オークライの長い一日8
「ぁぁ、来て、くれた……っ!」
「あいつ…………っ!?」
そんな頼もしくも近寄りがたいそれに見惚れたのは、されど一瞬。
厳密に言えば自覚の有無はともかく既に見惚れ中である彼女らだが
頭上の爆音に無関心ではいられなかった。それは白と黒の衝突の結果だ。
黒き極光による斬撃は白光を裂くどころか巻き込むように全て呑み込んで
押し返し、その砲門を口ごと吹き飛ばしたのだ。顔下半分を失った巨人は
飛び出た歪な眼球を驚きで見開かせて唖然としているかのよう。
やがてその視線がゆっくりと動き、自らの目と大地の中間地点に
浮かぶソレを認識する。光源が著しく失われた暗闇の中でも不思議と
存在感のある黒衣を。
だが。
『────誰に許可を得て見ている』
抑揚が皆無である無機質な声と目が向けられた。
途端に人でなき者の声なき悲鳴があがった気がした。
錯覚か気のせいか。ともかく巨人は目が合った途端によろめく。
腕を振れば弾き飛ばせてしまいそうな小さな人影に睨まれ、足が下がったのだ。
その事実に巨人自身が驚いたようで残った醜顔上半分をせわしなく動かす。
まるで屈辱に興奮しているかのよう。すると胴体から白い小さな腕が
伸びるようにMB資材が移動し壊れた顔下半分を塞いで修復していく。
──Ga、GAAAAaaaッ!!
“口”を再び取り戻した巨人の咆哮は先程のそれと変わらぬ大気を
震わせる程のものではあったが、心なしか怯えも垣間見えるものだった。
尤も既に折れている生徒達と住民達には意味がなく、少女達には今更であり、
黒衣からすればそよ風以下である。何より右目付近の修復痕と合わさって
醜い顔面に歪なハリボテ感が演出され、威容を半減させていた。
むしろ哀れな怪我人の様相すらある。
「……あ、気を付けて! あいつは周囲の資材を自由に操れるの!」
それでもその能力の厄介さまで変わったわけではない。
カレの登場に緊張感が一瞬で霧散していたトモエであったが、
物量という脅威はカレが無事でも自分達が危ないと声をあげる。
が。
『それは──────こんな風に?』
パチン、と指を鳴らしたような─実際そうなのだろう─音が響く。
途端に背筋や肌がざわめくような衝撃が一帯に広がり、瓦礫の山が
立ち上がった。巨人の落下で倒されたマンション群の成れの果てが
幾本もの“黒き”巨腕となって巨人を取り囲んだのだ。
慌てふためいて辺りを見回すソレがあたふたしている内にまるで
壊された報復とばかりに黒き巨腕は歪な巨人を羽交い絞めにし、
殴りつけ、巻き付き、引きずり倒し、伸し掛かり、その巨体を封じ込めた。
巨人はもがき続けているが黒腕の拘束から脱出できそうに見えない。
「…………あれ、なに?」
「ってか俺達なにしてたんだっけ?」
「確か巨人が落ちてきて、それで、えっと?」
「いやいやあのデカイのが近くで立ってて……あれ?」
「それよりあの浮いてる立体的な人影は何っ!?!」
呆気にとられた少女達を余所に、その光景に生徒達がざわめきだす。
若干の意識の空白はあってもナニが巨人を倒したかは察したらしい。
その見目の怪しさと不気味さからすれば騒ぐのも当然といえよう。
何せ人間サイズではあるが、黒影ないし黒靄のようなものが人型で
存在している。しかも目を凝らせば凝らすほど実体がぼやけるように
感じ、センサーの類でもナニカがそこにいる程度しか分からないのだ。
だというのに頭部らしき部位には逆にはっきりと視認できる白い仮面を
付けている。そんなよくわからないモノが平然と、容易に巨人を封じ込め、
淡々と喋っている。輝獣に慣れていてもこれはもう怪異であろう。
幸運なのはそちらの専門家がここにいることであるが、残念なのは
変に慣れてしまった彼女は一般人への説明や誤魔化しにまで
頭が回らないことであった。
「……あいつ、面倒だからハッキングと気付けを同時にやったわね。
って、あれ、体が?」
むしろ、さっきの衝撃はそれかと倒れ伏したまま呆れ顔を浮かべるだけ。
圧倒的な巨体の威容に折れた心を別種の圧で蹴っ飛ばして強引に
元に戻す力技なのだから彼女の反応は無理もない話だが、周囲の
学友たちの反応にまで気が回っていない。それだけ気が抜けてしまった、
それだけ安堵している証左ではあったが。それでも体の違和感に
気付いたのは直前まで立ち上がろうとしていたおかげか。
その裏で。
「お、お前いつのまに!?」
「離れろ!」
仮面の黒衣は誰にも気付かれぬ一瞬で移動していた。
上体を起こしただけのアリステルを見下ろせる位置に。
「お、落ち着きなさい。
機密事項のため説明はできませんがこの方は味方です!」
「……え?」
「み、かた?」
「というか、人なの?」
色めき立つ周囲を手を翳しながら止めた彼女。ただそれは指示を聞いて
止まったというよりは内容に戸惑って止まってしまった、が正確であろう。
何せ風体が悪すぎる。突然味方といわれても困惑しかないのも当然だ。
だがこちらの令嬢も周囲のそんな反応に気付いていない。ただそれは
トモエとは別の理由であった。彼女の視線が仮面に、その奥にある
濃褐色の瞳に魅入られていたのだ。無論、中身を察しているのもあるが
不気味な外見と違って瞳には人間味が溢れている。まさに口ほどに
語るとばかりに複雑な感情を含んで彼女を見ている。その中で一番強い
感情は『不機嫌さ』であるとアリステルは見抜いていた。
「っ……あ、ありがとうございます。助かりましたわ。
胸の息苦しさも排除していただいたようで、そのっ……」
自分は何か不興を買ってしまったかと不安な気持ちが芽生えた彼女は
当然するべき感謝を咄嗟に逃げに使ってしまった。自身のその不誠実な
対応に気落ちする。任せてくださいと言っておいてのこの為体に失望する。
先程の黒い波のような衝撃の後、体内にナニカが詰まっている、
溜まっているような感覚は消えていた。カレのおかげだろうと
察していたのにその目で見られただけで胸が別の意味で息苦しくなって
どうしていいか分からなくなって言葉が詰まる。仮面も何もいわずに
黙っていて、その時間が1秒増えるごとに最初の不安が大きくなる。
手を煩わせてしまった。失望された。呆れられた。見限られた。
──────嫌われてしまう!
「こらっ!」
恐慌的な不安を一喝するような声と共にガンッという鈍い音が響く。
そして周囲から息を呑むような悲鳴があがった。
さもありなん。
「ト、トモエさん!?」
彼女が仮面の背後からその頭─らしき部位─を殴ったのである。
外骨格を装着したままの分厚い装甲を纏った拳で、遠慮なく。
中身を知らない者達からすれば仮にもあの巨人を簡単に、雑に、
どうにかしてしまった存在相手にあまりにも乱暴な行為であった。
顔も青くするのも当然である。
『……おい』
カレもさすがにすわった声で何をするんだという声を返すがトモエは
素知らぬ顔どころか“お前が”何をやってるんだと半眼で睨んでいた。
それに困惑したように黙った仮面にぐっと踏み込んだ彼女はその胸元─
らしき部位─を掴み上げると真正面から瞳を覗き込んで声を張り上げた。
「なに勝手に背負って、なに勝手に不機嫌になってんのよ!!」
『…………』
「“こう”なったのは全部、他の誰でもないあたしたちのせい。
結局あんたに押し付けるはがゆさも力が足りない悔しさも、どれも
あたしらのモノなのよ! 勝手に取るんじゃないわよ!!」
「あぁ……」
トモエの優しい怒りを前に、そうか、とアリステルは納得が胸に落ちた。
カレは“自分に対して”不機嫌になっていたのだ。こんな状態になるまで
気付けず、駆けつけられず、子供達に無茶をさせた自分に。
じつに“彼”らしいと影で小さく笑うも一瞬前までが嘘のように
力と意気が満ちた体を立ち上がらせたアリステルもまた告げた。
「再度になりますが、救援は感謝します。本当に。
ですが皆の行動と結果の責任は班を預かるわたくしにあります。
……お願いです、それさえ背負えない女にしないでください」
自分もトモエに同意であると。
それをどうか奪わないでほしいと。
白い仮面がそんなアリステルと胸倉をつかむトモエを交互に見た。
真摯に懇願する金色の瞳と憤然と吊り上った青い瞳に挟まれたカレは
小さくため息を吐くと降参とばかりに両手を上げた。
『道理だな。
一本とられたか……しかし遅れたのは事実だ。すま』
「聞かないわよ。それにそうじゃないでしょ?」
『ん?』
「あんたはあんたらしく振る舞ってればいいのよ」
そっと手を放して、けれどしっかりしろとばかりに胸を叩くトモエ。
これに気の抜けたような短い笑い声をもらした仮面は、だが明らかに
纏う空気を変えた。
『ハッ──────即席にしてはよく持ちこたえた。
だが、これでお前達の勝利だ。何せ私が間に合ったのだから』
黒き魔貌の奥で三日月が笑う。
不遜で、絶対的で、唯我独尊さしかない自信たっぷりな言葉と共に。
トモエはそうそう、これこれ、と満面の笑みを見せる。けれどその裏で
同じく微笑んでみせたアリステルのそれには何故か影があった。
『お前にも言ったんだがな』
「っ、へ!?」
それを油断と指摘するように仮面は突然令嬢の目の前に。
それも黒き左腕を伸ばして気軽にその頬にまで触れていた。
令嬢は誰に触れられているかを理解して顔に赤が混ざりだす。
『まあいい。
アレの始末は私がしよう。だが他のことはお前達に任せる』
「も、もちろんです。今度こそ必ず!」
『それと』
「え、あっ────ん」
そして指先が頬から令嬢の美しき顎のラインをなぞって、唇に触れる。
乙女のそれへの優しくも繊細なタッチはアリステルの顔に赤みを増やす。
尤もされるがままになっているのが羞恥以上の少女の本音であろう。
「こ、こらっ! そこの調子は戻さない!」
そこへ再び飛んでくる文字通りの鉄拳を今度は軽々と避けた仮面は
続く攻撃も気にした風もなく避け続けながら楽しげな声を令嬢に向ける。
『お前に血化粧など似合わない────顔をあげていろ』
「は、はい!」
力強く頷いた令嬢の美貌に恋慕以外の赤など消え去っていた。
乱打を避けられ続けて肩で息をするトモエは苦々しい顔をしていたが。
一方──
「……なに、これどういうこと?」
「聞くなよ、俺もわからねえ」
「停電からこっち色々あったけど一番頭ついていけないかも」
「み、右に同じく……」
──そんな光景を見せられた周囲には困惑しかない。
傍目の絵面が悪すぎたのだ。“人間サイズの人型黒靄が美少女たちと
じゃれ合っている”のだから。危機意識と当惑と視覚の違和感のシェイクに
生徒、市民問わず脳の方が理解を放棄し始めていた。
「あれ、待てよ。
たしか黒い影みたいな人型って何かで聞いたような?」
「まさか4月にあった爆弾騒ぎの時の奴か!」
「どっかの工作員だの。技術科の秘匿兵器だの。学園の秘密自警団だの。
あれこれ噂が流れたあれか、実在してたのかよ!」
だが最近学園で流れていた噂とアリステルたちと親しい様子から
一応大丈夫なのだろうと遠巻きから眺めるだけにしている生徒達だ。
そして市民達は彼らのそんな様子を見て、一応敵ではないのだろうと
考えて静観している。そうするしかなかったともいうが。
「はぁ、ふぅ……みなさん、ご心配をおかけしました」
そんな困惑と動揺をじつのところ─中身補正で─理由まで察していない
アリステルだがこれは自分が落ち着かせるべきだとは分かっていた。
呼吸を整え、よく通る落ち着いた、耳に残る声を通信も含めて響かせる。
「これより再びわたくしが指揮をとります。各々疑問や困惑は
あるでしょうが今は市民の方々の避難を優先してください」
「りょ、了解です!」
「市民の方々も多大な心配をおかけしました。ですがここから先の安全は
わたくし、アリステル・F・パデュエールがその名と共に保障します!」
「なんとっ、あの十大貴族の!」
「おおっ」
幼少期からの鍛錬もあるが人を引きつけ、耳を傾けたくなる声は天性のもの。
そこにガレストで通りのいい名が合わさって市民達の顔にも安堵と活力が
戻り、停滞していた避難は再開される。ただそれは仮面の登場による妙な
インパクトで彼女の撃墜の印象が薄れていたからでもあったが──────
無論ただの偶然である。
『フッ』
「……なんかむかつく笑い方ね」
さも自分のおかげであるという態度に苛立ってしまうトモエだが、真実
仮面のおかげであるのは事実なので苦々しい表情になっていた。相変わらず
素直に感謝させてくれない男だと胸中で呆れながら。
『む、さすがに建築資材ではこの程度か』
再起した生徒達に囲まれる形で避難する市民達を見送っていた仮面が振り返る。
それに合わせたように巨人が耳障りな咆哮を発しながら立ち上がった。
押さえつけていた黒い剛腕は残骸となってまばらに巨体に張り付いている程度。
「げ、あんたの拘束が破られた!?」
『いや、私の力に資材が耐えられなかった、だな』
「あ、ああぁ……そっちかぁ」
「考えてみれば確かに」
納得の声と共に─殿という言い訳で─居残った少女達の視線が仮面の
右腕に注がれる。その力の持ち主ですらああなるのなら汎用性は高くとも
一般的な建築資材では長時間は耐えられないのだろう。
『……やはりどう考えても私をハメたのはこいつではないな』
一方で先程以上に眼中にない彼らの態度に怒ってか。
聞くに耐えない雑音をまき散らしだす巨人だがそれさえも蚊帳の外。
むしろその怒り心頭といった顔を見上げて仮面は呆れていた。
「え、どゆこと?」
『さてな……偶々か送り主か作り主か。面倒なことだ』
話を切り上げるように、誤魔化すように巨人に足を進めた仮面は短く
『借りるぞ』と断ると歩みの途中、瓦礫に突き刺さっていたカムナギを
引き抜いた。
「え、あっ!?」
その時になって手元に愛刀が無いのに気付いたトモエは顔を青くするが
仮面から微笑を引き出すだけであった。そしてその間も巨人は
大地を揺らし咆哮をあげていたのだが、もはやそれは誰にも相手
してもらえず駄々をこねる子供のそれである。
「皆へは既に背後を気にする必要はないと言ってあります。
存分に、お好きに振る舞ってください!」
『承知した。それと巴』
「うわぁ、ごめんなさい母様っ……ってなに? 別に使っていいわよ?」
『ふふ、ではありがたく……なに、さっきの礼でもしようと思ってな』
「お、お礼って別にたいしたことじゃ」
『お前が未だイメージも出来てないカムナギの霊剣術を見せてやる』
「っ」
くるりと片手で持ったカムナギを振り回して暴れる巨人と対峙する仮面。
比べるのもおかしい身長差ゆえに見上げ、見下す格好になっているが
一歩足を出せば踏み潰せる距離を巨人は詰められずにいる中。
刀が舞う。
右に左に、上に下に。
煌めく刃の軌跡を、緩急つけてその場に描いていく。
仮面が人型をしていながら詳細がよく見えないせいかそれは剣舞というより
本当に剣だけが舞っているように目に映る。さらに速さが増したのか。
次第に刃の残像が多くなっていく。が。
「っ!」
「踊って、いる?」
それさえも舞いだした。
無造作な一振り。型のような一閃。曲芸じみた刃の乱舞。
空間に描かれる軌跡が増えるたびに舞う刀身が増えていく。
幻でも立体映像でもない。“力”が実体化した刃が縦横無尽に踊る。
瞬き一つの間にそれは十や二十も増えていき、総数はもはや一目では
判断できないほどになっている。それらの動きはバラバラのようで
ひとりの指揮者の下で統率された美しき演舞を魅せていた。
「キレイ……」
「刃の巫女が乱れ舞い、敵の全てを平らげる……あれが!」
古書『神薙ノ巫女』に記載されていた四つにして一連の太刀。
退魔師が持ちがちな短所や欠点を補うことを目的とした霊剣術。
舞い散る桜が如く、破邪の力を拡散させる浄化の太刀『桜花』。
それは攻撃と浄化を同時に行う難しさを解消する真の破邪斬。
夜空に佇む月が如く、斬られた事を気取らせぬ無音の居合『孤月』。
それは対人戦ないし武の達人を模した怪異への一閃必殺の一太刀。
荒れ狂う風が如く、なにもかもを吹き飛ばす破壊の太刀『颶風』。
それは物理的な破壊能力に乏しい退魔師が求めた嵐の破城槌。
そして彼女が記述だけでは想像しきれなかった四つ目の太刀は
単独で大多数の敵と対峙することを想定した多重の一閃。
『喰い尽くせ────千鳥』
空を覆う鳥の群れが如く、敵以上の多勢で飲み込む蹂躙の太刀『千鳥』。
カムナギの振りおろしによる号令で踊り舞う刃は一斉に飛び立ち、
巨人に群がるように襲い掛かった。刃一つ、一つはそれこそ巨人から
すれば巨木に宿る小鳥のようなものであった。だがそれが枝葉より
多ければどうであろうか。垂らす実よりも多ければどうなるか。
──GYa、GAOOOOOOッッ!?!?!!
それは千の鳥という言葉が比喩でしかないと見ただけで理解させる数、
数、数による多勢の蹂躙劇。巨人の悲鳴のような絶叫より、同時に
そして不協和に鳴り響く斬撃音の方がはるかに多かった。
黒き小鳥の大群が歪な巨体を染め上げて、枝も残さぬとばかりに
食い尽くしていくさまはさながら鳥による蝗害のよう。
ふり払わんと手足を暴れさせる巨人だがその四肢はもうその餌食。
まがりなりにも手や足に見えていた造形は失われたそれはまさに
無数に啄まれた食物の残骸かのよう。だが黒き鳥刃は残りかすも
喰い尽くさんと鳴き声のような斬撃音を響かせ続けている。
──GYOAッ!? GOa?! GOWAAAAaッッ!!!!
見る見る巨体を食い荒らされ、恐慌する巨人の姿は哀れだ。
そしてなまじ人型であるためか。体を無数の存在に襲われ、食われていく
光景は下手なホラーより背筋が凍るものがあった。
「……アリス先輩」
「なんでしょうかトモエさん」
「どうしてこう、こいつが相手をするとどんな奴でも可哀想に
見えてくるんですかね?」
「あは、あはは……敵に容赦のない方ですから」
だからだろう。
ソレが敵であること、オークライやその住民達に多大な被害を出し、
何かが違えば自分達も殺されていたのを理解しつつも憐れみ、苦笑する。
彼女らは分かっているのだ。仮面がこれで終わらすわけがないと。
その確信があるから突如起こった爆発音に彼女らは微塵も動じなかった。
「まあ、そうするでしょうけど」
「憐れです」
巨人が、否、巨顔が仮初の体を切り離したのだ。顔全体から紫光を
まき散らして接続部を自ら破壊するという方法で。同時に黒刃の群れからも
逃れた巨顔は自身すら焦がした爆発も勢いとしてロケットのように高度を
上げていく。突然の出現時からどこかゆっくりとした飛行速度で空に
佇んでいた存在が目を血走らせて、後ろを見ることもなく上だけを
見据えて必死の形相で空を昇る。暗闇に閉ざされた空に何があるのか。
だがそこに希望があると感じさせる視線の先にはオークライのドーム天井には
穴が開いていた。巨顔はそこから入ったのだろうか。ともかくそこを
目指して飛びあがったのは事実であって、それを目視した巨顔は僅かに
表情を安堵のそれに変えた。
『というタイミングで声をかけよう』
──GYAAAAAッッ!?!?!!
突然巨顔の視界に入った白い仮面と鋭利な三日月に掛け値なしの悲鳴が
オークライの上空で木霊する。だが逆さまなそれに巨顔は自分の頭部に
乗っかって覗きこんで来ている事実まで認識できているかどうか。
『ふむ、お前を運んできた何がしかがあるのかと思ったが、ハズレか。
それとも下ろした時点で去っているのか……いつものことながら
面倒が積もっていくな』
恐怖のあまり悲鳴をあげた表情のまま固まる巨顔を無視して
わざとらしく肩を竦めるが黒靄姿のせいで本人にしか伝わっていない。
尤もそんなことをカレは気にしてなどいない。そもそも僅かながらも
逃亡を許したのは都市内か都市近辺にコレの送り主かその使い走りが
いないかを確認するためであった。相対した時点でこの醜き憐れな巨顔に
搭乗者がいないことも遠隔操作されていないのも見抜いていた。ならば
なんらかの自己判断能力で動いているのは明白。その人工的な頭脳に
送り主か作り主の情報があるかは怪しかったので少し泳がせてみただけ。
『お前の隠れ方はもう分かったから、同じことやってるなら解る。
少なくとも半径10キロに似た反応はないか……フォトン粒子と
輝獣だらけで断言できないのは痛いが、これ以上は無理か』
ならばもうその必要もない。
暗黒の空で鋼が煌めき、その切っ先が巨顔に突き刺さる。
耳元からまるでバターにナイフを差し込むように音も無く潜り込む刃は
されど確かに内部のナニカを貫き、機能停止させた。
『今エネルギー供給はされてるが他のどの機能とも
繋がってない部分を壊した……自爆装置、だろ?』
声なき悲鳴の絶句が肯定の返事であったのだろう。
軽々と宙に浮く仮面の囁きはまるで死刑宣告かカウントダウンのよう。
その恐怖か。自発的な反応か。単なる自動迎撃か。
巨顔の攻撃オプションが次々と起動する。
『なんともまあ大盤振る舞いの装備の数々だ』
紫光が放たれる。文字通りの紫電が奔る。輝獣が生み出される。
『ステルス、光学迷彩、気流操作、温度操作、センサー透過、通信阻害、
星陽消失、それらをフォトンを使わずに実行か……革新的な技術だろう』
尤も仮面はそれらの機能には一切触れないまま、暗闇でも目立つ
深い闇色の壁で受け止め、呑み込み、そして押し潰してかき消した。
『しかも……うむ、コア部分はより異常なテクノロジーな感じだな。
そっちは回収して、他はきれいに残るように解体しておこう』
すん、と何かがこすれるような音と共に顎が切り離される。
落とした、のではない。差し込んだのと同様に易々と切り裂かれたそれは
本体から乖離し破片となっても宙に浮かぶ。無論、浮かしているのは
仮面だ。落下させて壊さないようにという、必要か不必要か微妙な
気遣いであった。
──!?!!?
もはや息を呑む音すら立てれなくなった巨顔その歪な眼はぐるぐると
必死に仮面に懇願するような視線を送ってくる。そういう機能か
何かが漏れたのか涙らしき物を溜めて。直後、片耳が切り離されたが。
『大丈夫、データの類も現在進行形で吸い上げている。残骸も調べさせる。
お前の全ては私が有効活用してやろう……おおっ、泣く程嬉しいか!』
違う、と叫びたかったのかどうか。
どのみち口無き顔に出来る表現ではなく、次々と部位が切り離されていく。
残る耳。
両眉。
額。
鼻。
両頬。
頭部。
そして二つの目玉。
空中で巻き起こる顔の解体ショー。
次第にそれは内部機構にも及んで専門家でも何の装置か分からない物体が
破片、欠片となってされど仮面の力で保護されていく。そうして解体が
進んでいっても二つだけ保護されることはない物体が残る。一つは
宣言通り動力源たるエネルギーコア。怪しげな光を放つ球体状の
物体は切り離された途端に闇の中に消えた。そしてもう一つがもはや
何の意志も示せなくなった手の平サイズの電子回路。人の手による頭脳。
巨顔を動かし、自己判断でここまでの活動を決めていた電子頭脳。
他のパーツは仮面の手の中、されど最後のパーツに未来はない。
キレイに切り離されたそれらは組み立てれば元の形に戻りそうだが
そこに頭脳の場所はない。
『他の全ては残るのに、人工とはいえ頭脳は残らずか。
果たしてそれはお前が残るということだろうか……ハッ、哲学だな。
せいぜいあの世で考えてくれ、まあもっとも────』
鋼が煌めき、鍔鳴りが如くカムナギは納刀された。ならばもう終わりだ。
『────電子頭脳にあの世があればの話だが』
一瞬で九つになったそれは空で燃え、灰となって風の中に消えたのだった。