純然たる邪悪
ルミナスは右腕を押さえながら、部屋の端にある配管工に背中をぶつけて倒れた。そして怯えたような眼で、老婆を見ると、両手で顔を覆いながら震えていた。
「うわああ。痛い。止めて・・・・」
情けなく怯えているルミナスの姿に、老婆はそれを見てホホホッと口に手を当て笑うと、ルミナスの人形の額を軽く突いた。
「うう・・・・」
ルミナスは体を子犬のように縮こませていた。その様子を見た仁は何かに気付いたらしく、構えを解いて、ニヤリと老婆の方を向いて笑った。
「恐怖のあまり、おかしくなったかえ?」
「ふん、あんたが憐れに見えてな」
「憐れなのはあんたじゃあ」
老婆は席を立つと、棚にある火炎瓶を取り出して、それを部屋の模型に近付けた。
「こいつをお見舞いしてやったら、同じセリフは吐けないわね」
老婆は仁とルミナス、そしてレベッカの人形に火炎瓶を近付けた。
「今だルミナス」
仁は背後のルミナスに向かって叫んだ。同時に、老婆の頭上から金属音が聞こえて来た。見ると、彼女の頭上にある配管工から、赤い色の細い紐のような物が飛び出し、老婆の手足を縛りつけていた。
「何じゃ?」
老婆の視線は、無意識にルミナスに注がれていた。見れば、ルミナスの腕に取り付けてあるブラッドヴォイスが、彼の血液をポンプのように吸い上げて、中で血液を紐状に固めると、それを配管工の中に垂れ流しているではないか。そしてそれが向かう先は、老婆の頭上に設置されている反対側の配管工である。
「後はわたくしが」
レベッカはシルバーブレッドで、老婆の持っている火炎瓶を打ち抜いた。同時に中の火焔が老婆の頭上に降り注ぎ、その場で彼女は火だるまになっていた。しかも、よく見ると、老婆の髪は鬘であり、何と男性だった。恐らく、老婆のフリをしていれば、仁達が油断すると考えたのだろう。あまりに低レベルな発想に、仁達は苦笑せざる得なかった。
黒いビルの最上階で、ギースは外を見ていた。
「ついに来たか」
ギースは飲み掛けのワイングラスの中身を飲み干すと、背後で膝を突いている男の方をチラッと見た。
「ジョーカーか。いるなら声ぐらい掛けろ」
「申し訳ありませんギース様。お休み中だと思ったものですから」
「まあ良い。奴らがこのビルに向かって来ている。建物の守りはお前に任せる」
「はっ、ありがたき幸せ」
男は深々と頭を下げると、ギースの両手が男の右耳にそっと触れた。
「ギース様?」
「お前は私のことを、初めて会った時に純然たる邪悪だと言ったな。今更だが、あれはどういう意味で言ったのだ?」
「はい。ギース様は、善という愚かな心を一切持たない。まさに混じり気無しの邪悪です。人は善の心があるから失敗する。大事を成就させることができない。あなたはこの世で最も優れている。私はそんなあなたのためにだけ闘いたい」
「フフフ、良い心掛けだ。私の言うとおりに生きていれば、必ず幸せになれるぞ」
ギースは不気味にほほ笑むと、そのまま部屋の暗がりに消えて行った。