狙われたのはナニ?(前編)
予想外に長くなってしまったので分割。
前回と同じく後編はできておりますのでご安心を。
ああ、あと、サブタイは強調するためにカタカナにしたけど、変な意味ではないよ。
うん、そっちをまず想像した人は手を上げなさい、先生怒らないから手をあげなさい!
フリーレ先生にしごいてもら……余計に誤解をまねきかねん!?
え、俺? 俺は投稿する直前になって気付いてしまって愕然としたよ!!
トリヴァー中層区A2エリア警察署・第二会議室。
四方を壁に囲まれた室内の中央に置かれている楕円形のミーティングテーブル。
10人は楽に席につけるサイズの机に黒の学生服と黒のスーツを着込む男女が
隣り合って座っていた。他にも席はあったがふたりは何をいうこともなく、
最初から決まっていたかのように出入り口側とは反対側の席に並んで
腰を下ろしている。同室内にはガレスト軍の制服である灰色基調の
軍服をまとう若年と思われる軍人達が壁際に並び立っていた。
監視か警護か。一つしかない出入り口の内外にも2人ずつ立っているが
待たされているシンイチ達は彼らをいないものとして振る舞っている。
ただその態度はおよそ逆方向であったが。
「はむ、あむっ、ごくっ……ぷはぁ」
「…………」
時刻は午後10時を超えている。夕食を取れていなかった二人には
飲み物と軽食のセットが6人前は用意されていたが既に半分は少年に
食され消えていた。何の遠慮も躊躇もない飲み食いっぷりである。が、
身体資本の軍人たちの目にはさほど奇異に映らないのか注目されてない。
室内ゆえフォトン粒子の濃度が薄いためサングラスは外している。
それでも若干細目で眩しそうな様子だが彼からすれば許容範囲であった。
一方フリーレは目の前に食事が用意されていることを認識してないのかと
思えるほど憔悴感のある硬い表情をしていた。しかもテーブルの上に
両肘を立てて口許を隠すかのように手を組んでいる。ただでさえ威圧感を
覚えられやすい鋭い眼差しは常以上に吊り上った状態で誰もいない
真正面を見据えていた。拒絶感が滲み出ているその様子に軍人達は
完全に呑まれ、職務中という以前に気軽に口が開ける空気ではない。
─────寄らば斬る
言葉にすればそういったものを彼らは感じていたのである。
尤もそう感じているのは彼らだけで隣席の少年は平常運転であった。
「えい」
「っ、なっ!?」
唐突に、そして軽い掛け声と共に彼女の片肘を机上から弾き落とした。
当然そこに寄りかかっていた重みを受け止める先が無くなり上半身が
ガクンと揺れる。フリーレは殆ど咄嗟に背筋を伸ばすように体勢を整えた。
「っ!? お、おい、ナカムラなにをっ、むぐっ!?」
何をするのかと隣に顔を向ければ言葉途中の口に押し付けられる物体。
柔らかく、ふんわりとした感触に香ばしいソースの香り。見れば
縦に切り込みが入ったコッペパンに茶色の麺が挟まった食べ物があった。
焼きそばパンである。
「んぐ、ふあひほふる?」
「食ってから喋れ、行儀が悪い」
困惑する彼女にまずはそれからだと暗に告げれば不承不承だが咀嚼していく。
「はむ、んくっ、あ、おいしい……ってお前がいきなり突っ込んだくせに!」
とはいえ原因はシンイチであるのだからそう反論したくもなる。しかし。
「すまない」
「え、は?」
素直に謝った、だと。
驚愕に固まるフリーレに真面目な顔で彼はこう続けた。
「いや、じつは脇腹をくすぐるか耳に息吹きかけるかでも悩んだが……
そのどっちかの方が良かっただろうか?」
ニヤリ、と笑ってその視線が自分の耳や脇腹に向いたのを目敏く感じ取った
フリーレは思わず彼側のそれらを庇うように両手で隠してイスごと後ずさる。
その反応が好ましいとばかりにシンイチは喉の奥で悪く笑っていた。
「お前なぁ……さっきのは気のせいか?」
あまりにいつも通りの態度に羞恥半分安堵半分ながら内心首を傾げる。
フリーレが彼の隣に座ったのは先程感じ取ったシンイチの妙な疲弊感が
気になってのことだった。だが変わらぬ様子に別のことが気になって
表情を硬くしてしまっていたらこの扱いである。いらぬ心配だったかと
考えたが彼が今の今まで黙っていた事実にふともしやという想いが沸いた。
「ああ、ナカムラ……その、もしかして私はいま気遣われたのか?」
「そこ聞いちゃう?
まあ、目の前に用意された食事に気付くことなく、どんどん顔を
怖くしていくあんたを放置するほど無情な人間ではないつもりだけど」
「ん、無情とはお前と最も縁遠い言葉だと思うが……すまん。
あ、いや、助かった、か?」
硬さが取れた穏やかな表情での感謝をシンイチは機嫌良さげな笑みと
どうということはないとばかりの肩竦みで受け取る。じつのところ
シンイチが彼女の隣に座ったのはこうなるのが読めていたのが大きい。
ここに実質閉じ込められたことで彼女のある懸念が大きくなると感じて。
尤もそんなことを感じさせず気軽な様子で彼は食事を勧めた。
「さて、それよりも折角用意してくれたんだ。腹を満たしておけよ。
正直ここどこだよっていうコンビニパンやサンドイッチだがな」
「折角用意してくれた、というわりに辛辣な。
しかも自分の分は食べきっておいて……って何をやってるんだ?」
世界を越えても一定水準の味と安全性が保障された馴染み深い食べ物が
手軽に食べられるのはありがたいがその土地柄ゆえの特徴や情緒は無い。
ガレストの食事文化については地球側に依存しているに近い所があるため
仕方ないことではある。とはいえ彼個人は別の独自性に夢中になっていた。
「これ面白いなって思ってさ。
カゴにレジ袋に密閉ケース、食事トレイとはハイテクなのやら
貧乏性なのやら……うーむ、この無駄にこった変形ギミックは癖になる」
何が面白いのか。彼はそういって次々姿を変えるアイテムで遊んでいた。
物資不足が叫ばれるガレストで広がった食事文化。それに付随する形で
広がったのはガレスト世界をよくいえば慮った、悪くいえば過剰消費と
炎上するのを恐れた形での包装そのものの撤廃とそんな道具であった。
いわばガレスト式多機能マイバッグ。簡単操作でカゴ、ケース、袋、
トレイに変形変化する代物。滅菌仕様までありその高い技術力がガレストの
無包装形式を支えていた。尤もこの少年にかかれば自動変形する玩具の
扱いであったが。
「お前の好みは未だによくわからんが、楽しそうで何より」
字面で見れば嫌味にも思える発言だがその声と表情は柔らかい。
彼がそうして実年齢以下な童心の輝きを見せて遊んでいる姿はとても
微笑ましいものにフリーレは感じるのだ。しかし。
「だが私はそれほど余裕はもてんよ。生徒達に何かトラブルかと思えば
元帥の悪ふざけで、かと思えば最後にはアレだ……いつもこうなのか?」
「わりとな……だから、食える時に食っとけ。ほら、あーん」
と楽しんでいる笑顔と共に差し出されたサンドイッチ。
大量生産品であるが企業の並々ならぬ努力で作り出された肉厚のカツと
しゃきしゃきのキャベツが挟まったそれは間近で見ているだけで彼女の
減退していた食欲を刺激した。
「いただこう」
「え?」
「あむっ」
「…………」
だから彼女はそれをパクリとくらいついて食することにした。
差し出した当人が固まっていることに気付かずに、一口、二口、三口。
これはなかなか、と味に満足して頷きながら彼女は早々に一つ食べきる。
所々で少年の指先に柔らかなモノが触れてしまったが気にもせず。
少年は表情を固めたまま触れたモノの感触に天を仰ぐ。
「俺とは違う意味でチグハグ過ぎるだろ」
──ホント、どうしてくれようかこいつ
大人の部分と純真無垢さの落差にこちらがかき乱され、冷静さを失いそう。
「ほい」
「はむっ」
しかしそんな自らの心境を余所に何食わぬ顔で次のサンドイッチを彼は手に取る。
フリーレは何の疑問も感じずに差し出される物をおいしそうに食べていく。
それは奇妙か必然か、ある人物たちの意識を一つにした。
──自分達は何を見せられているのだろうか?
監視か警護かあるいは両方。
職務を全うしようとする軍人達は必死で無表情を気取るのであった。
「すまんの、待たせた……な?」
ノックもそこそこに第二会議室に入ってきたのは灰色軍服を纏った女。
ただし飾り気が無い他の軍人たちに比べ、装飾がいくらか多いのは位の差か。
それでもベースは同じで金刺繍入りの肩章と白マントが後付けされたような
意匠はガレストの事情を端的に感じさせる。
「誰?」
しわがれた声ながら力強くよく通る声の持ち主たる彼女は見るからに
老成した相貌をしていたが女性ながら肩幅は広く背筋は真っ直ぐに伸びていた。
加齢による白髪に若干の灰色が混ざった、否、ガレスト人の多彩な
髪色を考えれば逆か。地毛の色に白の混ざった長髪を額すら隠さぬほど後頭部に
まとめ上げ、あらわにした双眸は老人とは思えぬ鋭い眼光を放っていた。
何故か呆れ気に、だが。
「アマンダ元帥だ」
「ああ、あのなんちゃって」
「なんちゃっていうでない!」
ワシは本物だ、と吠えるが生徒達の一件が尾を引いてフリーレは冷めた目。
シンイチに至っては興味関心が見られず、アマンダ・ガルドレッド元帥は
無いはずの頭の痛みを覚えて額を押さえた。余談だが、少年の態度は
わざとである。
「ああ、もう良いっ。それよりお主らは何をしておるのじゃ?」
不可思議なものでも見るかのような視線で元帥が眺める先には
少年が差し出した食べ物に口だけで食らいついている女教師がいた。
なんじゃそれ。
「食事をしています」
「食事をさせています」
心底不思議そうに自然とそう返すフリーレ。
心底楽しんでいるように笑ってそう返すシンイチ。
「フリーレ、お主、マジか?」
「んぐっ、何がでしょう?」
人目のある場所で、何の気恥ずかしさもなく、男の手からあーんである。
少年側はしてやったりな不敵な顔をしているのに対し、フリーレは
その状態のおかしさに気付いてすらいないどころか満足げですらあった。
「………確かに、確かに、そういった点を鍛えた覚えはないのじゃが、
そこはほれ、師が手解きするのでなく自分で経験するものじゃろ?」
「親はなくとも子は育つ、とはいうが周囲にどんな人間がいるかによる。
残念ながらそっち方面を刺激する人物がいなかったらしいな……」
ちょっとこれは幼すぎるじゃろと半ば愕然とする元帥にシンイチは笑う。
勝手に育つ部分を見誤ったのはお前だ、と言外に指摘しながらケタケタと。
しかしそのふざけた笑みはすぐに消え、真顔を見せるとこの場で初めて
元帥の顔を真正面から見据えた。若干の呆れと怒りの込めた瞳で。
「…………コレ放置とかガレストの男ども何してんだ、おい?」
節穴ばっかりか、と暗に告げる言葉も添えて。
「そこをいわれると正直ぐうの音も出んのう」
血筋。環境。容姿。才能。実績。地位。性格。諸々の事情はあったが、
これに関しては誰もが尻込みして彼女に踏み込まなかったのが原因だと
元帥も今は理解していた。だからこそ少年の目に気後れする。
何をしてたんだと自分も責められているように思えて。
「話を変えるとしよう。
これを続けると憂鬱になりそうじゃし、お前達を今日中に解放できん」
溜め息まじりにそう告げてアマンダ元帥は彼らと向かい合う席に腰をおろす。
「んぐっ、ではまず後ろの三人と話をさせていただいても?」
サンドイッチの最後の一欠片を飲みこんでフリーレは言葉通りにまず元帥の
背後に立った三人に視線を向けた。それに思わずびくりと体を震わせたのは
彼女と共に入室してきた三人の女性軍人たち。格好こそ尉官相当の軍服に
なっていたがその顔ぶれはつい先ほど見たものである。
「それから、か。本当に教師になっておるのじゃな」
「未だ新兵並の半端者ですが、だからこそ責務は果たしたいと考えています。
……彼女達がここにいるということは私の生徒達は?」
本気の感心と一抹の寂寥感を顔に滲ませたアマンダに当然のことと
返しながらフリーレは改まってその背後の三人。1-Dの警邏4班を
襲撃する役目を元帥に命じられた人物たちに視線を戻す。彼女らは
気を失った生徒達をホテルに運んでいったはずだったのに何故ここに。
詰問するような目に彼女らは緊張感を漂わせながらも元帥の頷きという
許可を待ってから経緯を語った。
「っ、ご、ご心配なく。
全員無事にホテルに運び終え、今は寝かせてあります」
「も、勿論!
複数のメディカルチェックを行い、異常がないのを確認した後
元帥の求めもあり、説明役に用意していた部下に任せてこちらに!」
「事件直前までの出来事を知る者の話を聞きたいとのことでしたし、
や、役だったとはいえ起き抜けに襲撃者の顔は心臓に悪そうですから……」
「そうですか。なら、一安心か」
硬い言葉ながら安堵した様子のフリーレに、彼女達も小さく息を吐く。
奇しくもこの場に集っていた軍人たちは男女問わずフリーレとほぼ同年代。
彼・彼女らにとって若き英雄、次代の元帥、剣聖とも称されていた彼女の
実力と活躍の華々しさは誇らしくもあったが畏敬を覚えるものでもあったのだ。
そんな相手に睨まれて平然とするのは難しい。だからこそ笑って流したり、
おどけたり出来る隣の少年と元帥がおかしいと彼らは考えているが。
「で、他の1-Dの面々は?」
そんな周囲の心境を分かっているのか興味がないのか慮る気がないのか。
少年は淡々と、しかし聞かなくてはいけないことを口にして事情を知る
軍人達の背に緊張を走らせた。
「え、あ……わ、私の教え子は1-D全員っ……ガルドレッド元帥まさか!?」
「うっ、だ、だからそんな怖い顔するでない!
…………まあ、似たようなことやったのは事実じゃが」
「元帥! っ!?」
すぐさまそこに思い至らなかった自分もだが、隠していた元帥も元帥である。
思わず怒声と共に立ち上がったフリーレを、だが隣から伸びた手が止めた。
そこに意識が向いて怒気が霧散したことで一番安堵したのは手の持ち主が
最も気にかけていない周囲の人物達なのは何の皮肉か。
「で、試合に勝って勝負に負けた、かな?
手強かっただろフリーレの教え子たちは?」
「ちっ」
「ナカムラ? 元帥?」
フリーレを見ずに、向かいの相手を揶揄するかのように笑った少年に
老元帥は真実負け惜しみそのものの舌打ちを返事とした。
「落ち着け、お前の教え子としての時間はまだ短くてもあの試験を
乗り越えた連中だぞ? 状況やスペック的に勝てないのは仕方ないが、
負けはしなかったはずだ」
彼の断定に近い発言と不敵な笑みに腰をおろしたフリーレは再度
真向いの元帥に確かめるような視線を送る。溜め息の後、彼女は答えた。
「警邏4班と同じく1-Dは皆、冷静な判断をしておったよ。
他と違って自分達だけで解決しようとせず、対処できる組織や人間に
任せるために行動したり事態をあえて大きくして余所に伝えたりの。
おかげでいくつかは事情を知らない相手にも露見して軽い騒動に
なってしまったわい」
「遅れたのはそちらへの対処も、ですか……自業自得です」
「全くだ、が……今この婆さん他と違ってとかいわなかったか?」
「他……ま、まさか!?
1-Dだけじゃなく生徒全員にあんなことしたんですか!?」
この婆さんやりやがったな、と全力で呆れた視線を送るシンイチを余所に
フリーレは信じられないと詰問する。
「う、うむ……元々はお主の直接の教え子たちである1-Dだけのつもり
じゃったが、こちらに到着してからいくつか学園生徒では対処しきれない
事件や状況を考えている内に作った案を全部試したくなっての……それで、つい」
「そ、そんな理由で生徒達に偽の事件をぶつけた、と?
仮にもあなたが手にかけて育てているであろう現役軍人達を使って?
修学旅行中で、しかも実地で真面目に勉強してた子供たち相手に!?」
「そう言われると罪悪感も沸くが……元より今回の訓練はトリヴァーで
一遍に行う予定じゃったはずじゃ。ワシはそこにちょっと手を加えて、
人員を貸しただけ……格上相手と安全に戦えるのは貴重な経験じゃよ」
「あのですね!
事前に通達があればまだ違ったかもしれませんが、私にはあなたの
突発的な遊びを正当化する強引な言い訳にしか聞こえません!」
「カカッ、否定はせぬし事後通達になったことは謝ろう。
じゃがワシとしてはこれで良かったと思うておる」
「なにをっ!」
「なかなか粒ぞろいになってきたのぅ?」
呆れながらも語気を強めて詰め寄る弟子に元帥はあろうことか。
開き直ったかのように認めると口端を吊り上げて獰猛に笑った。
「去年までは殆ど全員が新兵未満であったというに良い顔をする者が
ちらほらと増えておった。力任せしかできんかった地球人トップも
虚勢を張っておるだけのパデュエールの娘も、一皮むけておったわ。
そういえば2-C、2-Dもお主のクラスと似た戦い方をしていたな。
いったい誰の薫陶を受けたものやら……」
言外に何か知らぬかと問うようにフリーレへ向けられた老元帥の視線。
だが向けられた当人と隣席の少年は穏やかなフリをする老女の目に獲物を
狙う肉食獣を見た。彼女が本当は誰を見ているかをありありと感じさせる。
最初から探り目的であったのか。たまたまであったのか。結果的に彼の傍で
警邏4班の抵抗を間近で見ればそれが誰の影響であるかは分かろう。
これは彼女を怪しんでいながらもガレスト軍元帥と気付かなかった彼のミスだ。
尤も当人はそれを自覚しながらも素知らぬ顔をしているが。
「さて、シングウジもパデュエールも直接の教え子ではありませんし、
今あげられたクラスも最近の躍進は聞いてますが詳しくは……」
そしてフリーレも何食わぬ顔ではぐらかした。何気に誰かさんのと似た
『嘘ではない』言い方になっているのは意図的か無意識か。アマンダは
一瞬その反応に感心か驚きか分からぬ反応を見せたがすぐにその言葉を
ただ受け取った。
「……そうか」
「ただ…」
しかしそれだけではこの元帥が次にどう動くか元弟子には不安があった。
このような職権乱用の遊びを突発的に行う彼女に何も教えないのは
かえってどこで何をされるか分からず危険だと。語れぬ事情と約束は
あるが、不必要に警戒をしてほしくないとフリーレはせめて
これだけは伝えたいと続きを語る。
「ん?」
「…良き出会いが、あったのだろうと思います」
少なくとも自分にとって、カレ、はそうであったと告白するように。
穏やかで仄かな笑みを浮かべてのそれに老元帥は激しく瞬きをすると
面食らった顔のまま意図的に外していた視線をあからさまに少年に向けた。
微妙に照れ臭そうにしている少年に。
「……ワシはだいぶ出遅れたらしいのぅ」
「遅過ぎだよ、あと今更も過ぎる」
「ん、ん?」
フリーレは元帥に彼は大丈夫であると伝えたかっただけだ。
しかしその発言で当人同士はなぜか短くも通じ合ったやり取りをした。
戸惑うしかない彼女を余所に、そうかと天を仰ぐアマンダ元帥と
憤然と偉そうに腕を組むシンイチだ。
「随分あっさり返すのぅ……もしやバレとる?」
「それは覗いていたこと? 思惑通りにいかなかったこと?」
クスリ、とわざとらしく嘲笑するかのような表情を見せたシンイチ。
それで自らの全面的な敗北を察したアマンダは悔しげに吠えた。
「かぁっーー!! 嫌な顔をして笑う小僧じゃの!? ワシ知っとるぞ!
こういう奴が何食わぬ顔しておいしい所を全部持ってくんじゃ!!」
若干泣きそうな声で、老年とは思えぬほど幼稚気味に。
「まったく否定できないから、楽しい」
これに、顔だけ見れば花が咲いたような輝かしい満面の笑みでそう返して
くるのだからアマンダは甲高い声で言葉にならない叫びをあげていた。
「はぁ……何の話か知らんが、この人で遊ばないでくれナカムラ。
アマンダ先生も彼に構うのはもうやめてください。勝てませんよ」
「アハハッ、善処はするよ」
「ううっ、弟子が厳しい……まあ、やっとそう呼んでくれたのでよしとしようかの」
「普通に会いに来てくれたのなら最初からそう呼んでましたよ」
厳しくさせたのは誰ですかと睨み付ければ老女は苦笑して目を泳がす。
これを、マズイことをしたと認識『は』している、と解釈したフリーレは
居住まいを正して改めて彼女と向かい合った。
「ともかく……遅れましたがお久しぶりです先生。お元気そうでなにより」
「なんだかんだでお前が軍を辞めた時以来か。お主も壮健そうじゃな。
てっきりクトリアでくたばっとると思ったが……活き活きしとるの?」
「まだまだ不慣れなことばかりですが、最近息抜きのやり方を覚えまして」
「それは重畳じゃ……息抜きねぇ?」
遅まきな再会の挨拶の終わりに元帥が見たのは教え子の隣席。
何を教わったのやらと視線を向けるが少年は落ち着き払った素知らぬ顔だ。
「ハァ─────そろそろ真面目な話をしていいかの?」
「もちろん」
こんな若造に相手にされてないのに振り回されている。
溜め息混じりに自らそう提言して話題を変えようとした老元帥だが、
さも自分がこちらの代表であるかのように返事をしたのがシンイチで、
フリーレがそれを自然に受け入れて話を聞く姿勢になっている事に
年齢や立場とは逆の力関係を感じて問い質したい欲求にかられたが、
彼女はするべき話を優先した。
「……まずは行動の制限をかけてここに留めたこと。
その指示に従ってくれたことに改めて謝罪と感謝をしよう」
「いえ、程度はともかく仮にも現役元帥の暗殺未遂事件です。
現場にいたのが私達三人だけであった以上当然の処置かと」
「そういってくれると助かる……とはいえ、お主の言う通り
程度問題を横におけば、これはワシへの暗殺未遂事件じゃろう。
お主らはいわば巻き込まれた被害者じゃが……さて、どこから、
そしてどこまで話すべきかの?」
「それは…」
困った風を装っての問いかけにフリーレは聞いていい、知っていい範囲を
見極めようとしたがその隣の少年は冷え切った視線を向けて鼻で笑った。
「ハッ、元帥ともあろう方がその辺りを決めずに何時間も待たせた相手の
所にわざわざやってきてくれるなんて、随分とお優しいことで」
「……老婆のお茶目な冗談じゃ、流してくれい」
──まどろっこしいことしてねえで言えること全部喋れ
そんな言外を含めた遠慮のない嫌味と背筋が凍るような視線に
アマンダ元帥は冷や汗を流しながら早々に白旗を振った。
「はぁ、この小僧どうにも苦手じゃ。何か嫌な記憶を思い出しそうになる」
根本的な部分で相性が悪い気がして気持ちが最初から負けている。
自分のペースにするのは難しいと完全に諦めた元帥はこの数時間で
判明したことを語りだし始める。
「……話を進めるぞ。襲撃の場におったお主らにはいわずとも
分かるじゃろうが、あの愚か者どもの標的はワシであった。しかし、
奴らはそもそもワシがどこの誰かも知らず、フリーレにも気付かぬ
間抜けども。暗殺者などというにも烏滸がましいゴロツキ以下の
連中であった……どんな都市にも一定数おるから困るわい」
元帥が腕を振るうと会議テーブルの上に複数の空間モニターが開く。
そこには襲撃者たる男達のプロフィールとこの一件の調書まとめが、
親切にもガレスト語と日本語で別々に映っていた。それによれば、
全員が三十代前半の男性で、つるみだしたのはここ数年なれど
その経歴はよく似通っていた。生まれ育ちは共にここトリヴァーで
十代からたいした動機も同情すべき境遇もないまま軽犯罪を繰り返し、
それを微塵も反省せずに成長した結果、その犯罪歴と自己中心的で
こらえ性の無い性格からまともな仕事や稼ぎも無い不満をさらに
思いつきの犯罪で晴らすという傍迷惑な札付きの小悪党達。
「……よくトリヴァーから追い出されなかったな、こいつら」
元帥の言う通り人が多く集まる都市ならば、どうしても一定数
存在してしまう者達ではあるが、ここの特殊性を思えば治安や
機密保持の問題、外部の悪意ある者に利用されぬよう追放も
あり得る処分だとシンイチは思ったがそこにはガレストの
都市制度とトリヴァーならではの特徴があった。
「そこはうまくやったというべきか。所詮小悪党であったということじゃ」
「ああ、なるほど。この都市の禁忌には手を出してこなかったわけね」
「その通りじゃ。そして都市内の犯罪はその都市で裁き、その都市で
罰するのがガレストの法。それとトリヴァーから出にくいのも
利用した形じゃが、当人たちそこまで考えておらぬだろうな」
「そんな頭があったらこんな怪しい依頼受けねえって。
ま、自業自得のご愁傷様ってやつだ」
「まったくじゃ」
単なる偶然かここで生まれ育ったゆえの危険察知かで、ある意味
うまくやってきた彼らだが殺人に忌避がない時点で救いがたい者達だ。
今回、彼らは提示された大金に目が眩んで自分達に突然接触してきた
謎の人物から持ちかけられたさる老婆の殺害を引き受けたのだという。
その正体が現役の元帥アマンダ・ガルドレッドと知ってからは青い顔で
震えているとか。
「……なるほど、白雪ですらあの距離まで気付かなかった迷彩装甲服は
その依頼人から報酬の一つとして与えられたものですか」
苦手といったわりには気の合った会話をする師匠と教え子のやり取りを
不思議に思いながらフリーレの視線は次の項目。彼らが所持していた
装備品に関する事柄のファイルへと進んでいた。
「出所の目星は?」
「最新鋭の軍用センサーを誤魔化す装備ともなれば候補は絞り込めるが
さすがに立場上内外に敵が多くてな、これといった決め手はない。
ま、だというに先に気付いとったその小僧は何者じゃという話じゃが…」
「知りたいか?」
つい、か。職業柄か。探るような視線を向ける元帥に返るは嗜虐的な笑み。
「い、嫌じゃっ! そういう顔で笑う奴のことなど何も知りとうないわ!」
本能的な怖気が走った彼女は怯えるように叫んでいた。ならちょっかいを
かけなければよいのに、とフリーレは思ったが口にしたのは別のこと。
「……ということは依頼人そのものにも心当たりは?」
「ん、ありすぎて絞りきれん。そもそもあのゴロツキどもに直接
依頼した奴が黒幕とは限らん、いや十中八九ただの小間使いじゃろうて。
間に何人挟んでおることか。そうでなくとも堂々と顔を見せて依頼して
きたらしいからの……一応モンタージュ作らせて調べさせはするが、
望み薄じゃろうな」
「でしょうね……」
頷くフリーレの頭には立体映像技術を悪用した変装術や本物の人間にしか
見えないアンドロイド、記憶を弄った未知のスキルといった最近見知った
諸々が過ぎった。雇った刺客は無能であったが与えられた装備は一流。
少なくともそういった類の技術を持っていてもおかしくはなかった。
それらを使われたうえで複数の人間を通しての依頼であったのなら
それを遡っていくのは極めて難しい。
「じゃあ婆さん、あんたは黒幕の狙いは結局なんだと思ってるんだ?」
「ナカムラ、何を? そんなのは先生を害しようと…」
「あんな雑魚どもで、か?」
「……確かに、不自然だな」
特殊な光学迷彩機能によりあの距離までの接近を許したが、
相手の能力と経験の無さが幸いして拍子抜けするほど楽に迎撃できた。
それこそ本気の十分の一も出す必要もないままたった一撃で、簡単に。
プロフィールに表記された特出した項目がないステータスも合わせて
考えればフリーレの感覚ではあれで殺せるのは一般人までだろうと思える。
1-Dの生徒でもフォスタ装備中であれば最初の一撃を受けはするが
致命傷となる可能性は限りなくゼロと思えた。またその後の反撃で
確実に制圧できるだろうとも。
「いくら装備やチャンスを整えてもアレじゃ無理だ。誰でもそう思う。
そのくせ自分達の力量だけは与えた装備で暗に見せつけてもいる。
しかしながら今の所、犯行声明やら黒幕からの接触はないんだな?」
「ああ、無い。あれば別の見方もできたが……」
「なら先生を狙ったのは……脅しか警告?」
「ま、そうみるのが妥当じゃろうな。
自分達は使い捨ててもいいと思えるぐらいにこんな装備を持っておる。
今回はあえてあんな連中に与えたがその道のプロに渡すこともできる。
努々それを忘れるな、といったところか─────なめくさりおってっ」
それでこの自分を御せると思われたことが屈辱だと溢れ出た怒気と殺気は
会議室の空気を揺るがし、ソレを直接向けられたわけでもないのに
皆を震わせた。彼女は伊達や酔狂でその地位にはいない。フリーレの
師であったのも実力の上で、だ。元弟子はともかく少年相手に右往左往
してる方が傍から見れば不自然なのだ。
「ふぅ、お気を静めてくださいアマンダ先生。
私達はまだしも他の者がすくんで動けなくなっていますよ」
「ん、すまぬ。あまりに舐めた話につい、な。
……って、だからなんでその小僧は平然としとるんじゃ!?」
わりと本気な殺気を出した覚えがある彼女はのんびり喉を潤している彼に
愕然としたがフリーレは慣れたものか気にした風もなく話を次に進めさせる。
「それよりも、先生はこのあとはどのように動くつもりで?」
「フンッ、口惜しいが相手がどこの誰かもわからぬ現状では何もできん。
調べさせはするが専門セクションを動かすには程度が低すぎるうえに
都市警察に丸投げできる案件でもないからの。捜査は専門外のワシらに
どこまで出来るかといえば望みは薄いわい」
「やはりそうなりますか」
師弟どちらも悔しさを滲ませるがそうなるしかない要素がこの件にはあったのだ。
「被害がほぼ皆無なくせにワシが狙われたというだけで話題性はある話を
大々的に広めるのは避けたいからの。内外から文句いわれるだけなら
まだ良いが『その程度で大騒ぎするとはあの女も老いた』等と
ろくでもない連中に侮られるだけでも治安に影響しそうじゃしな」
ガレスト全体の防衛と治安を司る軍のトップを狙った拙劣で地味な暗殺未遂。
刺客があまりに弱く、被害は殆ど無く、世間には露呈しなかった等という
点から大規模な捜査は予見される解明の難しさも合わさってデメリットしか
見えないのである。が、だからといって内々に調べようにも輝獣討伐と
治安維持を主とする軍人達には荷が重い。どちらを選んでも面白くはないが
騒ぎにならない分、悪影響が少ない分、後者の方がマシという判断になる。
重ねていうがどちらにしても元帥としては業腹だが。
「心中お察しします。ですが、短慮はなさらないでくださいね」
「わかっとるわい。まあしばらくは首謀者どもにワシにとってこれは
なんてことはない一件であったとアピールするために予定してた
スケジュール通りに動いて心身の健在ぶりを見せつけるしかないの」
「おいおい、スケジュール通りって突然あんな遊びをぶっこんできた奴が?」
対応自体は否定しないもののシンイチは寝言は寝て言えとばかりに
呆れ声と疑いの眼差しを向ける。しかし弁護の声は横から発せられた。
「大丈夫だ。確かにアマンダ先生は時折ふざけたことをするが、
あれはどっちかといえば息抜きに近いんだ。巻き込まれる方は
たまったものじゃないが……その後は打って変わって遊び心なく
職務に邁進するんだ。元より仕事に対しては真面目な方だからな」
「………それって有名?」
「ん、先生にある程度近しい者ならそう思うはずだが……ナカムラ?」
だがそれで真顔になって黙り込んだ少年にフリーレは訝しむが彼は
その視線を遊びなく真っ直ぐにアマンダ元帥に向ける。
「二つ質問があるんだけど?」
「嫌な予感がひしひしするが……聞こう」
「あの雑魚どもが依頼を受けたのは正確にはいつなのか。
そしてその際に標的の特徴をどう教えられていたのか、だ」
調書まとめでの記述では曖昧だったそれらの点への質問に元帥は
取り調べの記憶を思い出すように細めた目を天井に向けて、愕然と見開いた。
「ああ、それは確か─────っっ、馬鹿なっ!?!」




