その、出会い(泥棒と博士)
異物、視認
「ぐっ……留守だと思ったのに、ついて…ないわね、うっ!」
場所:自宅リビング(床)
発見物:ガレスト人女性(推定・十代後半から二十代前半)
状態:腹部裂傷、着衣に染み込んでいるが出血は停止
なんらかの応急処置系の装備かスキルを使用していると推測
意識あり
防犯システムチェック
破壊・損失及びプログラムの異常も確認できず
状況から逆算し、正規の手段とシステムに誤認させて侵入と推測
ログ確認により上記推測が肯定
「………」
対応検討────────────────────────死んでないし、死にそうでもないなら、別にいいか。
「………え?」
部屋を出た足でそのままドリンクサーバーに向かって予定していた水分補給を
決行。現在の気分はホットココアなのでそれを選択。カップに適量入ったのを
確認すると一口飲む。ふー、鼻腔を抜く独特の香りと喉から流れ落ちて食道と
胃を温める熱に満足げな息が漏れる。少し、頭もすっきりした。
甘い物は肉体的及び精神的な疲労に一定の効果があるという。
政府筋に無理をいってあちらから取り寄せてもらったが、正解だったな。
これなら今日中には外骨格の新型装甲その基礎理論がまとまりそうだ。
「ちょ、ちょっと?」
よし、まずは完成させてしまおう。細かい部分はそれからだ。
俺は肩を解すように腕を軽く回しながらリビング隣の書斎兼研究室に戻った。
「む、無視? え、無視されたの私!?
これほどの美女がケガして倒れてるのにっ!?!?」
周囲の喧騒は昔からの癖で耳には入っても聞き流していた。
「うそでしょぉっ!?! 何なのよその反応、っ、痛っ!?!」
ふむ、やはり最も理想値に近い素材はこいつとあれの合金だな。
「急に叫んだから傷がっ……っ、こらぁ!! そこの不健康そうな男!!」
現行機材の改良で加工も可能。耐久力や柔軟性も劣らず。
されど特殊な波形でフォトンを照射すれば縮小するという特性を併せ持つ。
維持と復元にはまだ課題があるがいずれは外骨格を携帯端末で持ち運ぶのも
夢ではないだろう。なんだかんだ俺以外もみな優秀だ。
10年もかかるまい。
「けが人放置してないで助けなさいよぉ! ってかなんでここ開かないの!?」
そうと決まればせめて一品。実物も作成しておきたいな。
地下の試作室で作成は可能だが、少々素材が心許ない。
取り寄せて待つか。手持ちのモノで類似品を作ってしまうか。
「げっ、なにこれ……? 家のセキュリティも大概だったけど、たかが一室の
施錠になんて複雑な生体認証使ってるの!? この私が突破できない!?!」
前者は待つ時間が手持無沙汰になる。
後者は所詮類似品である以上どんな不具合が出るか読めない。
………………うん、ならどっちもやってしまうか。
そうと決まればいつものルートで注文と支払いを済ます。
試作室に向かおうと研究室から出るためにスライド式のドアを開ければ、ドン、
と何かが床に落ちたかのような音が聞こえた。
その方向に導かれて視線は自然と下へ。
「っっ……どうも、薄情男さん」
仰向けに倒れる不法侵入負傷女性を発見。
何故か恨めしい目でこちらを見上げている。はて?
推測するに開かないドアに寄りかかるようにしていた所で俺が急にドアを
開けたためにこうなったようだ。先程の音は床に頭をぶつけた音と思われる。
ふむ。
「めまいは感じるかい?」
「……は?」
「手足のしびれは?」
「な、何の話よ急に?」
「痛みは?」
「そんな見れば分かるでしょ! 絶賛お腹痛っ、たたたっ!?」
「ふむ、頭を打ってお腹が痛い、か。この場合何を疑うべきか…」
「痛ぅ、って、頭? あんたさっきから本当に何の話を?!」
「俺の不注意で頭を打ったのだからその対処は俺の責務だろう?」
当たり前の話だ、と。
答えれば女性はそのエメラルド色の瞳を何故か、すごく、大きく、見開いた。
はて?
「別の意味で頭痛くなってきた。
もういっそ警察でも救急でも呼んでちょうだいっ!」
「悪いが後処理や事情聴取……ああ、機密保持や安全を考えてとかで引っ越しも
求められるな……どちらもムダで面倒だ。却下する」
「……ふ、不法侵入した私がいうのもなんだけど、自分本位過ぎない?
そんなに面倒事が嫌ならさっさと全部治療して追い出しなさいよ…」
「生憎、全身が入る医療ポッドは我が家にはないが……」
「こんな一般住宅にそんなのあると思ってないわよ!
大病院にさえ一基あるかないかの高級品じゃない!」
「ふむ、腹部用を作ってみるか」
「は? 腹部用? 作る?
そ、それって今やってる医療ポッド小型化研究の先の話じゃ…」
「少し待っていろ、スキル発生器を医療系特化に改造してくるか」
この前の実験用に作った発生器のプログラムを変更。
試作してみた腕部用医療ポッドを腹部用に改造。
前者を後者に内蔵させれば、いけるな。
「な、なんなのよ、あの男ぉ……」
手順を頭で構築しながら地下の施設を遠隔操作。
脚を進めながら半分以上の作業を終わらせつつ地下作業場へ向かう。
何を聞きたいのか分からない女の発言は難しいので放置しておこう。
ただ。
およそ2分ほどで戻って即席腹部用医療ポッドで完全に治療したら。
「なんなのよ、この男!?」
となったが。
意味がわからん。
あ、念のため頭の検査もしたが問題は見られず。
これで俺のやるべきことはやったと予定していた作業に戻ったのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・
「あんた、もしかしてとんでもない科学者?」
数日後、彼女はまだいた。
いや、物事は正確に語るべきだろう。
やりたい研究や作業に追われて、彼女を追い出す暇が生まれなかったのと
傷が治ったのに彼女自身が何故か出ていかなかったための合算でしかない。
「並ではない自負はある。
が、今やってるのは技術者とスキルプログラマーの領分だ」
なんでもかんでも科学者でひとまとめにすることに興味関心忌避はないが、
そうなれば俺ほどの者でなければ誰も科学者を名乗れなくなってしまうぞ。
それはじつにもったいないので、手元のモニターとキーボード操作から意識を
離さないまま気持ちばかりの訂正をしてみたが、
反応が薄いので分かってもらえたかは怪しい。
「……参ったわね、多少なら心得があるつもりだったけど別次元だわ」
「それが分かるだけ君はそれなりに優秀だ」
「そ、それなり……なんか地味に傷つくけどこれは納得よ。
はぁ、仕事を手伝うって方向はダメか…」
「別に仕事ではないが……助力が必要そうに見えたのか?」
俺を手伝おうとしていたと零す彼女に思わずそう問うた。
他者から自分の作業スタイルがどう見えているのか。かれこれもう10年以上
気にしていなかったが、瞬間的にその視点が無いというのはそれはそれで
問題であるという考えが頭を過ぎる。視点は出来る限り多角的でなければ。
尤も、彼女の理由はそういう話ではなかったのだが。
「ううん、お礼ぐらいはしていこうと思ってるだけよ」
「…………………………………誰に? 何の?」
心底から、何の話をしているのか分からなかった。
確かに他者との会話は不勉強・経験希少ではあるが、彼女の驚き具合からして
俺は相当にズレた返答をしたようだ。
「すごい沈黙の後に出てきた間抜けな言葉に全私びっくり」
「そうか……そうだろうな。
俺は見ての通りの出不精の一人暮らし。
他者との交流の優先度を下にして生きてきたので会話は下手くそだ」
「真顔で普通に言わないで……そんなの初対面から嫌というほど味わったわよ。
まあ、受け答えがはっきりしてる分それなりには出来てるけど」
ニヤリ。
キラン。
ぴょん。
「……なるほどこれが意趣返し。そしてドヤ顔というものか。理解した」
「~~っっ!! 冷静に分析しないでっ、恥ずかしい!」
不敵な笑みと同じフレーズによる返し。勉強になる。
そう思って素直に口にしたのだが、なぜか真っ赤になってしまった。
それと比べると赤紫系と認識していた髪色もどちらかといえば濃いピンク系か?
頭頂部の兎耳も心なしか今までで一番真っ直ぐ跳ね上がっているかのよう。
「ともかく!
どれだけ自分本位でも治療してもらって、通報もされず、結果的に匿われて、
食事も頂いちゃった。しかも貴重なチキュウ製……噂以上に美味しかった!」
何故最後だけ力拳をぐっと握っての力説なのだろうか。
パスタ、ケバブ、ファラフェル、クリームシチュー、トンカツ、等々彼女が
今日までに食した物を恍惚とした顔で呟いている。また食べたいのだろうか。
ストックは、まだあったな。今晩もそれでいこうか。
「それは良かった、でいいのか?
昔からどうにも味気ない食事は苦手でね。取り寄せてもらっている」
「それが出来るあんたはどこの誰なのよって話だけど、今はいいわ。
───つまりは私がもらい過ぎだから少しは返させろって話よ」
「俺は気にしないが…」
「このっ! 私がっ! 気にするのよ!!
いくら裏稼業の人間……いえだからこそ片側が重たい貸し借りはダメよ。
筋が通らないし私のポリシーにも反するわ。だ・か・ら……依頼なさいな」
「依頼?」
「そ、初対面で無様は見せたけどこれでも裏では名のある情報屋なの。
何か知りたい情報があるのなら政府の機密から隣人の給与明細まで。
どんなものでも調べてきてあげるわ、特別にロハでね」
「…………情報、か」
得意げな顔で、しかもウインク付きの笑顔で言われたが、う、ぬ。
これは、疎い俺でも分かる。彼女は彼女なりに一宿一飯の
恩義を自分の流儀として、得意分野で返そうとしているのだろう。
それがいわゆる犯罪行為であっても表の人間にも裏の人間にも、
なれたのにならなかった選択をした自分にその是非を語る資格はない。
うん、そこは問題ではない。では何が問題なのかと言えば。
俺が求めて手に入らない情報って何かあったっけ?
いや勿論探せば何かあるのだろう。全く興味がない何かしらの情報が。
だが、政府の機密も隣人の給与明細も知ろうと思えば見れる。
そんなことを言ったらさすがにこの自信満々の彼女も崩れ落ちるだろうか。
以前、共同研究した時も俺がやり過ぎたせいでチームの空気を最悪にした事が
幾度かあった。精神状態やモチベーションは着実に成果に影響する事柄だ。
軽視していいものではない。そしてこういった点は普段からの態度や対応が
咄嗟に出るものだという。だからここでも同じ轍は踏みたくないのだが、
さてはて。
「あなただったら……どこかの企業の開発中の製品や技術のデータ?
それとも次世代端末の設計図やプログラム? チキュウに関心があるなら
あっちの情報とかもそれなりに伝手があるから手に入るわよ」
全部、知ってるのだが。
なんだったらいくつかは俺が作ったものだろう。
地球関連も、行き来手段を完全に政府が秘匿・独占してる現状では今以上の
何かを知れるとも思えない。
「ふふ、遠慮せずにこの絶世の美女たる『長耳のマゼンタ』に任せなさい!」
「…自分で自分を美女という相手はやめとけと昔世話になった人に言われた」
「ぐふっ!?」
絶対ろくでもない女だからと断言していたあのおばちゃんは今も元気だろうか。
しかしマゼンタ、ああ、そうかこの髪色はマゼンタか。覚えたぞ。
いや、違う、そうじゃない。これは思考放棄だな。
関係ないことを考えて難題から逃げようとしている。
「で、でも実際美女なんだから仕方ないじゃない!
あんただってそこに異論はないでしょう!?」
「…………」
「え、うそ、どうしてそこで目を背けるのよ!?」
「すまない、こんな生活をしているせいか。元々の気質か。
人の顔の美醜がよくわからない。だから聞かれても判断が……ん?」
「くっ、納得は出来るけど、なんか凄まじい敗北感!」
わから、ない?
そうだ。そういう手があったな。
「……君は一般的には美女なんだな? たいていの男が振り返るような?」
「え……え、ええ、そうよ!
街を歩けば皆が見惚れて立ち止まり、声をかければ誰もが虜!
何人もの男たちを手玉に、取っ替え引っ替えしたきたことか!」
ふん、と鼻息荒く胸を張る。
それはすごい。
「では、その経験や知識をくれないか?」
「…なんですと?」
「一般的な感性や常識、男女のあれこれに疎くてね。
仕事をしてるとそれで困ることもあるのでどうか指南してほしいんだ。
こういうのもまた情報だと思うが……どうだろうか、レディ・マゼンタ?」
俺の提案に、なぜか、音を立てて固まった彼女はしばし悩んでいたようだが
結局は受け入れた。どうしてか、すごい冷や汗をかいていたけれど。
「ど、どど、どうしよう……だいぶ見栄張っちゃったわ……」
何やら小さく呟いてもいたが、よく聞こえなかった。
「アハハッ、楽しいなこれ」
「そ、それは良かったわね………私は死にそうよ」
それからの日々は凄まじく早く過ぎ去った気がする。
これが俗にいう体感時間の変化。何かしらの感情が付随した際に時間の流れが
遅くなったり早くなったりするように感じるというアレか!
後々そう告げたら彼女は真っ赤な百面相をしたが、はて?
ともかく、彼女はまず俺を外に連れ出した。
『一般』を知りたいならまずは人の多い場所に行くべきとのこと。
言われてみれば、そうである。
盲点だった。
記憶にある限り普通の街中に出たのは今の生活を始める直前に一度だけ。
時の経過は俺が考えていた以上に強力な刃だったのだろう。
10年以上前の光景と目の前のそれが一致しない。
良くも悪くも“必要なもの”しかなかった街並みに余分が生まれている。
遊び、娯楽を重視した施設から多様な専門店に怪しげな地球学の塾まで。
子供心に不変さを感じさせた都市がいま異世界の影響を受けて変化していた。
例えそれが後々の交流開始を見越した、下地作りを兼ねた意図的なもので
あろうとも完成していたと思えた都市が変わったのは予想外に俺の中の何かを
揺さぶった。
その感情の揺らめきが高揚感となってしまったせいか。
俺は、かなり、すごく、壊れた。
まさにブレーキが壊れたマシンのようにひどい醜態をさらしてしまう。
「待ちなさい! まずは支払いから!」
「買ってないものを開けるんじゃないわよ!」
「バ、バカッ、脱ぐのは試着室!」
「それは子供の遊具でしょ!?」
「気になるものを見つけたら言いなさい!
ふらふら勝手にいなくなるから探したでしょうが!」
「え、離れるなと言った?
言ったわね、確かに言ったけど! トイレは別なのよ!」
違うな。
これブレーキ関係ない。
単に俺が常識知らずなだけだ。
「ズレた男なのは分かってたつもりだったけど!
ま、まさかここまでひどかったなんて……」
「俺も知らなかった。助かった、ありがとう」
疲れ果てたように肩を落とす彼女と並んでベンチで休んでいる中。
素直な感謝を告げた。さすがに自分でもここまでとは思っていなかったが
ここまで何も知らなかったと知れたのは収穫だ。
適時の修正も受けれたのは有り難い。
「~~っっ!
じょ、常識知らずな癖にそういうことはちゃんと言うのね」
「昔世話になった人達に感謝と謝罪はちゃんとするよう教えられた」
「ふーん、昔、世話に、ねぇ。
言われたことをちゃんと守る辺りもその頃からか」
「手間をかける」
「いいわよ。一度で理解してくれる分、楽と言えば楽だし。
教えるって依頼を受けた以上はやり切るまでよ……で、本当に行くの?」
そういって彼女がちらりと一瞬だけ視線を向けたのは、普通の路地。
周囲の建物や構造物、店舗の位置、形状、並びによって巧妙に、そして
意図的に人の視線が集まらないようにされた細い道。
俺も彼女もその先に何があるかは知っている。
俺は知識として。彼女は実体験として。
「表だけ知っても、裏を知らなければ手落ちだろう。
なに、防御系装備はもちろん。ステルス系、暴徒鎮圧系装備も持ってきた。
手持ち型ばかりだが5、60人ぐらいなら撒けるし、黙らせられる」
「それ、半分は私にも貸しなさいね。
もうそこまでいくとどっかにカチコミに行く装備だから。
というか、これからはみ出し者の巣窟センターホールに行こうっていうのに
どうしてそうウキウキしていられるのやら……」
「なに、内容がなんであれ知らないことを知れるのは面白い。
出来なかったことが出来るようになるのもまた、だ。
その案内人が自称美女となれば余計に、だろう」
「余計なのは『自称』よ。
ここまで結構な数の男どもが私に振り返ったでしょうが」
「……そうだったのか? すまない、見てなかった」
「ぐっ、このっ!
い、一般を学びに来たのなら普通の人達をちゃんと見ておきなさいよ!」
ふむ。
正論ではあると思うが、しかしそれはおかしくないだろうか。
「君が隣にいるのに?」
「っっ!! あ、あんたねぇ!?」
「どうした? 俺はまた何か変なことを言ったのか? 教えてくれ、直そう」
「………………はぁ、素で言ってるから怖いわこいつ」
???
「なんでもない。そういう意味じゃないのはさすがにわかるし。
……案内は任せなさい、あなたの知らないモノをたんと見せてあげるわ」
「楽しみにしている。出来ればここまでと同じく、後から振り返って
家で研究でもしてた方がマシだった、と全く思わない体験を頼むよ」
「……へぇ、言うようになってきたじゃない。そっちが素?
まあでも、それこそこの私が隣にいるんだから当然でしょ。
それだけの価値があるに決まってるわ」
得意げなウインク笑顔の宣言に頷き、俺達は揃って進んだ。
ドーム型都市に生まれるほの暗い空間に繋がるその道へ。
一般的には目を背けたいような光景も、威圧的な空気感も、俺は感じる事は
できないがそこには確かに表にはないモノやヒトに溢れている場所だった。
だが少々興奮してしまって(裏の常識知らずも合わさって)案内人たる彼女に
多大な迷惑をかけてしまったのは正直申し訳なかったと思う。
しかし途中で彼女と因縁のある連中にからまれもしたのでイーブンだろう。
むしろ生まれて初めて追いかけっことかくれんぼという子供の遊びを
センターホール全体で味わうという体験ができたので一方的に得をしたと
言えるかもしれない。
口に出したら彼女に無言で頬を痛いほど引っ張られたが、なぜだ?
─────────────────────────────
──────────────────
────────────
─────
「─────といったような日々を約二週間ほど過ごしたらしい」
「…マジかよぉ」
誰かの昔話に少年は再び机に倒れ込むと疲れ切った声色でそう呟いた。
先程のが完全にしてやられたと悟ったがゆえの衝撃に倒れたものだとするなら、
これは察した事情をどう処理すべきか苦悩する疲弊感ゆえの昏倒であろう。
すごく、わかる。
とは大統領の胸中の言葉である。
この昔話を初めて聞いた際の自分と同じモノを感じてくれた少年にカークは
どこか同胞のような共感を覚えて無言で満足げにうんうんと頷いていた。
隣の補佐官は難しい顔で瞑目していたが。
「彼がよく出歩くようになったのはこの後からだから、
よっぽどこの時の経験が印象的であったんだろうね」
カークはあえて、これがどこの誰の話なのかを口にしていない。
だがこの場でそれを間違う人間は誰もいない。ましてや登場人物の片方を
『長耳のマゼンタ』だとは明言していた。少年の反応からそれで十全に
伝わったのは確実である。
「…………」
それはおそらく少年の斜め後ろで控えているメイドも同じであったのだろう。
ただ彼女の主を見る目にはどうしてか理解と呆れと僅かな非難の色が見えた。
「……ステラ、言いたいことがあるなら目じゃなくて口で語れ」
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。
とはいえ先ほど大統領閣下が旦那様は件の人物と気が合うかもしれないと
仰っていられたのを思い出し、なるほど、と思っただけです」
「ほう、あなたもどこか似通った部分を感じた、と?」
「はい、閣下。
まずお二人とも得意分野と不得意分野で極端な差があるご様子」
「お、おい?」
「特に日常におけるあれこれ。
この場合は個人的なコミュニケーションにおいて難がある所などが」
「うっ」
「ほう、具体的には?」
「話が数段飛ばしであったり、ズレた天然であったり、素直過ぎたりする所は
どこか似ていらっしゃるかと……常時ではなく時折そうなる部分が格段に」
「ぐっ」
「また、それゆえでしょうか。
無自覚に女性へ口説き文句をこぼして少なからずその気にさせてしまう所も」
「………」
「おやおや」
「他にも普段は落ち着いているのに不意に童心へ帰って一騒動を…」
「もういい! やめろ!」
叱責というより、もうやめてくださいお願いします、というような悲鳴の声に
メイドは素直に従って口を閉ざした。してやったりなすまし顔な辺り彼らの
日常的な関係はやはりこういう形なのだろうとカークの頬は少し緩む。
何せこの一連の流れで少年は起き上がらずにはいられなくなったのだから。
「コホンッ……話を戻していいでしょうか?」
「もちろん」
まだ羞恥からの赤みは残っているが咳払いと共に真剣な面差しを宿した顔を
見せてきたのでこちらも同じテイストの表情で向かい合う。
「もうほとんど結論から聞きますが。
つまりガレスト政府が彼女に秘密警護部隊をつけたのは長耳のマゼンタが
実母だったから、ではなかったという事ですか?」
やはり、当然のようにマスカレイド陣営はそれを把握していたか。
納得と呆れの感情を抱きながら大統領は建前として小さく首を振る。
「いや一応そちらも嘘ではない。裏の表向きの理由、というだけであってね。
何せ20年以上前のガレスト裏社会では知らぬ者のいない情報屋……いや、
情報専門の泥棒として大活躍だったらしいから」
その腕前から重宝もされていたが方々で恨みも買っていたのだ。
と暗に示せば皮肉たっぷりの声が返る。
「政府筋の人間も便利に使っていたと聞いてますよ」
それはお前らもだろう、と。
このすぐに調子を戻す辺りも似ていると感じる大統領だが、
あえて口にはせず乗っかる形で続けた。
「だからこそ娘を狙いかねない敵の多さが読めたのだろう。
何しろ肌色以外は母親の特徴を色濃く引き継いだ、あの目を惹く容姿だ。
関係性に気付く者が現れてもおかしくはない……しかも彼女を見るのは
二世界の全人類だろうからね」
「っ」
「だから8年前、正確には地球における異世界公開の半年ほど前。
判定装置の整備にやってきた博士は私にその事実を語って政府に実母の
素性を理由にモニカ嬢へ警護をつけてほしいと要請してきたのが真相となる」
「…ついに口にしやがったな」
分かっていたことだがと目で語る少年にカークは肩を竦める。
「おかしいと思ったんだ。
モニカの実母が明らかになった経緯がどこにも記述がないのに親子鑑定は
確信をもって行われていた。なのに父親、当時ガレストにいた地球人は
限られていたのに調査・追及が不自然に甘かった。
だからまだナニカあるとは思っていたが……」
出てきたのはとんでもない爆弾だった、と。
恨みがましい視線をこちらに向ける彼だが見当違いなのは分かったうえで、
だろう。確かにこれはとんでもなくアンフェアで、想定しえない真実だ。
マスカレイドですら把握できない秘匿された人物が父親でその本人からの
暴露によって判明したなんて。
「補足として話の裏付けが済んでいるのは報告させてもらいます。
ミス・マゼンタは当時既にマークされていたため動向は追跡されており、
博士も今ほど自身の隠蔽に注力していませんでしたからあちこちに痕跡が
残っていたので……尤も博士の実在とミス・マゼンタとの接触という事実を
知らなければ気付けない状態にはなってましたが」
「警護要請のタイミングがデビュー直前だったのは博士自身が娘の存在を
知ったのがその1年ほど前だったからだ。二週間ほどの逢瀬の後、二人が
直接会うことは無かったそうだが博士は大まかな動向は把握していたらしい。
密航で地球とガレストを1年単位で行き来する生活を彼女がしているのをね」
博士は当時奇妙さを感じたが彼女の自信家ぶりと地球食への傾倒っぷりを
間近で見ていたためそういうことだろうと納得していた。
して、しまった。
「…誰も自分を知らない場所で安全な出産を画策しつつ、そういう目的での
渡航だったと悟らせないために、ですか?」
「後から振り返れば、そういう意図だったんだろう。
博士も約9年前までそれに気付かなかった……ある時、彼女が依頼を受けても
いないのに地球で妙な行動を取ったのを知り、どういうことかと調べたら、
ある少女を守ろうとした形跡を見つけて…」
「それがモニカだった?」
「ああ、当時から目立つ容姿だったせいか悪質な連中に目をつけられたらしく
ミス・マゼンタが物理的に排除していた、ご丁寧に犯罪者同士の諍いに
見せかけて」
「博士は一目見てミス・マゼンタの娘さんだと分かったそうです。
そしてその年齢から誰が父親であるのかも瞬時に察したと。
さすがに動揺したらしく、確認と調査にあの博士が1年もかけてましたよ」
あるいはそれほど慎重に、丁寧に行ったという事でもあったのだろう。
カークは今もはっきり覚えていた。クオン博士が苦々しい顔で、彼女が危険な
密航をしてまで地球に向かった時点で気付くべきだったと後悔の言葉を
吐き捨てたのを。
「……これ知ってるのあと何人いるんだ? あの護衛の中尉殿はどこまで?」
「護衛チームには実母の詳細は伝えてあるが父親はどこかの要人である事しか
伝えていない。なのでご両親を除けば全容を知る者は私とオルバンくん、
おおっ、そういえば今しがた聞いたあなた方もそうなるな」
「おいこらてめえっ」
知ったからにはマスカレイド陣営もそれを踏まえて守れってか。
不遜な口調と視線が何よりも雄弁に、素直に、そう訴えていた。
これに大統領はポーカーフェイスで頷くだけ。
少年は頭痛をこらえるように頭を抱えた。
「はぁ…………まさかあのライブが世界が滅ぶかどうかの分水嶺だったとは」
「うん、後から聞いて私も血の気が引いたよ。まったく、考えたくもない。
二世界を跨ぐ秘密結社と超技術を有する博士の全面衝突なんて…」
それは何が引き起こされるか分からない二世界を巻き込む大災害でしかない。
その辺りは配慮してくれるマスカレイドがマシに思えるのだから大概だ。
尤も『蛇』ですらモニカの実親が誰かを把握していなかったという証左でも
ある。朗報だ、と思いたい。
「…そうか」
「ん?」
「あんたの目から見ても、博士はそれほどモニカを愛しているか」
彼女に何かあれば、その下手人どもを他の何をおいても滅ぼしかねないほどに。
「っ、今の誘導はずるくないかい。
いや“も”? ナカムラくんにもそう見えたと?」
「モニカを見る目が、優しさと親愛に満ちていた。
ついでに言えば隣にいる悪い虫を見る目が怖かった」
ソレを思い出したのか。この少年がなんとブルリと体を震わした。
「ふふ、恩あるキミ相手でそれなら博士も大概だねぇ」
「ハッ、道理で違和感は覚えても警戒心が湧かなかった訳だよ。
ってかしれっと父呼びさせるとは、なんつー微笑ましいセコさだ」
直に見たからこそ感じた何かがあったのだろう。
思い返す少年の顔にはそれこそ呆れに混じって優しいものがあった。
そんな顔をするほどだ。彼ならば博士自身が動けなかった理由は語るまでもなく
察しているのだろう。博士は自分が警護のプロではなく、素人が出張る危険性を
冷静に理解していた。また多少是正がされたといっても常識知らずの自分が介入
すれば己が超技術でやり過ぎることも。そうなれば彼女に何かあると匂わせ、
かえって危ないと判断したのだ。しかし一方でカークの目には結果として自らの
両親と同じく子を放置してしまった負い目と嫌悪感から今更父親面はできないと
自戒している心情が見えた気がした。
「私の所感となるが博士が彼女達への感情を自覚してるかは怪しい所ではある。
だがミス・マゼンタとモニカ嬢が特別であるのは事実だと思う。
キミは気付いているだろうけどさっきの昔話はその後の方が色々と濃くてね。
本題からズレるから端折った訳だが…」
「というと?」
「余程相性が良かったのだろう…………そこからは天然青年との交流に
絆されていく裏業界の女を描いたラブロマンス映画の脚本でも
聞かされてる気分になったよ」
「……ああ、それは、随分と砂糖たっぷりな」
どれほど、であったか察したのだろう。言葉と違い、顔が苦い。
何せカークにそう感じさせる語りをしたのは天然青年側なのだから。
「最終的にはこれも依頼の内だの、思い出作りだの、私で初体験しておけだの、
言い訳を重ねる彼女に押し倒された最後の夜の話まで真顔で語られたよ」
「おうふっ」
重大事実の暴露であり博士の技術力と影響力を考えれば真面目に今後を
考えなければならない事案であるのは頭ではカークも分かっていた。
が、自分は何を聞かされているのだろうか。とも思っていた。
そんな当時を思い出して同じように遠い目をしても誰も責められまい。
「お、お疲れ様でした」
察してくれた少年の気遣いが目に染みる。
しかしその背後で。
「やはり、その手で行くしか…」
真剣な顔で呟くメイドの発言は全員に聞こえていたが誰も反応しなかった。
変わらぬ少年の顔に浮かぶ冷や汗の量に何も言えなかった、が正しいが。
ただ立場ある者として、また大人として一応の確認。そしてある人物の名誉を
守る意味も含めて、彼に聞いておかねばならないことがあった。
「一般論として聞くけれど、ナカムラくんは避妊の知識あるよね?」
「っ…」
信頼通り察してくれた少年はその証拠に頬を引き攣らせていた。
二週間の日々でどの分野がどの程度無知であったかを把握されたのだろう。
かの泥棒は見事その情報を利用しまんまと遺伝子情報を盗んでいった訳だ。
「………三世界分のやり方を知ってますのでご心配なく……」
「良かったよ、キミは普通で。
博士の方はしてやられたこと自体は面白がっていたから」
「その感覚だけは分からなくもないのが……いや、そうじゃなくて!
あの、今後を考えれば知れて良かった情報だとは思います、が……」
「うん」
そうだね。
何を言いたいか分かるよ、という微笑みで続きを促す。
「これ、別の意味でも本人に絶対伝えられない話じゃねえか!!」
まったくだ。
若い時分に母が自らを身籠った経緯がこれであったと知ったら、
無言で部屋に閉じこもっていた自信があるカークであった。




