その、出会い(式典二日前)2
「…………ハっ!?
お、お前ら俺様を無視してんじゃねえ!!」
突然始まった親しい男女のそれを匂わせる空気感のいちゃつき。
ナンパを仕掛けた方からすれば意味不明の流れと態度で呆けてしまっても無理は
あるまい。
「そういえばいたわね、こいつ」
「なんだ、まだいたのか」
そこへ存在を忘れていたと共に──前者は本気、後者はわざと──告げてくる。
髪と獣耳を触らせている状態のままで。
煽り以外の何物でも無かった。
「っっ、ふざけんなっ! そっちの満点美人は百歩譲ってまだいいけどよ!
そっちの気の抜けた面した10点以下のガキ風情が調子に乗りやがって!
この俺様を相手にいい度胸してるじゃねえか!」
「っ」
「うむ、まさかの評価外からランクアップだな」
「…えぇ?」
やったね、点数もらえたよ。
いつのまにか髪の毛と獣耳から離れていた手がサムズアップしていた。
ついでに満面の笑みまで浮かべてモニカに微笑みかけてくる始末。
これに彼女は呆気にとられ、激しかけた感情が凪いでしまう。
「……そういうところよ」
攻撃的になりそうだった心を鎮められてしまって、恨みがましいジト目を
隣に向ける。当人に言われては立つ瀬がない、と。
そう、彼女はシンイチへの発言に怒っていたのだ。
モニカ・シャンタールは懐の深い人物である。
良くも悪くも様々な感情を向けられやすい有名人なためかアンチは必然的に
生じるものとして気にもしないし例え目の前で自分の歌を全否定されたとしても
『個人の感想』としか思えず彼女の感情を乱せない。剛の者だ。
されど、生来の性格か。育ての親の教育か。育った環境ゆえか。
内側に迎え入れた者への攻撃には沸点が低い。それこそシンイチを当然に
身内扱いしてる事実をスルーしているぐらいには彼女は冷静ではない。
これでもモニカは最初の侮辱は流したのだ。
よく聞いていなかったとも言えるが一応のチャンスでもあった。
初対面の相手に声をかけてきた度胸に対する敬意として。
けれど曲がりなりにも親密さを見せつけられた上でも侮辱する。
靡かなかった女への侮蔑なら負け惜しみとして聞くのが勝者の義務だろう。
けれど狙う女が笑顔で隣に置いてる人物へ攻撃するというならもはや宣戦布告。
だから───凪いだ程度で敵意は消えてない。
「おい! 聞いてんのっ…」
「ちょっと、静かにしてくれる?」
存外に─誰にとってか─攻撃的な冷たい声だった。
「私いま彼と楽しくおしゃべりしてたのよ、見えなかったわけ?」
「え、いやっ、そのぉ…」
サングラス越しでも分かる冷え冷えとした視線にも晒され、哀れナンパ男は
気圧されて腰が引け萎縮している。歌姫隣の少年はあちゃぁと額を押さえて、
だが我関さずの姿勢だ。
「まあ見えてないから考え無しにけなしたんでしょうね。
私とこの彼がどんな関係性かも分からないっていうのによくやるわ。
姉弟、友人、恋人、仲のいい男女の組み合わせならまずそこを考えるのが
普通でしょうにそんな関係かもしれない相手を目の前で侮辱しようなんて
とても理解も真似もできないけれど……ああ、それともあれかしら?
君は気軽に笑い合える相手を目の前で侮辱されて『あなた素敵だわ!』って
なるような頭おかしい女が好みなの? だったらごめんなさい、ご希望には
添えないのでどうぞあちらへ」
反論を許さず一息でまくしてたモニカは流れるようにその手で駅を示す。
偶然か意図的か。ご丁寧なことに隣接都市行きの列車が5分後に出発するという
アナウンスが案内モニターに大きく表示されていた。素直に受け取るのならば
『今すぐこのカラガルから消えてくれる?』という最上級クラスの『失せろ』
勧告であった。
「…………」
これに強気な様子だったナンパ男は唖然とした顔で固まっている。
ここまで強い拒絶は想定外だったのか。単純に女性からの圧に弱かったのか。
モニカはそこでもう彼への要件は終わりとばかりに視線を外した。
尤もその不機嫌顔はまだ言い足りないと書いてあったが。
「はぁ、血の気の多い歌姫様だな」
「これでも気を使った方よ、失礼ね。
だいたい何が10点以下よ、自分がそれ以下でしょうに。
堂々と声をかけてきた勇気を全力で褒めたたえても5点よ、5点!」
「そうかな、俺は30点ぐらいはあげたいところだけど」
「はあ!?
赤点は逃してあげようって? なによ、随分と優しいじゃない」
らしくもないと訝しげな眼を向ければシンイチは不思議そうな顔をしながら、
だって、と周囲を手で指し示すと当然のようにこう返した。
「これだけ人がいて、お前だぞ?」
その見る目だけは評価されてしかるべきだろう、と。
「─────っ、なっ、こっ、こいつっ!」
不意打ちを食らった。
そう自覚する衝撃にモニカは“その顔”をまた手で覆い隠す。
指の隙間、視界の隅からは真剣に首を傾げるシンイチがいてじつに憎らしい。
だってどう見てもそれは素の指摘で、他意の無い本音で、裏が無いのだ。
それに照れている自分がいて、手が外せない。
「ん?」
だから再び少年の表情に変化があったのを見逃す。
ただそこに剣呑さは無く、不思議そうなそれでナンパ男の背後を見ていた。
こちらを見据えながら近づいてくる女性の姿を捉えたからであったが、はて。
「…………っ、こ、このっ!
こいつらまた俺様を無視してイチャつきやがっ…」
「ムジ、カ? やっぱり……っ、あなた今までどこで何を!?」
彼の背後からどこかで見たような赤髪の女性が駆け寄る。
驚愕と安堵、それに少しの怒りが混ざった表情で。
「ああん? いま取り込みちゅ…げっ、リディカぁ!?!」
これに威嚇するようにがなり声をあげかけたナンパ男はどこかで聞いたような
名前を叫んで怯む。────はて、誰だったっけ?
「もうっ、何が『げっ、リディカ』よ!
半月も音信不通で、おかみさんにもメチャクチャ心配かけておいて!」
詰め寄った彼女の目は距離があっても潤んでいるのが分かった。
それは彼女の心配の程度を訴えているも同然。
「う、うるせえな!
いくら幼馴染で、ちょっと年上だからって毎回保護者ぶるんじゃねえっ!」
これに男も若干の動揺を見せるが荒々しい態度で突っぱねる。
体は女性から逃げるように腰が引けていたが。
「またそういうこと言う。
実際家族ぐるみの付き合いでいつも一緒だったから姉みたいなものじゃない」
「ふんっ、姉だなんて思ったことは一度もねえよ!」
「はぁ、思春期の男の子って難しいわねぇ。
昔はお姉ちゃんお姉ちゃんってトコトコ私についてきてくれたあの可愛い子は
どこに行っちゃったのかしら…」
「そ、そんな事実はねえっ、忘れろ!」
「嫌よ、全部大事な思い出なんだから。
あ、そうそう確か前も迷子になって大泣きしてたのを私が迎えに…」
「4歳の時の話なっ、ってだから忘れろ!!」
「他にも…」
「やめろ!」
年上の余裕か。こういった態度に慣れているのか。
ナンパ男の噛みつきを二十代前半と思しき赤髪女性は年齢的な通過儀礼だという
扱いではいはいと受け流しながら昔話を掘り返して──無自覚に──追い込む。
「ははん、そういう…」
「…こじらす訳だ」
まさかのナンパ男の知り合い女性の介入。
という事態に目を瞬かせていたベンチ組はそのやり取りに察するものがあって
視線の温度を生暖かいものへと変えていく。
「ん、あら、そういえばそこの人達と何か話をしてたみたいだけど……」
そんな視線に気付いたのか。
たまたまそのタイミングで存在を思い出したのか。
窺う視線と声には不思議そうな色合いが混ざって───驚きに見開かれる。
「あ───ガレっ……あの時の生徒さん?」
「は?」
何かを口に仕掛けたのを自らの手で止め、周囲を確認。
その後シンイチをまっすぐに見据えながら言い直した彼女。
これに少年は少し対応に迷う。この反応はガレスト学園の、という事実を
理解してのことだろう。騒ぎにならぬようあえて伏せたのは明白。
何せオークライ外でも既に学園生徒達の活躍は大々的に報道されている。
この人混みでその話題のガレスト学園の関係者と知れたら大騒ぎだろう。
その気遣いには感謝するが抜け出してきている手前、素直に認めていいのか。
そして何故この女性がそれを知っているのか。シンイチは覚えが無かった。
「どこかでお会いしましたか?」
そんな一瞬の迷いは一瞬で追いやって真っ当に問う。
どうして気付かれたのかを知る方が有益と判断したのだ。
認めることで発生するかもしれない面倒より謎の理由で勘付かれる方が
怖かったのである。それでも否定も肯定もしないまま逆に問い返しているのは
シンイチのいつもの手口であった。
尤も。
「え、あっ、私服じゃ分かりませんよね。
もう半月ぐらい前になりますが、シーブの牧場であなたが騎乗したゴラドを受け取った飼育員です」
「え………ぁ、ああぁっ!」
幾重もの警戒や不穏な予想を裏切って、真実はかなり平和なものだった。
「え、うそ、普通あの存在感を忘れる?」
隣からは信じられないと自らの胸元で、目の前の誰かのサイズ感を表すように
手を動かす第三者。当人を前になんてはしたない、という常識的なツッコミは
飲み込んで小さく首を振る。
「その後が色々大変だったんだよ」
「ぁ、ですよねー」
「そっか、そうよね」
シンイチとしては小さく呟いたつもりであったが思ったより重たい声が出た。
それも疲れを含んだものが零れたせいか女性陣は察して頷く。実際には彼女達が
想定しているコト以上の事態に連続で対応しているのだが、自分への気遣いや
労りの空気が苦手なシンイチは慌てたように話題を変える。
「そ、そういえばあの肉っ、じゃない。
29号のゴラド、元気してますか? 体調崩したりしてません?」
ついでとばかりに少し気になっていた点を問いかける形で。
無理をさせてはないが恐れる相手を背に乗せて走り続けた彼(?)の精神的な
負担は心配だったのだ。ただリディカはそれを何故か嬉しそうに受け止め、
満面の笑みで問題ないと首を振る。
「いえいえ、元気ですよ!
のんびり屋なのは変わらないですけど、あれだけ臆病だった子が何が起きても
どっしり構えて動じないようになっちゃって……おかげで変な貫禄が出たのか
雌達に急にモテだしたんですけど、でもそれにはすごく狼狽えてるものだから
なんかおかしくて!」
「それはまた……おめでとうなのかご愁傷様なのか迷いますね」
「あははっ、うん確かに!」
にこやかで平和で、他二名には意味の分からない談笑。
これに見守るような微笑を浮かべたのがモニカで、正直に面白くないと不満げ
なのがムジカであった。だが、
「あ、そういえばどうしてムジカと?」
この質問に青ざめたのがムジカで面白そうだと笑ったのがモニカであった。
ムジカは必死に首を振る。やめろ、言うな、と訴えているように感じたのは
どちらかの勘違いではないだろう。ゆえに。
「不快な言葉でナンパされていた所です」
「え?」
「おいっ!?」
にこやかな顔をしたモニカに何の躊躇もなく暴露された。
シンイチは武士の情けだと沈黙を守っているが、それ以上は何もしないという
消極的な情けでもあった。いや、だってどっちの味方かといえばこっちだし。
「せっかく、大切な彼とのおしゃべりを楽しんでたのに…」
ねえ、といわんばかりに肩を抱かれても口を閉ざしたままであったがどうとでも
受け取れる曖昧な微笑みを浮かべるだけで彼は一切否定しなかった。
どうやらまだへこませ足りないらしい。よく、やる。
「もっ、申し訳ありません!
こらムジカ! そりゃ確かにお近づきになりたいぐらい美人さんだけど!
恋人さんと一緒にいる女性を口説こうなんてっ、本当にこの子は!
少しは考えて行動しなさいっていつも言ってるでしょ!」
「はぁ!? よく見ろ! こいつらのどこが恋人同士だよ!
男の方は完全にとぼけた面のガキじゃねえか! 歳の差考えろ!」
「こら、さりげなく人様の顔を悪く言わないの!
それにこれぐらいの年齢差なんて別に普通でしょう?
ムジカのご両親だって似たような歳の差なんだから」
「そ、そりゃそうだが……よりにもよってお前がそれ言うのかよ…」
「?」
何故そこを気にするのか分からないという顔の年上幼馴染。
これに僅かな歳の差で弟扱いの年下ナンパ男が何やら複雑な顔で唸る。
そんな色々と窺える光景に肩を震わす歌姫と乾いた笑みをこぼす少年であった。
「よく分からないけど……悪口も子供扱いも謝りなさい。
あなたが貶めていい相手じゃないのよ、彼は」
「はぁ!? なんだそりゃ!
俺がこんなガキに劣ってるっていいたいのかよ!?」
「まーたそういう……優劣じゃなくて私は上から目線やめなさいって言ったの。
いい? この人はガレスト学園の生徒さんなの、つまり、わかるでしょ?」
「ああん? それって地球にあるっていう交流学校だろ?
あそこの生徒だからってなんだってんだよ?」
「へ?」
これで伝わると思った言葉をそれがどうしたと受け取られて彼女が停止する。
「な、何って……あの学園の生徒さんたちだよ?
オークライでたくさんの人を守って救って大活躍した人達だよ!?」
「おーくらい……?
あぁ、確かそんな名前の都市があったっけ……なんかあったのか?」
「…………ぅえええぇぇっ!?!」
何を言っているのか分からない。
そんなことが書かれた顔で弟分の発言を理解しきるまで数秒。後に絶叫。
直前に黒髪少年が自分達を囲む形で人避け結界(弱)を張り直していなければ
注目の的となっていただろう。
「うそでしょ?」
「…………」
その内側の残り二名。
モニカが驚愕と呆れが混ざった表情を浮かべるのを余所に
シンイチは訝しげな顔で静かに目を細め───隠れて小さく指を鳴らす。
「お、おいリディカ!? どうした!?」
ほぼ同じタイミングで慌てるムジカの声が響く。
彼女が目の前でへなへなと力尽きたように崩れ落ちたからだ。
「何よそれ……ムジカがニュースとか見ない子なのは知ってたけど。
だとしても限度があるでしょう? ガレスト中を騒がした大事件よ?
だからおかみさんや私だって……っ、どれだけ心配したとっ!」
怒りなのか嘆きなのか。
本人ですら分かってないのか全部が織り交ぜられた顔で彼女は弟分を睨む。
ただ本当に何があったのか知らない様子の彼はあたふたしながらも、世間を
騒がすナニカがあったのだけは察したのだろう。言い訳を口にした。
「うっ、その、えっと……じ、じつは、そうっ、バイト!
バイトしてたんだよ、泊りがけで十日ぐらいずっと!」
「はぁ? あなたが、バイトぉ?」
「意外そうな顔すんな! 単に手持ちの金がなくなったからだよ!
チームのせんぱっ、いやダチに短期バイト紹介してもらって、そこで寝床とか
食事とか用意してもらう代わりに機密だかなんだかで外と連絡しないように
言われてフォスタ預けてて、まあそれで……」
「それで連絡もつかなかった、オークライの事件を知らなかった、って?
ねえ、そこ本当に真っ当なバイト先? 変なことさせられてない?
いくらあなたが悪ぶった振る舞いに憧れる年頃といっても…」
「あ、憧れてねえよ! 俺に合ってる姿を追求しただけだ!
見ろよ、実際イケてるだろ、コレ!」
図星への誤魔化しか。本気の自慢か。
後半にこにこ笑顔で纏う黒い皮(風)ジャケットで胸を張るムジカ。
似合っているか否かは個々人の好みとセンスであるため誰も何も言わないが
本人の態度と振る舞いが盛大に衣服の良さを殺しているというのが全員の正直な
感想であった。
「………はあ」
まったくこの子は変なものに憧れて。
とでも言いたげな溜め息と共に自分で立ち上がった彼女は弟分に詰め寄る。
「で、肝心の仕事内容は?」
「お、おう…ちょ、ちょっとした新商品や試作品のテストって奴だ。
それも思いつく限り乱暴に扱って、どこまでやったら壊れるかとか。
変な挙動しないかの確認だったな」
「耐久テストや動作テストってこと?
マシンに任せると一辺倒だから最後は人間ってのは聞くけど…」
「あぁ、それでなんかもういっそ好きに壊してくれって感じでバイト仲間と
一緒にメチャクチャやってたらなんか楽しくなって、話も妙に合ってさ!
休憩時間や夜中とかも盛り上がって結局今朝までずっとそこで……」
「…なんか引っ掛かるけど、そのバイトは終わったのよね?」
「あ、ああ、ちゃんと金も支払われたし、なんだったらこのジャケットも
バイト代に上乗せだってくれたんだぜ! 気前いいよな!
センスもいいし、なあイカしてるだろ?
正直に褒めてくれてもいいん、だ……ぜ?」
よほどそれが気に入っていたのだろう。バイト先のロゴらしき烏のシンボルが
描かれたジャケットを再度自慢するがリディカの目はとてつもなく冷めていた。
外したらしいと察した彼はすぐに口を閉ざして、冷や汗を流し始めたが。
「………いつも通りのムジカで安心したというべきか。
それとも情けなさ過ぎて涙も出ないというべきか」
溜め息さえ紛れない一定の温度を保った抑揚のない発言。
人懐っこさと温和な空気を纏っていた彼女からそれらが完全に消えていた。
それは怒鳴り声より恐ろしいナニカを含んでおり、ムジカの腰は引けている。
「詳しい話は後にしましょう。
とりあえずカラガルの牧場いくわよ、今そこでお世話になってるから」
「え、リディカお前、うちクビになったのか!?
母ちゃっ、いや、あのクソババア何してんだよ!!」
「っ、んなわけないでしょ! ムジカじゃあるまいし!
事件の影響で全国のゴラド配備数が調整されてるの、それでうちの子達も
何頭かカラガルに送ることになって、私がその責任者になったのよ!
今は新しい環境に慣れさせている最中で、たまたまお昼も兼ねた休憩時間に
街を歩いてたら、あんたと遭遇したってわけ……わかった?」
「は、はいっ」
考え無しの発言に本当にイラついているのだと表情と声で訴えるリディカに
弟分は怯えを隠せもせずに頷いた。
「ふぅ……覚悟しなさいよ?
どれだけの大事件だったか。どれだけおかみさんたちが心配してたか。
あなたが半ば遊んでた間のこと、足が棒になるまで説明してあげる」
しかもどうやらそれでいらぬ怒りを──余計に──買ったらしい。
あまりにも眩しくも美しい笑顔で告げられる座らせない宣言と長説教の決定。
納得顔のモニカと複雑な顔のシンイチは各々違う視点ながら完全に観客気分。
「い、いや、待て! だから俺バイトしてたって…」
「内容が遊んでたのとたいして変わらないでしょうが。
自称気の合う友達と暴れて物を壊す……なんか前にもあったわね。
違うのは持ち主の許可があったかなかったかぐらいで」
「あ、あれはちょっとした手違…」
「身内にしか通じない言い訳は聞き飽きたわよ。
ともかくまずは通信でいいからおかみさんに無事を知らせて顔見せる!
仲立ちは私がするわ。どうせムジカは無駄に突っ張ってアホなこと言うし、
おかみさんはあれで素直じゃないからケンカになっちゃうでしょうから…」
「む、むだに……アホ……」
彼女の提案はこじれるだけの親子衝突を避けようという親切心からなのだが
ムジカには容赦のない評価だけが耳に残り、その衝撃に呆然とふらついている。
気付かぬリディカはここからが本題だと殊更その声を整えた。
ここまでの静かだが苛立ちと怒りが感じられる声から、
相手に反感を抱かせない柔らかなそれに。
「そうした後は……シーブに戻って牧場を手伝ってあげてほしいの」
「……え? て、手伝う? 俺が?」
「ええ……元々人手不足だった所にこの事態。
シーブで世話する数は減ったけど、それ以上に世話する人が減っちゃって
正直通常業務も怪しいのよ。どこもかしこも同じだから応援も頼めないし。
少しでも知識や経験のある人間が必要なの」
「あ、あのな、俺には資格もないし特に勉強もしてねえんだぞ?」
それで何が手伝えるというのかと懐疑的で、不貞腐れたような態度ながら
己への自信の無さを垣間見せる彼に大丈夫と彼女はにんまりと笑いかける。
「小さい時からおかみさん達の仕事は見てきたし、昔は手伝いもしてた。
しかも身内だから面倒な手続きや審査もいらない。
何なら今一番に欲しい人材よ」
「ん、んん……だがよ」
「難しく考えなくていいのよ。
手伝って即これからは家を継ぐように頑張れ、なんて話にはならないから」
「べ、別にそこは心配してねえよ」
「そんな不安げな顔で言ってもねぇ……もうっ、安心しなさい!」
「痛っ、馬鹿力なんだから叩くな!」
弟分の不安を弾き飛ばさんと非難も気にせず背中を叩くリディカ。
尤もその当人がそんな気安い接触に満更でもなさそうで表情は軟化していた。
「こっちだってほぼ素人のあなたに大事な所は任せないわよ。
期待も責任も無いんだから楽勝よ、楽勝!」
「ッ」
「あ」
「あら」
一瞬の幻想だったとばかりにその顔はすぐさま強張ったが。
「え、ムジカ?」
叩きつけられた手を払うように体の向きを変えた彼は無言で雑踏へと足を進めた。
「ちょ、ちょっと待って! 牧場はそっちじゃ…」
「行かねえ」
「え!?」
「ババアへの連絡ならリディカが勝手にすればいいだろ。
カラガルにはいてやるから放っておいてくれ………結局、お前も俺なんていらねえんだ」
憎しみさえ込めた視線と共に吐き捨てられた言葉に呆然と固まってしまった
リディカは人波に消えていく弟分をただただ見送ってしまう。
「あっ、こ、こら待ちなさっ」
「───お姉さんストップ」
再起動した頭で、勝手なことを、と憤慨した頭に少年の声が届く。
それはとても柔らかな声で威圧感など欠片も無かったのに不思議とリディカは
疑問なく従ってしまい足が止まる。
「追いかけるつもりなら少しアドバイス。
今の調子で、お姉さんが言い含めようとするなら逆効果だから」
「え?」
「お姉さんのそれは正論ではあるし、今のも気楽にやれってだけの話なのは
第三者にも分かるけど、彼には否定の言葉に聞こえてたんじゃないかな」
「こじらせた被害妄想ではあるけれど、難しいのよね」
「ま、だからとりあえず全部聞き出してみるといいよ。
これまで何に悩んで、どうしようと思って、何をしてきたかを。
…形だけの演技でいいからさっきのは私が悪かった的に詰め寄ってさ」
「あなたに対する反応からして十中八九、狼狽えて話し出すと思うわ。
たぶん、というか絶対くだらない悩みと見当違いの頑張りの話が
飛び出してくるだろうけど、そこで否定的な反応しちゃダメよ?」
「面倒くさいだろうけど、彼との関りをやめる気がないなら受け止めてあげて。
それが彼なりの大人への道だと思うから」
「大人への、道?」
「うん、身近な大切な人に子ども扱いされまいと必死になって背伸びする。
そんなまさに子供な行動を積み重ねないと大人になれない奴もいるんだ」
活躍はともかく、年齢的には子供であるはずの少年の言葉にリディカはだが、
それを笑う気も否定する気も起きなかった。どこまでも本気でこちらを真剣に
考えての助言であると感じれたからか。あるいは───。
「…そこで変な失敗するとほの暗い道一直線になりがちだけどね」
「おい、やめろ」
隣からの遠慮のない茶化しに縁起でもないとたしなめる少年。
ごめんごめんと形だけ謝る美女であるがまるで悪びれてはいない。
リディカはそんな気安いやり取りをする光景を、どこか懐かしく感じた。
だからこそそれを無くしたくないと自然に思えて、その顔と心に活力が宿る。
「ありがとうございます!
なんだかんだ言っても大事な幼馴染です。私、やってみます!」
一度感謝のお辞儀をして彼女はムジカを追うように走り去っていった。
二人は手を振りながらそれを目で追いかけ、見えなくなるとそっと下ろす。
「────そっかぁ、身近な大切な人からの子供扱いは嫌なんだぁ」
「………」
途端に隣からからかいを多分に含んだイタズラな声が投げかけられた。
シンイチがちらりと視線だけを向ければいかにも“お姉さんは分かってる”と
でも言いたげな嫌な笑顔で頷くうざったい女がいた。
「…一般論だ、一般論」
「うんうん、だから君にも当てはまるってことでしょ?」
「ぐっ……悪かったな、プライドだけ高い男の子で!」
「ふふ、大丈夫よ。私はあなたを子供だなんて思ってないから」
「はいはい、ありがとうございますよ。モニカお姉ちゃん」
「天邪鬼ねぇ、そこは大人な返しをする所よシンイチさん」
わざとそんな皮肉混じりの呼び方をして、一瞬の間を置いて笑い合う。
互いにしっくりこない呼称であると分かったからだろう。それゆえか
ここから自然と呼び捨ての仲になるのだが、今はまた別の話。
「ふふふ……あ、けど、共感した、というだけじゃないでしょ。
半ば無視してたのに急にお節介焼いたけど、なにかあった?」
「変に勘がいいな、お前。
まあ別にたいした話じゃない。ちょっとした打算と保険だよ。
いま探してる連中の尻尾の毛先ぐらいには関わってそうだったから」
「ふーん、よくわかんないけど、うん。
つまりオークライでも頑張っちゃったんだ、私の時みたいに」
「………」
疲れた顔をしてる訳よね、と彼の顔を覗き込むモニカの笑みは暖かだ。
純粋な称賛と労りを込めた慈しみの視線が、面映くてシンイチは直視できない。
反応が分かりやすいと彼女はその屈託ない笑みを深めるだけであったが。
「─────まいったね、これほど眩しく映るものか」
「へ?」
そこへ、邪魔するのが忍びない、といった雰囲気ながら割り込んだ声が一つ。
紳士的な笑みを湛えた中年と思わしき長身男性が一人、どこか感慨深そうに
こちらを穏やかな瞳で見詰めていた。




