王様と王女様と勇者と
ご覧くださいましてありがとうございます。
真面目な戦闘や王道展開を期待されている方には予めお詫びいたします。
(展開としては王道なのかもしれませんが・・・)
アーク王国の首都、レイア大湖を望む丘の上にある城を中心に栄えるアークヒルはその日、大通りはおろか裏通りまで祭りの喧噪に包まれていた。それもそのはず。本日、王宮で国王エイル三世の血を引く唯一の王族であるビーナ王女の結婚式が行われるのだ。
アーク王家は、かつてこの地を支配していた水の魔王を倒した五勇者の一人、聖女レイアを起源としている。彼女は彼の魔王が力の源としていた魔王の水瓶と呼ばれる巨大な湖を浄化することで無限の魔力を封じ、それによって勇者一行は辛くも勝利を得ることができたと伝えられている。
しかし、浄化されてもなお魔王の水瓶は付近の魔力を集めるという性質をすぐに失うことはなかった。放置をすればいずれ集めた魔力を基に魔王を蘇らせることも考えられたため、聖女は湖を見下ろす丘の上に住み、監視と定期的な浄化を続けることにした。
魔王を打倒したとはいえ、未だ魔族が跳梁する場所にレイア一人を置いて魔王復活を阻止させるというわけにもいかず、当然彼女をサポートするための人員が派遣された。勇者たちの保護を受けながら彼等は過酷な環境の中で住まいを築き、狩で食料を得て、やがて畑を拓いていった。こうしてできた聖女レイアを中心とした小さな村は数百年の時を経てアーク王国の首都アークヒルとなり、かつての魔王の水瓶はすっかり浄化されて豊かな恵みをもたらすものとなった。今は聖女の名を冠してレイア大湖と呼ぶ。
そもそも圧倒的な脅威である水の魔王を相手に軍隊ではなく少数精鋭での打倒をしたのには理由があった。魔王が居を構えた場所は大陸のほぼ中央にありながら周囲に標高の高い山脈がぐるりと取り囲むようにそびえているために大軍を送り込むことができなかったのだ。現在は山を切り開き、山道を整備することで近隣国との交流も行われている。それによって軋轢も生じ、国境では幾度も干戈を交える事態に及んでいるのだが、それはまた別の話。
一方では山脈という障壁のおかげで魔王もその軍勢を容易には周辺国に攻め入らせることができなかったのだが、それが為政者たちの心労を和らげてくれることはなかっただろう。
当時の境を接する国を治めていた者たちは山脈を挟んですぐ隣に魔王とその手勢が跋扈している状況に甘んじていた。しかし、国内を巡って慰撫していたある国の王子が運悪く山脈を越えてきた翼を持つ魔族たちの襲撃を受けて命を落としてから状況は一変し、魔王討つべしと一気に流れが傾いた。
結局勇者一行という、いわば決死隊を送り込んで魔王の排除は実現された。今でも吟遊詩人に寄せられるリクエストの上位を占める人気の英雄潭である。
さて、そのアーク王国を継ぐことになる王女のお相手は、王国と国王を守る近衛騎士団長カーマイン卿で、養子としてエイル国王の息子となり次代の王として立つことがすでに内外に知らされていた。聖女レイアが女王になることを固辞したために、女性が王位に就くという制度がないこのアーク王国では過去にも例のあることで、特に問題視されることはなかった。
カーマイン卿は二十三歳という若さですでに近衛騎士団長に任ぜられる英俊であった。アーク王国でも屈指の武門の家に生まれた彼は、幼い頃から飛び抜けた才能を周囲に知られていた武術の冴えに加えて、十歳の時に郊外の別荘近くで遭遇した大きな熊をたった一人で斬り倒したことで麒麟児として勇名を馳せた。十三歳で迎えた隣国との小競り合いでの初陣を皮切りに各地での匪賊やモンスターの討伐などで勝利と武功を積み重ねもした。彼が率いれば同じ戦果をあげる他の部隊より負傷をする者が少ないと、騎士や兵士はこぞって彼の元に配属されることを希望したものだ。
若き英才の噂はあまり時を置かずにエイル王の耳にも届き、彼は報償を下賜され近衛騎士団への抜擢が告げられた。さらに功を労う盛大な晩餐会も開かれることになった。晩餐会に参加が許された貴婦人たちは、今のアーク王国での出世頭、国王の覚えもめでたい将来が期待できる優良物件を見定めよう、あわよくばお近づきになろうと考えていた。国内各地を転戦してきた傑物とはいっても、所詮は初心な若い騎士。自分の魅力でその心は簡単に虜にできるだろうと考えていたが、その思惑どおりとはならなかった。背が高くしっかりとした筋肉を身につけていながらも均整のとれた体つきと訓練によるしなやかな身ごなしで非常にスマートな印象のカーマインは、王都でご婦人方に人気の舞台俳優にも劣らない甘いマスクに爽やかな笑顔で 会場に現われ、居並ぶ女性陣を一目で虜にしてしまったのだ。
こうして誰もがうらやむ、全てを持っているような男カーマイン卿はその後も順調に、そして駆け足で出世の階段を登り詰め、ついに王の後継者として指名されるまでになった。本日はそのひとつの節目ともいえるエイル王との養子縁組及びビーナ王女との結婚式が執り行われるのだ。白を基調に金糸で刺繍が施された衣装に、城の召使いたちの助けを受けながら袖を通し、こんな着替えに補助が必要な服をデザインする職人は機能性というものをどう考えているのだろうかと益体のないことに思考をとらわれていた。
せっかくの祝いの日なのにすっきりとしない曇天を見上げて、これがかつての同僚から話に聞いた結婚を前に気持が沈むというやつだろうか。自分にとっては数年来願い続けたビーナ姫との婚姻を前に浮き立つ心こそあれ、そのような感情とは無縁だろうと思っていたのに、とさらに思考を彷徨わせている間に着替えが済んだようで、最後に装飾を施された儀礼用の細剣を腰に佩く。
「お疲れ様でございました」
召使いから着替えの終了を告げられ、着るだけで疲れるような服というものの存在に再び考えを巡らせて少しだけ顔をしかめた。それだけにとどめたのは、自分はこれから国王となる身であるという意識があったからだ。些細なことであれ、自分の不興をかったという話が広がれば職人の生活を脅かすことになるかもしれない。自分たちの結婚式のために力を尽くしてくれた相手に対して、それは少々酷いしうちだろう。そういう配慮ができる点でもカーマインが王として、一個の人間として優れた人格の持ち主であることがうかがえた。
式典は国民への宣伝もかねて王城の前の広場に面したバルコニーで行われることになっていた。参列者と、今や民衆にまで人気の次代の王とこれまで滅多に表に出ることはなかったビーナ姫を一目見ようと詰めかけた人々の双方にとって幸いなことに雲に覆われた天から雨粒が落ちてくることはなく、式典は予定どおり粛々と進行していった。エイル王の挨拶から始まり来賓の紹介の後、登場を告げる鐘の音に続いてカーマイン卿が現われると会場は一気に歓声に包まれた。エイル王とカーマインの養子縁組が行われ、参列した貴族たちが事前の打ち合わせどおりの言葉で承認と祝辞を述べる。カーマインがエイル王の後継者として正式に認められた瞬間で、再び歓声がわきあがりエイル王とカーマイン 王太子の名が叫ばれた。
少しの余韻を置いた後、式典はさらに続いて結婚式のパートに入る。ビーナ王女の入来を告げる鐘が鳴らされて会場は三度興奮と熱気に包まれた。当事者であるカーマインはやや緊張した面持ちで、ゆっくりとした足取りで近づいてくるビーナを見つめていた。もっともビーナの顔は白いレースで織られたヴェールの向こうであり、その表情をうかがい見ることはできないが、おそらく彼女も自分と同じように緊張していることだろうと考えた。
そもそもカーマインはビーナと顔を合わせた回数を数えるのに両手の指があれば余ってしまうほどでしかなかった。直接言葉を交わしたのは三度だけだ。それでも最初にその顔を見たときの驚きは覚えている。王都に呼ばれ近衛騎士団配属となってからというもの、何とか子爵のご令嬢であるとか何々伯爵の姪であるとか、毎週のように美しいと評判の女性を紹介されて、“美しい女性”という存在に食傷気味だったカーマインが、それでもこんなに美しい女性が存在するのだろうかと衝撃を受けたのだから。
アークヒル城の白亜の間を飾るくすみのない大理石よりもなお白いその輝くような肌。太陽に琥珀をかざしたような明るい色の腰まで伸した髪は、アークヒルの城壁から眺めるレイア大湖の湖面のようにきらきらと陽光を反射しながらゆったりと波を打つ。華奢な体躯ながらしっかりとした芯を感じるのは、その意志の強そうな碧玉も霞んでみえる青い瞳とややつり気味の目元の印象のせいだろうか。ほっそりした顎、すっと通った鼻筋、パーツごとに見ても完璧としか言えないそれらが、絶妙の配置をもって完璧という言葉すら役者不足なものに変えてしまっていた。
その出会いからカーマインは職務により一層注力した。職務だけでなく、自身の評価を高めることはその労を惜しまず何でもした。武術の訓練にも励み王都で開催される武芸大会で十七歳という最年少での優勝記録を打ち立てた。政治や経済についての勉強も怠らず、これまでは多少距離をとるようにしていた貴族たちとの交流も積極的に行い人脈を広げた。
ビーナ姫が結婚する相手は次代の王となることは確定事項だ。その相手として、有力な貴族の子弟や隣国の王族を抑えて自らが指名されるにふさわしい男になるために、全てを持っている男がその全てをかけて努力したのだ。そして今日この時、ついにその想いが報われるのだ。
カーマインが感慨に浸っている間にビーナは彼の隣まで歩み寄っていた。彼女と並び、軽くひじを曲げてエスコートする姿勢になる。前方に設えた祭壇まで進んで司祭の祝福の言葉を二人揃って受ければ晴れて夫婦となり、これがこの式典のクライマックスという式次第であった。
会場は轟音のような喧噪に包まれた。いや轟音によって喧噪がわき起こったのだ。轟音は入場を告げる鐘の音でも、脇に控えた楽隊が太鼓を打つ音でもなかった。カーマインの差し出す腕にビーナが軽く手を添えてまさに歩み出そうというその二人の目の前に落ちた落雷の音だった。
アークヒルの空は雲に覆われていた。雨が降る前に雷が落ちることもあるだろう。落雷であるのは間違いないのだが、しかしそれは普通ではなかった。紫電が落ちたその場所、二人の目の前で煙を上げる床の上に立つ者がいたのだから。
「何者だ!」
咄嗟にビーナを背後に庇い、腰の剣を抜きはなって誰何の声を発したカーマインは、間違いなくその場に居た誰よりも優秀な武人であった。なにしろ他は突然のことに事態を飲み込めず、金縛りにあったように動けなかったのだから。それは周囲を固める騎士たちですら同様であった。
「ふふふ。勇ましいものだな。この私を前にして臆することなく剣を構えるとは」
現われた男は彫刻の題材として申し分ないほど整った顔に驚きの表情を浮かべる。比喩ではなく実際に青みがかった肌に濃い紫の髪、目には瞳の区別なくまるで紅玉のような色の切れ長の裂け目から妖しい光を放っている。さらに両のこめかみあたりから紫の髪を押しのけて、一対のねじくれたヤギのような角が生えていた。その身に纏う銀や赤の糸で装飾を施された漆黒の衣装は、参列している王侯貴族と比べても見劣りしない上質で洗練されたものだ。とにかくわかるのは人間ではなく、魔族のそれも相当に地位の高い者であろうということだ。
双方の距離は僅かに3メートルほどだ。一歩踏み込めばカーマインの間合いである。内心で手にあるのが儀礼用の剣であることに不安を覚えながらもそれを顔に出すようなカーマインではない。目は現われた男に向けたまま、背後に庇うビーナに向けて声をかける。
「姫。そっとお下がりください。近衛騎士団! 何をしている! 狼藉者だぞ!!」
今日まで自分たちの団長であるカーマインのその声で我に返った騎士たちが慌てて動き出す。その様子を気にするでもなく男はうっすら笑みを浮かべたまま立っている。
何かをされる前に斬り伏せる。祝うべきこの式典を血なまぐさいものにするのは業腹ではあるが、国を挙げての行事への乱入者を許してはアーク王国の面子は丸つぶれだ。武芸大会で誰一人反応できなかった、カーマインの疾風のような踏み込みから突き出された細剣は、男の胸に届く僅か手前に現われた障壁によって阻まれ、衝撃に耐えられず半ばから折れてしまった。カーマインはそのまま隙を晒すようなことはなく、折れた剣を投げつけて素早く距離を取る。
「くっ、まともな剣でさえあれば」
顔をしかめるカーマインに対して、男は表情を変えることなく右手をまっすぐにカーマインに向けて伸す。魔族であれば何かの魔術か、袖に仕込まれた飛び道具か。警戒するカーマインの目に次の瞬間に飛び込んできたのは掌だった。カーマインをはるかに上回る速度で踏み込んできた魔族の男はその手でカーマインの顔を掴むと無造作に横に投げ捨てたのだ。そしてそのままゆっくりとビーナに歩み寄ると彼女の腕をとり、ヴェールを除けてその顔を覗き込むとその美しいという言葉も色褪せるような美貌に一瞬息を呑んだ。
こうなってしまっては出遅れた騎士たちもうかつに近づくことはできない。もし近づいたとして、あのカーマインが、例え手になじむ武器がなかったとはいえ、ああも簡単に倒されてしまう存在を相手にどうこうできるとは思えなかった。
騎士たちが周囲を取り囲みながらも特に動きを見せないことを理解した魔族の男は、ビーナの手を引いてバルコニーの端まで進むとざわめく観衆に向けてこう宣言した。
「聖女の血を引く至上の美姫はこの紫電の魔王、ゼクスが貰い受ける。我らは魔の満ちる時を待ち婚姻の儀を執り行うであろう。それまでに姫を取り返そうと挑戦するものは歓迎するぞ。もちろん魔王の作法で、だがな!」
そう告げ、内容に悲鳴を上げる人々を満足そうに眺めると再び雷光が弾け、その後には魔王と名乗った魔族とビーナ姫の姿は煙のように消えていた。
その日からアーク王国は荒れた。まず、国王のエイル三世がショックのあまり倒れた。愛する王妃を亡くしてからは、一粒種の美しい娘を大切に、それこそできるだけ人目に触れぬように育ててきたエイル王にとって、最良と思える相手を選びに選んで、ついに愛娘を手放す決意を実行に移したその日に、まさか魔王に掠われるという予想もしない形で失うことになった衝撃は彼の心を打ち砕いてしまったのだ。
さらに東のベルテ国からの侵攻が始まった。当然のことではあるが、あのようなことがあったと知られては国の威信は地に落ちてしまう。アーク王国としてはことを表沙汰にしたくはなかったが、意識してのことか否か不明ながら魔王を名乗る男は、他国からの旅人を含めた大衆に向けて宣言をしていったせいで隠蔽など不可能になってしまった。さらに国王の不予もあり、国境を挟んで小康状態を保ってにらみ合っていたベルテ国軍はこれを好機となだれ込んできた。
影響は国民にも及んだ。祝祭気分から一転、どん底に落とされたアーク王国の民の間には、当初の自粛ムードから引き続いての国境で戦闘発生の報によって不安が蔓延した。さらに隣国からの軽視、自信の喪失などにより人々から活気が失われたのだ。他国との取引の不調のみならず、国内の市場も冷え込んで僅かな期間で不景気一色に染まってしまう。
この状況で指導者が不在であったら血筋の問題を抜きにしても国が倒れかねないのだが、幸いにもと言うべきか、カーマインを養子として迎え王太子にする手続きまでは魔王襲来前に済んでいた。アーク王国は彼を王の代理、つまり摂政として対応することになった。これまで勉強してきた政治の知識と築いてきた人脈を活かして、彼はよく混乱を押さえ込んでいたといえるだろう。内心ではすぐにでもビーナを救いに旅立ちたい想いではあったが、状況はそれを許してくれなかった。それに、カーマインをして手も足も出なかった魔王ゼクスをいったいどうやって討ち取り、ビーナ姫を助け出したらよいのか。
さらに魔王の残した魔の満ちる時という言葉や、魔王を討ち取る方策を探るべく過去の文献を調べさせた報告から、その強さ以外に厄介な問題も発覚した。
「宮廷魔術師たちの報告によれば魔の満ちる時とはほぼ一年後だとか。なんとかそれまでに姫を助け出さねばなりませんが、限りがあるとはいえまだ時間があるのは朗報ですな」
「その話を過信して悠長に構えることはできませんぞ。なによりこうしている間にも姫様のご心痛はいかばかりか」
「もっともなことだ。早急に騎士団を送りたいのだが、しかし、この報告にある魔王の居城は遙か東、ベルテ国を越えたさらに先というのは・・・」
「まったく、なんということだ・・・」
アーク王国の首脳陣を悩ませる問題、それは魔王のもとに辿り着くためには現在国境で交戦中のベルテ国を横断して行かねばならないということ。今まさに干戈を交えている国の軍隊が自国を通行することを認める国などありはしない。アーク王国が山脈に囲まれた立地であるため、ベルテ国を迂回しようとすればもう一方の西側にある山道を抜けて、大小十を越える国を通っての行軍となり、一年という期限にはとうてい間に合わない。小分けにした部隊を送り込む案も、通行可能な道がそこだけに限られた関所で目を光らせるベルテの監視を欺き続けるのは困難だろう。昔の魔物たちですら困難であった山越えの敢行は物資の運搬などにも問題もあり、これも現実的ではない。つまりビーナ姫を救うた めに魔王討伐軍を派遣することができないのだ。
「摂政殿、やはり古の文献にあったとおり、魔王を討ち果たすのは少数の勇者一行ということでしょう。広く腕の立つ者を募り、送り出すほかありませぬ」
「ビーナ姫を救い出す役目を他の者に任せるなど・・・」
「お気持ちはわかりますが、摂政殿までアークを離れられては国が立ちゆきませぬ。お救いした姫がお戻りになる場所が無くなっていては意味がございません」
「そう、だな・・・。私も腕に自信があったのだが、片手であしらわれた。送り出す者の選定は厳しくしたいが、一年後までに間に合わねばならん」
「おっしゃるとおりです。すぐに国中に触れを出しましょう」
こうして集められた腕利きの中から最も優れた剣の技を披露した、僅か十五歳一人の少年が勇者として選ばれた。田舎の村の猟師を父に産まれた物語の英雄に憧れる少年のそれなりにバランスのとれた顔は十人の女性に聞けば六人が「悪くない」と答えるだろう程度のあまり目立った特徴のない、悪くいえば平凡な容姿であった。上背も平均的、体もどちらかといえば細身で、初めて試技に現われた彼を見た関係者たちは最後に彼が選ばれるなどと想像もしなかった。
だが、実際に模擬戦の開始が告げられると彼の実力はカーマインを優にしのぎ、並み居る強豪たちを全く寄せ付けること無く打ち倒す様は、見守る王宮の人々に驚愕とともにビーナ姫救出への期待を抱かせるに充分なものだった。
そうはいっても田舎から出てきた世慣れぬ若人を一人旅に送り出すのはいかにも心配であったため、相談と目付役を兼ねて宮廷に仕える魔術師が同行することになった。その魔術師は若くして将来を嘱望される天才で、七歳で誰に教わること無く簡単なものではあったが炎の魔術を扱ってみせたことに驚いた両親が、隣の街に住む有名な魔術師に弟子として預けたところ僅か二年で師を追い抜き、十歳からは王都の魔術院で研鑽を積んでいた。それから十年、得意の炎の魔術を磨きあげ“爆炎”の二つ名で呼ばれるまでになった。魔術の実力だけでいえばさらに上の者が王宮には三人いたが、それでも彼が選ばれたのは、他の力ある魔術師の誰もが高齢であり長い旅路の従者とするには不安が大きかったからだ。
もう一人、ベテランの戦士が付ことになった。この男は各地の戦場を渡り歩いた歴戦の傭兵で、戦斧を振るって戦場で死をまき散らす姿から“死の暴風”と渾名される戦士としての力はもちろんのことベルテ国から先の地理に明るく道案内を務めるのだ。カーマインとは同じ戦場で生死を共にした戦友であり、お互いにその力を認め合った仲でもある。カーマインの婚姻を祝うためにアーク王国を訪れていたことを、これも縁だと考えて申し出た協力は、彼を知る者たちに歓迎をもって受入れられた。世の中の薄暗い部分にも精通している点も、旅の途中で出会うかもしれない悪意ある者たちから経験の浅い若者たちを助けてくれることだろう。
盛大な壮行パレードどころか、カーマインとその供回りというごく僅かな見送りのみで一行はひっそりと出発した。強大な力をもった少数精鋭を緊張状態が続く隣国へ送り出したなどと知れ渡れば、暗殺を疑われて一行に捕殺の手が伸びるのは間違いないからだと、支度金を持ってきた騎士が申し訳なさそうに告げた。勇者として選ばれた少年は少々がっかりして見えた。しかし、大事なのは無事に魔王のもとに辿り着きビーナ姫を助け出すことである。彼が憧れる英雄のようになるためにも旅の目的の達成こそが大前提だと思い直して一層の気合いをいれていた。
こうして旅に出た一行は、アーク国内を移動している間は特に問題なく行程を進めていった。田舎の猟師の息子である勇者は、当初馬に上手に乗ることができずに苦労をしていたが、戦士の指導を受けてみるみる上達していった。ベルテ国との国境にさしかかる頃には魔術師よりも達者なほどであった。勇者は乗馬だけでなく、移動の合間に戦士との模擬戦や魔術師から魔術の手ほどきを受けると驚くほど理解が早く、瞬く間にその腕をあげていった。夜、すでに寝入ったまだ幼さの残る少年の寝顔を見ながら、魔術師と戦士は勇者と呼ばれる者の理不尽とも思える才能と資質について語り合うことになった。
ベルテ国へは旅の冒険者として入国をして、アリバイ作りと連携の確認のためにモンスター討伐の依頼を一度こなした。掃討を終えたトロールの巣から一人の若い娘を助け出した。彼女はベルテ国でも名の知れたある商家の一人娘で、商隊に同行して実家に戻る途中でトロールに襲われ、商隊はばらばらに逃げたが運悪く足をくじいて逃げ遅れ捕らえられていたらしい。彼女は、トロールに爆炎の魔術でとどめを刺した魔術師のことをすっかり気に入り、誰の目から見ても恋する乙女の顔で、お礼をしたいからぜひ実家に来て欲しいと懇願した。アーク国に仕える魔術師はその素性を知られるわけにはいかないから丁重に断り、街まで娘を送ると早々に次の街に向かうことにしたが、娘は実家がその街に 構えた支店の人員と資金をつかって追跡を開始した。
予想外の追っ手に辟易しながらも旅を続け、もう数日でベルテ国の東境にさしかかろうというところで、戦士を父の仇と付け狙う少年の襲撃を受けた。少年の父は戦士がかつて戦場で倒した騎士の息子であったらしい。部隊を指揮していたその騎士が討たれると部隊は潰走してしまった。それが原因で軍は撤退し、敗戦の責任を負わされた騎士の家は取りつぶされた。少年の一家は母親の実家にも戻ることを許されずに母と妹とともに路頭に迷った。スラムで隠れるように身を寄せ合っていたが、心労で病に伏せる母と妹を食べさせるために冒険者ギルドで雑用の仕事を探しているときに父の仇である“死の暴風”の名を耳にした。傭兵たちの世界でその名はよく知られていたから、戦士がベルテ国にい ることはすぐにわかり追いかけてきたらしい。取り押さえた少年から恨み言を聞かされた戦士は、すぐに騎士のことを思い出した。彼は部隊を任されるだけあって立派な、そして腕の立つ騎士であった。苦戦の中、最後まで最前線で部隊を指揮して友軍を助けていたその勇姿について聞かされた少年は人目もはばからずに涙を流し、ひとしきり泣いた後に逆恨みを謝罪して去って行った。
しつこい商家の娘の追及をなんとか振り切ってベルテ国を抜けると、その先に広がる樹海をさらに東へと横断し、一行はついに魔王の支配する魔国へと潜入した。
そこからは気の休まる暇も無いほど戦いの連続であった。なにしろそこに住んでいるのは人間を敵と見なす魔族と、彼等が従える魔物たちばかりなのだ。ゴブリンと目が合えば襲われる、鼻のいい人狼に気づかれれば襲われる、寝ていると夢の中でも夢魔に襲われるという困難な道のりだった。
しかし、旅の中でますます成長を遂げた勇者と、その勇者の急成長に発奮してさらに力をつけた魔術師、長く戦場を生き抜いてきた戦士の経験によって魔族たちはことごとく撃退された。
こうして一年に及ぶ苦難の旅を続け、近づく婚姻の儀の準備に沸き立つ魔王の城に突入した三人は激闘の末、紫電の魔王ゼクスを打倒してビーナ姫を救い出した。
王の仇を討とうと、或いは単純に人間を獲物と狙う魔族たちの追撃を躱しながら来た道を戻る一行。途中、ベルテ国で幾度目かの商家の娘の熱烈なアプローチに、ついに“爆炎”が陥落するという一幕を挟みながらもようやくアーク王国にたどり着く。国境でビーナ姫を確認した警備の騎士は早馬を王都アークヒルに走らせた。
王城では、最後まで娘の無事を祈りながらもその帰還まで命を長らえることの叶わず先年崩御したエイル王の後を継ぎ、正式に王となったカーマインが歓迎式典の準備を指示した。出発の時とは違い、凱旋パレードを行っても問題にはならない。なにしろ二年もお預けになっていたビーナ姫との結婚も控えているのだからお祭りムードもいいだろう。
この二年、カーマインが王位に就いて一年と少しの間に侵攻してきたベルテとの国境での争いでは勝利して逆に国境を東側に押し進め、沈み込んだ経済を西側の諸国との新たな通商を開拓することで引き上げて立て直した。国民は自信を取り戻し、人々の目には活力が戻っていた。
以降の彼の治世ではますます国は富み栄えたが、残念ながら彼には子がおらず、先王エイル三世同様に養子をとって後を任せ、カーマイン朝は僅か一代で潰えたことを惜しむ歴史の愛好家も少なくない。後のアーク王国の歴史書にあるカーマイン王の項には“賢王”、“中興の祖”、“英雄王”といった文字が並んでいる。アーク王国以外の国ではまた別の呼び名で広く人々の口の端に上ることになるのだが、それはまた別の話。
パレードのために、アークヒルの郊外に仮設された天幕で旅の垢を落とし身支度を調えた一行、ビーナ王女と勇者の少年、ベテランの戦士、魔術師とその押しかけ妻は、飾り立てた馬車に乗って王城へのメインストリートを進んでいく。道の両側には手に色とりどりに染められた布を笑顔で振る国民たち。勇者の少年は、幼い頃から夢に描いていた英雄潭の一幕のような光景を見て感慨に浸っていた。それは彼だけでなく、彼等一行を迎える全ての人々に共通する想いだろう。そう、今ここに新たな勇者の英雄潭が幸せの結末を迎える、まさにその歴史的な瞬間に自分が立ち会っているのだから!
「はぁ、もう五年も経ったんだよなぁ。あの時はホント、世界は俺のモノってくらいなんでもうまくいきそうな気がしてたんだけどさ」
ベルテ国の東部のとある田舎の村にある寂れた酒場のテーブルで、安いワインの値段相当な味に眉を顰めながら独りごちる目立たない容姿の青年。つまらなそうな雰囲気を纏っているのはこの場では彼一人で、他の客たちは珍しく村を訪れた吟遊詩人が奏でる曲と物語に盛り上がっている。この演目は数多い英雄潭の中でも近年ベルテ国でとみに人気のものだが、この曲がお隣のアーク王国で歌われることは決してない。
特に今歌われている部分はもう間もなくクライマックスのシーンなので聴衆も盛んに囃し立てて騒がしいことこの上ない。その中でも得意気に張り上げた声がよく通るのは、歌い手の優れた技量のなせる業なのだろう。
「ねぇ、お父さん。このお歌って似てるね?」
目立たない青年と並んでテーブルに腰掛けている少女が隣の青年を見上げながら、少し思案気な表情で確認するように尋ねた。青年を父と呼ぶ少女はまだ四つか五つだろうか。椅子に腰掛けているとその足は床に届かず、ぷらぷらと宙を蹴っている。琥珀を溶かして細糸に縒ったかのような、肩まである美しい金の髪を頭の左右で白いレース編みのリボンで束ね、太陽の下で元気に遊んでいても全く日に焼けた跡の見えない白皙の肌と、年齢のことを置いても田舎の酒場には似つかわしくないこと甚だしい。三年前に病で亡くなった母親を彷彿とさせるその見目は、まだ幼いながらも将来どれほどの美人になるのか想像力の限界がもどかしいとすら思える。
青年は自分に向けられた、レイア大湖のように澄んだ少女の青い瞳からの視線を優しい微笑みで受け止めて応える。
「何に似てるの?」
「お話! お母さんがしてくれたの」
「へぇ~。それじゃ、お母さんもこのお話を知ってたのかもね」
「う~ん・・・、そうなのかなぁ?」
どこかすっきりしない表情の少女からそっと視線を逸らして香りの悪いワインのコップを口に運ぶ。意識が少女との会話から離れると吟遊詩人の声が再びはっきりと青年の耳に届く。
「あぁ、王よ! あなたはその剣を以て国を守り、その知を以て民を守ったでしょう! でも、あなたは私を守りはしなかった。救いの手は別の人のものだった・・・」
いよいよ佳境を迎え吟遊詩人は得意の絶頂。朗々とした美声を狭い酒場にこれでもかと響かせる。
「私は行きます! 私を救ってくれたこの手を取って!」
詩人はリュートをかき鳴らす。派手に奏でられた曲に聴衆の手拍子や口笛が乗る。そして物語はエピローグともいえる部分を迎える。
「こうして国を出た勇者と王女はいずこへか姿を隠し、嫉心駆られた王の魔の手を振り切って幸せに過ごしたのです」
最後の節を詩人が歌い上げると聴衆からわっと歓声が上がる。青年はため息をひとつつくと、この後に発せられるであろう、あまり聞かせたくない言葉から娘の耳を守るために、手でそっと少女の耳を塞ぐ。同時に周りの人々に気づかれない程度に効果を抑えた魔法で自身と娘の周囲の音を抑える。突然頭を包み込んだ手に一瞬驚いた少女だったが、不思議そうにしながらも柔らかく笑いかける父親に触れられているのが嬉しくなったようで、はにかみながらも笑みを返す。
「うちの国を攻めてるから王女にフラレるんだよ!」
「やっぱ、てめぇの女を人任せってのはねぇよなぁ」
「そうだぜ、情けねぇ。そんなだから寝取られちまうんだよ」
「よっ! アークの寝取られ王!!」
「寝取られはこの国からさっさと出ていけ~!!」
アーク王国の中興の祖ともいわれるカーマイン王は、東のベルテ国との戦を親率し、これをさんざんに打ち負かして国境を東に押し進めた。しかし、彼はその在位中、いくら部下が上奏しても渋い顔をして断り、一度も占領した新たな領土を訪れることはなかったという。
最後までお付き合いいただき感謝いたします。