2.分かり合いたいと思うから
「じゃあな、リク。元気でな」
あれから1ヶ月、リクは少し物寂しそうに大きな背中を見つめていた。彼自身が一人前となったことで、コウヤはリクの特訓に付き合うのをやめ、新しい旅に出ることにしたようだ。古い麻のカバンに短い頭髪。銀の笛を首から提げ、リクの持つ剣よりも数段は良さそうな剣を腰にぶら下げて、リクの目に映る背中を小さくしていく。
「ダイチさんによろしく頼むわ!」
「……わかりました」
元気でおちゃらけた声に答えるリク。肩に乗る鳥類型魔獣ヒートバードの雛鳥もそれに伴い高い声でさえずる。
「よっしゃ、ルビー、また特訓行くか」
すっかり自分になついた雛鳥を『ルビー』と名付ける。真紅に染まった羽毛がその名の由来だ。だいぶ短くなった自分の頭髪を右手で掻きながら、またいつもの山へと向かう。
この世界は混沌の時代を迎えていた。2000年ほど前から徐々にその数を増やしてきた人類だったが、それと同時に増えていく魔物や精霊たちとの共存は厳しく、1800年前に現れた竜姫という名の魔物に、その数を大きく減らされた。100年以上かけて竜姫の封印に成功した人類勢だったが、1600余年の時を越え、その竜姫なる魔物が封印から解かれ、復活したのだった。そして多くの魔獣や魔人を従えて、再び人類を滅ぼす行動に出た竜姫。それを倒すために多くの戦士たちが竜姫の復活した場所がどこなのか――を探して旅に出たのだった。
そしてこの世界にある大陸の西のイリーアル村という辺境の地に住む魔獣使いの一族がリクらエルバード家であった。父ダイチはかつて下級魔獣使いとして多くの魔獣を従えていたが、高齢により戦士としての現役を退いた。それに代わって竜姫討伐の旅にでた兄と姉。しかし、そのせいでエルバード家はバラバラになってしまっていたのだった。魔獣使いとして一人前になれたことに喜びを感じていたリクだったが、それ以上に、ここ数週の間に、この竜姫がもたらす混沌と、それによる世界全体の不幸のほうが気がかりになっていたのだ。
コウヤとの修行を経たリクも旅に出ることに興味を示していた。竜姫を倒したい。それ以上に、竜姫によってもたらされた混沌によって悲劇を見なければならない人々を助けたいという思いから。頼りない雛鳥だったルビーも今では少し身体が大きくなった。今思えばすべてのきっかけはあの日の出来事なのだ。
「そうか…リクも旅に出たい年頃か……」
直談判を決意してから行動に移すまでに時間はかからなかった。直談判の相手は、高齢となった元魔獣使いダイチ=エルバードだ。
「俺は旅に出て死んできた仲間を何人も見た。魔獣に殺される奴も何人も見た。知らない街で不治の病にかかり死んだやつも何人も見た。竜姫の情報を掴んでもその情報を奪おうとした別の戦士に殺された哀れな奴も何人も見た」
ダイチは古くなった銀の笛を触りながら、大きく傷の入った右手を見せる。多量のシワ以上に目立つその傷が、歴戦の激しさを物語る。
「お前は、コウヤや兄姉たち、楽しそうな姿の魔獣使いしか見てこなかったからそう思うのかもしれんなあ」
賛成していないのか、とリクは不満げにダイチを見る。幼かったあの頃とは違う。何も魔獣使いとしての旅が楽しそうだから旅に出るのではない。ここで、父が思い出したかのように呟いた。
「ちなみに言っておこう。お前の兄、グランは旅の途中で大怪我し、今はとある王国で死の淵を彷徨っているらしい」
目を合わせないその言葉に衝撃が走った。自分よりもずっと先に生まれ、先に強くなり、先に旅に出た兄ですら、竜姫までたどり着くことなく大怪我を負っているのだ。しかし、その程度でリクは決意を曲げなかった。
「だったら尚更だ。俺は旅に出て大怪我する戦士も悲しい思いするその家族も増やさない」
踵を返し父のいた居間を出たリク。窓から見えるぶどう畑を眺めながら立ち止まった。風に揺れるぶどう。身はまだ緑色をしている。
近くの農家の鶏がなく。東の方から朝日が昇ってきた。
「リク兄ー、なにやってんの起きなよ」
妹のリータがリクを起こしに彼の部屋の中に入るが、部屋の中に彼の姿はない。銀の笛もルビーの餌も、コウヤからもらった愛剣もない。リータは慌てた様子で台所にやってくる。
「大変だよ! リクが!」
母親にそのことを伝えるリータだったが、母親はやたら落ち着いている。
「小屋の食糧もなくなってるわ。きっと旅に出たのね……あと数日待てばおいしいぶどうを持たせてやれたんだけどねえ」」
母親は微笑むように小屋から葡萄酒を取り出した。
この旅はひとりではない。大切なパートナーと一緒であるから怖くない。そう思い至り、胸を張って一歩々々進んでいく。朝日が出始めているのが確認できた。きっと村の人たちも自分が旅に出たことに気づいているだろう。と、リクはにやけながらイリーアル村を南下していた。南には小規模ながら森があり、その森を抜けると、コラルド王国という大きな街がある。まずはそこで竜姫の手がかりを探そうとしていた。
「確かここの森ではブラッドオレンジが採れるんだよな。良かったなルビー」
リクは唯一無二のパートナー、ルビーと明るく会話をしながら旅路を進む。一ヶ月前に比べてだいぶ短くなった髪の毛は、彼の師、コウヤ=レオリオンを彷彿とさせる。森に入れば、先程まで照りつけていた陽光は木々に遮られ、ところどころの木漏れ日だけが薄黄緑色の草木を照らしていた。
「ここでブラッドオレンジ何個か採ってからいこっか」
後頭部で手を組み、楽観的に歩みを進めるリク。ルビーもその身体をリクの肩に乗せたまま全く動かない。森の中は通り道らしきところだけ草木の長さが圧倒的に短く、先人が通りに通って切り拓いた道なのであろう。
しばらく歩いた後に、ブラッドオレンジのなる樹を見つけた。リクは表情を少し明るくすると、その樹によじ登り、その実を採る。半袖のジャケットの下に忍ばせてあったバッグに果実を二、三個入れて再び歩き出す。二歩目が草木を踏み潰したとき、悲鳴が聞こえた。リクがその声を頭で認識するよりも先に、ルビーが羽ばたきその方向へ、そしてそれにつられて足が先に動き出すリク。声の主はブラッドオレンジの樹の下で魔獣に襲われていた。
「た、助けてくれええ!!」
その男は武器を持っていなかった。明らかに『戦士』ではない。リクは魔獣と襲われていた男との間に割ってはいる。
「き、君は…!」
襲われていた男はリクの背中を見て安堵の表情を見せる。そして、リクの目の前に立つ魔獣は、体長2m50cmはある。
「こいつは……鉱物類土属性魔獣『ゴーレム』か……」
ごつごつとした身体、顔よりも大きな手。それが硬いのは火を見るより明らかだ。
「どうして人間を襲うんだ? 魔獣さんよ」
リクがゴーレムの岩石でできた顔を眺める。顔に開いた小さな穴二つの奥に映る瞳と目があった。
「コイツ、ニンゲン。ニンゲン、コワイ」
岩どうしが擦れ合う音とともに片言ながら話し始めたゴーレム。
「ニンゲン、オレタチ、ムジョウケンニ、オソウ」
このゴーレムとの会話は先程まで助けを求めていた男には一切聞こえていない。
「な、何を話してるんだい? 君、魔獣と会話したって無駄だぞ!! こいつらは魔獣だ!! 恐ろしい生物なんだ!!」
「大丈夫ですよ。俺はリク=エルバード。魔獣使いなので」
リクは男の顔を見てはいない。だが、その背中が物語る。この後ろ姿だけで男は不思議と納得してしまっていた。
「ゴーレムくん、この男の人は君たちを襲うような人じゃない。武器を持っていないだろ? だから大丈夫だ」
「オマエ、ナゼ、ハナセル? イシソツウ、デキル?」
「それは……」
言葉に詰まったが、リクは大きな魔獣に向かって笑いかけた。
「お前のこと、もっと知りたいから」
ふと穴の奥の瞳が微笑んだように見えた。ゴーレムはゆっくりと後ずさりすると森の奥へ消えていった。
「き、君、魔獣使いって」
助けた男は、畏怖にも見える表情でリクを眺めた。リクは気にも留めない様子でルビーを肩に乗せ、歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!!」
「名前ならさっき名乗りましたよ。俺はリク=エルバード。魔獣使いです」
「ああ、すまない。僕はレオナルド=ハイラル。とある街の商人なんだけどさ。君に頼みたいことがある」
「そんなことより、ハイラルさん、魔獣はどいつもこいつもみんなみんな悪い奴じゃありません。徒らに怖がったり攻撃をしたりしないでくださいね」
少し強めの口調で先程助けたレオナルドに注意したリク。
「魔獣使いって、魔獣の言葉が聞けるんだね」
リクという男に非常に興味を示すレオナルド。どうやら魔獣使いなど、特殊能力を持つ人間に会うのは初めてらしい。
「ええ、まあ。師匠曰く魔獣使い全員が聞けるわけじゃないらしいんですけどね」
「ところで君、村から来たんだよね? この先まで行くのかい?」
レオナルドは初対面の割にどんどん話しかけてくる。商人なら話が得意なのも当たり前か、と半ば無理やり腑に落とす。
「良かったらさ、帰り道、僕のボディーガードしてくれないかな? ブラッドオレンジの採集帰りでさ……」
「いいですよ。その代わり、ブラッドオレンジ一個を報酬にお願いします」
無邪気な笑顔で応えるリク。レオナルドは若かったがリクよりは幾らか大人だ。その取引を快く呑み、同行を許してもらった。




