでよりは全然マシだった。それにアリシアに話を聞ければ、彼女を救う手段を見つける手掛かりにもなるはずだ。
「あなたは、アリシアを助けるつもりなのね」
翡翠は、俺の気配から察したのだろう。
俺を抱きしめる腕がきゅっと強くなる。
「うん、必ず」
「それなら、もうアリスのお父様から話は聞いた?」
「……私の父さん?」
「お父様はアリシアを助ける方法をいろいろと手を尽くして調べているはずよ。私もいろいろ協力しているから、一度話を聞いてみるといいと思うわ」
「父さんが……」
その事を聞いて、今朝俺が父さんに感情のままにぶつけてしまった事を思い出す。
「どうしよう。そんなこと知らずに、私は父さんに酷いことを言っちゃった……」
「謝ればいいんじゃないか? きっと、おじさんならわかってくれるだろ」
多分、蒼汰の言う事は正しい。
そして、父さんは俺の怒りの矛先を自分に集中させる為に、わざとあんな言い方をしたのではないかという事に気がついた。
「……そう、だね」
父さんの懐の広さと同時に、自分の未熟さを思い知らされる。
異世界で勇者とちやほやされて一人前になったつもりでいた自分が恥ずかしい。
「……私、帰るね」
俺が宣言すると、二人一緒のタイミングで頷いてくれた。
こういうところは、兄妹なんだなぁ……
※ ※ ※
「ただいまぁ……って、優奈!?」
家出から帰ってきたときのような気まずさで家のドアを開けると、そこには思い詰めた表情をした優奈が俺を待っていた。
「……おにいちゃん」
優奈は俺の顔を見るなり、感情があふれだしてきたらしく、表情を崩して涙をあふれさせる。
「……ごめんなざい、おにいちゃん……あたしっ……!」
ぼろぼろと優奈の瞳から涙がこぼれて落ちる。
俺は慌てて靴を脱ぎ捨てて、泣き崩れる優奈を抱きとめた。
「優奈、私は大丈夫だから……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
優奈は涙ながらに謝罪を繰り返す。
「謝る必要なんてないよ……優奈は私達の事を思って黙っていてくれたんだよね?」
俺は優奈を抱きしめる力を強くする。
「おにいちゃん……うぅ、うえぇ……アリシア、アリシアがっ……!」
がばっと、飛びつくように優奈が抱き返して来た。
「うん……黙っているの辛かったよね、優奈」
背中をポンポンと撫でる。
「う、うう……おにいちゃん。アリシアぁ……」
そうしていたら、俺が優奈を慰めていた筈なのに、胸の中からぶわっと感情が込み上げてきて、涙がほろほろとこぼれてくる。
「……うぐっ、優奈ぁ」
「……えぐっ……うぇ……おにいちゃぁん」
優奈の悲しみ、アリシアの悲しみ、そして俺の悲しみが反響して溶けて混ざってしまったかのように。
感情があふれるまま。
「うぇぇ……ひっく……」
俺達はお互いが落ち着くまで、しばらくの間家の玄関で抱き合って嗚咽を漏らしていた。




