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帰ってきてもファンタジー!?  作者: 月見ココア
修学旅行編 第二章「彼が行く先はこうなる」
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異世界の人種



その室内の空気は地味に重苦しいものであった。

複数の学園生徒が一人の生徒を囲んで厳しい目を、否どちらかといえば呆れた

視線を向けている。一応は中心人物の主張に耳は傾けられていた。されどそれも

最終的にはこの一言に集約されることになる。


「───────────で?」


狐耳の女子生徒(ミューヒ・ルオーナ)の「言い訳はいいから総括を言え」という笑顔の圧力を前に、

だが少年は意に介さず、いっそ朗らかに、いっそ清々しく、こう宣う。


「逃げてきちゃった!」


テヘペロっ。


「─────」


一瞬で寒々しい空気となるもなんのその。彼はむしろそれが面白いとばかりに

一昔以上前に流行った舌出しウインク笑顔を浮かべ続けていた。可愛らしさは

当然皆無でわざと周囲を煽っているのではないかと邪推したくなるほど苛立つ

笑顔であった。いっそその腕の中で寝息を立てている女児がやれば愛らしいと

思えるだろうに。


「ハハッ、マジかこいつ!」


呆れ全力の視線を向けながら笑ってもいる少年はシングウジ・リョウである。

他と同じく教師陣から一度宿泊施設に戻るよう通達があって従えばこれだ。

原因らしい事態に関わったばかりか。後先考えない大暴れ。しかもどう聞いても

事態の中心にいた女児を搔っ攫って逃げてきたというのだから笑うしかない。


「なんでしょう?

 聞かせて頂いた状況を考えればシンイチさんの存在をうまく隠すには

 目撃者がいないその段階で逃げるしかないのは分かるのですが……」


一方でどう受け止めればよいのかと困って豪奢な縦ロールを揺らしているのは

アリステル・F・パデュエール。何者かに狙われている女児の保護という点で

見れば後先を考えずの行動も致し方ない。また連れ去った点も彼の庇護下に

置く以上の安全が果たしてあるのかと思えば理解できる。しかし何か微妙に

腑に落ちないものを覚えるのも確かであった。


「騙されちゃダメだよ、アリちゃん」


だからその心情を察し、的確に間違いを指摘できるのは単純な時間だけを言えば

この場で彼と最長の付き合い(監視時間)があるミューヒであった。


「イッチーが人をおちょくる時のおふざけと自分がふざける時は違うんだよ」


「と言いますと?」


「自分でやらかしたと思ってる自嘲込みのおふざけってこと。

 後始末をフドゥネっちに押し付けちゃったのも含めてだろうけど、主には

 アリちゃんの言う合理的な考えじゃなくて結果的にそうなった所かな?」


「えっと、それはまさか?」


「そう、イッチーは本当に何も(・・・・・)考えて(・・・)なかった(・・・・)のよ」


「うっ」


ニヤニヤとした狐耳娘の言葉は的を射ていたのだろう。

全力でふざけた笑みを浮かべていた彼の顔は即座に崩れ落ちて歪む。

付け加えて目を泳がすという“正直さ”まで発揮して。

リョウは口を押えながらも腹を抱えて肩を震わせていた。


「まあっ!」


これにアリステルはなぜか嬉しそうに胸元で手を合わせて喜びを見せる。

何せそれは誰かの生命の危機を前にただ我武者羅に飛び込んだという事である。

当人の意識の根底にそれを良しとするものが無ければ狙っても出来ない行動だ。

守護者たるガレスト貴族の一員である彼女にとって彼のそういう善性は

とても好ましい。

尤も。


「う、ぬ……」


真っ直ぐでキラキラした目による全力で好感を示す視線を浴びたシンイチは

羞恥と気後れで居心地が悪い。考え無しによる失態を無言で称賛されて

身の置き所が迷子なのである。


「ま、イッチーは気にしすぎだとは思うけどね」

──しまった、そういうの彼女の好感ポイントだった


ピクリ、と頭の狐耳だけを反応させつつミューヒはしれっと話を進めた。


「だいたいさ、しょうがないんじゃない?

 だってその子、イッチーが行ってた世界の子なんでしょ?」


誰もが真剣にならざるを得ない話題によって。


「………まあな」


どうしてか一瞬迷ったような顔をした彼だがすぐに頷くと眠る少女の顔を

慈しみの込められた瞳で見詰める。シンイチは既にざっくりとした形だが

少女(クララ)の素性を説明していた。自らが次元漂流した先の世界で出会った子だと。


「ファランディア、だったか?」


「多くにとっては未だマスカレイドが主張してるだけでしかない第三の世界。

 そこからやってきた子となれば交流のあるシンイチさんが保護した方が

 いいでしょう……何者かに狙われているとなれば尚更に」


「ああ、だからこの子を置いていく選択肢だけは無かった。

 誰も知り合いがいない、言葉も通じない場所で一人にするわけには……」


「「「…………」」」


それは自身の存在を隠すより、騒動の処理より、未知の世界の住人という

特大の爆弾より、少女の心情を慮った考えだった。その場の三人は自然と顔を

見合わせて苦笑する。胸中は三者三様だがまとめれば“彼らしい”の一言だ。

当人はそれぞれ温度は違うがどこか生暖かい眼差しを向けられていることなど

気付かぬまま眠る少女を変わらず慈しんでいた。


「……ただ問題はどうやってガレストに来たのか。

 そしてどこの誰に、どうして狙われているのか。

 今のところ本人に聞くしかないが、とはいえ起こすのもな…」


シンイチを認めて泣きじゃくった姿を思い返して憚られる。

薄っすら残る涙の跡を、顔にかかった髪の毛を払うていでさりげなく消す。

彼が知るクララは簡単に泣く子ではなかった。それが溢れ出すように盛大に

泣き出したのだからあそこに至るまでにあった辛苦はどれほどか。

穏やかな寝顔とだがそれでも彼の衣服を掴んで放さない小さな手を前に

今はただその心と体を休ませてやりたい気持ちが勝つ。


「はい、メディカルチェックでは大きな問題はありませんでしたが、

 心身の消耗と栄養不足を危惧する診断結果が出ています。

 まだ寝かせておいてあげましょう」


「そうだな、その言葉に甘えるか……と、俺が言うのはおかしいか」


「ふふ、いえ」


アリステルは伏せた意図を察した上で甘えるといった彼に朗らかに微笑む。

少女(クララ)を第一にする方向に傾いていたとはいえ対処も疎かにできないと迷う彼に

純然たる事実で令嬢はさらに後押ししたのである。


「あ、それといつ起きてもいいように胃に優しいスープとか簡単な着替えとか

 手配してあるからイッチーは気にせず、そのままその子のベッドやってて」


「ありがとう、助かる。正直そこまで気が回ってなかった」


「ははっ、どういたしまして」


にっこり笑って感謝を受け取る彼女の尻尾は嬉しそうに揺れる。

何気に彼が失念している事を見抜き、先回りしての気遣いを見せた彼女に

アリステルが「負けた!」とばかりにがっくり肩を落としているのだが

これで当人は張り合った自覚はないのだから重症である。色々と。


「………ああ、なんだ。

 その子の事情によるだろうが、人手がいるなら手伝うぞ?

 他にやることもねえし授業料代わりと思えば安いもんだろう。

 もちろん俺だけじゃなくてトモエもな」


それに内心焦ったのは幼馴染(トモエ)とシンイチの仲を進展させたいリョウ。

されど出来るのはせいぜいこの件に彼女が関われる余地を訴える程度。

悲しいかな彼自身の恋愛経験の無さが出てしまっていた。

いつぞやのモテる男アピールが殊更虚しくなる話である。


「そっちもありがたいが(トモエ)には陽子達のフォローをやってもらってるからな。

 本人のいない所で勝手に頭数に組み込むのってどうなんだよ?」


「ああ、いや、そりゃそうだがよ………いや、待て。

 後で知ったら、なんであたしに一声ないのっ、って怒らないか?」


「………だな。本当に人手がいりそうな時は連絡ぐらい入れとくか」


「そうしてやってくれ」


よし。

なんてことはない顔で出来ることはやったと自画自賛するリョウだ。

それで気が緩んだのもあってか。実はそこで初めて彼が抱えている少女の顔を

ちゃんと見たリョウはふと思ったことを口にする。


「ガレスト人もそうだったが、ファランディアっていう世界の人間も外見の

 違いってあんま無さそうだよな。っていうか髪色のせいかアメリカとかの

 人間って言われても納得しそうだ」


「グウちゃんにしては的確な表現、確かに欧米の白人系って感じ」


「オレにしてはって、ルオーナてめえ……」


「噛みつくな、ケガするぞ」


「ぬ、それはちょっとどういうことかなイッチー?」


「さてね」


軽く肩を竦めながらもその顔は言葉通りの意味だと語っているようで

狐耳娘は表情を不機嫌に歪めるが彼は知らぬ存ぜぬと話題を戻した。


「それよりファランディア人の容姿についてだったか。あちらはまず人種が

 地球やガレスト以上に多彩だからな。しかも種族関係なく髪や瞳、肌の色も

 豊富だ。組み合わせ次第ではクララのような容姿になる事もあるだろう」


「ん?」


そんな心持だったせいか。

その説明に何かが引っかかったミューヒだが言語化できずに唸るだけ。

他二名は素直に受け取っていた。


「昔はガレスト人の頭のカラフルさにびっくりしてたがそれ以上ってか」


「シンイチさん、後学のため……いえ、正直に好奇心と白状します。

 具体的にどのような方々がいらっしゃるのか教えてもらっても?」


「そうだな……まずはお前らにも身近な獣人系統から話そうか」


「獣人、系統?」


まるで獣人に種別があるかのような言い方に疑問符が浮かんだ周囲に

シンイチは頷きと共に解説する。


「あっちの獣人はヒナみたいな耳とか尻尾とかだけのタイプもいるが

 もう完全に『人型の動物』みたいな外見の奴らもいるんだ。例をあげれば

 虎系の場合頭はまんま虎、手足は人間と虎の中間みたいな感じで全身は

 虎柄の毛に覆われてる……で、そういう連中が服着て二足歩行してる」


「……マジで『獣の人』なのかよ」


「言っておくが今のは説明のための表現だからな。

 現地で口にしたら殴られるぞ。獣と一緒にするなとか獣で例えるなとか」


「ああぁ」


納得の声が漏れる。学園生徒としてあるいはガレスト人として普段から

ガレスト獣人と接しているのもあってシンイチの言葉に何らかの覚えが

あったのだろう。特に獣人その人であるミューヒは笑顔で頷いていた。

誰も何も聞かなかった。


「…一応説明しておくがこちらと同じく中身は殆ど俺らと変わらない。

 多少は外見上の獣に近い特性を持つ奴もいるが程度は個人でだいぶ違う。

 中には肉食獣の顔で菜食主義な奴もいるぐらいだしな」


尚、基本的にファランディア獣人も全員が雑食である。

地球ではその動物が食べてはいけない類の食物も問題なく食べられる。

まさにヒトは見かけによらない話と言えよう。かなり意味が違うが。


「あとはそんな獣人の水生生物版みたいな魚人。

 知恵あるドラゴンを祖に持つ竜人とかもいたな。

 ああ、当然こいつらもガレスト獣人に似たタイプからその生物が

 そのまま人型になったようなタイプまでいる」


「……他意の無い単純な疑問としてお聞きしますが、

 そこまで外見が違うのに同じ種族なのですか?」


「俺も最初は戸惑ったが同種族なんだよ、これが。

 他種族含めて識別も結婚も妊娠もファランディア人同士なら問題ないしな」


後者二つは片方が地球人でも可能だが彼はなんとなく口にしなかった。

全員に変な方向でいじられそうな予感がしたというべきか。


「ガレストで獣人と非獣人が別けて考えられてないのと似てるかな?

 そもそもこの獣人(呼び名)だって地球との交流開始前後に慌てて作られた呼称だし」


「そうでしたわね。わたくしたちの世代だともう当然にあった言葉という

 感覚ですので新語という感覚はありませんでしたが」


「え……そ、そうだよねアリちゃん!

 ボクもこの前読んだ資料に書いてなかったら知らなかったよ!」


珍しく墓穴を掘ってジェネレーションギャップが胸に刺さった女が一人。

いつもの笑顔で誤魔化すが本来の年齢(二十代中頃)を知るシンイチは影で笑う。


「あ、そうだ!

 なんか他の生物由来の姿をした種族の話ばっかりだけど他にはいないの?」


慌てていたのだろう。そんな笑みが裏であった事も知らず、彼女は話題を

ファランディアの種族について軌道修正。からかって遊べば楽しい反応が

返ってきそうだとは思ったシンイチだが十代のフリをしている女の秘密を

いじくるのはまだ(・・)違うと判断して、乗ってあげた。


「いや、色々いるぞ。

 成人しても子供ぐらいの背丈にしかならない小人族とか。

 種族全体で戦闘狂で側頭部から角が生えた姿をしている魔族。

 頭や額に角が生えてて身体能力と器用さに優れる鬼人(きじん)族がいる」


「あん? 頭に角って同じ特徴してるくせに今度は別種族なのかよ?」


「生えてくる場所も角の形状も違うし肉体の構造も文化も全然違うんだ。

 まあそこだけは似てるから同一視されて鬼人族は迷惑受けてるがな」


「ん? それってつまり魔族って人達は嫌われてるの?」


「…………………………」


「イッチー?」


「ああ、そこは……」


余計なことを言った。あるいはその問題を思い出したくなかった。

そんなどこかうんざりとした顔で苦々しく沈黙するシンイチ。

催促のような呼びかけに不承不承といった体で応じたものの

その表情はまるでやさぐれた中年のように疲れ切っていた。


「………中々にややこしい話でな。

 元々鬼人族は少数種族で世にあんまり知られてなかったんだ。

 一方魔族は色々あってあっちの一大宗教から敵認定されててな…」


「…なるほど、虚実入り混じった悪名がついて世に知られている魔族。

 それと外見的特徴は似ている世に知られてない少数の鬼人族、か」


「話を聞くだけで問題しか起きねえって分かるぞ、それ」


「完全被害者の鬼人族はともかく、他はどっちもどっちというか。

 歴史と宗教と異種交流の厄介部分を混ぜ込んだ泥沼というか。

 面倒過ぎてもろとも全部吹き飛ばしてやろうかと何度思ったか」


難題ゆえに、そして緊急性が低かったため着手できなかったその問題は

被害者がいたのもあって自身が考えている以上に存在するだけで彼には

ストレスであったのだろう。思わずこぼれ落ちた物騒な発言は一段と低い

声色で、彼ならば実現可能な内容だけに心底寒々しい。


「イ、イッチーが言うと冗談に聞こえないよ」


「あはは……それほど難しい問題ということでしょう。

 ですが、少し不思議な話ですね?」


「え、どこが?」


「他の種族は外見がどれほど違っていても識別できるという話ですのに

 どうして魔族の方と鬼人族の方の区別がつかないのでしょうか?」


「言われてみれば……」


どういうことか、という視線がシンイチが集まるが彼は軽く肩を竦めて

簡潔に答えを口にする。


「理由は違うがどっちも他の種族と交流がほぼ無いからな」


納得の声が漏れる。

交流が無かったから感覚的な差異を見抜く目が育たないのだと。

もっともな話に頷いた彼らである。だから。


「─────外から見たらやっぱ不自然か」


誰に聞かせるつもりもない呟きは誰にも届かず流れて消える。

本当に異種交流は外見だけに限っても面倒で難しい、と内心ため息で。


「ん? そうか、外見……その問題もあったか」


見下ろした視線は再び少女を見詰める。だがそれは先程までの慈しみの

それと違って細部まで見通そうとするかのような観察の目であった。


「どうかなさいましたかシンイチさん?」


「いや、クララと最後に会ってからおよそ三か月弱。

 ……子供の成長は早いというが、あんま変わってねえなって」


「おいおい、そりゃいくらなんでも二、三か月で劇的には変わらねえだろ」


「そう、だな」


「……?」


頷く少年の顔にどうしてか寂しさを見たミューヒは首を傾げるも今しがた

聞いた言葉が脳裏に流れる。外見の問題。最後から三か月。月日相応の成長。

つまりそれは。


「あ、れ?」


「う、んんぅ……」


「クララ?」


彼女が答えに行きつこうかという正にそのタイミングで少女から覚醒の兆しが

漏れ始めた。実の所、寝ていた彼女を気遣いここまでの会話はそれなりに声を

潜めていたのだがそれでも煩かったのか。単なる偶然か。寝息とは違う吐息と

開きかけた瞼に周囲は自然と押し黙って、少女の挙動を見守った。


「…あれ、え? シン、お兄ちゃん?」


まだ完全に開かれてない眼は真上の彼を最初に見て取る。されどまだ夢現か。

ぼんやりとした口調と視線で不思議そうにシンイチを見上げている。


「ふふ、起こしてしまったかいお姫様?」


「えっ!?」


「な、なんだって?」


「そうか、時々使ってた謎言語!」


翻訳機に登録されてない言語による発言はよほどおかしく聞こえているのか。

騒ぐ周囲であったがクララは寝ぼけているため、シンイチはわざと意識から

締め出していて共に無反応。彼はただ優しい手つきで寝起きの少女の頭を

撫でていた。


「あ」


「まだ眠いか? それならもう少し眠っていてもいいぞ?」


「そっか、うん、まだねむい…………あれ、なんでお兄ちゃんが?」


一瞬嬉しそうに微笑む少女だが、すぐに疑問符を頭に浮かべる。

それが切っ掛けとなったのか。徐々にその顔に、瞳に、意識が宿っていく。

寝ぼけていたものが覚醒し、現状を正しく認識していき、青い瞳が見開かれる。


「────っ!? シンお兄ちゃん!?」


「おう、久しぶり」


驚愕と共に凄まじい勢いで起き上がるクララ。

それを待っていたかのようにシンイチは軽い挨拶を向ける。

あまり動揺させないようにと考えてのことだったが少女の目は即座に決壊寸前

とばかりの涙を湛えた。


「クララ?」


「あ、あぁ……お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!!」


救出時と似たような嗚咽と一緒の、突撃じみた抱擁。

変わらず受け止めるシンイチだが、少女の様子に困惑が顔に浮かぶ。

先程のが安堵と緊張の糸が切れたゆえであるのなら、これは慟哭だ。


「やっと、やっとあえた! ちゃんと話ができるヒト!

 たくさん、たくさんっ、さがしたけど! だれもいなくて!

 わたしががんばるしかなかったのに! だれも見つけられなくて!!」 


「どうした、いったい何があったんだ?」


努めて冷静に問いかける声は優しいものであったが頭では想定以上の事態に

彼女が巻き込まれていると判断して表情は硬い。

果たして、その予想は次の言葉で肯定された。


「みんなつかまっちゃった! いつのまにかさらわれて! とじこめられて!」


「っ、お前だけじゃなかったのか!?」


「わたしだけ、ぐすっ、かくれられてっ、わたしがんばったけど!

 ……ううぅっ! でも、でもっ、ちょっとずつみんないなくなって!!」


「いなく、なった?」


「カイトお兄ちゃんは一番につれてかれちゃった!

 ほかにもいっぱい……このままだとマーサさんも!!」


「なっ、カイトにマーサさんまで!?」


なんだ。何が起こっている。何が起こっていた。

知った名前を、それも他にも被害者がいると聞かされさすがに愕然と

していた彼に少女は知らず、されど切実な想いを込めて悲鳴のように叫んだ。


「おねがい、お兄ちゃんっ! みんなを助けて(・・・)!!」


「─────」


瞬間どれだけの者がシンイチの目が切り替わったのを理解できたか。

一息もないまま彼は泣きじゃくる少女の頭を撫でる。されど求めに答える声は

表情以上に硬いものとなっていた。


「…出来るだけ急ぐ、だから……いや、まずはこっちか」


彼の視線が少女から離れ、室内にいた彼・彼女らに向く。

クララはそこで初めてシンイチ以外の存在に気付き、怯えたように

彼にしがみつくがその背を軽くさする手が大丈夫と伝えていた。


「アリス、頼んでいた物は?」


「??」


「はい、非常用として保管されていた物をいくつか融通してもらえました」


それでも言語が切り替わって疑問符と不安を顔に浮かべる少女を余所に

アリステルが差し出したのは金属的な光沢を見せる一つのチョーカー。


「それが?」


「ええ、これも翻訳機なんです。見ての通り首に装着するタイプで、

 お子さんやファッション重視の方がよく使うものですね」


耳にかける形のインカム型は現代では翻訳機を着用していると視覚的に

伝わり易いため最も多く出回っているのだが実は装着性や外れ難さ、そして

衣服との調和性では他タイプより劣っていた。


「聞きづらいんじゃないかと思うかもしれないけど主に骨伝導を利用して

 自分の声も相手の声もちゃんと変換して伝えられるから安心して。

 まあ、イッチーやその子が喋ってる言語は当然入ってないけど」


「ああ、分かってる。そっちは俺がやる」


チョーカー型翻訳機を受け取った彼はそれをそっと自らの額に押し当てた。

魔力を使って情報(データ)を読み取ったり、書き換えたりする要領で自らの知識を

魔力(フォトン)情報に変換して翻訳機に入力していく。彼にとって一番馴染み深い日本語を

ベースにファランディア語の文法、意味、訳し方を整理して装置に教え込む(インストール)


「ふう、これでいいはずだが」


外から見ればほんの数秒の出来事。

クララを保護した時点で用意していたとはいえ内部の翻訳システムを壊さずに

新たな言語データを組み込むのは彼が思わずため息をこぼすほど繊細な作業を

要求された。

内部を覗く、壊す、完全に組み替える、のならばもはやお手の物なシンイチだが

既存の翻訳機能を維持させたまま全く未知の言語をその枠組みに入れるのは困難

だった。それを行う彼がファランディア語と日本語しか理解していないためだ。

データを読み取るだけなら知らなくとも“解る”シンイチだが既存システムを

壊さずに別データを組み込むとなるとそうはいかない。

そのため余分な動作ではあるが装着者の発言も周囲の声もシステム内で一旦

日本語に翻訳してから必要な言語に再翻訳するという流れにするしかなかった。

手順を増やしてしまったが既存機能を壊さず、邪魔せず、組み込むにはそれが

精一杯。それでもゼロコンマ以下の誤差しか出ないのだから恐るべき技術力だと

シンイチは内心脱帽しているのだが。


「え、ちょっと待って、まさか…今の一瞬で?」


「あ、あははは……」


「…………」


一方、一瞬で未知の言語をプラスされた現代人達には驚愕しかない。

とはいえさすがにシンイチの何でもアリ加減には慣れてきていた彼女・彼らは

絶句しつつも流す事にした。そうするしかなかったともいう。


「クララ、これを首につけてくれ。

 チョーカーっていう首飾りだが俺以外とも会話が出来る機能(チカラ)がある」


「え、う、うん…」


戸惑いの表情を浮かべながらも受け取ったクララは翻訳機(チョーカー)を装着。

本人は特段何かしらの変化を感じなかったのだろう。本当なのかと疑うような

顔でシンイチ以外に視線を向けた。


「大丈夫、こいつらは信頼できる。

 それにこれから色々手伝ってもらう連中だ。きちんと挨拶しないとな」


「っ、そうだね、うん」


素直な頷きが返ったがそれが日本語での語りかけであった事には気付かぬまま。

彼の膝から下りたクララは背筋を伸ばして立つと不慣れそうではあったが

可愛らしいカーテシーを披露して自己紹介をした。


「お姉さんお兄さん方、はじめまして。

 デザール・リリー孤児院のクララです。今年で9才です。

 えと、得意なのはかくれんぼと花の栽培と氷魔法です。

 どうかよろしくお願いします!」


「おおっ、なんて言ってるか本当に分かる……氷魔法?」


「そこは今は横に置こうよ。

 ねぇねぇ、それでボクたちの言葉は分かるかなクララちゃん?」


「は、はい、わかります!」


「ふふ、とても素敵で元気な挨拶でしたよ」


「えへへ…」


褒められたことか。話が通じたことか。

何にせよ初めて笑顔らしい笑顔を浮かべる少女に皆も微笑む。

されど自分が何のためにここにいるのか一番分かっている彼女はすぐに

その表情を引き締めて懇願する。


「…あ、あのっ!

 今日はじめて会ったみなさんにするお願いじゃないけど!

 どうかマーサさんたちを助けるのを手伝ってくれませんか!?」


そして即座に助力を請う願いと共に深く、深く頭を下げた。

これに少女以外の全員がアイコンタクトと首肯で意思統一を済ませる。

代表してアリステルが一歩進み出て膝を折ると少女の顔をあげさせた。


「遅ればせながら、初めまして未来の淑女(レディ)

 わたくしはアリステル・F・パデュエール。この地の代表ではありませんが

 人々の安寧と守護を司るガレスト貴族の末席に名を連ねる者です。

 苦境にある民をただ見捨てるような事は我が家の名に懸けて致しません」


「あ、ありがとうございます!

 って貴族のお嬢様!? 言われてみればすっごくキレイ…」


「ふふ、こちらこそありがとう。

 あなたのような愛らしい子に褒められて光栄ですわ」


ほう、と見惚れるような表情をする少女にアリステルは素直に感謝を返す。

裏の無さ過ぎるその笑顔に少女の方が押されて視線を彷徨わせ、それが

たまさか合ってしまった彼は自己紹介という助け舟を出した。


「……あぁ、オレはシングウジ・リョウだ。

 お前のお兄ちゃんと同じ国の奴って言えばいいか?

 事情はわからんがそいつには色々と借りがあるんでな。

 出来ることはやってやるよ」


「はい、お願いします!」


「ちっ、安請け合いしたらこき使ってやろうと思ったのに」


「だろうな! だから予防線張ったんだよ!」


「それは、それは、賢くなったものだ……お兄さんは嬉しいぞ」


「てめえっ」


煽りを込めた軽い返しにぐぬぬと顔を歪めるリョウ。

それを見上げる少女は微笑ましいものでも見るかのように微笑んでいる。


「へへ、それじゃ次はボクかな。

 ボクはミューヒ・ルオーナだよ! そこのお兄さんとは…」


「へっ!?」


「…うん?」


「ああぁ……このお姉ちゃんな、そういう名前なんだ。

 呼びにくいならヒナと呼べ、俺もそう呼んでる」


「ええっと、ヒナさん? ヒナお姉ちゃんだね。うんわかった!」


「………どゆこと?」


「今更ネタばらしもなんだが、ファランディア語だとお前の名前(フルネーム)って

 めっちゃ口汚い罵詈雑言と発音が一緒なんだ」


翻訳機は人名の場合そのままの音で伝えている。

そのためクララからすれば突然自分を罵倒し始めたように聞こえたのだ。


「はいっ!? って、まさかそれで!?

 だから最初に名乗った時イッチーすごく変な顔してたの!?」


「……覚えてやがったか。最初は何の冗談かと思ったよ。

 余談だが、クトリアはファランディア語だと生贄みたいな意味」


「本当に余談! というか怖っ!」


「その場合あの人工島が生贄なのか住んでるオレたちが生贄なのか」


「どっちも違いますよ!? た、たぶん」


「ふ、ふふっ……」


わーぎゃーと言い合って、その賑やかさに幼い少女はくすりと笑う。

それを背後から見詰めるシンイチは我関さずの体で無言で肩を竦める。


「…………」


合理的に判断すれば。

あるいは救出(・・)を第一に考えるなら余分な会話かもしれない。

すぐ本題に行くべきではあろう。が、こういうちょっとした交流が必要だと

彼は判断していた。クララが断片的に語った内容を素直に受け止めるなら

これはマスカレイドが暴れただけでは解決しない問題だと感じる。無論、

この場にいない者も含めてシンイチが頼めば力を貸してくれる者は多い。

だがそれはシンイチだからという部分が大きいだろう。されどそこに助けを

求める少女自身との交流とその願いを直接聞くという儀式(イベント)が挟まれば

当人達のやる気と本気度は増す。協力する姿勢が大きく異なる。

ソレが今回必要だと彼の直感(けいけんち)は訴える。

尤もそういうことを当たり前のように頭の片隅で計算している自分を心底から

彼は軽蔑していた。難儀な男だと自身ですら呆れてもいるが。


「ねえ、お兄ちゃん?」


「どした?」


「あの、さっきファランディア語だと、って言ってたけど。

 それじゃあやっぱり、ここって異世界なの?」


「ああ、ファランディアでも俺の故郷である地球でもない。

 異世界ガレスト……その様子だと気付いてはいたんだな?」


「うん、見たことも聞いたこともない建物や乗り物がたくさんあって

 言葉も通じなくて、獣人さん達もどこか違う感じがしてたから…」


それらを実体験した瞬間を思い出してか少し顔が曇るクララに

もう大丈夫だというようにシンイチは目線を合わせながら頭を撫でた。

半分照れ臭そうにはにかむ少女を生徒達は微笑ましさと共に見守る。


「……どこか違う、か。

 さっき聞いた同種族か否かを判別できる感覚のことかな?」


「ファランディアの獣人とガレストの獣人を別種に感じたのでしょう」


そこまで判るのかといっそ感心しながらも憐憫の情も湧く。

見た目は似ていても感覚的に別と判別できるだけにこのガレストの地は

この少女にとってどれだけ異郷に見えていたのか。話も通じずどれほど

心細かったのだろうか。各々で形は違えどこの場に『孤独』を

知らない者は一人もいない。奇しくも誰かさんの思惑通り全員が

クララに感情移入し始めていた。


「あとマーサさん達は地球じゃないかって最初は考えてたみたい。

 私の話を聞いてからは違ったかって残念そうだったけど」


これに僅かな間のあと意味深に「そうか」と頷いたシンイチは一言断りを

入れつつ少女を再び抱え上げると隣に座らせた。彼の表情にはもう完全に

遊びがない。真剣なそれに全員が自ずとここから本題なのだと気を引き締めた。


「クララ、きついかもしれないが何があったか教えてくれるか?

 何が起こったか分からないと俺達も動きようがない」


「う、うん」


「お前らは分からない話が出ても今は飲み込んでくれ。

 先に流れを知りたい……クララも俺に伝わればいいから」


それぞれから頷きが返る。だからこそ視線が幼い少女に集まった。

緊張ゆえか息をのむ音がやけに大きく響いたように感じられる中、臆せず

クララはゆっくりと自分達の身に降り掛かった事件を語り出すのだった。

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― 新着の感想 ―
ミューヒ・ルオーナってファランディア後でどういう意味なんだろ?
[良い点] クララちゃんが、みんなと話せるようになって良かったです。そう改造できるシンイチさんがすごい。 シンイチさんに会えて良かったね。 [気になる点] ガレストが、ファランディアの住人を異世界召…
[気になる点] ファランディア2年が地球8年なら、 地球3ヶ月はファランディア1ヶ月弱だから成長してないのが普通な気もします 会ったときの反応が明らかに1ヶ月会えなかっただけのそれではないですが………
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