その、出会い(再会とは呼べない)2
意識がゆっくりと目覚めていく。
ただそれはどうにもみんなの感じるモノと何やら違うらしい。
誰かのいう暗闇から浮上するような、という表現はよくわからない。
私が知っている世界は寝ていようが起きていようが何も変わらないから。
なので、つい微睡みからくる二度寝の誘いに負けそうになる。
あれ、私寝てるんだっけ、起きてるんだっけ、まあいいや、的な?
あ、ダメです!
この世界特有という「お星お日さま」が高い位置にあるのが視えます!
だめです、これ以上は寝坊助です!
ラナに怒られる前に起きなくては!
体を起こし、ふぁさり、と被っていたシーツが落ちたのを感じ取る。
やっぱり寝る時は生まれたままの姿の方が楽ですね!
……ラナには自分が許可した時だけにしてください、と圧をかけられますが。
いくら世間知らずな私でも人前で裸になるのがはしたないのは知ってます!
ここで脱いだのだって仮初の寝所として、何やら囲いに覆われた空間を
みんなが用意してくれたからやってるんですー!
側仕えとして口うるさくなるのはしょうがないのかもしれませんが彼女17歳。
私は20歳。年下なのにいつも子供扱いするのですから、もう!
盲目のハンデは確かにありますが自分のことぐらいっ………あれぇ?
着替えは、出来ますけど衣服自体の準備はみなさんですね?
食事も準備から配膳、なんならカトラリーの類は手渡しされてます?
湯あみは手伝ってもらい、体拭きもしてもらってますね?
そうです、そもそもこの寝所もどきも作ってもらったものでした。
徒歩での移動も常に誰かが前に立って先に進んで……やめましょう。
立場上! 立場上、周りにしてもらうのは仕方ないのです!
「……むなしい言い訳ですよ、私」
ううっ、この特殊な眼が無かったらわたしまともな生活できてたんでしょうか?
想像するのも怖い、と思いながら目を開けぬまま周囲を視る。
囲いの外、けど同じ部屋にいるのはラナとジェイク。
残りの者達は部屋の外と下の部屋。
足りない人数は情報収集か物資補充に出ているのでしょう。
この目のおかげで瞼を閉じても開けても視えるモノは変わらない。
でも、ここぞ、という時に開くとみんなすっごくいい反応してくれるから
見えている人達には外見の変化は大ごとなのでしょう。
と、そういえばこの時間まで起こされないとは珍しい。
『星陽』というこちらの、小さくて近くてたくさんの太陽のようものの
高さからもう昼間でしょうに。
いつもならとっくの昔にラナが起こしに………いえ、なんでもありません。
今は“普段通り”が出来る状況でもないですから。ただそれだけ!
ええ、それだけなのです!
けどどうもみなさん、異世界に来てしまった事にかなり動揺している様子。
ふぅ、こういう時、私は周りと違うのだと気付かされます。
帰還の術がない場所に皆を連れてきてしまった負い目はあれど、
それを別にしてしまえば「初めて訪れた未知の異国」という感慨しかない。
だって、話に聞くチキュウとも違う全く知らない異世界なんですよ?
ファランディア全土を訪れる前にまさか異世界にまで行けるなんて!
好奇心と冒険心を刺激され、高揚してしまっている自分がいる。
何もかもが知らないモノばかりで人目が無ければ小躍りしそう。
日々の音、土地の匂い、郷土料理の味、建物の感触、何もかも違う。
これぞ旅の醍醐味!
人より五感が少ないんだからそれぐらいは楽しみが欲しいよね!
という感情は現状では不適切だという常識はあるので押し込んでおりますが。
「………」
溜め息を吐きそうになるのをぐっとこらえ、手探りで枕元のカゴを探す。
今日の衣服を入れておいたもので、引き寄せると感触と形から下着や着衣を
必要な順番で身に着けていきます。
たまに前後ろを間違えますがさすがにこれは長年やってますからね。
衣服の形は毎日全部一緒ですし、寝ぼけてても着替えられますよ!
えへんと誰もいないのに胸を張る。
………あ、そういえば。
このポーズするとラナから妙な殺気を感じるんですけど、何故でしょう?
『長いことほぼ同じ生活してるのにこの差……っ!』
『普段は気にならないけど聖女さま着痩せするから…』
『ギャップで余計に意識させられて……くっ!』
と遠くで溢していたのですが何のことでしょうか?
独り言っぽかったので聞こえないフリはしているのですが。
「ふふ、初めて大聖堂に来た子供みたいだよジェイク?」
「ラ、ラナ……だけどよ、城でもないのにここめっちゃ高いし、
外ずっと明るいし、空はあんな感じだしで落ち着かねえんだって」
それにしてもジェイクは特に落ち着かないようですね。
さっきからずっと室内をうろうろしています。
釣られてか落ち着いている風のラナもそわそわしてますし。
折角二人きりなのですからもう少し恋人らしい会話をすればよいのに。
異世界まで連れてきてしまった私が言えた話ではないのは重々承知ですが。
これは私が突っついた方がいいでしょう。
望まれぬ異邦人である私達がこちらに忌避感を持ち過ぎるのも問題ですし。
まったく、マスカレイドを追いかけているといつもこうです。
おそらくカレ自身は何もしてないだろうけど文句の一つも言いたくなる。
あなたに私の眼が届きそうになると別の問題が降ってわいて、それに
戸惑っている内に逃げられる。
これを何度繰り返したことか。
けど今回は予感がある。私達はやっと会えるのだと。
ならシロ・クロどちらであろうとも、その文句は言わせてもらいましょう。
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そこは妙といえば妙な空間であった。
パーテーションで間仕切りされたオフィス、のようでありながらも事務机の類は
皆無でいくつかの寝床や食卓向けのテーブルやイスが並んでいる様相はどこか
本来オフィスであった場所を急遽居住スペースにした空気感がある。
「…………」
そんな室内をふらふら、ふらふらとブロンド髪の少年が彷徨う。
一歩ごとにカチャカチャと金属音を立てているが気付いているのか否か。
その歩みとて時折イスに座って止まるのだが、ふと思いついたかのように
腰を上げて目的なく彷徨ってまたどこかに腰掛けるか立ち止まる。
その繰り返し。
「ふふ、初めて大聖堂に来た子供みたいだよジェイク?」
完全に慣れぬ場所に来た幼子のそれであった。
「ラ、ラナ……だけどよ、城でもないのにここめっちゃ高いし、
外ずっと明るいし、空はあんな感じだしで落ち着かねえんだって」
「あはは、気持ちは分かるけど、ね」
ラナと呼ばれた赤毛の少女は少年を嗜めつつも同感ではあった。
思わずその主な原因達が揃う『外』を窓ガラス越しに眺める。
彼らからすると一般の建物にはめ込まれているとは思えぬ程に透明で、強固で、
そのうえ外からは室内が見えないという特殊仕様のガラスというだけで
驚天動地の心持ちなのだがそれ越しで見える街の光景はこれまた彼らから
すると驚きの塊であった。
現在は昼間だが、この数日完全に暗闇になった時間を彼らは知らない。
どんな大国の都であろうとも一部を除けば夜は暗くなるのが当然であったため
常に、どこでも、一定以上に明るいのは気になってしまう。
また彼らがいる建物の全高が、高すぎる。
それよりは低い位置にあるこの部屋でさえ高いと感じている。
ここから何の補助魔法も防御魔法もなく落ちれば絶対に助からないと本能的に
察してしまう足が竦む高さ。これがただの一般商社の所有物だという上に
ほぼ同じ高さのものが辺りにはひしめき合っているのだから慄く。
だがそれら以上に彼らを落ち着かせないのは空の違いだ。
見上げて視界に入る空の、自然現象の差異に言い表せない怖さを覚える。
窓ガラスより透過性は悪いが外が見える天井があるのはいい。彼らもさすがに
ドーム型都市であることとそういう都市を作らざるを得ない理由は聞いている。
だがたった一つの太陽ではなく、星のような小さな太陽が夜の星空のように
存在する昼間の空というのは脳が理解を拒否して見ているだけで頭痛がする。
本当にここは『異世界』なのだと問答無用で訴えてくるからだろう。
それもいくらか聞き及んでいた『チキュウ』ですらない『異世界』なのだ。
「─────何も変わりはしませんよ」
不安に満ちた顔をする両者のもとへ泉の水面のような静かさながら、
鋼のような芯を感じさせる力強い声が届く。
「せ、聖女さま……」
床から天井まで完全に区切るタイプのパーテーションの向こうからドアを開き、
声と共に姿を見せたのは二十歳前後の、両目を閉ざした女性──聖女シンシア。
白いローブのようにも白い修道服のようにも見えながら足周りを深いスリットで
曝すその格好は地球やガレストでは一見しても何の格好か分からない代物だ。
がファランディアでは聖女のために有志によって作られた一種の正装。
ただしそこには一つ常と違って欠けているものがある。
「あ、起こしてしまいましたか?」
「すいません!」
ローブと同色のウインプルで普段は隠されている美しい銀髪が肩に垂れており、
ラナは寝起きなのだと察して少年共々頭を下げる。昨晩は遅くまでその眼で
探索に赴いていた聖女を二人が気遣って存分に寝させてあげようとしていたが
自分達で台無しにしてしまったと内心肩を落としていた。
「いえいえ、少し前から自然と起きていましたよ。
……二人きりなのでてっきり甘い会話が聞こえるのかと期待してたのに」
それを知ってか知らずか。
面白くありません、と若干頬を膨らます聖女の態度は年齢からすると幼過ぎるが
不思議と似合ってもいる。当初は面食らった彼らも見慣れたものと苦笑するだけ。
外向きの凛々しさとは違った愛らしさは側仕えたちには評判なのだ。
「ええっと、あ、それより聖女さま、何が変わらないと?」
しかしそのネタでいじられるのは困りものとラナは話題を戻す。
「え、ああ、単純な話ですよ。
ここも私達と何も変わらない人々が集まって、生きている場所です。
この眼にはきちんとそれが見えています。社会や街の形が違おうとも
そこが同じならは同じヒトの世界です……怖がる必要はありませんよ」
無邪気さを感じた表情が一転して超然とした包容力を擁したものに変わる。
見る者に安心感と神々しさを同時に感じさせる微笑みを湛えながら、
ゆっくりと開かれた目には光が宿っておらず、どこか焦点も合っていない。
されどどこまでも真っ直ぐに、そして深く、全てを見通してもいた。
生まれつきの盲目である彼女の瞳だが普通と異なるモノを視る力を持っている。
それこそが彼女が聖女たる所以の一つであり、それを持っての確信めいた言葉は
他の者達にとっては揺るぎない指針である。
それは何も教会の人間に対してだけではない。
多くの人に届くからこそ彼女は聖女と呼ばれるようになったのだから。
「ええ、同感です聖女殿、はい」
その一人といえる人物が入室して早々感心と称賛を訴える拍手をした。
「ファランディア人もガレスト人も同じヒト!
ええ、ええっ、直に接して私めも実感しておりますよ」
「ふふ、お帰りなさいアーベル殿。
随分と楽しそうですが、何か収穫があったのでしょうか?」
彼─アーベルを出迎える形になった聖女は瞳は閉ざしつつも微笑みは絶やさず、
彼のはしゃぎだしそうな様子を静かに見守っていた。ただこれに相手の方は
今しがたそれを思い出したかのようにぎくりと固まる。
「あ……いえそこは大変申し訳なく。
聖女殿がお求めになっているものは中々見当たらず。
ですが分かってしまうものですね、一魔導学者としてこの世界の技術は
正直見ているだけで高揚してしまってつい夢中に……すいません」
中肉中背の、若干ふくよかな顔と体形をした三十代ほどの男があははと
笑いながら軽く頭を下げて、上げる。へらへらと笑う顔には悪気が微塵も
見られず、今の動きで若干ずれたメガネも相まってどこか間抜けであるが
一方で愛嬌があるとも言えた。彼が教会外の人間でありながら聖女一行に
受け入れられたいくらかの要因は彼女の眼によるシロ判定以外にもそういう所が
警戒心を薄めていたのがある。
何より。
「構いませんよ。人探し、噂集めはあなたの本業ではないのですから。
そもそも私達がこの未知の異世界で曲りなりに拠点を確保できたのは
アーベル殿のおかげ……とても助かっております」
彼はこれで魔法大国アースガントでそこそこ名の知られた魔導錬金術師。
異世界に転移してしまったことすら理解できなかった自分達をその知識と知恵で
適切に導き、その技術で必要な道具を作成し大いに聖女一行を助けたのである。
教会外の、それも国内に信者がほぼいないとされるアースガント出身者の彼が
認められているのは転移前の様々な協力も含めて、その功績も大きい。
「そうですよアーベル殿。
あなたがいなければ俺達はきっと今でも途方にくれているか。
こっちの治安維持組織か何かに不審者として取っ捕まってますよ。
特に、いの一番に翻訳機を作ってもらえて助かりました」
「ええ、言葉が通じないのがあんなに大変だなんて思いませんでした……
今更ですがファランディアに迷い込んだチキュウ人たちの心細さを実体験した
気分です。私達には仲間がいましたけど大抵は一人で……あれはきつい」
「……そうだな」
教会の記録でしか異世界人を、特に漂流直後の様子を知らないラナは半ば自分が
その立場になったことで記されていた困窮状態を事実だと改めて認識していた。
「あ……そ、その点は本当に申し訳ありませんでした皆さん。
まさかマスカレイドが異世界にいるとは思わず…」
一方、今回の計画を主導した立場にある聖女は皆にいらぬ苦労をさせた点で
罪悪感を覚えていた。アーベルの助力で拠点の確保と捜索活動の継続は
出来ているが帰還方法に関してはさしものこの魔導錬金術師もお手上げ。
その点に関しては彼女達は途方に暮れていたともいえる。
これにどこまでも聖女についていくつもりだったラナとジェイクは素直に
気にする必要はないと口にしかけたのだが。
「だからあの遺跡で言っただろう。
マスカレイドはお前達が知っている場所にはいないと……自業自得だ」
それより先に部屋の隅から小馬鹿にした口調で黒装束の男が悪態をつく。
「っ、なら最初から異世界だと言えばよかっただろ!!」
「………」
癇に障る物言いにジェイクが吼えるが男は見ることもせず、静かな闘気を
宿す目でただただ聖女たちを見据えていた。拘束された状態ながらその戦意は
微塵も萎えていない。武装の類は全て取り上げているが自由に動けるなら
額の角でこちらを串刺しにしかねないほどその赤い眼光は鋭かった。
「鬼人族を見るのは彼が初めてですが……たいへん元気ですな」
マスカレイドの血痕を入手する際に虜囚とした鬼人族の工作員。
覆面を剥いだ際は聖女以外は驚いたものの彼女が丁寧に扱うように指示したのも
あって一行はもうその外見には見慣れ始めてはいた。いくら聖女と語らっても
変わらない態度には多くが苛立っているが。
「よいのですジェイク……耳が痛い話です。
逸る気持ちから皆を帰れぬ地に導いてしまいました。
聖女だなんだと言ってもまだまだ未熟な小娘ですね……あなたの助言も
無下にしてしまい申し訳ありません」
謝罪の言葉と共にすっと頭を下げる聖女。
これにざわめく周囲を余所に、冷静な赤瞳が瞬く。
「………だから俺はこんな扱いか?」
「はい!」
端的な物言いに簡潔な返事。
うんざりとした顔でため息を吐いたのは鬼人族の男の方。
当人同士のみで通じる会話をしているかのようだが、理解してる者もいた。
「……聖女さま、いまのは?」
「アーベル殿、今日まで報告の場には必ず彼もいましたでしょう?
おそらく聖女さまは今後は一言も聞き漏らさないよう、あえて彼にも状況を
知らせていたのかと…」
「正解です、ラナ。よくわかりましたね!」
「……もう7年の付き合いになりますから…」
少し疲れを感じる声で語るラナを労うようにジェイクが優しく叩く。
その眼による正邪判定が全てになりがちな彼女はシロと認定すると立場は敵で
あっても態度がフランクになる。良く言えば立場に囚われない聞く耳があると
言えるが、悪く言えば立場に拘らないので周囲が気を揉む羽目になる。
尊敬も信頼もしている側仕えでもそんな声になるのだからその程度は
推して知るべしであろう。
「…絶妙に兄貴と似てる気がするのがイラつく」
「あら、お兄さんと似ていたのですか?
道理で初対面だったのに話しやすかった訳です」
「ちっ、想定以上に耳のいい……まあいい。
そんなに俺の助言が聞きたいのなら、一つ思いついた策がある」
これ以上その話題をつつかれたくないというあからさまな態度で向き直る鬼人。
だが彼の呟きが聞こえていたのは一番距離があった聖女だけであったため
誰もその点を追及できなかった。
追及しようと思考する前に話題を変えた、が正確だろう。
「お前達が集めてきたガレストにおけるマスカレイドの情報が正しい、という
前提ありきだがカレを見つける単純な方法がある」
「それはすごい、いったいどんな方法ですか?」
「どこぞでファランディアから来た聖女さまご一行だと大騒ぎすればいい。
まず間違いなく、あっちの方から出てくるさ」
どこかわざとらしくふざけた言い方をした鬼人に狙った態度だと分かっていても
ジェイクは怒気と共に詰め寄る。
「ふざけるな! 聖女さまを見世物にしろとっ…」
「なるほど、その手がありましたか!」
「せ、聖女さまぁ…」
尤も当人が乗り気な反応をしたので気勢がそがれてしまうが。
「……どういう風の吹き回しですか?」
「何がだ?」
それを横目で若干微笑ましく見ていたラナだが、鬼人に向ける目には怪訝な色が
多分に含まれていた。今の提案は、様々な感情や事情を抜きにすれば確かに
マスカレイドを誘き出せはすると彼女も思えた。だからこそおかしい。
「あちらでは散々マスカレイドに手を出すなと言っておきながら。
そしてこちらに来てからも異世界に迷惑をかけるなと喚いていたのに急に…」
「…口惜しいが、コトがここまでややこしくなった以上あの方の力を借りてでも
事態を終結させるのが肝心……そちらの聖女さまの正邪判定がどっちと
認めようが接触さえしてしまえばそれで仕舞いだからな」
お前達の。
あえて言葉にされなかったその言葉は不敵に笑う彼の赤目が語っていた。
その輝きは聖女一行の敗北を微塵も疑っていない。ある種、虚仮にされたような
物言いであったが絶対的な自信に満ちた眼差しに思わず皆が気圧される。
ただ。
「あぁ、お姉さんが一番心配なのですね?」
ひとりそれを気にしていない当人だけがのほほんとした口調で鬼人の真意を
見通していた。周囲がぎょっとする中で虜囚の鬼人は疲れたような息を吐く。
こういうとこだよ、とは誰にも届かぬ独り言。
「え、こいつの姉って、あの転移直前の時に問答無用で襲ってきた鬼人!?」
「『盾』のメリルさまですら追い込んでいたあの!?」
一瞬で何人も戦闘不能にされ、リーモア騎士二名が相手をしてなんとか互角。
その激戦とこちらに向けられた業火のような敵意・戦意を思い出して背筋に
寒いものを感じるふたり。聖女一行がかなりの確認不足で転移してしまったのは
この女性鬼人に追いやられた焦りも一因であった。
が、そんな側仕えたちの怯えを余所にポンと軽すぎる手を叩く音が響く。
「はい、あの熱く真っ直ぐな魂の持ち主ですね!
鬼気迫るご様子でしたがなんだか仲良くなれそうな気が!」
「聖女さま!
その『鬼気迫る』の部分をもっと危惧してください!」
敵です、敵なのです!
とラナは口酸っぱく言い募るが聖女は不思議そうに首を傾げるだけ。
根本的に危機感が無いのか。自らの実力に自信があるのか。
虜囚の鬼人は半々と睨んでいるが。
「言っておくが姉上なら絶対あのあとこっちに飛び込んできてるからな」
「え? ま、待ってくれまだメリルさんたちと合流できてないのに!?」
「わ、私達だけであの人を……?」
「……一度ブチキレたあの人に話は通じないと思っておけ。
俺を人質にしても止まってくれるかどうか……まあ、マスカレイドより先に
遭遇しないようお前達の女神とやらに祈っておけ」
そんな応援のような無責任な言葉を投げかけて、後は知らぬと虜囚の鬼人は
器用にも拘束されたまま横になってしまう。これ以上は何も応じないという
意思表示にかき乱されたふたりは憤然とするが聖女は笑顔のままだ。
「みなさん仲が良くてよろしいですね……ん、あれ、は?」
「仲良くなど……どうかなさいましたか?」
されどその穏やかな微笑みが彼女の顔から突如消えた。
閉じられていた瞳が再び開かれ、外を、眼下の街の雑踏を見ている。
これにラナもジェイクも頷きあって左右に別れる形で同じ方向を見据えた。
「……見えますでしょうか?
そこに少年と女性……迷い悩む男児と彼を気にかける女性が……早歩き?
か何かで追いかけっこ、みたいなことしてませんか?」
珍しく歯切れの悪い、自信のない発言をする聖女。
魂を直接視るため何よりも正確な情報を取得してしまうのだが、宿す肉体は
ぼんやりとした輪郭でしか捉えられず、また生まれつき盲目の彼女は常人には
どう見えているかが分からない。そのため気になる人物を見つけた時はこんな
若干おどおどした力の無い表現となる。
尤も。
「ええっと、どれか分かるジェイク?」
「待ってくれ、視力を強化して探す。
逃げる少年と追う女性、追いかけっこする男女……あれか?」
「ああ、それっぽいね……男の人の方はギリ少年じゃない感じだけど」
側仕えのふたりには慣れたもので朧げな表現から目当ての人物を見つける。
「いま左手の方に、あ、角で曲がった……間違いありませんか?」
「ええ、おそらくその方々かと……その少年の方に、なにか黒いモノが。
色合いから良くないモノ、だと思うのですが……なんでしょう?
この警戒心がわかない感じは?」
「黒いのに、警戒に値しない?」
これには本人は勿論、慣れている側仕え二名も困惑する。
善良な者、良い影響のある物を白く、その逆のモノが黒く視える眼を持つ聖女が
その判定は出来たのに害の有無を断定・断言できなかったのはこれが初めて。
「ふむ、何にせよ聖女殿がお気になさるならチェックしておくべきでしょう。
まずはこの世界のドローンなる使い魔のような道具を我が錬金術で模倣した、
いわば錬金ドローンで追跡させておきましょう……接触は必要ですかな?」
「いえ、やめておきましょう。もっと近づけばナニカは分かるはずです。
私達は知られざる異邦人、いきなり接触し検分させてほしいといっても
怪しまれ、余計なトラブルの種となりましょう」
「ではそのように」
了承したアーベルは懐から球体型の物体を取り出す。
目のようなレンズがはめ込まれた手の平サイズのそれはひとりでに浮かび上がり
ラナが明けた窓から飛び出すと目標とした男女を追いかけるように飛んでいく。
「ラナ、私の支度を手伝ってください。
ジェイクは他のみんなも呼んで供する者と残る者の選定を。
アーベル殿、どろーんなるものの行先案内を頼めますか?」
そして矢継ぎ早に指示を下し、それぞれが了承して動き出す。
ラナだけは指示通り身支度を手伝いながらも聖女が直々に出る案件だろうかと
無言で追及するが「私にしかアレが見えてないのですから当然でしょう?」と
返されてしまえば視線の訴えさえ黙るしかなかった。
「─────」
だがその裏で寝入ったふりをしていた鬼人の視線に誰も気付かない。
さすがの聖女も別のところに意識が向いているため虜囚の微かな当惑を
文字通り見逃した。
───あの男は……確か2年前に死んだはずでは?




