式典の裏で3
大統領の弱音とも静かな憤怒ともとれる言葉に少年は一度目を丸めたが、
すぐに、さて、と我関さずとばかりに穏やかな微笑を浮かべてこう返した。
「その何某とどのようなやり取りがあったかは存じませんが、交渉とは互いの
勝利条件をすり合わせる戦いと考えます────ならば、引き分けでは?」
「……は?」
今度はカークが目を丸めた。
最初は意味を受け取りきれず、理解が染みてからはそう受け取るのか、と。
騙し騙され、利用されしては交渉の華。博士何某がなんらかの後ろめたい目的を
達成したのなら政府は政府でその助力により計画を成功させて地球側のさらなる
支持と友好を引き出した。それはきっと互いにあった勝利条件。
共に狙いを叶えたというのなら、なるほど、確かに引き分けであろう。
「くっ、くはははっ! 引き分け、そうか引き分けか!」
「大統領?」
「だってそうだろうオルバンくん?
してやられたのは確かだが、こっちの狙いは達成できた。
引き分け大いに結構だともっ……ならば、次は勝つ」
それだけだ。
断言するカークの顔には闘志を燃やす獰猛な笑みが浮かぶ。
騙されてしまった敗北感から沈んでいた心持ちは完全に引き上がっていた。
『引き分け』という的確なのかズレているのか。慰めなのか侮辱なのか。
微妙な表現がどうしてかカークの胸には一番しっくりきてしまったのだ。
ただ。
「ま、それで手に入れたヒトの分布図で今回の地下施設に気付かなかったのは
正直どうかと思いますがねぇ」
そんな高揚感は、齎してくれた当人からの冷や水で消されてしまうのだが。
ここに元帥がいれば「本当に小憎らしい小僧じゃな」などと呟いただろう。
「っ、や、やっぱり気付いたかい?」
尤もそれはすなわち少年の指摘が当たっているからでもある。
「それはそうでしょう。というより隠すつもりも無かったのでは?
地球側への友好アピールだけにしては規模が大き過ぎますから」
「まったくだよ、最終的な数字を見た時は誤表示を疑ったほどさ」
地球よりは狭くとも巨大な大陸と呼べるガレスト全体を一度に走査し、
地球人の位置と数を把握しようというのだ。必要なエネルギーや予算は莫大だ。
正式な地球人移住者や旅行者への一時的な行動制限やそれに伴う損失や混乱への
補填まで含めればリターンが友好だけではつり合いが取れないどころか大赤字。
ならばどこでその負債を補うか。対面の少年は答えが見えているらしく、その
濃褐色の瞳には「よくやる」とでも言いたげな呆れが宿っていた。
「それでもやる価値はあると判断し、実行した訳でしょう?」
「おっとヤブヘビだったか。
とはいえ一応地球側とは暗黙の了解という感じなのだよ。
むしろ大々的な宣伝をして『どこに地球人がいるか把握するので困る者は
さっさとどかしておいたら?』という裏の親切心もあったぐらいさ」
それでも大統領は笑って、むしろそんな暴露が易々と出来るぐらいには
“皆が分かっている”話なのであるとアピールする。今更この程度で隠し事を
したなどと少年らに思われて心証を悪くされたくなかったのもあったが。
「…出身世界を誤魔化してた諜報員達は大慌てだったでしょうね。
しかも地球側としては否を言えない理由なのでお手上げだ」
「おかげで怪しい人物たちにマークをつけられたし、変な場所で集まってた
連中を発見したらテロ集団だったからついでの大量逮捕で助かった、なんて
話もあったぐらいだ」
「ついで、ねえ。
さしあたり真の狙いはガレスト全体の人の分布。どこに、どの人種が、何人
いるのかの把握……ドーム都市群世界ゆえの隙間の広さは厄介ですか?」
「……ナカムラくん、キミ本当についこないだ帰ってきた人なのかな?」
ガレストという世界を知ってまだ三か月ほどだというのにこの理解。
思わず本音も漏れるというものだ。無論、人間の位置情報を世界単位で走査する
事業における未帰還者捜索以外のメリットをと考えればその実態調査がいずれ
浮かび上がるだろう。だが理由にガレスト特有の問題まで指摘されればこちらは
唸るしかない。
「案外そういうのは外部や初見の方が気付くものですよ大統領」
「そうか、覚えておこう。
実際その通りで手を焼いていたんだ……シティ・アウトサイダー達に」
「…都市から外れた者達?」
聞き慣れないだろう単語に眉を寄せた少年に頷きと共に説明する。
「ガレストが昔から抱えている社会問題の一つさ。
都市外の無法さを利用する者達やあえて都市の外に出て行った者達の総称でもある」
ガレストは点在するドーム型都市を地下鉄で繋いで構成された社会。
無理をすれば陸路、大隊レベルの護衛があれば空路もあるにはあるが余程の
事情でも無ければ現代では選択肢にも上がらない繋がりだ。それもこれも輝獣
という際限のない驚異があるためだがそれゆえに政府の目が行き届いていない
空白地帯がじつに広い。そしてそのような場所は勝手に利用されがちだ。
個人的な事情で都市での生活を捨てた者達の出奔先となる程度ならば政府として
推奨は出来ず、救いの手も伸ばせないが目くじらを立てるほどではない。
だが多くはテロや非合法な組織の拠点、あるいは不法滞在者や都市外に逃亡した
犯罪者達の潜伏先に利用されている。
当然捜査や検挙の対象ではあるが都市外であるため対処に必要な人員は内側とは
比べ物にならないほど多くなる。そしてそれだけの数を動かそうとすれば
確固とした証拠や証言が必要だ。しかしすべての優先順位は都市そのものか
内部の治安や安全の方が上なのだから確証のない案件、さらに都市外部には人を
割けない。都市外であるため調査に数がいるのに数を動かすためには先に調査が
必須という堂々巡り。長年もの間彼らの全体数の推測すらできない原因だ。
『未帰還者一斉探査計画』とはそんな大義名分でシティ・アウトサイダー達の
実態把握を狙ったものでもあった。
「放置するのも手を出すのも色々問題が多くてね。
発案者の偽博士もじつはそちらの方を主目的に語っていたほどだ。
それで説得できると見抜かれてしまっていたという話でもあるが」
都市外調査の取っ掛かりとしてこの計画は魅力的だったのだ。
位置と数の情報を危険を冒さず、人を動かさずに入手できるのは大きい。
今となってはうまい餌に釣られてしまった感が否めないが。
「なるほど…」
納得したように頷いた少年に頷き返しかけたカークは怖気を覚えて固まる。
「それで外ばかり注視した結果が地下施設の見逃しですか?」
「っっ!?」
それは先程の似た発言と比べて、鳥肌が立つほど温度が違った。
殺意にも似た圧と底冷えする視線に百戦錬磨の大統領も息が詰まる。
「っ……い、いえっ、その点は弁解させてください!」
怯んだカークに代わり、慌てて声をあげたのは背後の若き補佐官。
ナカムラ少年の声自体は穏やかで表情もにこやかなそれなのに目に剣呑さが
宿ったのを補佐官は見逃さなかったのだ。ここで誤解されるとまずい、という
本能的な判断である。
「聞きましょう」
「こ、今回の事件があって我々もデータの洗い直しをしました。
しかし記録の上ではオークライ地下に人の反応は見受けられません。
一方で捕らえた地下施設の人員からはその時期に施設にいたという証言が
得られています」
「…そういえば『死体が見つかったという博士』を騙った誰かさんが計画の
中心人物だったのでしたね。転移拉致に関わっていたのなら事前対策や
データ改竄は難しくない訳ですか」
「はい、施設に関してはまだ調査結果が出ていませんがデータに関しては僅かに
改竄された痕跡が発見できました……最低でも偽のクルフォード博士があの
施設を意図的に隠したのは確実かと」
「……そういうことですか」
説明と情報提供に納得してくれたのか。
少年は少し、意図的な様子で長く息を吐き出すと寸前まであった威圧感を
嘘のように霧散させた。
「失礼。
事前に対応できたのではと思ってしまって、つい」
「い、いや被害者側に立つ者としては当然の反応だろう」
「ご理解感謝します」
──少年一人でも恫喝できるじゃないか
そう思うほどの圧迫感で、カークは一瞬呼吸さえ出来なくなっていた。
内心の冷や汗をそれでも必死に形作った外向けの笑顔で隠せたのはさすが一つの
世界を背負う大統領である。
「しかしそうなるとより気になってくる点があります」
「疑問は遠慮なく聞いてくれ。
キミ達と我々の間に認識や知識の違いがあるのは当然なのだから」
では、と一息の間を置いてナカムラ少年は大統領達を鋭い視線で見据えた。
「そもそもの本物。
クオン・クルフォード氏になる人物を私は寡聞にして存じ上げません。
フォスタを使ったネット検索でもそれらしき人物がヒットしませんし、
『未帰還者一斉探査計画』に関わる者達の中にもその名は見当たらない」
どういうことだと視線で詰問してくるそれにカークは目を瞬かせたが、すぐに
苦笑で応じる。直前にした自分の発言がまるで予言かという的中を見せたのだ。
笑いもしよう。それが指し示す意味も合わせて、だが。
「これは申し訳ない。故あって世間には隠している人物だが、私達にとっては
当然に近い存在だったのもあって、あのマスカレイドなら既にいくらかは
認知してるだろうと説明を省いてしまったな」
「……さて、そういった一部の業界の暗黙の了解的な情報はそもそも把握が
難しいというのもありますが、マスカレイドが知ってる情報を自分が全て
把握しているわけでもありませんので」
「道理だね」
遠回しに、マスカレイドも知らなかったかは分からない、という少年にカークは
頷いて見せるが発言者当人が苦しい言い訳であると分かっているのだと見る。
そもそも『未帰還者一斉探査計画』を話題にしてきたのは彼らだ。事前に何も
調べていなかったと考える方がおかしい。だが知っていたのならナカムラ少年に
教えないのもおかしい。
つまりクオン・クルフォードを彼らは見つけられなかった。
博士の存在は確かに隠されている。かなりの厳重且つ規格外の方法でもって。
だが今まであらゆる情報を手に入れてきたあの魔人が存在さえ気付かなかったと
なればこれはマスカレイドの情報収集能力の穴を示す情報か。
「となれば、彼についてどこから説明すべきか……ふむ」
これは後で分析させる必要があると考えながらも今は脇に置く。
博士の隠し方を思えばそれは穴の影が見えた程度の可能性に過ぎないのだから。
「僭越ながら、大統領」
「なんだいオルバンくん?」
「ここは博士を隠すに至った事情やそれが可能だった理由を中心に説明した方が
ナカムラ殿の疑問を解きつつ、博士の人となりや実績、経歴を誤解なく、
開示できるかと」
背後からの助言に頷く。
この場合の『誤解』は情報の不誠実な隠蔽という意味であると察したからだ。
どんな人物でどうして知られていないかの理由はある意味で単純なのだが、
それに至る過程を省くと後々マスカレイド側の不信を招くかもしれない。
全ての始まりは政府側の落ち度にあるのだから。
「自分もそれで構いません。
クオン・クルフォード氏が、どうして、どのように、隠されていたか分かれば
誰ならば彼を知っており誰ならば入れ替われるかを考えやすくなりますので」
既にそちらで行っているでしょうが、と前置きしながらの言葉へ頷く。
こちらとしてもマスカレイド側による調査をしてもらえるなら有り難い。
「では、そうさせてもらおう。
大まかにその事情や理由というのは三つあるんだが、この二つ目と三つ目は
ある種とても分かりやすい理由でね、まずそちらから説明させてくれ」
「…分かりました」
あからさまに一つ目。何らかの始まりといえる部分を露骨に後回しにしたのを
一瞬訝しんだような少年であったがすぐに意図があるのだろうと頷く。
単純にここでごねても時間の無駄と思っただけかもしれないが。
「ありがとう。
さて、その二つ目の事情だが、単純といえば単純な話なんだ。
ズバリ! 博士の能力や実績があまりに多過ぎたせいだ」
「…優秀過ぎたから隠した、と?
そういえば聞いていませんでしたが博士は何の分野における博士なのですか?」
「まさにそこだよ、問題だったのは……何せ、全部だ」
「は?」
「広義における自然科学、その範疇にあるものすべてで博士と言える。
ガレスト独自の次元空間学やらフォトンエネルギー工学なども含めて」
意味を理解したのだろう、驚きと怪訝が混ざった顔を浮かべる少年。
だろうね、と大統領自身も口にしながら苦笑を浮かべていたほどだ。
なんていう嘘くさい、誇張にしか聞こえない内容なのは彼もまた百も承知。
だが、これが本当なのだから笑えない。
「天才、などという言葉では軽すぎる才能の塊。
一を聞いて百や二百を知る超人じみた頭脳の持ち主だったらしい。
幼少期からまさに神童で、政府が早々に彼を囲うぐらいだ」
「それ問題無かったんですか? 周囲とか家族とか」
「一つ目の事情で元々政府の管理下にいたんだよ。
普通、いや例え天才であっても一般的な範疇ならその後開放されてどこかで
一市民として生きるはずだったが、幸か不幸か彼は超絶的な大天才だった」
「人道的には大問題なのですが結果的には間違った判断とは言えなくなるほどに
博士は次々と成果をあげていきました。新技術を生み出し、新たな理論を
構築し、様々な謎の解明や数々の新発見まで、さらには既存テクノロジーの
ブラッシュアップも……嘘みたいでしょうが事実なのです」
「具体例は、そうだな。
まずキミも使っているフォスタだが地球で独自進歩していた携帯端末と
こちらの兵装端末の融合を果たしたそれも基礎となった最初の設計と
プログラムは博士の手によるものだ」
「また『未帰還者一斉探査計画』の骨子たる生来素粒子、つまりは
生命体が持つ誕生世界を示す特殊素粒子の発見も博士です」
「あとはキミたちが空港で通ってきたディメンジョンゲートもあの大きさまで
ダウンサイジングしたのは博士だ。前は小さな街ほどのサイズというか
途方もなく場所を取る代物だったんだから、すごいよね」
「……それも博士だ、ってか?」
盛り過ぎだろう、と何事かを呟いた少年は本当に多過ぎる功績を耳にして
頭痛を訴えるかのように額を抑えた。これに大統領と補佐官はどこか同感だと
暖かな視線を送る。自分達もこれを初めて知った時は似たような状態になった。
何せ全てジャンルが違う。フォスタは機械工学とプログラミングに付け加え、
異なる世界の道具の融合には双方への造詣の深さが必要となる。
生来素粒子は生物と素粒子に関する分野に精通してなければ難しいだろう。
ディメンジョンゲートは完成品があったとはいえその縮小化だ。次元空間に
関するあらかたの知識や技術無しには実現不可能である。
これを一人の人間がやったというのはあまりに荒唐無稽。
それこそカークはクオン・クルフォードという名前の科学者・技術者集団を
政府が囲っているのではないかと疑ったが、じつに正常な邪推であろう。
「ああ、そうそうあれも博士なんだよ」
少年の顔がそんな時期の自分と重なって見えてカークはイタズラ心を刺激され、
満面の笑みを浮かべ──少年は頬を引き攣らせ──ると爆弾を投げつけた。
「疑似フォトンの精製理論の構築とそれが実現可能な装置の開発」
「っ!?」
さすがにナカムラ少年も絶句し、その場にはいっそ衝撃的な沈黙が下りた。
背後の補佐官がそこまで言わなくてもという顔で呆れているのも察していたが
大統領は全力で無視していた。だがそれも一瞬。
「なっ、なんだそれ!?
そんなのもうそれだけで世界を救った偉人じゃないか!!」
椅子を倒す勢いで立ち上がった彼の驚きと称賛を示す言葉にカークは
虚を突かれる。そこまでの言葉が出てくるとは思っていなかったのだ。
ガレスト初心者の少年から自らと同じ感想が出るなんて。
「まったくだよ。
おかげでカラガル宣誓で百年後とされたフォトン枯渇は今も百年後のまま。
彼が稼いでくれた半世紀は貴重で有益、地球との交渉手札の増加にもなるから
どれほどガレストを救うことやら…」
今やガレストでも地球でも一般に出回るガレスト製品の動力源は疑似フォトンだ。
これは通常のフォトン結晶に比べ、人工的に精製できるがエネルギー量で劣り、
自然回復能力が無い代物。しかし回数限界はあるものの地球の充電池のような
特性があり使い勝手や状況によっては通常より優れているとも言える。
特に地球に輸出するなら最終的に使い捨てになるこの疑似フォトンは色々と
都合がいい。しかもこちらの技術を手放せなくなればなるほど価値が上がる。
時間を稼ぎ、外貨を稼ぎ、ガレストの優位性を稼いだ偉業であった。
「大統領という地位になってからは余計に実感してね……」
そんな大恩ある人物が2年も前に亡くなっていたのにも気付かず、それどころか
偽者に利用されたというのは言いようのない不甲斐なさを覚えてしまうが。
「……納得しました」
いつのまにか戻されていた椅子へ静かに腰掛けながら少年は頷く。
「それほどまでの隔絶した天才を隠す意図は分かります。
存在が明らかになれば表でも裏でも、それこそ地球すら巻き込んで博士の
頭脳を奪い合う争いが……戦争が起きても不思議じゃない」
「隠した当初の政府はそこまで見越してはいなかったろうがね。
オルバンくんの『結果的には』というのが全部だよ」
気遣われてしまったかなと思いながら笑い話にして茶化す。
否、それも本当のことだから実際は笑い話にもならないのだが。
「それで次の三つ目はどんな?」
「そっちはさらに単純な話でね、博士本人が表舞台に立つのを嫌がったんだ」
「ほ、本人の希望ということですか?」
「博士は良くも悪くも研究や実験、技術開発なんかにしか興味がない御仁でね。
彼の持つ才が想定以上だと気付いた当初は政府も何度か名前や顔を出そうかと
提案したことがあるんだが…」
『面倒だから嫌です、どうしてもというなら一生雲隠れしますが?』
「…と言って脅したんだとさ」
「博士がその頭脳と技術を使い、本気で隠れたら発見は不可能でしょうね」
「………」
尤もこの提案はそれまで彼を隠し続けた政府側の罪悪感2割と今後は良い関係を
築いてその才能を利用し続けたい思惑8割の代物であったので隠蔽の手間を吟味
しても研究成果を政府や世に公開してくれるなら受け入れがたい脅しではない。
だからクオン・クルフォードはあらゆるデータと記録に存在しない人物となる。
ただその実現に当たり政府にとっては斜め上の方法が取られた。
「…………それってつまりクルフォード博士が世間から完全に隠れ、噂にも
なってないのは政府の隠蔽どうこうより本人の能力ゆえですか?」
「アハハッ、まさしく! そりゃキミは気付くよね!」
これほどに多分野において優秀な頭脳と技術力、開発力を持つ人物だ。
表舞台に出たくないという意思が本物ならその隠蔽を人任せにはしまい。
むしろそのための道具、システム、技術を自ら産み出す方が道理である。
そして彼は本当にそれを行った。
「どんな方法、技術によるものかは一切不明ですが、どうも博士は自らを
あらゆるシステムに反応・記録がされない状態にしているようで防犯や
警備システムも素通りです」
「……それ色んな意味で大丈夫なんですか?」
「どの道博士が本気ならどんなセキュリティシステムも無意味だ。
実際、厳重な警備の研究所に散歩感覚で堂々潜りこんで平然とした顔で
研究を手伝ってたとか今では笑い話さ……笑うしかないともいうがね」
「それでいて普通に街を出歩いて、普通に買い物とか食事もするんです。
何故か防犯カメラには別人が映っていて、支払いは買い物ごとに消える謎口座
から引かれてるという摩訶不思議さですが…」
「うわ、ガチだぁ」
笑う大統領と死んだ目の補佐官を前にしてさすがの少年も遠い目をする。
しかもそれらは一般人は勿論、裏社会の人間にも気付かれていないという。
クルフォード博士を知っている者達が彼の行動を監視・調査した場合にのみ
やっと気付ける謎仕様。しかも気付いたところで原理は不明で模倣も妨害も
不可能。システム改竄や異常は見当たらず、表面的には違法性も出ない。
そもそも記録も反応もされないのに普通に生活も出来ているという矛盾を
どう成立させているというのか。
「自身の隠蔽能力に限ればマスカレイド以上かもしれないな」
「カレ側としては否定できないのが痛いですね……ところで?」
「わかってるよ。
どうして博士がその天才的な能力を示す前から政府の管理下にあったのか。
すべての始まりである一つ目の事情について、だね?」
「二つ目、三つ目は理解しました。
大統領が仰る通り、規格外な点に目を瞑れば本人の能力と希望というじつに
分かりやすく単純な理由です……しかしそうなると一つ目は…」
「ああ、そっちは色々と複雑でね。
これを一つ目にしたのは文字通りそれが博士の人生の始まり。
つまりは出生に厄介な問題がいくつか絡んでいたからだった。
あくまで、その時代独自のものだけどね」
「時代? 博士が生まれたのはいつ頃のことで?」
「50年前だ……つまりは享年48歳か」
「…まだ『カラガル宣誓』すら行われる前ですか」
45年前、カークの祖父が行ったそれはガレストで資源及びフォトンの枯渇が
100年以内に起こるという危機の発表と対策として異世界探索実行の宣言で
あった。件の博士が生まれたのはその5年前で表面的には関係が無い。されど
この話題で異世界との関りの始まりを示す言葉が出てきたのはなんとも
適切であるとカークは感じてしまう。
「目安としてこれ以上はない言葉だな」
「はい?」
「言い訳にはなるが、まさにそんな時期だったからさ。
ガレスト生まれの地球人をどう扱うべきか誰も分からなかったんだ」




