オークライの長い一日10
オークライ中央駅・ガレスト学園・司令部仮設テント。
パデュエール班との通信が途絶えてからおよそ十数分。
全体の指揮官である学園教師フリーレは他の班への指示を出しながらも
状況把握に努めていたがうまくいかない。人手が圧倒的に足りないのと
彼女達のもとへ飛ばしたドローンが軒並み音信不通になってしまったからだ。
「くっ、城田教諭! フォスタ復旧はまだですか!?」
「あと5分待って、さっきの感応波のせいで予定が狂ったわ」
めまぐるしい勢いで数字と英字、記号が入り乱れる複数の空間モニターを
全て見据えながら三つのキーボードを素早く叩いてる姿に不真面目さや手抜きは
感じられない。先程通り過ぎた妙な感覚による作業遅延があっても
それなのだからむしろ彼女の優秀さが際立ってすらいる。どれだけ
理解しづらく、様々な疑惑があろうと彼女は本物の天才だ。
そこだけはフリーレも認めざるを得ない。
「……結局、その感応波というのはなんだったんだ?
突然体の中身を舐められたような不快感の一度目と直後にその感覚を
消し去るように過ぎ去った暖かい何か……あれはいったい?」
「遅れてもいいなら調べるけど?」
「復旧優先です!
ですが作業の邪魔にならない範囲で話してください。
あなたならそれぐらいできるでしょ?」
「ハハッ、煽るじゃない。おっけー、それ乗っかる!
簡単に言っちゃうと一度目のは人間を不快にする類の精神感応波ね。
あの感じからしてその不快さを利用して理性を取っ払おうってところかしら。
二回目のはその効果を打ち消すタイプ。誰かは知らないけど、一度目の
狙いに気付いてすぐに無効化を狙ったようね」
「では、もう問題はないのですか?」
「どうかしら?
こういうのは効き目に個人差があるものよ。一度目のも、二度目のもね。
ましてや今はオークライ全体が切迫した状況。まともな精神状態じゃない
人達が一度目のに感化され過ぎていたら……」
「い、いやな想像させないでください!
こんな状況で市民達が暴徒化したら収拾がつきませんよ!?」
「少なくともそれを狙った奴がいるわけだけどね。あ、あと3分よ」
身も蓋もない、それでいて無視できない指摘にぐうの音も出ないフリーレは
頭と胃から同時にキリキリとした痛みを感じたが、自分達が対処できる範囲を
逸脱していると考えを切り替えた。棚に上げた、ともいうが。
どの道この都市本来の治安維持組織がどれも動けないままでは意味がない。
つまりは、あと3分。平時ならばあっという間に過ぎる時間が今は
その一分一秒が貴重で、明確に誰かの命運を左右する事実に
気が遠くなりそうな時間であった。そこへ。
「っ、先生! 誰かが通信回線に割り込んで、ダメッ、突破されます!」
「なっ!?」
急報のようなオペレータの苦境と戸惑いの声を無視し、フリーレの眼前に
開かれた小型の空間モニター。そこに映っていたのはかろうじて人型と
判別できる形をしている黒い靄とその顔らしき部位に浮かぶ白い仮面。
──マスカレイド。
『緊急事態ゆえ強引な挨拶失礼する。
あなたがこの場のトップだな、フリーレ・ドゥネージュ嬢』
「……ええ、そうです。しかしあなたが直接連絡してきたということは……
聞くのも怖いですが何があったのです?」
思わず。
そう思わず緩みかけた顔を引き締め、女教師は周囲にはハンドサインで
『問題ない』『各々の役目に戻れ』と指示しながらカレの登場に
緊張感を漂わせる。何せこの状況で、自分個人へではなくこの仮設司令部に
割り込む形で通信を入れてきたということは自らの存在を隠すことよりも
この場の全員に知らせておく必要のある出来事があったというようなもの。
いいようのない不安を覚えて当然であった。
『半分ほどはあなた方も既に認識していることだが……まずは
良いニュースからとしよう。パデュエール班は全員無事だ』
「本当ですか!?」
『突如、謎の敵対兵器に襲われたが無事撃退して今は避難住民達を連れて
そちらに向かっている。受け入れ準備を頼む。通信阻害ももう解ける頃だ。
詳しい状況は本人たちから聞いてくれ』
「ああっ、良かった……みんな聞いたな、手配を頼む!
それと助かりましたマスカレイド。ありがとうございます!」
『……私が助けた、とはいっていないぞ?』
「あなたがわざわざ出てきた時点でそういってるようなものでしょう?
それで悪いニュースとは?」
疑う余地もないとフリーレはそれよりその先の話を急かした。
モニター向こうのカレは手で顔を覆って頭を抱えたがすぐに仮面を
左右に振った。
『うぬぬ……まあいい。
まずアリステル・F・パデュエール、トモエ・サーフィナ両名は活動不能だ。
敵機との戦いで前者は外骨格が大破。後者は中破しそれで無理して疲労困憊。
本人達がどう主張しようが現場での救助活動継続は難しい』
「そう、ですか。二人が抜けるのは苦しいが無理して倒られる方が困る。
分かりました、そのように」
『現在両名とも現場で敵機の残骸を確保させる“てい”で居残らせている。
余裕が出たら人をやってくれ……まだまだ時間がかかりそうだがな』
「次の悪いニュース、ですか?」
『ああ、そこの女の感応波の解説はほぼ的を射ていたということだ』
仮面の指が鳴り、全員の正面という位置に大型モニターが開かれる。
映ったのは暗視映像ながら映像処理により色素こそ薄いが色合いや物の形状、
人の顔すらはっきり視認できるどこかの街並み。この状況でそんな風に
映さなければならないのはオークライのどこかだろう。
「……なんだ、これは?」
問題だったのはそこに映っている人達の異常さだ。
意味不明の雄叫びをあげて暴れ回る老若男女の集団がいたのだ。
二十や三十では足りない多数の人影が各々勝手に動いて、暴れている。
素手で殴り合う者達もいれば手に瓦礫や資材を握って建物を破壊している者達も。
彼らは全員が暗闇でも目立つであろう蛍光色の作業着姿であった。
それが示す意味は。
『ただ補足するなら暴力行為、犯罪行為への抵抗感が薄い人物ほど
一度目の感応波の影響を強く受けてしまうようだ』
「っ、囚人達か!!
そうだ、この状況で刑務所だけが正常なわけがない!」
都市その内部だけで完結する犯罪はその都市ごとで取り締まり、裁く。
ならば当然その判決を受けた罪人を収監する場所も同都市内部にある。
平時ならば、いや想定されている非常時ならば囚人が勝手に外に出ることは
数多のセキュリティやシステムで防がれていたが都市全体が完全に
機能停止した現状ではハリボテの檻となっていたのだ。
『地図上ではオークライB4刑務所とある』
「そこは慣例的に殺人や強盗などの凶悪犯罪を犯し、尚且つ
刑務所内でも粗暴な囚人をひとまとめに収監している場所です」
『なるほど、それで他の刑務所はまだ静かな方なのか。
とはいえどこも数名は暴れているし正常な者も事態の深刻さに気付いて
脱獄を企むかもしれない。一般人達も状況が状況だ。理性や平常心を
失っているところにあれを受けてしまったら解除の感応波を受けても……』
「くっ、各地に配布したフォスタ及び全員にこの事実を通達!
避難民の受け入れ先も注意しろ、暴れる者へは非殺傷の兵器及びスキルでの
鎮圧も許可する! 心配するな、責任は私が取る。いや、押し付けろ!
先生にいわれたって!」
最後の半ば投げやりにも子供の言い訳にも聞こえる命令に、重なる非常事態で
顔を強張らせていたオペレータ達も少し頬を緩めて従った。尤も彼女は
狙ったのではなく、焦燥と疲弊感から思わず素の幼さが出ただけであったが。
「そしてマスカレイド……申し訳ないが囚人達の暴走を鎮圧してほしい。
このまま破壊活動を続けられるといずれ一般居住区、いやこいつらの
進む方向を考えるとセントラル4に到達するかもしれない。
しかしそこに割ける人員がこちらにはもう……」
救助活動でさえいっぱいいっぱいの所に暴走する凶悪犯罪者(多数)を
鎮圧するのは手に余るどころではない。心苦しさを覚えながらも彼女は
モニター向こうにいるカレに頼るしかなかった。
『わかっている。放置すると二重、三重に危険で邪魔だからな。
────そこの女がもっと早く復旧させていれば良かったんだが』
「あははっ! そんなタイミングで完了! ほいっと!」
これみよがしな嫌味にこれみよがしに童女の笑みを返す。
不快感と好奇心の視線が一瞬の交錯をするがどちらも相手の反応を気にしない。
ただ彼女は待ってましたとばかりに一際強くエンターキーを叩いていた。
それが最後の作業を完了させたのか。この仮説司令部と各所がネットワークで
繋がっていく。治安維持組織や救助隊、病院、行政府所有の端末や所属員の装備、
個人所有の携帯端末由来の細いものだがそれでもこの状況を改善できる一手。
「各地との通信復旧を確認!」
「情報共有を開始します!」
「各班への通達も忘れるな!
事前連絡が出来なかった場所への説明は極力セントラルに回せ!
こちらがやる場合は私の名と行政府の許可があることを前面に出していい!」
了解とオペレータ達の力強い返事に頷いて、小さく彼女は息を吐く。
「よし、これでなんとか」
「え──────オークライ第十二防衛基地より救援信号確認!!」
されどその安堵を打ち破るように齎された軍基地からの救援要請。
他の場所からなら彼女達も予想していたが個人装備だけでも復旧した軍から
即座にそれが出たという事実は予想外もいいところであった。
「なっ、今度はなんだ!?」
「わかりません! シグナルは出ていますが通信には誰も!
一度繋がった相手もいたんですが応答がありません!」
「くそ、城田教諭!」
「はいはーい! そのフォスタに強制介入、映像出すよ!」
この剣聖意外に人使い荒いんだからと楽しげに愚痴をこぼしながら端末を
軽く操作しただけで城田奈津美は正面モニターにそれを映し出した。
幸か不幸か原因を端的に示す光景を。
『ちっ!』
「なっ────!」
だから舌打ちと絶句が重なる。
視点となったフォスタは地面に落ちているのだろう。
下から見上げる角度の映像は被害の大きさをモニター越しでも感じさせた。
またスキルのライトか照明の復旧か。皮肉にも光源の復活が事態の
深刻さも訴えてきている。
「……いったい、どうしてこんな……」
それはモニター向こうの事態へか。ここまで続いた災禍の多さへか。
思わずこぼしたようなフリーレの声に答える者はいない。
一部を除き彼らはただその光景の衝撃に呑まれ、呼吸さえ止めていた。
軍基地は防衛の意味もあってガレスト都市外縁部に配置されている。
だからそこに都市を覆う壁が見えるのはいい。当然のことだ。
されど、
どうしてそこに、
暗い穴があるのか。
防衛基地の照明に照らされた薄いベージュ色の硬質的な内壁。
緩やかに弧を描く、ガレスト都市共通にして象徴たる高い防壁。
その一角が黒い絵の具で塗り潰したように巨大な口を開けて暗闇を覗かせる。
誰もがその意味を理解しながら容易には受け入れられずにいた。これ以上の
問題を忌避したかったからかその事態だけは起きてほしくなかったからか。
現実逃避にも近いその葛藤は突然の映像途絶によって中断する。
だがそれこそ全員が注視していた先でのことだ。
何が起こったのかは─見たくなくとも─見えていた。
────暗き穴の向こうから赤い炎の帯が伸びてきたのだ
それが示すことの意味は明白だ。
オークライは都市外壁を破るナニカの襲撃を受けている。