加減が分からない男
オークライ発・政府特別列車の最後尾───その一つ前の車両。
隠された乗客を乗せた車両内でクララを介して被害者地球人とシンイチ達との
交流が始まろうとしている時、ここでもまた別の会話が始まっていた。
「───最初はクララだけでも逃がそうと思って潜らせたのですが…」
大多数の生徒や教員には後部二車両には医療スタッフや政府役人が同行者として
乗車していると通達されており実際にその立場の人間も乗っているのだが、
その一番の目的は事情を知らない生徒・教員と世界間拉致被害者達との接触を
防ぐためであった。
「あの子が周囲を見て回ってくれたおかげでそこが地下。
それも後々かなり深い場所にある施設だと分かったので…」
「強行突破による脱出は無謀と考えたのですね」
「賢明な判断だったかと」
そこで黒のレディーススーツの白髪女性と白衣の馬耳女性が隣り合い、
ふくよかな体形の丸顔女性とボックス席で向かい合い言葉を交わしている。
接触を防ぐための緩衝車両に何故この三人がいるかといえば保護当日、結果的に
長話をさせてしまった疲労を考え、彼女の聴取を最後に回していたのと本人が
このタイミングで、この二名とだけの対話を望んだためである。元より彼女達と
接するのが認められた人員は少なく、二人は彼女の要望を受けた体で役人達から
質問リストを投げ渡され、今は拉致直後の挙動を聞いていた。
「場所の問題もありますがこちらの機械に詳しくない皆さんでは簡単な操作も
一苦労でしょうし、仮に制圧できてもあそこにいたのは捨て駒の人員。
外から空気の循環やらを止められて終わりでしょう。脱出を優先しても…」
「周りは硬い岩盤だらけ。一番近い地下空間まで最短距離で掘り進めても途中で
力尽きるか追っ手に囲まれていたかと……マスカレイドは一瞬で音もなく
岩盤を開かせたらしいですが」
「は、はははっ……あ、あれはファランディアでも規格外の実力者だから例外と
考えてくれないかい? 私も魔法の専門家じゃないんだけど同じ事をするには
地属性魔法の達人が数人いてなんとかというレベルだと思うよ」
でしょうね、という納得と─そうであって良かった─という頷きに苦笑する。
しかし、と続けたマーサは根本的な疑問を投げかける。
「けどそうなると一体あそこはどこに出入口があったんだい?」
「クララ嬢が目撃していた動く箱…つまり地下鉄のルートがあったのですが
岩盤に偽装させた特殊物質で満たされていて、センサー類で発見は不可。
しかし特定の信号を受けると瞬間的に、そして一時的に収縮して道が開く。
という仕組みでそのシグナルは奴らが使う列車だけが出せるとか」
「はぁ、徹底的じゃないか。
道理でいくらクララが探しても見つからなかった訳かい。
…それだけ特別な列車だと仮にうまいことそいつに乗り込めても…」
「ええ、運転手のいない完全AI制御の列車だったと。
予定の無い人間が乗っていると動きもしない造りらしいです」
「救助を待って耐える道を選んだのは間違っていなかった、という事かね。
知らない世界だと分かった後は正直賭けだったのだけど…」
「…賭け?
あぁ、ガレストや地球の言語を知らないクララ嬢が誰かと意思疎通し、
皆さんの窮状を伝えられるかどうかは確かに賭けですね」
「いえいえ、そちらはなんとかなるとは思ってたんだよ。
連中と私達は会話が出来ていたから地球の言葉なら通じるかもって。
最終手段としてクララに助けを求める言葉を教えるか、持っていたメモに
皆が知ってる言語全てで私達の状況やSOSを書くつもりでいたのさ」
「え、そ、それが出来るならどうしてすぐにしなかったのですか?」
「それは…」
当然の疑問に、されどマーサは少し迷うような顔をして即答できなかった。
しかし必要な事だと判断してか「気を悪くしないでおくれ」と前置きして
話し始める。
「知らない世界だとはクララが見聞きした物ですぐに分かったからね。
でも分かったのはそこだけで、私達の扱いがこの世界の法律や常識で見て
違法や悪行と呼べる行為なのかが判断できなくて迷っちまったのさ」
「ガ、ガレストでも当然それは犯罪です!
地球との交流もあって異世界人も適応としっかり明記されています!」
そこを誤解されてはたまらないと慌てた教師だが隣の女医は冷静だった。
「落ち着きなさいフリーレ。
そうなってるのが分からない状況だったって話よ」
「あ…」
「ふふ、ワールドギャップとでも言えばいいのかね?
私達が常識や文化どころか歴史も基本技術も違う異世界の洗礼を受けたのは
一度や二度じゃない。だからさらなる異世界に警戒しすぎちまったんだよ。
少なからず会話出来たのは私達を当然の顔で監禁してる連中だけだったし」
誘拐・監禁が犯罪行為にならない世界。
あるいは異世界人に法が適応されない世界。
そんな可能性が頭を過ぎって現地人と思い切った接触が出来なかった。
しかも彼女達の場合、唯一接触出来るのが相手と会話が出来ない子供しか
いなかったため慎重にならざるを得なかったのだ。
「……理解しました。皆さんの立場や視点では仕方ない警戒でしょう。
むしろ未知の異世界への認識が甘かったと私達が反省すべきかと……」
「ん、そうだな」
地球とガレストでは事前調査と準備に長い時間をかけておりその事実を知る者は
多いもののそのおかげでどれだけのギャップが埋められているかを理解している
個人は少ない。地球人とも関わる彼女達ですらその視点を持っておらず、その
事実に彼女達自身が少なからずショックを受けていた。
「………しかし、そうなると何が“賭け”だったのでしょうか?」
されどそこにだけ意識を割くわけにもいかずサンドラは話を戻した。
それには誰の事を考えているのか視線が彷徨う友人を気遣う意味もあったが。
「あー、ええっと……みんなには言わないでくれるかい?」
ただ話を振られた形になったマーサの方は困ったような、それでいて少し
気恥ずかしそうな顔でまさかのお願いをしてきた。一度互いを見合った二人だが
質問リストを押し付けられた際ある程度の裁量も─交渉で─手に入れており、
その程度は構わないだろうと。ただ内容次第では政府には報告するかもと
前置きしながら頷く。
「そんな大層な話じゃないんだよ。
じつは攫われたのがファランディアに迷い込んだ地球人だけだったと
分かった時に────シンイチがいない事が希望に思えたのさ」
「へ?」
「あぁ」
彼を知る者ゆえにその共通点でシンイチがいない事に訝しんだ。
同時に彼ならばと思ってしまったのだとマーサは言う。それに呆気を
取られたのがサンドラで、あっさりと共感してしまったのがフリーレ。
「あの子が何らかの理由で転移誘拐を防げたのは明白。
なら事態を知ったあの子が助けにこないわけがない、ってね」
「なるほど、確かに」
「え、わかるの!?」
「ふふ、本当に内緒にしておいておくれ。みんなに知られるとそんな根拠で
説得してたのかと怒られちまう。私はただ無謀な強行突破よりは可能性が
ある気がしてただけなんだけどね……まあ一足先に地球に帰っていたのには
驚いたというか笑ってしまったけど」
あまりにあの子らしい突飛さだと。
そういって微笑む顔はどこかサンドラに向けられていた。
分からないのは当然だという気遣いに感じ取れた彼女は顔には出さないまま
複雑な心境になっていたが、マーサの言う通り他の選択肢が絶望的だったのも
事実なので結果的に正解だったのだと片づけた。それに話の流れがちょうど
全員が地球人だったという話になった。ならばこれを聞かない訳には、と
サンドラは口を開く。
「そういえば…」
「───おや、ちょうど後ろで話題になってるじゃないか」
ただそこでマーサの視線が完全にある場所に向けられた。
これまでも実は時折そちらに見ていたのだが彼女がしっかりと顔まで向けたのは
その時が初めてで釣られるように彼女達もそこに浮かぶ空間モニターを眺めた。
映っているのは後部車両の乗客達の姿。これはマーサがクララ達の様子を
見ていたいと要望があったので開いていた代物。ただ聴取の邪魔にならぬよう
音声は切られ、会話内容は字幕として表示されている。日本語のためフリーレ達
は読めないのだが実はマルチタスクによりマーサと会話しながらもフォスタ越し
に会話内容を聞いていた。だからその中身がシンイチとマーサ達の出会いの話に
なっていたのは分かっていたのだ。
「ちょうど、というと?」
「私達がそういう期待をしちまった原因さね」
訝しむサンドラにマーサは呆れと愉快さを混ぜた笑みを見せるのだった。
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「────ふふ、あちらでもナカムラはナカムラだったというわけですか」
空間モニターの中で羞恥からか図星だったからか叫ぶ少年の面差しを
─無自覚に─愛しげに見詰めるフリーレの呟きに隣のサンドラと真正面の
マーサは笑うしかない。前者は呆れ笑いで後者は苦笑であるが。
「……あー、えっとマーサさん?」
笑いの意味は半分はフリーレにそんな顔をさせた人物について、であるが
残り半分は思い出話で語られた内容そのものに関して、であった。
「彼は本当にそういうことを?」
特にシンイチをマスカレイドだと認識してはいるが実感が微妙に薄いサンドラに
してみればいくら恩人のためとはいえ行動がぶっ飛んでいるようにしか
思えないから余計に。そしてその感覚が分かるのだろう。
マーサはお気持ちは察しますという表情で、だが事実だと頷く。
「ええ、概ねクララの言う通りです。
何があの子の琴線に触れたのやら、こっちとしては返され過ぎる程に恩返し
されてしまって、やり過ぎだと何度か嗜めたんですが毎回キョトンとした顔で
首を傾げて……本人的にはあれで加減してたようでね」
「は?」
「ふふっ、なんとなく分かります。
ナカムラは妙な所がズレているというか若干天然なところも…」
「フリーレ、それあなたが言え…ごふっ!?」
苛立ち混じりの無言肘打ちをする女教師とそれに悶える女医。
これを気心知れた仲の証明だと見なかったことにする孤児院長であった。
「実際、クララの言う通りシンイチが色々してくれなければウチは
最悪の結末を迎えてただろうから本当に感謝してはいるんですよ」
直に告げると毎回照れて素っ気ない態度とられるんですが。
クスクスと思い出すかのように笑った彼女であったが、その発言に含まれた別の
ニュアンスに二人は感付いた。
「マーサ殿、もしかして…」
「お嬢さんが語った以上のことがあった、と?」
彼が行ったのは借金返済と収入の確保(不毛な土地の有効活用)だと語られた。
どちらも孤児院を救った行為であるが『最悪の結末』とまで漏らした表現には
少し足りないように思えたのだ。
が。
「……クララも薄々気付いているでしょうが裏がありまして。
特殊な土壌だったと言ってたでしょう? じつはステラの花以外にもある種の
麻薬の原材料も爆発的に育つらしく、それに気付いた悪党どもがウチの土地を
出来るだけ穏便に手に入れようと色々画策した結果が借金苦の真相なんです。
それで最後は親切顔で肩代わりを理由に土地を合法的に手に入れるつもりで、
しかも連中表向き移転先を紹介するって形で私達を裏組織に売り飛ばそうとも
考えてたって」
「お、思ってた以上に真っ黒な陰謀!」
「借金しなきゃいけなかった理由が一つ一つならあり得る事だったから
重なったのを単なる不幸としか思わず、後手に回った私の落ち度だよ。
一生の不覚さ、あの子がいてくれなかったら今頃どうなっていたか……っ」
考えたくもない、と苦々しい顔で首を振る。
二人は納得するしかない。それは確かに『最悪の結末』である。
「でも実際にはそうならなかった。それも、彼が?」
「表向きは国にその計画がバレて騎士団に捕まって全員鉱山送り、です」
うふふ、と黒く笑うマーサにその罰の重みも分からず背筋が凍る両名。
マーサ達がいた国では未遂でも麻薬密造・人身売買は計画段階で重罪。
それを二つともやらかした重罪人が送られる鉱山は真っ当な鉱員を入れるには
危険だったり、採算が取れない場所で彼らは半ば以上使い捨ての人員として
消費されていくだろう。命が安い世界では重罪人の命はさらに安いのであった。
「え、ええと……では、その裏……というか真相は?」
「シンイチが最初にお金を返しに行った時、誰も彼も反応が妙だったそうで。
何か裏があるのではと調べたら……そういうことが分かったんだとか。
けれど借金返済で結果的にその計画を潰しちゃったものだから連中の暴挙から
孤児院を守るために離れられなくなっちまって、伝手があった国に
調査・逮捕を丸投げしたんだそうだよ」
「本当に全部彼の采配だった訳ですか」
「私が知ったのは黒幕だった前町長が連行されていく場面に偶然遭遇して
そいつが──」
『違うっ、俺じゃない! 俺は悪くない! ちくしょうが!
うまくいってたんじゃないのかっ!? あのガキっ騙しやがって!!
どうしてあいつは捕まってない!? 誰って、黒髪のガキだよ!!
一緒に企んだんだっ、同罪だろうが!!』
「──とか叫んでたのを聞いて、あの子を問い詰めた後ですけど。
聞けば計画が頓挫して自棄にならないよう助言するフリをして色々と
都合よく誘導してたんだとか」
「誘導?
っ、それではもしや花の栽培のための投資や開墾は!?」
「ふふっ、ええ、後々原材料の栽培に使えるだろうとか何とか言って連中を
油断させるのも目的だったとか。実際にはステラの花を栽培すると土壌が
少し変わるらしくてね、麻薬の製造には向かない土地になっちまうんだって」
「そ、それはまた容赦のないことで」
悪党たちは哀れ、計画の修正が出来ていると思って高楊枝をしていたら
実は公権力が迫っており、計画はご破算になっていたという話である。
さらにその後を聞けばその前町長の逮捕時にはもうステラの花の栽培は軌道に
乗っており、自国も含めた複数国との取引が始まってもいたのでその後ろ盾を
得たに等しいデザール孤児院は一つの街の有力者程度が手を出せる状態では
無くなっていた。シンイチがステラ栽培の提案をしたのにはそんな思惑も
あったのだとマーサは後から気付いて乾いた笑いが止まらなかったとか。
「借金と収入問題の解決に策謀した悪党どもの排除。
さらには今後狙われ難くもした訳ね……ええ、今更ながら納得したわ。
これは仮面のやり口で……なんとかしてくれると期待したくもなる」
「だろう?
私も何度かあいつのやり口を見たが、自分が関わる事の余波や
関わった後の事も考えて色々やってくれるんだ……考え過ぎなぐらいに」
「……あの子は本質的に臆病なんですよ。
大きな力を持っているからこそ間違えたり足りなかったり遅かったりを
怖がって……加減を知らない所があるのはそういう理由もあるんだろうね。
自己評価は低いし自信も無いのに責任感だけはある子だから…」
憂いがこもった眼差しで、モニター越しの少年を見詰めるマーサ。
一枚絵の薄い膜のようなそれの中で彼は人に囲まれながら嘆いたり困ったり
叫んだりと百面相を見せていた。それを彼女はどこか安堵の表情で眺めている。
だから。
「っ…あなたが本当に様子を見たかったのはナカムラですか?」
「え?」
直感的な閃きから発せられた言葉にマーサは柔らかな笑みを浮かべるだけ。
それは発言の肯定であり、それを見抜いたフリーレへの感謝であった。
しかし彼女はそれに喜べはしなかった。だってそれは彼女が抱く懸念が
当たっているのではないかという疑いを濃くするだけだったのだから。
「教えてください。あなたの目から見て、今のナカムラは、その…」
「いつも通りですよ」
「は?」
「先生もそう思ったから、私に聞いたんじゃないのかい?」
「……はい、いつも通りに見えました。ですが同じくらい空元気のようにも
見えて……その、唯一行方が分からないカイトという少年とあいつは?」
違和感がない違和感とでもいうべきか。
その懸念に心当たりがあるとすれば現在未発見となっているその少年だけ。
「私も一度しか一緒にいる所は見たことありませんが、傍目には飼い主が
大好きな大型犬とその扱いに辟易してるご主人って感じでしたね。
どっちがどっちかは言うまでもないでしょうが」
その光景を思い出してかクスリと笑ったマーサにフリーレもまた微笑む。
見たことが無いのに想像できてしまったそれがたまらなくおかしかった。
だからこそ胸の奥で鈍い痛みも感じていたが。
「はい、なんとなく分かります。
ナカムラは手厳しい所もありますが面倒見はいいですから」
「ええ、好意的に接してくる相手を無下に出来ない根っからのお兄ちゃん。
なんだかんだ言いながら世話を焼いて、それをカイトくんが嬉しがって。
……間違いなくあちらで出来た数少ない友人や仲間と言える相手でしょう」
「やはりそうでしたか。
しかし、だというのなら、もっとこう……」
違う反応や態度を見せるものではないか。
そう思うのにあまりにもシンイチがいつも通りなのが彼女達は逆に不安だった。
「言い得て妙だねぇ、普段通りが空元気とは…」
「それはどういう?」
「やるべきことがある間はしっかりしてるってことさね」
「っ」
どこか吐き捨てるような物言いと腑に落ちたような感覚に言葉が詰まる。
「疲れていても焦っていても落ち込んでいても、やるべきことがあるなら
あの子はしっかりと立ててしまう。多分あれは生まれつきに近い性格みたいな
ものだろうね───だから」
「だから、やるべきことを失うとナカムラは…」
「ええ、スイッチが切れたみたいにテキトーになるのさ。
頭おかしいんじゃないかって言いたくなるレベルで」
困ったものだよ、と憂いを秘めた目で呟くマーサ。
これに付き合いの浅い女医だけが訝しげで、フリーレは何かに耐えるように
目を伏せていた。サンドラにしてみれば一仕事終えた人間が燃え尽きたように
やる気を失ったりひと時自堕落になってしまうのは別段珍しくもない。
されどマーサの言い方はその程度の話ではないことを暗に示していた。
「だって、不自然じゃないか。
恩を受けたと思えば即断即決で動いて、あらゆる手を尽くして守る手筈を
整えて、悪党の計画を叩き潰せる子がどうすれば空腹で行き倒れるんだい?」
「あ」
「家事や旅生活が苦手で下手なのは事実ではあるよ?
でもあの子の場合それならそれでやりようはあるんだよ。それこそ力業でね。
それすらやらなくなっちまうほど自分に関心がないのさ」
「っ…!」
だから彼は行き倒れていたのだとマーサは語る。
普通ならあり得ない、馬鹿げた理由で理屈。されど彼は証明してしまった。
孤児院の問題とその裏にあった陰謀を莫大な資金と悪知恵、公権力を駆使して
彼女達を一度も危険に合わせず解決することで。そして彼自身には比類なき
戦闘力まである。金、伝手、力、そしてそれらを適切且つ躊躇なく使う頭と
胆力がシンイチにはある。それを事件や陰謀を相手する時と言わないまでも
程々でいいから使っていれば空腹で倒れる事など起こる訳がない。あるいは
単純に物資が心許なくなれば事前に訪れた町にでも転移すればいいだけの話。
それすら実行せず、下手すれば思いついてすらいない可能性もある。案件を何も
抱えてない彼がどれだけおかしな方向に無気力なのか分かろうというものだ。
「それでいて死ぬ気は微塵もないから訳が分からないんだよ。
変に勘で生きてるというか死なないだろうと思うと『なら別にいいか』って
本当にいいかげんになるからあれだけ色々出来る癖に簡単に行き倒れる!
力の入れ方抜き方が極端過ぎるんだよ、あのおバカは!!」
これまでの数多な蓄積があったのだろう。
たまった鬱憤を放出するかのような叫びはフリーレ達すら一瞬怯ませる。
さすがに感情的になり過ぎたと当人もすぐに咳払いで誤魔化したのだが。
「あ…こほんっ!
まあ、本人も薄っすらマズイとは思ってるからか度々ウチに休みに来たのさ。
いつもお腹空かしてて、いつも疲れ切ってて、いつもボロボロだったけどね」
余談だがマーサが彼をマスカレイドと知ったのはそうやって休みに来るのが
毎回仮面が活躍・暗躍したとされるナニカが終結した後だったため、まさかと
鎌をかけたらあっさり引っ掛かって露骨な反応をしたからだという。
これはそれだけ自分に気を許しているのか。オフモードになるとそれすらも
どうでもいいと投げやりになってしまうのか。じつに判断に迷ったという。
「そこまででしたか…」
「……マーサさん、それを私達に聞かせてどうしようというのです?」
思い当たる節があり納得が強いフリーレの隣で彼女は射貫くような目で
マーサを見ていた。どことなく、ここまでの話を彼女に誘導されたように
感じてしまっていたのだ。
「孤児院があの子にとって羽休めの場になっていたのは正直嬉しい。
けれどここは別の異世界。いま私達はあの子に頼るしかない立場です。
そしておそらくこの事態が解決した後、私達はシンイチのそばにいない……」
あの子の助けには、休める場所にはなれない。
それが不安なのだと彼女達を、フリーレを見詰める瞳には書いてあった。
「思っていたより周りにいい子たちがいてくれて安堵しましたが、
同年代……だけだと出来ない事もあるでしょう」
「大人として、支えになってほしいと?」
「まさかっ! ただ今回の事が終わった後。
あの子のそばで愚痴でも聞いてあげてくれればそれで」
「……それだけでいいのですか?」
「ええ、それだけでいいんですよ!
人見知りなくせして傍らに誰かがいるだけで元気になる面倒くさい子なので」
それ以上はつけあがらせるだけです。
そう言い切って、柔らかな丸顔で茶目っ気たっぷりに笑ったマーサはされど、
一転して穏やかな面持ちとなるとただその一言を告げる。
「───どうか、あの子をお願いいたします」
ゆっくりと、静かに、だが深々と頭を下げながら。
「……………」
どうしてだろうか。フリーレはただただそれに驚き、圧倒されていた。
そんな経験は皆無だというのに彼女がシンイチに向ける想いと表情に「母親」を
感じて、元より断るつもりなど無かったがこれを拒絶したくないと心底思った。
「はい、彼のことはお任せを。それぐらいなら私でも!
というより……似たようなことをもうやってたような?」
「ふふっ、そうかい」
柔らかな微笑みには確かに慈愛と母性が感じられる。それが向けられているのは
主題の少年であるが快諾してくれた彼女にも注がれているかのようで実際当人は
照れていた。
「………」
しかしながらその隣。
これはさすがに偶然だろうとは思いつつもサンドラは母の愛を知らぬフリーレに
それは特効でしょうよと遠い目である。同時にいつマーサを『母』と呼び出すか
ハラハラしてもいた───この娘ならやりかねん!
「サンドラ先生?」
その視線と挙動がおかしかったためマーサに訝しげに見られてしまうが。
咄嗟に誤魔化そうと自分は彼女の願いに返事をしていなかったのを思い出す。
「いえ……この娘ほど安請け合いはできませんが、患者を選り好みなんて
恥知らずな真似はしないとお約束します」
「人としてはどうかという奴ですが医者としては信用できます、ご安心を」
「……ありがとうよ、先生たち」
薄っすら目元に煌めくモノを湛えながら彼女が浮かべた感謝の笑みと頷きには
強い安堵の色が見える。本当にシンイチに対しても親のような感情を持っている
のだと伝わってくる。彼がマーサを慕う理由を垣間見た気がして頬が緩む両名。
「───では、その見返りではありませんが聴取を続けさせてください。
こちらもまだまだ知りたいことや疑問点があるので……」
ガレスト側としては事件以外にも気になる点は多い。
魔法という力。それとは別種の異能。ファランディアにおけるマスカレイド。
マーサたちの話を理解するためにも最低でもそれらを知りたいのだが。
「ええ、あの子に怒られない範囲で私が知ってる事ならいくらでも」
笑顔で頷くフリーレを横目にされどとサンドラは思う。
今この人さりげなく彼を盾にして暗に内容によっては教えないって言ったわね?
彼女は隣の友人が言う通り、医者として以外は真面目な気質ではないので
引き出せる情報は根掘り葉掘り全て聞き出してやろう等とは全く考えていない。
それでも住居が地球側で軍も辞めたフリーレよりは政府に近いため、ある程度は
自分が今まで通り過ごすためにやっておきたいと考えてはいた。しかしそれを
加味しても柔和な丸顔で微笑む彼女から情報を引き出せる自信が全く無いサンドラであった。




