オークライの長い一日1
まるでスイッチを切ったかのようだった。
まるですべてに暗幕がかけられたようだった。
何の脈絡も予兆もなく突然オークライは闇に閉ざされた。
建物の灯り。街頭モニター。信号機。フォトン掲示板。航空障害灯。
人工的な光が軒並み失われ、ドーム天井から降り注いでいた外部からの
星陽の光も、ドーム内で僅かに漂う星陽さえも跡形もなく消えてしまう。
それは全光源の突然なる消失を意味する。直前まで─ガレスト基準の─
明るい真昼間であったのも合わさって間近にいた人達の顔すら見失う。
それはどこも同じであったのか。何もかも消え去ったかのような暗闇は
静寂さとはかえって無縁となっていた。何せ方々から音が届く。
誰かを呼ぶ声。困惑を訴える叫び。怯えの裏返しのような怒号。そして
ナニカがこすれ合う耳をつんざく金属音。硬いモノ同士が激突する衝撃音。
空気を震わす爆発音。一方向からだけではない。突然の光源消失は
各地で何らかの事故も引き起こしたのは想像に難くなかった。
されど、
そう、それど、
オークライの人々は空を見上げていた。
何かが光ったのだ。都市全体を覆う暗闇はそれを際立たせていた。
ゆえに多くの住人が自然と空を見上げ、目撃させる。
うねるような光が散発的に広がって漆黒の空を染めあげているのを。
低く唸る轟音と共に瞬く閃光。それは闇に支配された都市を照らさない。
なんだ、と。ドーム内の、天井が全く見えない上空で何が光を
放っているのか。とても人工の光源と思えない不規則さが人心を
ざわめかせる。突然の暗黒より不安にさせる。何も見えない暗闇の
向こうに“ナニカ”得体のしれないモノがいるのを暗示させられて
本能的な怯えが人々に伝搬していく。それでも暗転直後にはあった
悲鳴や怒号、慌てふためく声が出なかったのは単純な理由から。
出る前に光が落ちてきたのだ。
帯のような、柱のような白き光。数十棟の建物をまるごと呑み込む程の
太さを持ったそれはオークライのどこからでも見ることが出来た。
その白光は暗闇の中で異彩を放つ存在感であると共に不気味さがある。
光源が消えたから誕生した闇は恐怖ではあるが当然の産物でもあった。
対して脈絡なく現れた光は何もかもを漂白するかの如き力強さと傲慢さを
感じさせる。しかし、無意識にか本能的にかそんな危険を感じたところで
相手は光。文字通りの光速を前に人は無力。声をあげる間もないままに
オークライは白光に呑まれるだろう。その先どうなるかは誰もが思考の
時間を与えられないまま、ただ絶対的な終わりが来たことだけが理解
させられる。それは非情なれど回避できない絶対的な一瞬後の決定事項。
“知るかボケ”
誰もそんな声を聴いた者はいなかった。だというのに。
空からの光が地上に到達する前に、振り上げられた黒き巨腕。
奇しくも多くが光柱を見ていたゆえに目撃された漆黒の剛腕は
酷似した色の暗闇の中であるのに落光より威容で、乱暴で、力強かった。
その印象を違えず巨拳は落ちてくる白光を迎え撃つが如く弾き散らす。
皆の耳に誰かの反抗的で粗暴な声の印象を残しながら。
オークライ中央部C12エリア商業区。
居住地域に隣接する店舗やオフィスが立ち並ぶ区画はいつもの一日を
送るはずであった。事務作業に追われる者。ショッピングを楽しむ者。
難儀な客の対応に四苦八苦する者。中には悪行を企んでいた者も
いたかもしれない。苦しむ誰かに手を差し伸べていた者もいただろう。
けれども災禍は悲しくも虚しくもどんな人間にも等しく降りかかる。
最初は光の消失だ。昼間だというのに天然の光源すら奪われた人々の
困惑と動揺は地球でいう停電時でのそれと等しくは語れない。されど
光消失時、屋内にいた。それも窓等がなく外の様子が分からない部屋に
いた者達は他と比べれば動揺がまだ少なかった。彼らは星陽の
消失に気付いていなかったのだ。されどそれを不幸中の幸いとはいえない。
彼らを襲った災禍はそれだけではなかったのだから。
「い、息が、ゴホッ、ゴホッ!?」
「うぅ、助けてっ、誰か! ぁっ、ゴホ、ガハッ!?」
立ち込める黒い濃煙と肌を焼くような熱気がまとわりついてくる。
これを吸ってはいけないと知識では理解していても息苦しさから
酸素を求めて息を吸い、熱を孕んだ黒煙で喉を焼いた。
──どうしてこんな事に!?
誰も彼もがこの事態に狼狽えていた。
暗闇なれどせき込む煙、感じる熱気で火事だと分かっても
すぐに消火設備や換気システムが作動し、救助隊も来ると多くが
動揺せず屈んで煙を避けるだけで慌てはしなかった。ガレストでは屋内で
且つ出口から遠い場所にいる場合は慌てて脱出を考えるより助けを待つべきと
されている。されどその対処法の大前提に生じる問題に誰かが気付く。
携帯端末が作動していない。
それはすなわちどこにも連絡が取れない事と個人防御システムの機能停止を
意味していた。消火設備や換気システムも動いている様子がない。
気付けば、気付いてしまえば、あとはもう各地で恐慌状態に陥った人々の
混乱と動揺が伝番する。
「ガホッゴホッ!?! っ、くそっ、ここどこだよ!?」
「なんで、ここにも壁がっ……え、これもしかして防火扉?」
「どうしてこれだけちゃんと動いてんだよ!
開けろ! 開けてく、アガッゴホッガハッ!?!」
正常な空気を求めて四つん這いに、あるいは床を這おうとする冷静さは
まだあった彼らだが非常灯すら消えた室内はどこまでが暗闇でどこまでが
黒煙なのかすら分からない。方向感覚も狂わされ、自らの居場所すら
もはや分からなくなっていた。それでも手探りで壁の切れ間を探しても
それらしきモノが見つからない。慌てて見落としたか。同じところを
ぐるぐると回っているのではないか。不安と焦燥がより冷静さを人々から奪う。
果たしてそれは良かったのか悪かったのか。まだいくらか冷静な人達が
感触の違う目の前の壁が防火扉であると察して愕然としてしまう。
他は動作してないのに脱出を阻害するこれだけが正常に動いて道を
塞いでいるのは突然の災禍以上に彼らにとって不条理であった。
「ち、近くに非常口があるはずよ!」
「どこだよ!?」
「ゴホゴホッ、うっ、えぇ……どこっ、どこなのっ?」
「っ、あった! たぶんこれを押せば、っ!?
あれ、うそっ、どうしてよ!? なんで開かないの!?」
それでも非常口を探した彼らは賢明であった。されどそれを嘲笑うかの
ように誰かが見つけたその扉の取っ掛かり。本来なら人力で押せば
開くはずのそれがびくともしない。それは感触として、向こう側に何か
物が置かれているとか扉が重過ぎるといったものではなく、機構として
施錠されているように感じた彼らはまさかと気付いてしまった。
炎や煙の広がりを防ぐための防火扉だけが作動しているのではないか。
非常口もロックされているのなら自分達は閉じ込められたのではないか。
だから空間が閉じられ、酸素が足りず不完全燃焼を起こして火の手
そのものが見えないのではないか。暗闇と息苦しい煙が、その推論を
裏付けているようで、だからこそ彼らはもはや冷静さなど無くした。
「出してっ、ここから出してっ!! ガハゲホッ!?」
恐怖と焦りから煙を吸うことなど考えない叫びをあげる者。
「ぁ、やだぁ、誰か助けて! 助けてぇっ!」
とにかく救助を求めて壁を叩く者。
「お母さんっ、お父さんっ……」
消えそうな意識の中で家族を想う者。
「なんで、なんでっ、こんな目にっ……うぅっ!」
理不尽な目に憤りながらも最期を感じて落涙する者。
「動けよ、動いてくれよっ! おうえっ、ごほごほっ!?」
何の反応もしない端末を必死で操作する者。
誰もが九死の中にいた。そして各々の行動や叫びはどこにも届かない。
彼らがどれだけ頑張ろうとも、声を張ろうとも、身を守るツールが
微塵も機能せず外部との連絡もできない状況では無力であった。
地球人よりはステータスが上であろうとも彼らは一般人だ。その人力で
壊せる建造物など無い。ましてや彼らの道を塞いでいるのは防災用の壁。
例え何十人もの人間が死にもの狂いで殴りつけても凹みすらしない。
だから、
「おい、生きてるか! 意識があるなら全員伏せてくれ!」
この状況を変えるには外部の第三者が必要だった。
暗闇と黒煙の中で彷徨う人々のうち防火扉の前で動けなくなって
いた集団はその向こうから聞こえてきた声をまさしく救助と期待した。
冷静であればその声が若いことに違和感を覚えた者もいたかも
しれないがこの状況では些末事だ。
「今から防火扉を破壊する。高確率でバックドラフトが起こるから
全員をウォーターボールで包んで防御する。合図したら身を縮めて
目を閉じて息を止めろ!」
「ごほっ、わ、わかったわ!」
「ルオーナ、そっちは!? よし、タイミングを合わせるぞ! 1、2の、3!」
おらぁ、という気合の声に続いて起こった轟音と共に彼らの脱出を
阻んでいた防火扉に大穴が開く。破片が飛び散っていくが要救助者たちを
覆った流動する水の膜が弾いて防ぐ。しかし密閉に近かった空間に開いた穴は
多量の酸素を呼び込んで目視できない黒煙と熱気が一瞬引く。
そしてそれがナニカを伴って驚異的な速度で戻ってくる気配。
バックドラフト。
「しゃらくせえんだよ!」
自ら開けた壁の穴を飛び越えて彼らの前に立つは鋼の鎧を纏った人影。
その拳をさらなる巨大な鋼拳で覆うとすべてを燃やし尽くさんと床を、壁を、
天井を、空間を、飲みつくすようにやってきた豪炎を殴りつけた。
川の奔流のような勢いの炎の暴力とフォトンのバリアとパワーを纏った
鋼の剛拳がぶつかりあう。瞬間、空気が弾けるような轟音が響いて
実体のない炎がかき消されるように霧散した。残り香のように
周囲に散った炎も水の壁に阻まれ消える。
「よし! 所詮は炎、吹き飛ばせば消える!」
各種センサーからの結果でそれを感じ取って勝鬨をあげる男子の声。
外骨格の装甲腕すら覆う巨大ナックルを振り上げた彼は成果にご満悦だ。
傍から見れば強引で力尽くな消火であろうと結果が全てといわんばかり。
実際建物には大きなダメージを与えていないのだから見た目や手段は
ふざけたものだが絶妙な力加減での一撃であったのだ。尤も彼に追従する
別の救助要員たちの一部は呆気にとられていたが。
「先輩こっちです!」
「え、あ、ああ!」
ただその一部以外は彼が炎を消した直後から動いていた。
“一部”を呆けから呼び戻すように声をかけ、要救助者の様子を
センサーでチェックしていく。そんな彼らもまた簡易外骨格を
纏うだけの子供であることにどれだけの要救助者たちが気付いただろうか。
「周囲にウォーターミストを散布。温度を下げます!」
「お、おう! それ系のスキルなら任せろ!」
「この人が一番煙を吸ってるようです。すぐに外の医療班に!」
「な、なら俊敏と筋力が高い私たちが運ぶわ!」
「生体反応及び動体反応チェック……担当区域内に要救助者いません!」
「え、ええとなら捜索はルオーナ班任せで俺達は要救助者搬送だな」
「もう大丈夫ですからね。助かりますよ!」
「大丈夫、大丈夫……ちゃんと訓練通りにやれば!」
全体的に見れば手慣れた動作ではない。しかしながら、何人かの
決断と行動が早い子供が誘導することでおっかなびっくりとした
他の子供達を動かして人々を次々外へ運び出していく。
「……これを見越してたんだから先生とパデュエールはさすがだな。
うまいことあいつに鍛えられたC、Dクラスを混ぜやがった」
それを横目に眺めながら采配の妙に感心して呟いたのはこの場で唯一
外骨格を纏う男子だ。見ての通り彼らは本職の救助隊ではない。
未だ学生である身で手際のいい救助作業など荷が勝ちすぎる。
知識は学び、訓練は行っていたがいきなりの実践などどれだけの人数が
普段の動きが出来ることか。しかしある少年に一時的にしごかれた経験は
どうにか判断速度は並以上にすることに成功していた。装備があるだけの
素人集団でも一分一秒を争う救助現場でその素早さは値千金の輝きである。
それが出来る子供達を適度に分散させることで全体の動きを底上げさせているのだ。
「しっかしここでも防火扉だけは下りてやがるなんて、どんだけだよ」
だが逆を言えばそうしなければいけない状況であることを示していた。
彼が苛立ちを隠せずにそうこぼしたように、ここだけではないのだ。
火災が起きているのは。取り残された人々がいるのは。
「おい、オクムラっ、オレはこのまま消火活動の方へ参加する。
鎮火させたら次の現場に向かうから候補のリストアップ頼む!」
「いや、待てシングウジ! お前らの突破力なら救助作業に従事した方がいい!
センサーを信じるなら要救助者はいないし消火だけなら俺達でも充分。
それにどうやら救助が難航してる場所がある。リストを共有させるから
ルオーナと一緒にその現場に行ってくれ! 先生の許可も取った!」
「はっ、手回しのいいことで……わかったぜ! ここは任せる!
ルオーナ、聞いてたな? 次行くぞ!」
同建物内の別区域で救助作業を終えていた外骨格持ちの彼女と情報を
やり取りしながら消火作業と後処理を任せて次の現場へ飛び立っていく。
暗闇の空に軌跡を残す二つのフォトンフレアの輝きを救助された人々は
感謝するように見送っていた。されど人々はまだ気付いていない。
本職ではない学生である彼らが救助作業をしなければいけないコトの
深刻さを。
(注意)バックドラフトの描写については、多分に妄想というか大昔の映画(を見た古い記憶)の描写が使われております。




