オークライの長い一日14
──これは少し前の、あの戦いの後の出来事
「兵どもが夢のあと、か」
深い闇の中にある人気の無い森林。
月明かり、星明りさえうまく届かないそこは真に暗闇だ。
しかしながら怯えた様子もなく佇む少年は自然体でそこにある。
尤も。
『ええっと、ニホン語の慣用句でしたか? どのような意味が……』
全身装甲型外骨格で肉体を覆い、その多様な機能のおかげで周囲の状況が
理解できる彼女からするとそれは気味が悪いほどに不自然な光景であるが。
「いや、昔の詩人? いや俳人だったか?
なんかそんな感じの人の……俳句、だったような?」
そこで当人が口にした言葉を首を傾げられながら説明されると反応に困る。
「よく知らねえんだが、まあ一度言ってみたかっただけだよ。
どのみちここで散った連中は兵ですらないゴロツキだしな」
そして案の定か。当人は砕けた態度と露悪的な雰囲気で喉の奥で笑う。
ほんの数時間前までここで殺し合いが行われていたことを考えれば
なんとも合った態度でありつつ、そしてどこか合わない空気感でもあった。
「で、ヒナがモニカの護衛としてホテルに同行したこのタイミングで
後片付け中の君らから突然メッセージが入ったから来てみたわけだけど……」
──なにか、用?
されどそれは即座に一転して、気のいい少年のようであった表情が消える。
暗闇の中から感情の見えない目と顔でこちらをしっかりと見据えてながら。
視線が圧を持つ。それをこれほどまでに実感させてくる者はいないと
彼女は反射的に下がっていた足を戻しながら向かい合う。
『ぅっ、く!
……ま、まず呼びかけに応じてくださり感謝します。
それで、あぁ……その、なんとお呼びすれば?』
「姿に応じたものにしてくれればいいよ。
それに報酬代わりとして対話を求められたんだ。
実際にそうするかは別として要求を聴くぐらいはするさ」
『あ、ありがとうございます。では今はナカムラ殿と。
私はルビィ、隊長が率いるクリムゾンレディズで副隊長を任されています』
「うん、教会で掃除してる時、屋根にいた娘だよね」
『っ、さすが、ですね』
「くくっ、正直に不気味って言ってもいいよ、自分でもそう思うし。
だからこそ……直接話をしてみたくなった、かな?」
『っ……隊長が「時折心でも読まれているのではないかと本気で疑う」と
仰っていたのが理解できます』
それほど的確にこちらの心情を見抜いた言葉であった。
ただ少年はその表現に苦笑と共に首を振る。
「さすがにそれは直接頭でも掴まないと出来ないかなぁ」
頭を掴めば出来るのか。フルフェイスの中でルビィは顔を引き攣らせる。
冗談ともとれるがそれを尋ねる勇気はなかった。ましてやそれは本題ではない。
「というか、ちょっと考えればわかることだろ?
大事な上司が側で監視しなきゃいけないのが俺みたいな奴なら不安過ぎる」
だから自分達自身でせめてその人間性を確認したい。そういうことだろうと。
『えっと、その、まあ……端的にいえば?』
まさにその通りではあったが当人に言及されると素直に認めにくい。
実力が別次元にある相手であるため余計に。
「だよねぇ」
けれど彼は、当然、わかるわかる、と自分が対象なのに何故かこくこくと頷く。
その表情には当初見せていた少年の顔が戻っている。互いの立場上
威圧はしたがあくまでポーズでしかなかったということか。あるいは話が
自分への不信だと確定したから「それはしょうがない」と気を緩めたのか。
『隊長が難儀しているわけですね』
なんとなく後者のような気がする、と思わされてしまう空気感が特に。
少々独特ではあるがどこにでもいそうな少年の顔と二世界の脅迫者たる
強者マスカレイドの顔。どちらも持ったままどちらもブレず、瞬時に
どちらにもなりえる。並の人間では心臓がもたないだろう。
『……なんでしょう、不安が増してきました』
「あははっ、正解!」
思わずこぼれた不信に手を叩いて大笑するその原因。
お前がいうな、と喉まで出かかった言葉を止めて上司の苦労に感じ入る。
しかしながら上司をよく知るがゆえに、だから、放っておけなくなって
しまったのだろうという想いも浮かぶ。この厄介で困った少年を。
だから。
『……多くは語れませんが隊長は私達の尊敬する戦士であり上司です。
そして私生活では姉のような人で、恩人でもあります』
「うん」
『もし不当に傷つけたのなら命を懸けてでも必ず一矢報います!!』
それだけは精一杯の気迫と共に宣言しておかなくてはいけない。
自分達程度の命では届かないと分かっていてもその意思をせめて示す。
一笑に付されても構わない。それが自分達の曲げられない想いだと
わずかな緊張と共に世界最強最悪の男に告げる。
「心得ているよ」
『…………』
しかし返ってきたのは拍子抜けするほどに穏やかな了承。
そこに気遣いの色はなく、どこまでも当たり前の話で当然の想いであると
受け止める自然体の少年がいるだけ。こちらがテロリストで、死の商人、
人殺しであることを知っているのに一人の人間として対等に向き合って。
「それと、ありがとうルビィさん」
『え?』
「不当、とわざわざつけてくれた気遣いに感謝する」
俺達は傷つけ合わないのは無理だろうからな。
小さく下げた顔をあげてどこか寂しげな苦笑と共にそうこぼす少年は
正しく言葉を受け取っていた。だから避けられないいつかの対立を慮った
ルビィの気遣いに礼を口にする。それもまた当たり前のように。
──なるほど、隊長はこういうのにやられたのね
納得と理解が及んで、ならばあと確認すべきは一つだけ。
『そういえば、些細な疑問なのですが』
「ん、なに?」
『いまナカムラ殿は昼間のように周囲が見えている、と考えても?』
「ああ、暗闇でも視界が遮られることはない。
ルビィさんの赤い鎧もばっちり見えている」
『そうですか、では』
唐突ながら自然な口調での問いかけ。
特に気負った様子も見せずに彼女は突如赤いフルフェイスのメットを外す。
肩まで伸ばした薄紫の髪をふわりと翻しながら彼女は少年に顔を向けた。
「ん?」
二、三度瞬きをしつつもこちらから離れない彼の視線にルビィは緊張と
不安から顔が強張る。いったいこの彼から自分はどう見えているのか。
そしてどんな反応を示すのか。思わず息を止めて固まった彼女に少年は。
「──────!」
手をポンと叩いて彼女をしばし唖然とさせる言葉を告げた。
この男は何を言ってるんだ。という呆れを抱きながらもルビィは自分達の
隊長はやはり人を見る目が確かなようだと胸を撫で下ろして苦笑した。
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「黒衣の仮面って」
「まさか!」
真紅の傭兵ルビィが告げたそれに姉弟は顔を見合わせながら同じ存在を
思い浮かべた。二度の事件で自分達を助けてくれたカレ。不可思議で、
不気味な姿ではあったがどこか頼りがいを感じさせるそのヒトを。
『はい! 感激するのも訝しむのも自由だけど今はやめようね!』
パンッと手を叩いて注意をひいたルビィはまるで教師のように彼らの
注意散漫を指摘する。だが手を叩いたということは現状は空手という事。
一瞬前まで両手に持っていた奇妙な形状をしている二振りの大型手斧は
彼女の手になかった。姉弟をメッと叱る全身装甲で顔の見えない彼女の
背後で縦横無尽に飛び回って敵を片付けていたのである。
仕草だけとはいえ可愛らしく振る舞うルビィと背後で一方的な蹂躙劇を
続ける凶悪な外観の凶器。両者のギャップに姉弟は若干引いている。
「わ、分かりました」
「…………」
刃は潰してあるようだが小学生の背丈ほどの武器だけに刃物が鈍器に
変わっただけに思えるがどんな手品か輝獣は切り裂いているが囚人達は
弾き飛ばして命に別状はない。無論彼女が最初に吹き飛ばした者達も。
しかも手際よく拘束系のスキルも使ってその後の身動きを封じるのも
忘れていない。そんな手慣れた振る舞いと余裕ある空気感には圧倒的な
経験の差を感じざるを得ず、その言葉には強い説得力があった。
『それとお姉さんの方のキミは下がって非殺傷スキルで援護を。
ここは代わりに私が受け持つ……わかるでしょ?』
「っ、はい……」
『ふふ、落ち込む必要はないわ。いまあなたは素直に引き下がった。
自分が出来ない事を認め、出来る人に任せられるのは立派よ』
「あ、ありがとう、ございます……下がって援護します。ご武運を!
陽介も、ごめん、空は任せた!」
「うん、任せて!」
いくらか気持ちをあげた姉を明るく頷いて見送った陽介は彼女が
バリケードの奥に引っ込んで正面以外から迫る輝獣や囚人たちに向けて
攻撃スキルを放ちだしたのを見て安堵する。そう、最初から非殺傷系を
使えば良かったのだ。あの強力な武装を携える者達にはいくらか防がれて
しまうかもしれないが広域タイプならその限りではない。いらぬ思考に
捕らわれた陽子は普段ならできたその考えに至れず追い込まれたのである。
姉に見せたのと違う苦々しい顔で振り返った陽介だがその先には真紅の
フルフェイスがあった。
「っ!?」
『キミはそつなくこなすわね。
お姉さんが心配で慌てて降りてきたのかと思ったらちゃんと
固定砲台スキル設置してくるんだもん、感心しちゃった』
やるわねと上を指差すルビィがいう通り彼が先程まで守っていた場所では
フォトンで構成された半透明の、人の腕ほどの砲身がいくつも並んで
迫る輝獣の群れにただただ光の砲弾を叩き込んでいた。
『あれって使い道あったのね。
射線変更不可、低威力、フォトン使用量対効果が悪いと評判なのに』
「こんな状況でなければ使いませんよ」
少数での防衛戦。対低ランク輝獣戦。一時的な戦線離脱。などが揃って
やっと利用価値が生まれる攻撃スキルで所謂作り手と現場の認識のずれが
生み出したスキルといえたが妙な使い方を思いつく兄の影響で様々なスキルの
特性と利点を勉強し直していたからこそすぐに浮かんだ方法でもあった。
されどそれを誇るでもなく陽介は睨むような視線を彼女に送る。
「それよりもルビィ、さん……どうして俺達を姉弟だと?」
彼女に聞きたいことは山のようにあった。
だがまず確認しなければいけなかったのはその点である。
先程彼女は自分達を姉弟と言い切った。これが初対面であるはずなのに。
最初から知っていたのか。知っていたのなら誰から、どうして。
疑いと警戒の視線にだがルビィは動揺もなく、また簡単に答えを告げた。
『あれだけ姉ちゃん、姉ちゃんと叫んでたら誰でもわかるわよ』
「っ、それは……って、聞いてたってことはあんたいつからここに!?」
『ふふ、援護するのが遅いって文句なら依頼人にしてね。
その場の人間がなんとかできそうなら見守りに徹してくれ、ていうのが
クライアントの意向だったのよ』
「あっ、そう……ですか」
つまり少なくともこの女傭兵はもう陽子達では無理だと判断したということ。
悔しいが陽介はそれを否定できるものを何も持っていなかった。
不甲斐なさから顔を俯け、歯噛みする。自分がもっとうまくやっていれば。
『……相手の事情ばかりに目が行って傲慢さが足りない妹と
冷静で判断力はあるけど身内への情から背負い過ぎる弟といった感じ?
隊長が変なところだけ似ちゃったというのも分かる気が……』
「あの、ボソボソと何を?」
『ううん、お姉さんの方と同じく聞き分けが良過ぎねって。
悪いことじゃないけど、時々はわがままいわないと疲れちゃうわよ?』
「……さっき姉に言ったことと何か違いませんか?」
『あれはお仕事論で、これは人生論だもの』
何かはぐらかされたように思えてしまうがどちらも正論で言い返せない。
否、言葉上はさして不備がないのでツッコミ難い、が正確か。
──ここまで、だな
「色々気になりますが……ともかく姉を助けてくれてありがとうございました」
複雑な表情を見せるが、すぐに首を振って彼は礼の言葉と共に頭を下げた。
彼女の援護で小康状態にあるとはいえこれ以上は問いかける余裕はない。
それにどのような疑問も様々な経験値が違うこの女性相手では満足のいく
返答がもらえるとは陽介は思えなかった。ならせめて感謝だけは伝えたい。
『だから、私は依頼通りにしただけよ』
「それでも直接姉を助けてくれたのはあなたですから」
そうはっきり言えば少し戸惑ったような空気が相手から流れたが、続いて
聞こえたのはフルフェイスの内からこぼれ出た微笑みだった。
『フフッ、違う顔なのに同じ表情しちゃって』
「え?」
直接は見えない。
けれどこちらを見る視線が、向けられる声が、一段と柔らかくなる。
少なくとも陽介はそんな感覚を抱いて────油断した。
『なんでもな────っ、下がって!!』
見えてはいても対応できない速度で伸ばされた腕に突き飛ばされた陽介は
地面を転がされたがその勢いは即座に彼女の腕力以上のものが追加された。
耳をつんざく轟音と人を容易に吹き飛ばす衝撃。陽介は二重に突き飛ばされ
ながらそれが何者かによる攻撃と判断した。咄嗟に地面に腕を刺して強引に
自らを止めると跳ねるように立ち上がる。まず見たのは一瞬前まで自分達が
いた場所。直径5mほどのすり鉢状に出来上がったクレーターに寒気を。
その向こうにいた無事な姿の赤い鎧に安堵を。そして外骨格が記録していた
情報から逆算して導き出されたその攻撃の発射地点に、驚愕と苛立ちを。
「っ、今度はなんだよそれ!?」
オークライが災害に襲われてから此方は予想外の出来事ばかり。
いいかげんにしてくれとでも嘆くような少年の叫びはしかし彼ら自身のように
流されていくだけだった。