歓迎都市シーブ4
大吾は見るなといわれてあえて見るような天邪鬼ではない。
やりかねない幼馴染なら約一名知っているが、彼のことを思い返す暇は
大吾には与えられなかった。自分を跳び越えた影によってほぼ一瞬で
事態が解決してしまったからである。
「おお?」
彼は刃物を持った暴漢との対峙に集中し且つ緊張していた。
かつて通った警察学校では、多対一か一対一で訓練でなら
何度か行ったことはあったが実践となると当然、話は別である。
先程染みついた動きとしてやってしまった背負い投げとは訳が違う。
何かを一つ間違えたらあのきれいな輝きの刃が自分か誰かに突き刺さる。
嫌な汗が頬を伝うのを拭うことさえできないまま大吾は全神経を集中させて
彼らの動きを注視し、先に襲ってきた方から冷静に捌こうとしていた。
自分達との距離とふたりの立ち並びの位置関係から同時は無い、はずだ。
やるべき事は解っている。結実はしなかったがその手の勉強は死にもの狂いで
していたのだ。おそらく正しいだろう動きの予測もできている。
だがそれで万事うまくできるかどうかは未知数。一目散に逃げることも
考えなかったわけではないが明らかに頭に血が上った両名を見るに標的の
自分達が逃げたら周囲の人たちに何をするか分からない。自分が手や口を
出したことでこの状況にしてしまったことに後悔はないが責任はある。
ならば最悪ガレストの最新医療に期待しようかと嫌な汗と共に覚悟を
決めた時に、後ろの彼女が自分を跳び越えたのだ。
「フン」
他愛もない。
とばかりにつまらなそうな息遣いで彼女は薄紫の長髪をかきあげる。
暴漢二名は彼女に踏みつけられた形で倒れ伏して意識を失っていた。
大吾の目がおかしくなったのでなければ、八本に増えた脚で。
それも一本、一本が異世界金属で形作られた鋼の節足だ。
先端が細長く尖った形状のそれは単純にロボットレッグといえばいいのか。
それともその形状と本数からスパイダーレッグとでもいうべきか。
スカートを膨らますようにその下から伸びた八本の長い鋼節足は
彼女自身を彼の視線より高い位置で支えながら暴漢二名の、背中、
刃物を持つ腕、所持端末、を押さえこんでおり残った二本が
それぞれの首に巻き付いている。
大吾が視認できたのは跳び超えた彼女が前脚─といっていいのか─の二本で
男らを押し倒し、残りの鋼節足で腕、足、端末を抑えこんだ一連の流れと
最後の締めとばかりに首に脚が巻かれた所だ。ただ、彼の目が確かなら
細く短い針のような物体をぷっつりがっつりその首に差していたような。
もしや押し倒して気絶させたのではなく何らかの薬品の投入か人体急所への
一刺しだったのか。学の無い自分では想像するのが限界だが、それはともかく。
「カ、カッコイイ…」
思わず、そんな感想が口から零れ落ちていた。
彼は別段メカ好きでもクモ好きでもないが、一見そうと解らないモノが
予想だにしない変形をして活躍すると妙にくすぐられてしまう男心を持っていた。
小さな駆動音─ないし収納音─を立てながら鋼の多脚を元の二本に収束するように
人の脚に戻していた彼女にその呟きは届いていたらしく、表情が崩れた。
どこか信じられないとばかりに目をパチクリと瞬かせている。
「っ、あ、いや失敬。無神経だったな……それより助かったよありがとう」
「…………そう」
それがどのような感情の動きなのか大吾は幼馴染Sではないから分からない。
けれどそれは義足である。原形を残さない変化に一種の興奮を覚えたが、
人間の足が微塵も見られなかった以上、鋼節足は装備品の変形ではない。
装着している義足の変形。彼女の足が人工物で形成されている証明だ。
先天的か後天的か。本人が気にしているのか否かどうかも分からないまま
初対面の他人が間抜けな感想をこぼしていい話ではない。何よりまずは
助けてもらったお礼だろう。そして次は。
「でもな」
「なにかしら?」
どうやら気付いていないのか気にしていないのか。後者のような気配を
感じながらも大吾は彼女に歩み寄ると上着を脱いで半ば強引に押し付けた。
「ん?」
「見るな、って言っておいてそれはいくらなんでも無頓着だろう」
「…ああ」
ちらりと視線を一度だけ下に向ければ彼女も察しはしたらしい。
多脚を展開したことでスカートの一部が巻き込まれたのか裾がボロボロになり
所々に穴も開いていた。衣服としての役目は3割減といったところか。
「不恰好にはなるけど、俺の大きいから巻いとけば隠すぐらいは…」
「別に見えてはいけないところは見えてないと思うのだけど?」
だというのに彼女は自ら裾を持ち上げてひらひらと左右に振りながら
破損具合を確かめていた。ちらちらと覗き見えてしまうむき出しの太腿が
眩しい。先程の変形を知っていてもどこまでが義足部分でどこまでが生身か
分からないのはさすがの異世界技術だったが、彼はまず注意を飛ばす。
「慎みを持って!?」
「失礼ね、持ってるから慌ててないのよ?」
何を興奮しているのといわんばかりの冷静な彼女に大吾は唖然とする。
どうやら彼女の中では下着等が見えてなければ問題ないという認識らしい。
そんな態度はどこか彼の幼馴染たちと似たものがあって、頭を抱えた。
「世界はマジで広いってか?」
自分にそう思わせる人物が実在しようとは。しかも女性。
自然と苦笑が浮かんでしまうがそれゆえかどうにも放っておけず、
半ば強引に押し切って大吾は上着を腰元に巻き付けた。大柄な自らのサイズの
おかげで過度に接近する必要も過度に屈む必要も無かったのは幸いであり、
彼女も必要ないとはいったが拒否はしなかった。
「…物好きね」
「文句は俺の幼馴染たちに言ってくれ、そのせいだ」
呆れた反応に同じく呆れて返す。意味がわからず首を傾げる彼女の仕草は
無表情ゆえか逆にどこか赤ん坊のような幼い純粋さを感じ取って微笑ましい。
だから、お節介ついでだと一歩さらに踏み込んで顔を寄せると殊更神妙に尋ねた。
「で、このあとどうした方がいいと思う?」
騒ぎに気付いてか。通報があったのか。視界の隅で都市警察らしき制服姿の
人物が数名こちらに駆け寄ってくるのが見えた。彼女も気付いたらしく
適切な助言を述べた。
「……面倒が嫌いなら逃げることを推奨するわ。
こいつらのことはともかく、あなたコレ外しちゃったし」
そういって彼女が手元で揺らしたのはブレスレット型の防御装備。
ガレスト旅行へは法的に装着を義務付けられている装備であり、
所持していない者へは政府からの貸与制度がある。大吾はそちらを
利用しており、その際に受けた説明によれば確か。
「あ、勝手に外したら罰金!?」
それも正式な値段で購入するより4倍近い金額を。
事情によれば免除や減額もあるそうだが、大吾は今回のこれが
罰金免除対象になる気がまったくしなかった。そもそも説明ができない。
なにしろ。
「今のうちに装着しておいてもダメか?」
「事情聴取の際に記録を読み取られるでしょうから同じことね」
「尚更ダメじゃねえか! キミのもバレる!」
「え?」
彼女のちょっと危ない、そして法的にもおそらくアウトなイタズラを
公にする気が大吾にはまったくなかったのだから。過激な行為では
あったが悪意は薄く、安全面には気を配っていた。ナイフを突然抜く輩より
何十倍も信用できる行為だ。尤も一番の理由は幼馴染との経験則からこの手の
タイプはコトがバレたところで止めないし反省もしないから、だ。
むしろより陰湿な方向に行為が悪化する可能性の方が高い。
つまりは隠しておいた方が被害が小さくて済む。
「ということで、失礼するよ!」
「……へ?」
そうと決まれば、と。
何やら戸惑っているらしい隙をついて大吾は彼女を易々抱え上げた。
横抱き、いわゆるお姫様抱っこであったのはさすが幼馴染か。
単純にお互いの体格の問題か。
それとも。
「どいた、どいた! すいませーん! 通りまーす!」
駆け寄る警察とは逆方向の人混みに突撃していく。大柄な男の突進に
思わずといった感じで開けた人波の間を突っ走っていく大吾。その人垣に
彼女をぶつけぬよう自らの胸元に顔を押し付けるように抱えて。
その行動を当人はどう受け取ったのかクスリと笑う。
「ふふ、物好きなうえにお人好しね……苦労しそう」
「あー、残念ながらその通りだ。
だけど、人間生きてりゃそうでなくとも苦労はするもんだろ?」
「あら、実感のこもった言葉だこと」
背後からの停止を求める公権力の声をあえて聞こえないフリで遠ざけつつ、
人波をかきわけ─彼女の案内に従いながら─雑踏の、されど人気が少ない方向へ
進んでいく。その道中。
「………この世界では弱者と異形は忌避されるのよ」
「えっと、なんの話?」
「あなたが私に見せないようにしてる視線の話」
うっ、と唸った大吾は一瞬目を泳がす。
彼が詰め寄ったのも、いきなりさらうように抱え上げたのも、その方法に
お姫様抱っこを選んだのも、彼女の視線を遮るのに都合が良かったからだ。
周りから無遠慮に向けられていた、奇異なもの不快なものでも見るかのような
その視線に気づかせぬように。尤も無駄だったわけだが。
「…………余計なことしたのなら謝るよ。単純に俺があの場に君を
置いていきたくなかっただけだったんだ。助けてもらったわけだし」
そう、あのイタズラに気付かれていたのならまだしもあの場であの時とった
彼女の行動は大吾を助けたとしかいえないものであったのだ。されど周囲から
向けられたのは突然武器を出してきた彼らに対するもの以上に侮蔑の意志が
こもった、大吾からすればそれこそが不快な視線であった。そんな場所に
恩人を捨て置くというのはあり得ない話である。しかもこの態度をみれば
周囲がああいう反応をするのは分かり切ったうえで助けてくれたのは明白だ。
彼は尚更こうして良かったと深く安堵していた。
「殊勝なことで……地球風にいうなら紳士といったところかしら?」
「よしてくれ、そんな立派なものじゃない。それこそ俺なんて弱者だぞ?」
なぜ弱者と異形が忌避されるのか。わからないまでも異形とは彼女の義足の
もうひとつの姿を差すのだろうとは大吾も推測できていたから少しおどけた
様子で貧弱なステータスの自分を揶揄してみせた。君が異形なら自分は弱者。
ただそれだけだからこの話はそれでお終いだと。しかし。
「いいえ、あなたは弱者ではないわ」
あれほどのサイズに変形した義足込みとは思えぬ軽さの彼女は彼の腕の中で
毅然とした態度でそれは違うと明確に否定する。戸惑ったのは大吾だ。
「え、いやこんなでかい体してるけど、俺弱いぞ?
さっきのは偶然技がきまっただけで……」
「そういうことじゃないのよ。
どうも翻訳の関係で分かりづらいみたいだけど
弱者と力無き者はガレストでは厳密には別物なの」
そう語りながら彼女は大吾の否定を許さぬ強い目力で彼を見据えている。
そこにどこか羨む色があるのは、大吾の気のせいか。
「弱者とは、抗わぬ者。何もしない、責務を果たさない者をいうの。
逃げることでさえ戦う力や意志の無い者は邪魔という考えから推奨される。
さっきのは少々無謀な部分もあったけれどあの動きや構えを見ればあなたが
完全な素人じゃないのはわかる。難しいけれど決して対処出来なくはない危険に
立ち向かおうとしたあなたは断じて弱者ではないわ」
「お、おう……そりゃ、どうも」
自分の腕の中にいる美女に褒められる、という状況での真っ直ぐな賞賛は面映い。
鏡を見るまでもなく顔が赤くなっている自覚のある大吾だ。
「照れているの? 見た目と違って可愛いところがあるのね」
「からかわないでくれ、女性からは慣れてないんだよ」
幼馴染二名からならいくらでも経験があるがここまで違うものかと
胸中を騒がす照れ臭さに大吾はただただ頬を熱くして、目を泳がす。
「でも覚えておくといいわ、あなたが何を求めてガレストに来たか知らないけど
この世界は怠ける者、悩む者、何もできなくなった者には厳しい」
それはいかなる体験から出てきた言葉なのだろうか。
幼馴染二名の影響で一人からだけの証言を鵜呑みにしない冷静さを
身に付けている大吾だがそれは彼女にとっては真実であり嘘はないと感じていた。
「そっか、参考になったよ」
だからそういう返答をしたのだが、これには逆に彼女の方が訝しんだ。
「参考?」
「ははっ、俺別に何かを求めてきたわけじゃないんだ。
ただ自分の目で見たくなってさ……俺達が漠然と描いていた未来を
狂わせた世界を、そこに住む人達を……良いも悪いも関係なく見たいと思ったんだ」
それが幼馴染との再会から始まった一連の出来事を経て、大吾が
思った『まず向き合うべきこと』だった。数少ない貯金とバイト代の
大半が消し飛ぶ出費であったがガレストと真っ直ぐに向き合わなければ
自分は何者にもなれないという予感があるのだ。そんなのはあの頃のまま
どころかより悪化しながらも彼らしさを失っていなかった幼馴染の手前、
かなり悔しい。だからガレストそのものには彼は何も求めてはいない。
ただ腐っていた自分に区切りをつけ、もう少しマシな自分になるには
そういった行為が必要だと思っただけ。
「………そう」
未来を狂わせた、だの。
良いも悪いも、だの。
当のガレスト人相手にいう表現ではないと思わないでもなかったが
この女性にはそこは濁すのではなく正直に言った方がいいと大吾は感じていた。
正解だったのか彼女もそこを追求することはなく短く頷いただけ。
そして移動の勢いで乱れていた髪をかきあげながら、少し何かを
考えるような顔を見せたかと思えば、悪戯気に微笑んである提案をした。
「なら今すぐシーブを出た方がいいわね。明日のことがあるから
今なら面倒事に関わりたくない旅行者と思われてきっと忘れてくれるわ」
「あちこち行きたいからそれは別にいいけど、明日何かあるのか?」
公式行事やイベントの類は事前に調べていた大吾だが翌日シーブで
そういったことがあるという話はどこにも無かったはずである。
しかし彼女は当然のごとく頷いた。
「ええ、そっちに人が割かれるからあれぐらいなら周囲の証言だけで
武装不当使用で逮捕できる……悪は滅びたわ。くくっ、ざまぁ」
「わぁ、これ翻訳の結果なのか変な言葉が世界超えちゃったのか。
真相知りたくないなぁ……ってだから明日なにがあるのさ?」
全く本気に聞こえないおふざけ発言に妙な頭痛を覚えながら再度尋ねれば
なんでもないことのようにあっさりと彼女は答えた。
「ガレスト学園から修学旅行生来訪よ、最近の風物詩ね」
「へ?」
「例年以上に急に決まったものだから準備や人手の確保にてんてこまいになってるわ」
当日ともなれば今以上でしょうね、と何故かほくそ笑む彼女を余所に
『これはまた奇妙な偶然もあったものだ』と目を瞬かせる大吾である。
「それじゃそこ曲がって。
さっきの今で中央駅は使いにくいでしょうから、東駅に向かいましょう」
そこに投げかけられた彼女からの提案。それ自体はいい。
先程のあれこれで探られたくも時間をとられたくない身としては素早く
シーブを後にした方がいい。だがその言い方には引っ掛かる部分があった。
「何かの翻訳ミスであってほしいんだが……」
「なにかしら?」
「もしや、ついて来るつもり?」
「あら、察しがいいじゃない」
楽しげな─有無をいわせぬ─微笑を浮かべる彼女。
しまった、と彼が思った時には既に遅い。その意図に早々に気付いたことに
感心と興味をその瞳は示していた。この目、知ってる。抵抗しても無駄な目だ。
「はぁ……もし断ったら、さっき装備外してたの通報する。
いや、現在進行形でさらわれてると叫ぶ、とか?」
だからせめてもの意趣返しとばかりにこの後出るだろう脅し文句を先に言う。
これには彼女も目を瞬かせて呆けた顔を見せた。
「驚いた、よくわかったわね」
「そういう発想をする幼馴染が二人もいるんでな」
「………………大変、だったのね。頑張って」
私みたいなの二人か、と小さな呟きのあとに漏れ出た心底からの慰めに
大吾は激しい同意を返すべきかお前がいうなと返すべきか本気で悩んだ。
実際に口から出たのは全く別の、現実的な言葉であった。
「だからじゃないけど、止めたところで無駄なのは分かってるよ。
けど生憎と懐に余裕はないんだ、交通費や宿泊費は自分で持ってくれ」
「へえ、それはいいことを聞いたわ」
「は?」
「ならあなたのガレスト見聞旅行、私がスポンサーになりましょう。
案内もしてあげるから不慣れな地球人一人旅よりはちゃんとこの世界を見せてあげる」
どこか自信満々で、何故か居丈高な突拍子のない提案を彼女はしてきた。
これに疑いや否定、懸念の感情を全く抱かなかったのは彼が慣れていたからだ。
突然こういうことを言い出すのも、そこに嘘がないのも。
「そいつはありがたいけど…………そのこころは?」
しかし、その動機には気を付けるべきなのも彼は知っている。
案の定というべきか彼女はこの問いに即座且つ簡潔な答えを返した。
「暇なのよ」
いかにも重大で深刻な問題であるといわんばかりの真剣な顔で。
「だと思ったよ! どうしてそういうことに変な全力注ぐかな!?」
冗談やからかいなどではなく、これは本気で暇潰し相手に選ばれたと経験則から
窺い知れた大吾は誰にともなく絶叫し、彼女はその反応に口許を緩ませる。
さながら面白い玩具を手に入れたと笑う子供のように。それに若干の不穏さと
懐かしさを覚えて何故か気が楽になっている自分がいるのを大吾は重症だなと
思いながらその提案を不承不承のていで受け入れた。
「ったく、分かったよ。
でも言ったからには出すもんはちゃんと出してもらうからな。
それで………ああ、しまった」
「ん、どうしたの?」
話途中であることに気付いた彼は一度後ろを見て誰も追いかけてきていないのを
確認すると他の歩行者たちの邪魔にならないところで彼女をおろす。そして息を
整えながら正面から向き合うとまだ告げていなかった言葉を口にした。
「一緒に行くんならちゃんと名乗っておかないとな。
俺は高峰大吾、見ての通りの地球からの一般旅行者だ。
呼び方は好きに……いや、絶対に苗字か名前をそのままで呼ぶように!」
「あら残念、おもしろおかしい愛称をつけてあげようと思ったのに」
「危ない、危ない……で、君のことはなんて呼べば?」
「そうね……じゃあミラとでも名乗ろうかしら」
「おい」
なんだそのあからさまな偽名名乗りは、と凄むように突っ込んだが自称ミラは
微笑を浮かべるだけ。これは踏み込んでもはぐらかされるだけだと雰囲気で
察した大吾は追及をあっさり諦めた。もとより本名を名乗りたくないというなら
無理に暴く必要もないのだから。
「まあいいか。それじゃしばらくよろしくミラ。
えっと、これ握手っていうこっちの挨拶なんだけど……」
「ええ、知ってるわダイゴ。こちらこそよろしく。
これから先のエスコートは任せておいて」
代わりに挨拶だけはしっかりしておこうと差し出した手を
彼女は訝しむこともなく掴んで慣れているかのように握りしめた。
大吾の無骨で大きな手にミラの柔らかで小さな手はどこか対照的で、
異性との握手程度でドギマギする年齢でもないと思っていた大吾をして
殊更目の前の人物をひとりの女性として意識させてきていた。
「けど、あなたには出資する分に見合うだけの面白い時間を期待するわ」
続く─うさんくさい─笑顔での発言でだいぶ台無しにはなったが。
「変なプレッシャーかけないでくれ!
そんなこといわれたらかえって意識して気疲れしちまう! って待てよ?
お、お前まさか……やめろよ、わざと大金使うとか絶対ダメだぞ!!」
だが彼は昔からの─ろくでもない─経験から即座にそれに気付いてしまう。
今のは自分を楽しませろという意味ではない。その建前を使ったうえで
出資金を意図的に増やし、その金額の多さにこちらの精神が削られていく様を
間近で鑑賞して楽しむのが真の狙いであると。だって、そういう顔してる。
「うふふふ……」
「おい、せめて否定か肯定をしてくれ! 笑ってごまかすな!
そして腕を引っ張ってなんか高そうな店につれこもうとしないでぇっ!!」
体格こそ大柄でもさほどではないステータスの彼では力負けしてしまうのか。
大吾は必死に抵抗するものの笑って流され、一般庶民が入店するだけで胃が
きりきり痛み出しそうな高級店に引きずり込まれていくのだった。
「なんでこの店どこにも値段が書かれてないの!? 怖い!!」
「大丈夫よ、いくらでも出してあげるわ……ふふふふ……」




