オークライの長い一日12
じつのところ。
マスカレイドは防壁に開いた穴を認識した時点で十二基地に転移していた。
まずでかいトカゲに目は引かれたが意識は基地全体を即座に走査する。
全てのニンゲンにマーカーをつけながら今にも消えそうな生命の気配を
大きな溝のような破壊痕から見つける。周囲には既に死した者達の身体が
あったが彼らが盾になるようにその人物は溝より深い場所に埋まっていた。
状況から周囲の者達が咄嗟に、命懸けで作った穴に彼を放り込んだのだろう。
転移魔法の応用で救出し治癒魔法で強引に応急処置をするがそこで怪獣を
引きつけて外に誘導している飛行兵の背後から迫る炎に気付いたカレは
直撃直前に彼を転移させて手元に引き寄せる。直前の衝撃や熱波自体は
避けられなかったのかその時点で気を失っていたが命に別状ないと確認すると
気にせず二人とも抱えた。複数の熱線が基地を襲ったのはまさにその時だったが
直撃やその余波から人々を転移や障壁で守護すると運良くどちらの影響も
受けてない場所にいた意識のある若い軍人に抱える二人を押し付けると
周囲の倒れている同僚達含めて転移させた。これは逃がしたというより
足手まといを全員排除した、が感覚的に近い。好き勝手に暴れ回る怪獣達の
脅威度を初見時より引き上げざるを得なかったためだ。
『今のを食らって傷無くあっさり立ち上がるか……タフだな』
負傷者の避難優先でとりあえず殴り飛ばしたが同時に半ば以上倒すつもりで
放った、力を実体化させた剛腕での一撃であったがダメージは見受けられない。
そんな二頭と同格と思われる巨体が防壁内に五頭。そして外からも同種の
気配が他に複数。周囲の被害を抑えられる範囲の攻撃では実に手間取りそうな
相手と数であった。溜め息がこぼれる────面倒臭い。
『よし殺そう』
どうせ基地も壁も壊れてるんだから多少暴れ回ってもいいよね。
気軽に、あっさりと、躊躇なく、出した抹殺判断は、だが。
『待て! 待ってくれマスカレイド!』
基地上空に突如開いた大型空間モニターから知る声で「待った」がかかった。
それは本来は基地内アナウンス用の通信設備を使ったもので、奇しくも仮面が
飛び上がっていた場所の近くに開かれたためカレの物騒な発言は相手に
届いていたのだろう。焦り顔で必死に止めようとする女性─フリーレの姿に
仮面は怪獣達を警戒しつつも動きを止め耳を傾ける。
『ああっ、危なかった! 間に合った!
気付けばいなくなってたからまさかと思って繋いで正解だった』
『……半壊を全壊にするのはやはりまずかったか?』
『え、ちょっ、お前何する気だったんだ!?
あっ、いやそれより頼む! グラシオスを殺すのはやめてくれ!』
『グラシオス、ね。
アマリリスといい花の名前みたいな名称つけやがって。
……で、なんなんだこの頭がおかしい怪獣どもは?』
『ん、頭が、おかしい?』
彼女の中でこの怪獣─グラシオスとその表現が結びつかなかったのか。
困惑の顔を横目に仮面は不意に左前腕を立てて頭部の横に掲げた。
直後、力強い風切り音と共に長く巨大な尾が仮面に叩き付けられた。
『っ、マスカレイド!?』
それは人間が蚊を潰すような絶対的な質量差による一撃で、爆撃もかくや
という衝撃と轟音を響かせた。が、それは仮面どころか掲げた左前腕部すら
微動だにできず逆に叩き付けてきた尾が跳ね返る。弾かれたように戻る勢いに
グラシオス自身が振り回されてその巨体がひっくり返ったほどだ。
『…………え、ええっと、ケガはないか?』
いくらかその非常識な能力に慣れてきたとはいえ圧倒的な体格と質量の差を
無視した光景には我が目を疑う女教師。しかしまずそこを確認するところが
彼女の良さであろうと見えないのをいいことに頬を緩めるカレだ。
『問題無い、心配感謝する。
が……見ての通り平然と私に攻撃してくるんだ。おかしいだろ?』
『う、うぬ?』
『今まで色んな生物と相対してきたが私を微塵も怖がらない奴は初めて見たぞ。
並の相手なら気絶するレベルで威圧し続けてるというのに』
『え?』
『それでさも当然のように、ほらまた来た』
他の個体が次々と火球を放ってくるがそれらはカレが右手を翳すだけで現れた
周囲の暗闇より色濃い黒い幕のような障壁に吸収されて消えていく。
だがそれを見ていながらグラシオスたちの攻撃は止まなかった。
『普通ここまでやれば恐怖云々以前に力量差を理解して弱腰になるものだが。
ふぅ、こいつら生物として何かが壊れているのではないか?
いや、もっと端的にいうなら、そう────馬鹿なんじゃないか?』
『…………』
『あ、あはははっ!!
マスカレイドにかかれば災厄の獣たるグラシオスも
頭おかしいバカでしかないのね、ふふっ、あはははっ!!』
あんまりといえばあんまりな表現に唖然とした彼女の横に。
新たなモニターが開かれて、腹を抱えて笑う女性の姿を映す。
『城田教諭っ、割り込まないでください!』
『ええ? 繋いだの私なのにぃ?
でもっ、うふふっ、いやぁ、じつにおかしいわっ!
マスカレイドの分析とっても正解よ!!』
『は?』
『……知ってるなら笑ってないで説明してほしいね。
それこそ馬鹿でも解るぐらい簡単に』
『あははっ、さすがにグラシオス相手ならサジ投げるけど君ならいいよ!
グラシオスは元々その巨体からすれば異常に小さなサイズの脳をしてるの。
しかも最新研究だとそれだけじゃなく生物としての本能というべきもの。
特に危険察知能力が異常に低いことが判明してるわ。頑丈さと特性から
実質的に外敵がいなかったせいじゃないかといわれてるけど』
『……巨体であることを除けばアマリリスの足元にも及ばないのにか?』
『ええ、それこそ人語を理解できる賢い生き物と頭おかしい生物だからね。
戦うことのデメリットが在り過ぎて彼らでさえ戦闘を忌避するのよ』
『デメリット?』
『それは、いや待て後ろ!』
「グギャアアァァッ!!」
火球の斉射では埒があかないとは分かったのか。
背後で雄叫びをあげたり、転んだ個体が起き上がったりして迫ってくるが
カレはそれを見ることもなく学生の趣味品の蛇腹剣をムチのように使って
弾き飛ばしながら、フリーレに向かって説明しろと視線を送る。
一瞬、遠くを見て何かを諦めた目をすると彼女は語り出す。
『……城田教諭の言う通りアマリリスでも余程の事がなければグラシオスと
戦うことをしない。実際、政府認定の危険度においても最上級に位置する』
『話を聞くにあの巨体や凶暴性、頑丈さ以外に何か厄介な特性持ちというわけか?』
『ああ、グラシオスの体や血液はとてつもない有害物質の塊なんだ。
人体にも環境にも猛毒で、大昔そうとまだ知られていなかった時代に奴の
被害を抑えようと数多の犠牲を出して駆除したが周辺は二百年以上も誰も
住めないどころか近づけもしない土地になってしまったという』
『あ、補足すると現代の技術でも汚染除去には数十年単位が必要な程よ。
わたしでも30年くらいは欲しいなぁ』
『しかも血液は空気に触れると揮発しやすいうえに有害性は変わらない。
今のオークライで多量の血液が気化したら数万単位の死者が出るぞ!』
『…………マジかよ』
さしものカレもその説明に暴れさせていた蛇腹剣の動きを止めた。
殺すなと言及されていたので近寄らせないようにしていただけだが
流血すら問題になるとわかれば慎重にならざるを得なかった。
尤も見た目以上の頑丈さから傷一つ付いていなかったが。
『どうしてかはまだ謎だけど生きている個体からは有害物質は出ないの。
有力仮説として自分の有害性に負けない中和能力があると見られてるわ』
『そして外的要因以外の死因、ようは寿命や病気などで死ぬとその中和能力と
体内の火炎器官が暴走して有害性ごと燃やし尽くして無害な灰にしてくれる。
だが……』
『外的要因、つまり外傷による殺害だとそれが起こらない?』
モニター向こうでフリーレが緊張した面持ちで、城田奈津美が童の笑顔で頷く。
ネットワークが死んでいるため確認が取れないがこの二人が同じ知識を
有しているのなら疑う余地もない。溜め息混じりにモニターに背を向けた
マスカレイドは再び起き上がってきた五頭のグラシオスと向かい合う。
『有害物質の塊でありながら凶暴で頑丈で、頭が悪い怪獣ときたか』
殺すことは出来ず、倒すのも難しく、放置もできない。
そのうえ恐怖を感じることも力量差を理解する頭もない。
それが内と外を含めて複数体もいる。最悪などという言葉が
とても軽く感じる最悪さであった。
『よくもまあそれだけの面倒臭さが集まったものだ。
普段はどうやって対処しているんだ?』
『一昔前に人の耳には聞こえないある特定の周波数の音を嫌って近寄らない事が
判明してガレストの全都市では常にそれを発しているんだが……』
『……都市機能のマヒでそれも止まっていたか。
それで偶然近くにいた群れが、偶然オークライに近付いて来て、これか』
──ああ、原因は俺だな
内心舌打ちしながら魔力を迸らせ、放出すると蔦のように展開して
怪獣たちを縛り付ける。巨体はそのパワーでもって縛りを破ろうともがく。
魔力蔦はいくらか耐えているが徐々に崩壊して霧散しているため長くは
もたないだろう。
『基地さえ機能していれば接近に先んじて気付き、囮部隊で都市から
引き離すということもやれたがもうそれが出来る段階じゃない。
グラシオスは一度暴れ出すと標的を破壊しつくすまで興奮状態になって
その音も効果がない!』
『この場合の標的は……』
『十中八九、オークライそのものだろう』
退治どころか撃退も難しい有害怪獣が何体も災害下の都市を狙っている。
強襲された形とはいえ一基地の戦力が相手にならないことを考えれば軍は
足止め出来ても犠牲を出すだけだろう。オークライの状況を考えればその
人員は救助作業や市民の保護に回すべきであるがこの怪獣達も放置できない。
『すまないフリーレ・ドゥネージュ。先程の暴徒鎮圧はキャンセルする。
こいつらの相手は……私が適任だろう』
『っ、ありがたいが具体的にはどうするつもりだ?
今回ばかりはお前の強さが逆に不安だ、しかも一人でなんて!』
『心配するな、殺しも流血もさせない。
少々力尽くになるが都市から引き離して、さっきみたいにビシバシ叩いて
バカでも解るぐらい力の差を教育してやるっ!』
暗く、されど攻撃的な気のこもった言葉にモニター越しの彼女も息を呑む。
けれどすぐにその決意のほどを、言葉の重みを理解する。
『だから────後は頼む』
『っ、無論だ。全力を尽くそう』
神妙に、力強く、フリーレはその豊な胸を張って頷いた。
安心させよう。問題などない。と訴える気遣いに見えずとも頬を緩ませる。
おそらく今日中にはオークライには戻ってこれない。グラシオスの厄介な
特性への対処案が無いわけではないが情報の多角的な確認と検証が
出来ない中で実行するにはこの土地の未来と都市の全人命を賭けた
あまりに危険な実験行為にしかならない。
うまくいくと思ってやってみたけど失敗しました、では許されない。
だから、宣言通り、力尽くで、自分が、相対して抑え続けるしかない。
理解できるかどうか分からない力の差というものを叩き込みながら。
『だがあなたはもう大きな働きをした後だ。無理はしないでくれ。
遅くても翌朝には援軍が来るはずだから何なら押し付けても構わん。
どうせ元帥の部隊だろうからな、いい薬だ』
『フッ、覚えておこう……ま、私がいない方が平和だろうしな』
『おい!?』
独り言を耳聡く聴き付けた女の怒声を背に空を駆ける。
実はそこに不安はあまりない。持久戦は苦手ではあるがさしたる労力ではない。
むしろこれから先この都市で起こる問題にカレは関われない事は不安か。
だがそれとてもう殆どの軍や警察、救助隊は正常に動き出しているし
大きな問題は処分した。そして怪獣の群れは自分が連れていく。
ならばかえって安全だろう。
『吹き飛ばせ、重力』
「グオッ、グギャラッ!?!」
魔力蔦が限界を迎えて霧散したのと同時に放たれたのは単純ゆえに強力な
重力波を作り出した魔法の言霊。使い手の意志に応えてまるで風が落ち葉を
飛ばすように基地内に侵入した怪獣達を全て穴から外に追いやった。
『守りの壁と一つとなれ、大地』
追いかけるように同じく飛び出したマスカレイドは即座に外部の荒野の
ような大地に働きかけて防壁の大穴を埋める詰め物とした。応急処置に
過ぎないが開けっ放しよりはマシであろう。
『────で、やっぱり団体さんときたか』
視界の隅で穴が埋まったのを確認しつつ吹き飛ばしたグラシオスたちと
その下敷きになって潰れている残りの怪獣達を空から見下ろす仮面。
外でもたついていた群れは侵入した五頭を足すとその総数は何と十八。
都市部のビルより高い巨体を持つ生物がそれだけ集まっている光景は
例えそれが無様に重なり合って倒れ伏したものであっても圧巻である。
しかしその数の多さで難儀してか。協調性がないのか。本当に頭が悪いのか。
外の十三頭は開いた穴から同時に入ろうとして軽く詰まってしまっていたらしい。
マスカレイドがそこに目掛けて五頭を吹き飛ばしたのでこうなったようだ。
『しかし本当に馬鹿なんだな……いやおかげで助かったけど、面倒な』
十三頭もの、このサイズの怪獣が各々で防壁をぶち抜いて暴れられるよりは
対処が楽であったが神気の威圧すら認識できないのだから別口で困り者だ。
物理的且つ力業な手段に頼るしかない。殺さない、傷つけない範囲で。
それだけでも厄介だが別の問題でカレの十八番も使えない。
『全員ほぼ同サイズとかデカすぎるよな。しかもこんな数とか。
やはり全部転移させるには魔力が足りない。というかそもそも
どこに転移させていいかも分からんか』
半壊した基地からフォトンエネルギーを奪えば実行は可能であったが、
それ以上に問題だったのはガレスト全体の地図情報が足りない点だ。
他都市の正確な場所が分からない中で跳ばしても位置によっては
この群れが別の都市を襲うだけになりかねない。
『さっきの巨人もどきといい、地味に私の封殺の仕方をあちこちに
露見させられてる気がするな……どうも偶然っぽいのがなんとも
私らしい展開というかなんというか……』
はっ、と自嘲気味な笑みがこぼれる。
事件・緊急事態への遭遇率の高さ。数々の引きの悪さ。今更の話である。
何より今は考え込む時間ではない。その余裕は─ありがたい事に─無い。
「グオオッ、グアアアアァァッ!!!」
『はいはい、構ってやるから吠えるんじゃ、ねえっ!』
「グギッ!?!」
最初に起き上がって気勢をあげた一頭へ瞬時に接近し下顎を殴り上げた。
一瞬その巨体が浮き上がるほどの衝撃が突き抜ける。強制的に口を閉ざされ、
隙間から炎をこぼしながら頭を揺らすが即座に怒り眼をこちらに向けた。
『そうだと思ったが、今ので落ちもしないか。
小さくとも脳を揺らせばいけると……もしや頭部にない?』
射殺さんばかりの視線を無視して眼前の鼻先に手をつくと曲芸でも
するかのような軽やかな動きで頭頂部─三本角の中央根本にまで
移動すると両手を翳す。右手にフォスタを持ち、左手には紫電を纏わせて。
『────ふむ。
脳みそは肉体中央部、プラス有害物質満載ってのも事実か』
襲い来る赤光のムチを黒い障壁で弾きながら
右手の異世界科学製のセンサー類による調査結果と
左手の異世界魔法─と雑な科学知識─によるなんちゃって電子風による診断。
その一致をもって納得したカレは本当の本当に面倒くさいだけの作業持久戦
をする覚悟を決めた。周囲を見回す目は若干死んでいたが。
『へぇ、同士討ちを避けるぐらいの知性はあるのか』
他のグラシオスが立ち上がってきているのは気付いていた。
仲間の頭部にいるので睨み付けてくるだけで手を出せないでいるのも。
取り囲むように立ち並ぶ怪獣達の巨体による輪は光景だけなら圧巻だ。
ただ現在のカレにとっては同じ高さに積み上がった書類の山にしか
見えていない。そういった仕事をした経験はないためイメージの話だが。
『けど囲んでくれてるなら好都合。全員が見やすくて助かる』
げんなりしそうなそれを吹き飛ばすためか。
意識して、誰にも見えないのに、得意気な顔を浮かべて指を鳴らす。
途端に全てのグラシオスの赤黒い胴体に闇より濃い黒さの輪がはめられ、
そこから同色の太い線がマスカレイドの腕に向かって伸びた。
位置こそ違うが、サイズも段違いだが、まるで首輪とリードである。
十八の黒紐を手に三日月が笑い、ふわりと黒衣が頭頂部から飛びあがる。
「グ、グアッ!?」
「グオオッ!!」
黒紐の長さは一定だったのか伸縮自在だったのか。
マスカレイドが高度を上げるごとに取り囲んでいた十七頭は中心の一頭に
無理矢理引き寄せられていく。首輪を外そうとするも彼ら自身の腕は
何故か黒輪をすり抜ける。踏ん張ろうとするモノもいたが黒紐を引く力、
すなわち自分達を引っ張る力の方が遥かに上で、為す術もない。
そうして十八のグラシオスはひとまとめに密集させられた。
『さすがに首輪はどうかと思ったから胴にしてあげたよ、優しいだろ?』
「グッ、ガッ、グガアアッ!」
『あはははっ、そうか嬉しいか! 私は死ぬほど面倒臭い!』
お前らのせいだと正当なのか八つ当たりなのか微妙な怒りをぶちまける。
されどその体が発する“力”はまだ本気ではなかった。
それは、これから、だった。
『階位交換、筋力特化! 魔装闘法最大展開っ!
さあて、楽しい散歩といこうかトカゲども!!』
「グギャッ!? グガアアアアァァァッ!?!?!」
引っ張る。
ただ引っ張る。
あるいは引きずるが正確か。
十八の黒紐を掴んだまま彼らを引き倒すように地上に着地した
マスカレイドはそこから走った。そう、ただ走ったのだ。
決して千切れぬ黒い線で繋がる十八の大怪獣達をお供にして。
彼らの悲鳴のような叫びを木霊にしながら。