嵐の前の静けさ
コンコン、リリィの寝室の扉が叩かれた。マリーンに泊まっているディタールの兵士達は、基本的に雑魚寝であるが、女性だけには個室が与えられていた。リオンは何も言わなかったが、その表情は暗く、何かをリリィに言いたげだった。しかし、彼は何も言わなかった。
(私はまだ、リオン様に信頼されていないのだろうか?)
リリィはそんなことを考えながら扉を開けた。
「なっ、貴様は・・・・んぐ」
リリィは突然口を塞がれると、そのまま意識を失った。どうやら布に薬品が沁み込まれていたらしい、怪しげな人影は、リリィの両脇に手を通すと、そのまま引きずるように、彼女を何処かに連れて行ってしまった。
同じ刻、リオンは地下牢を訪れていた。そして牢屋の中で小さくなっているカレンを見つけると、彼女と自分の生徒を重ね合わせた。
(僕のクラスにいた生徒にそっくりだ。頑固で融通が利かなくて・・・・)
「何のようだ?」
カレンはリオンを睨み付けていた。それもジャンに向けたのと同じ憎悪を帯びた視線で。
「助かりたいか?」
リオンは穏やかな声でカレンに言った。彼女は無意識に頷いていた。
「助かりたい。当たり前だろ」
「僕は君を助けることができるが、それをすると、皆に迷惑が掛かる。しかし僕にはもう限界だ」
リオンの手には、牢屋の鍵が握られていた。彼は兵士からそれを奪い取り、ここにやって来たのだ。彼はそれで牢屋を開けると、カレンを外に出させて、彼女に鍵を渡した。
「僕は外で見張ってるから、早く他の人を出して、何処か遠くに行け。そして二度と戻って来るんじゃない」
「く・・・・、お前はどうするのだ?」
「僕は気にしないでくれ。自分が正しいと思った道だけを進みたいからね。後悔はしないさ」
リオンはそのままカレンの方を振り向かずに、牢屋の前でずっと待っていた。しばらくしてカレン達は、城外に脱出すると、鎖に繋がれていたドラゴノイドを開放し、そのまま雲の中へと消えて行った。
「リオン様・・・・」
リオンが自分の寝室に戻ろうとしたその時、レイナが必死な形相で、パジャマが着崩れて、胸元が露わになっているのも気にせず、彼の元へと走って来た。リオンは一瞬だけ、鼻の下を伸ばしたが、彼女の真剣な様子に、すぐに顔を真剣な状態に戻した。
「どうした?」
「リリィちゃんがいないの・・・・」
「リリィが?」
リオンの顔付きが変わった。その時、不思議とジャンの顔が頭に思い浮かんだ。彼はレイナと一緒に、リリィの借りていた寝室の中に入った。そしてテーブルの上に置いてある、一通の手紙を発見し、それを開いた。
「貴様の忠臣を預かった。浜辺の洞窟に早朝までに来い。来れば殺さないが。早朝を過ぎたら諦めろ」
「あの娘が攫われるなんて・・・・」
「嫌な予感がする。レイナ、僕と来てくれ」
「もちろんです」
二人は城外に出ると、満点の星空の下を走った。浜辺の洞窟自体は近い距離にあり、辿り着くのに10分も掛からなかった。城の外には異様な姿をした二つの人影と、両手を縄で後ろ手に縛られたリリィの姿があった。
「何だ、あいつらは・・・・」
二つの影は人間ではなかった。片方は馬の頭をしており、もう片方は豚の頭をした魔物。それを見たレイナは槍を構えて、リオンの傍らに立った。
「魔族ですわ。でも信じられない。おとぎ話の存在がどうして・・・・」
戸惑うレイナに豚の魔物が笑って答えた。
「馬鹿か。光と闇の法則だよ。光あるところに闇があり、闇あるところに光がある。この世界に勇者が現れた。その反動で魔王様が復活された。長い年月を経てな。勇者がこの世界に誕生すると決まってから、魔王様も復活することが確定しているのだ。逆に魔王様が生まれれば、今度は勇者が後に生まれる。自然の掟さ。その周期が訪れたんだよ」
「リオン様、私に構わず逃げて・・・・」
リリィは目に涙を浮かべていた。それは不安でも恐怖でもない。リオンに迷惑を掛けてしまったという自責の念から来る悲しみだった。
「おい、俺達に近付いたら、この小娘を殺すぜ」
馬の魔物はナイフの先端をリリィの柔らかそうな頬に当てて、先端で少しだけ線を入れた。
「くっ・・・・」
リリィは歯を食いしばって痛みに耐えた。彼女の頬から真っ赤な鮮血が僅かに零れ出ていた。それを豚の魔物が手で掬って飲んだ。
「やっぱ人間の血は美味いな。へへ、ぶっ殺す前に血は頂こうぜ」
「ふん、さっさと抵抗を止めろ。配下を殺す気か?」
「分かった・・・・」
リオンは腰の剣を鞘ごと抜くと、それを海の方に投げた。これで彼は丸腰になったのだ。
「首を刎ねてやるからさ。こっちに来いよ。サルの王様」
「サルか。言ってくれるな」
リオンは覚悟した。己の死を。しかし不思議と恐怖も後悔もなかった。やるだけやった。妙な達成感があったからだ。彼はゆっくりと砂に足を取られながらも、魔物の元へと向かって歩いた。二人の女性の叫び声が彼を止めようと必死に木霊した。しかし彼は歩みを止めなかった。




