花の香り
シンイチが事前に気付けなかったのは中層には人気がまだあったのと
二人が彼の死角となる建物の影から現れたためである。尤も一番の理由は
シンイチの意識が主に可愛らしい反応をするフリーレに向いていたせいだ。
それだけにこの遭遇に彼は本当に意表を突かれてしまう。
何せ瞬間湯沸し器のように激昂した黒髪女子は年上ながら実の妹。
その背後で天を仰ぐ黒髪男子は同じく年上ながら実の弟である。
両親と並び異性を弄んでいる瞬間を最も見られたくない相手といえる。
実際はまだ何もしていないのと傍目からそういう関係に見えないため精神的な
傷を負うことはなかったが、やらかしかけた状況は充分に彼に衝撃を与える。
「ちょっと! 黙ってないでなんとか言いなさいよ!
なんで! あんたが! こんな所に! いるの!?」
「あ、いや、ええっと…」
しかもさらに問題だったのはただでさえ妹弟への対応が弱腰になるシンイチが
そのせいで最初から怯んでしまった点。いつもなら柔軟に、あるいは傲慢に、
ないし無視で、コトに対応できる彼なのだが実妹相手だと嘘のように役立たず。
生来の不器用さが全開になって脳内で右往左往するだけであった。
「……センバ、落ち着け。お前らしくもない」
──自分も兄の前ではこうなのだろうな
珍しくどう対応すればいいか分からないと狼狽える少年の姿に自身を振り返って
一瞬苦笑したフリーレは、ここは自分が出るべきと教師の顔で間に入る。
「っ、ドゥネージュ先生!? あ、すいません、お恥ずかしい所を…」
視界を遮るように登場した教師に慌てた少女・陽子は前のめりの激昂を
背筋を伸ばした緊張に変化させた。
「こんなかっこいいバイクと先生を眼中なしとか……どんだけだよ」
目立つ白銀ボディのバイクとスタイルの良さが際立つライダースーツの美女。
これが目に入らなかったというなら視力に問題があるかそれ以外の何かである。
それを「こじらせすぎ」と弟・陽介は若干呆れた生暖かい視線と共にひっそり
呟いていた。お前がいうなという突っ込みが出来る者は残念ながらいない。
「ところで先生たちはどうして中層に?」
自覚のない弟はだからこそフォローとばかりに話題をずらす。
フリーレからしても渡りに船ではあるがそうなると教師として確認すべきは
彼ら自身のことである。
「それはこちらのセリフだ。お前たちの担当は内層だったはずだが?」
「いえ、じつは探索したエリアで逃げ遅れたと思しき子供を発見して…」
「そ、そうなんです!
意識が朦朧としていたのか話が通じず、名前も分からず、あちこちに
相談して一番近い場所にあったここ中層の避難受付所へと預けることに
なったのですが……一度抱えたら制服をがっしり掴まれてしまって」
「こんな状況ですから無理やり引き離すのもあれかと思って自分達で
送ることになり、先ほど係の人に預けて……今はその帰りなんです」
「そういうことか……よくやってくれた。
しかしすまないな、まだ学生だというのに働かせてばかりで」
「いえ、状況が状況ですから。
それで先生たちはどうして……その、自分達が聞いていい話でしょうか?」
当初の疑問と話の流れから再度聞いてみた陽介であったが、言葉途中で
フリーレの場合生徒には言えない何かである可能性もあったと気付き、
まずはそこから問うた。尤もこれに助かったのは彼女の方。おかげでどう
誤魔化すかを思い出せた
「ん、内容は言えんがこちらに直接顔を出す必要が出たのでな。
ナカムラを連れてるのは監督役として一人にするわけにはいかないのと
生徒同伴なら学園関連だと周囲に思わせられるから、といった所か」
なるほど、と疑うこともなく頷く双子。
うまく誤魔化せた、と顔に出さず背中で安堵する女教師。
それ俺が出発前に教えた言い訳ですよね、と隠れて苦笑する少年だ。
「ああ、だからバイクですか?」
「この状況で飛行許可申請を一々出すのは手間をかけるだけだし、
ゴラドタクシーは避難補助や地上の足として全車稼働中だからな。
いま私達しか使えないこういうのの方が気楽だったんだ」
「そっか、外部動力型はフォスタがあれば動かせるから」
「今は軍の人か俺達以外使えないから気兼ねなくってわけですね」
ガレストにおける様々な車体は動力源を外部に依存した物が多い。
フォトンの節約と人々の日常の足であるゴラド牽引型への容易な転用を
可能とするためである。今回フリーレが借りてきたバイクもまたそのスタイルを
受け継いだ物。形状とサイズからゴラド牽引が難しいためフォトン動力の端末に
完全依存したタイプで現状のオークライでは無用の長物となっており事実上
学園専用の車種になっていた。
「ところでお前たちは歩きか?」
一方で双子は手ぶらで同行者もいない。
ここが内層、中層の境目でそこに歩きで来た点からここから何か利用して
戻るとも思えず確認すれば双子は種類の違う苦笑を浮かべながら頷きを返す。
「ああ、えっと、受付所の方が送ってくれると言ってくださったんですが…」
「私が、その、手間をかけさせたくなくて断ったんです。
元々たいした距離でもありませんし迷子が実際にいた以上他にいないとも
限りませんから見回りながら帰りたいと思いまして」
「……なるほど、じつに血筋を感じる真面目さだ」
「はい?」
「ゴホンっ」
「っ、い、いやなんでもない!
詳細は分かった。気を付けて戻るといい。
何かあれば他の先生かパデュエールに指示を仰げ」
「「はいっ」」
頷きあった双子は短く挨拶をすると並んで彼らの前を通り過ぎていく。
すれ違う瞬間、陽子はシンイチを睨んだが我関さずの体を崩さない彼は感情を
読ませない顔で妹の厳しい視線をただ受け止めるだけ。
「このっ!」
「っ、姉ちゃん行くよ!」
その態度こそ気に入らないと再び沸騰しそうになった姉を抑えるように
宥めた陽介は複雑な表情ながら彼女を引っ張って連れて行こうとする。
対応を間違えたかとポーカーフェイスの下で思考するシンイチだが、では
どうするのが正解だったかと瞬間的に─無駄に─経験値を働かすが分からない。
肝心な時に役に立たない、と内心で三千年に及ぶ邪神の英知を罵倒した。
「ん?」
そんな意識を現実に呼び戻したのは鼻腔を刺激する微かな匂い。
ふわりと漂った芳しさはよく知るモノで───認識した時にはもう腕が伸びた。
「えっなに!?」
掴んだのは物理的にすれ違いかけた妹の腕。引っ張られた形でつんのめり、
歩みを止められた彼女が振り返ってみせた顔には戸惑いだけがあった。
それを見ていないのか気にしていないのか。真剣な表情で兄は問う。
「そのニオイ、どこでつけてきた?」
要件をまとめ過ぎた形で。
「え……え? に、ニオイ!?
うそ、まさか臭いの!? ヤダっ離してえっ!!」
年頃の少女らしい反応をして手を振りほどこうとするが強く掴まれた腕は
びくともせず、シンイチはそれを意に介さず─そして理解せず─むしろ力尽くで
引き寄せると真顔のまま妹の胸元で鼻をひくつかせる。
「ちょっ!?!」
「お、おいナカムラ!?」
「このニオイっ、やっぱりステラの花!
おい、陽子! どこでこのニオイを!? 答えろ!!」
「うえっ!? いきなり呼ぶなっ!
花なんてわかんないわよ! 最近触った覚えもないのに!!」
「……でも花っぽい香りがついてるのは本当みたい。けどこれバコパかな?」
慌てる陽子と違い、確かめるように常識的な距離感で鼻を寄せた陽介も
姉の胸元から嗅ぎ慣れない香りを感じていた。同時にここ最近、彼女が花の類と
接触したことがないのはほぼ一緒に行動していた彼にもわかっていた。
であればこの匂いはどこで何からついたものなのか。
そこまで思考した陽介の脳裏には閃くものがあった。
「あっ、もしかしてあの子からの移り香?」
「そっか、ずっと私が抱えてたから…」
「──画像を寄越せ」
弟妹が言い切る前に察した彼は目線を双子の背後に向けながら小さく呟く。
光学迷彩で隠れている護衛だったが相手がシンイチなので驚きさえなく、
だが必要もないのに頷きを返したのは潜在的な畏怖からか。即座に送信された
画像データを自らのフォスタで受け取ったシンイチは我が目を疑った。
「なっ────クララ!? なんでお前がこっちに!?!」
「へ?」
「え、誰?」
双子は揃って突然兄が発した人名と驚愕具合に首を傾げていた。が。
「陽子、陽介!」
「「は、はい!」」
即座に届いた鋭い視線と呼びかけに揃って背筋を伸ばして返事をしていた。
半ば条件反射である。まるで教官と生徒だとフリーレはこの兄弟達のかつての
力関係に一瞬思いを馳せ、すぐに首を振る。彼の反応を見るに今はどうやら
そこを気にしていい状況ではないらしい。
「この子を預けた受付所ってのはどこだ!?」
双子が突き付けられたフォスタの画面にはさる少女が映っていた。
年格好から年齢は二桁に届いているかいないかという程度。
キャラメルブロンドの髪を短くまとめた愛らしい姿の女の子が陽子の腕に
抱かれる形で眠っていた。どうしてそんな画像を彼が持っているのかと
疑問に思う暇もなく双子は慌てつつも聞かれた事を答える。
「そ、そこの曲がり角の向こうです!」
「道なりに真っ直ぐ行った先にあります!
まだ何人か人もいたから行けばすぐにわかるかと!」
弾かれたように駆け出したシンイチはちょうど双子がやってきた角に飛び出し、
その道の先を見据える。だが立ち並ぶ建物の全高も外観もほぼ同じなために
ここからではどれがその建物か分からず舌打ちしそうになる。
「あ、あれです。目立つように上の方だけ赤色になってる所!」
「緊急時には避難関係の施設はああなるようになってるんです!」
単に追いかけてきたのか。分かりづらいのを察したのか。
続いた双子からの追加情報に彼の目はその特徴の建物を見つけ、そして
一度は止めた舌打ちを盛大にする羽目になった。
「ちっ!」
学園が宿泊施設を復活させたのと同じ方法で機能を取り戻したのか。
目印としての働きを十全に果たしている、最上階の壁面を彩る赤色。
されどそこには現状別の色も混ざっていた。
「え、うそ…さっきまでなんとも!」
他の目立たない配色の建造物が邪魔でどうしてそうなってるのかは分からない。
「な、なんで、煙が!?」
立ち並ぶ建物の影。基部と思われる場所から昇る黒煙があった。
遠目からでもはっきり目視できるそれが天井に届かんとばかり空を染めていく。
しかも二、三度爆発音のようなものが薄っすらと響いてくる。事件か事故か。
どれにしろそこでは“今”何かが起きている。
「待てナカムラ!」
驚きと困惑から固まっている双子を他所に。
女教師からの静止の声を聞き流してシンイチは駆け出していた。
件の建物へ───ではなく停めてたバイクに向かっている辺り、妹弟の
目がある事を理解する冷静さはあったらしい。逆を言えば移動手段しか
気にしていないともいえるが。
「悪い! あと頼む!」
だからか。飛び乗るようにバイクに跨ると同時にフォスタを外して持ち主に
投げつけながら自分のフォスタを代わりに差し込む。瞬間、白銀のフルカウルが
ブラックメタリックのそれへと変化する。彼の─魔力─支配下に入ったのだ。
そしてハンドルを握りしめたのと同時に急速回転し出したタイヤが路面を
焦がし、次いで車体を弾き飛ばすようにトップスピードで走らせた。
そんなロケットのような加速であったが直後冗談のように、まるで見えざる
巨大な手によって方向転換させられたように直角に曲がると受付所を目指し、
あっいう間に視界から消えていった。
「………」
「……………」
突然の事態に頭がついていかない双子を置いてけぼりにして。
これ以降登場する新キャラの名前をクララに変更しました
(2023 0130)




