蓮とレン
仁はレンの姿を鉄格子から覗いていた。今から三日前、仁は神奈川県の某所、つまりレンの自宅周辺を訪れていた。当然、ある重大な目的のためにやって来たのである。
「うう。寒いな。夜は冷える」
冬の寒空の下、レンはコンビニからおでんの入った袋を持って出て来た。外の駐車場にはガラの悪そうな若者達が、レンの方を見てニヤニヤしている。眼を合わせたら絡まれる。レンはそんなことはとっくの昔に学習済みなので、なるべく視線を上に向けないようにしていた。
「おーい、そこの~」
若者の一人が、レンに向かって大声で叫んだ。同時に周りの仲間から知性の欠片も無い馬鹿笑いが聞こえて来た。それに対し、レンは小さく溜め息を吐くと、せっかく小遣いで買ったおでんをカツアゲで取られることを覚悟して、少し残惜しそうに、コンビニ袋を覗いていた。
「は、はい」
レンは気弱そうに返事すると、あっという間に若者達に囲まれてしまった。こんな寒い夜に何が楽しいのか。彼らは常に半笑いだった。
「なあ、君さ。可愛いね。こんな夜道に、一人だなんて、襲われちゃうよ?」
瞬間、若者達はまたも馬鹿笑いをした。レンは会話の内容が理解できずに、首を傾げていた。
(こいつら酔ってるのか。オレは男だぞ?)
「俺達がボディーガードになったあげようか。女の子一人に夜道を歩かせるなんて、俺達にはできねーよな?」
レンの眉間がピクッと動いた。女性に間違われるのは今日が初めてではない。彼は元来の女顔と、キメの細かい肌の持ち主であったため、どこからどう見ても、ショートカットのボーイッシュ少女にしか見えないのだ。そしてそれは、彼にとっては最大のツボだった。日頃、温厚で人との付き合いを避ける彼でも、これだけは許せない。
「おい、今なんつった?」
変声期を迎えていないボーイソプラノの声が、急にドスの効いた声色に変わった。
「何キレてんだよ。可愛いお嬢ちゃん」
金髪の男がレンの右肩に手を乗せた。レンの記憶はそこで途切れた。つまり、若者達を相手に壮絶な乱闘を繰り広げたのだった。それも、レンが一方的に若者達を暴行していた。彼はぐちゃぐちゃになったおでんを拾うと、道路の上で白目を剝いている若者達に唾を吐いて、その場から立ち去った。
帰り道、細雪が降って来たので、レンはやや急ぎ足で自宅に向かって歩いていた。そこに正面から、ドシドシとやけに騒がしい足音が近付いて来た。見ると、黒いコートを着た男が、頭にフードを被り、顎と髭だけを出して、レンの元に走って来た。
「え?」
レンは避ける暇も無く、あっという間に背後に回られると、首を男の太い腕で絞められてしまった。
「あぐ・・・・」
呼吸ができず、手足をジタバタと動かすことしかできない。男は麻薬でもやっているのか、突然、大声で叫び始めた。
「ごおおらああ、出て来いや。このクソ野郎がああああ」
「うるせーな。叫ばなくたってここにいるぜ」
電柱の裏から、若い男の声が聞こえて来た。黒いコートの男はポケットからナイフを取り出すと、それでレンの頬を軽く突いた。
レンはぎゅっと眼を閉じて、兎のように震えていた。
「それ以上動いたら。このナイフをぶっ刺すぜ」
「止めな。お前の罪が重くなるだけだ」
「うるせえ。さっさと消えやがれ。この女の首を掻っ切るぞ」
瞬間、レンの顔付きが変わった。彼は背後の黒スーツの男の顔面に、強烈な肘鉄を喰らわせると、そのまま振り向いて、コートの男に殴り掛かった。
「誰が女だ。この野郎」
「うぐ、テメー」
レンはナイフで腹部を刺された。その男はレンの想像以上に強かったのだ。そこらの不良やチンピラとは桁違いに。彼の男としての人生はそこで終わった。