表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰ってきてもファンタジー!?  作者: 月見ココア
修学旅行編 第二章「彼が行く先はこうなる」
214/286

特等席からの風景1




『ガレスト』は大陸だけの世界である。

この事実は多くの地球人に大きな衝撃を与えたという。

今や自分達が住んでいるのが地球という丸い惑星であるのは常識だ。

それ以外の形を空想する事はあっても実在しているのはその慮外。

奇しくも大昔の地球人が考えた平面の世界が実在していた事になる。

そのせいか地球平面説の熱狂的支持者が復古したともいう。

尤もこのガレストという世界の場合は平面世界というよりは

次元の海を漂う巨大な浮島といった表現の方が近いだろう。


「……直で見ると本当に奇妙な世界だな」


地球側とガレスト側を繋ぐように作られた筒状の道。

仄かに金色に発光する半透明のトンネルを次元渡航機の流線型ボディが

滑るように進んでいた。クトリア第一国際空港離陸時には大型輸送機型の

垂直離着陸機であった機体もこの空間に突入した途端内部に微細な振動も

無いまま変形し、彼らを音も無く運んでいた。それをかつて地球人が

夢想した未来の光景、ではなくまるで超巨大なボブスレーのようだと

思った少年のソレへの感想は率直というべきか自由というべきか

熱がないというべきか。諸事情ゆえVIP席だが教師に四六時中

監視されている、ということになっている彼は小窓のガラス越しに

世界(ソレ)を見てはいたが実に関心の薄い視線でもあった。


「ん?」


だが即座に当人は自分の言葉に首を傾げていた。

薄い金光のトンネル越しゆえか気持ち見やすくなっている奇妙で

目に痛い色合いの次元空間。その広がりの中では異物に見えるモノが

視界の範囲では二つだけ存在していた。彼が乗る渡航機が抜けてきた

光の膜に覆われた巨大なナニカと進行先にある薄らとした半透明の膜に

包まれた巨大な大陸である。ただ、どちらも巨大と評したものの比べた場合

後者(ガレスト)前者(地球)の十分の一もない。

とはいえ学園で読める資料によれば世界の外に出ればそのサイズ差は

本来のそれとは関係がなくなるらしい。実際、前者は正確には地球を

内包した宇宙空間すら含めてのサイズだという。

それを思えば一惑星の一大陸と同程度の規模だというのにその程度の

差に見えてしまっていることこそが異常であり次元空間の妙といえよう。

だからこそサイズ差は全く問題ではない。問題は、おそらく。


「あれ世界か? 何か足りな……欠片……箱……いや」


その世界(ガレスト)を外から見据えながら感じ取ったその気配(感覚)か。

神域の知識すらあるゆえか。“なんとなく”答えを導きだしかけた己を、

しかしと彼は首を振って諌める。直感で結論を出していい話ではないと。

そこはヒトの営みが最低でも数百年以上行われている大地なのだ。

不穏で不安になる推測は明確な言葉にしたくはなかった。

感じ取った自分だけが意識の片隅に記憶しているだけでいい、と。


「そして位置は分かるが見えない、か」


ならばこれ以上は見ていても仕方がないと動いた視線。

その先には二次元と三次元の色が混ざった空間が広がるだけ。

地球とガレスト以外の『世界』と思しき異物は少なくとも見られない。

ただ彼はファランディアの座標とでもいうべき位置を感覚的にだが

記憶している。だからこそその先に“ある”のは分かっているのだが

どうにも距離があった。今更ながらよく戻ってこれたなと我が事ながら

感心しそうになるほど遠い。だから魔族の至宝である『魔王の瞳』に

込められた莫大な魔力が必要だったのかと納得もしてしまうが。


「………ナカムラ、この際その手の発言は全力で聞き流すが……」


空間魔法による収納スペースに仕舞いこんだままのそれに意識を

向けていた彼に上から(・・・)女性教師の懊悩が感じられる声が落ちてきた。

シンイチからは訳あって顔が見えないが声から心情は想像できる。

さもありなん。出発直前の“ガレストは初めて”発言だけでも

頭痛の種だろうに意味は分からずとも不穏当あるいは薄ら第三(それ)

匂わす発言を続けられては女性教師(フリーレ)では処理しきれないのだろう。

半ば以上分かってて呟いていた辺りがこの男らしい話である。

しかし、ついに我慢の限界か。不思議と身動きが取れずに

固まっていたフリーレは─やっと─吠えた。


「お、お前は何故さも当然のように私の足を枕にしてる!?」


「へ?」


とはいえ件の少年はそこなのかとばかりにとぼけた顔をした。

ディメンジョンゲートによって次元の壁を突破した後、機体の安定が

アナウンスされるやいなや彼は監督役としての体裁を保つために隣に

座っていた彼女の黒いタイトミニスカートから伸びる太腿を突然、そして

自然に枕としたのである。通常の座席であったのなら難しい話であったが

最新の異世界技術が使われ過ぎたVIPルームの座席は目に見える形で

シートベルト等の安全装置を設置する必要がなく、また大型ソファほどの

サイズと形状であったためそんな体勢となってもまだ余裕があったのだ。


「……俺に寝ててほしいんじゃなかったの?」


「ベッドでだ! ここには仮眠室もあると最初に言っただろ!」


逆に余裕を無くしたのが枕にされたフリーレである。ただ足に彼の頭が

乗っかっているだけ。逆ならば以前にしたこともあった、というのに

彼女にしてみればよく分からない動揺に顔を赤くしたばかりか

彼の不穏当な発言で体も思考もほぼ停止してしまっていた。

初心である。自覚が無いほどに。


「一緒に寝よう、っていったら断ったくせに」


それで遊ばないシンイチではなく少し前のやり取りを蒸し返す。

口調は─何故か─責めている風だが顔は楽しげでありそちらが本音だ。

尤もそれに対するフリーレの返事は若干ズレていたが。


「まだ片づけないといけない仕事があるんだ。

 だいたいお前はもう一人で眠れない歳でもないだろう」


「………」


理由はそれだけなのか。

本気でそれしか思っていないらしい様子にさすがに彼も絶句する。

なんて簡単に打ち崩せそうな理由だと妙な誘惑にかられたものの

結局は別に考えていたことを口にした。尤も一般的にはそっちも

大概な中身であった。


「ええぇ? 折角こんな近くに気持ちいい温もりがあるのに

 ひとり寂しくベッドを暖めていろと? 冗談じゃない」


不満げに文句を垂れつつ膝枕をされてから所在を無くして(狼狽えて)

彷徨っていた彼女の手を取るとシンイチは不敵に笑う。


「おいなに、を──────っっっ!?!?」


繊細なガラス細工でも扱うような丁寧さと有無をいわせぬ

素早さで少年は年上の女教師の掌に熱のこもった口付けをした。

途端にまるでそこから火が付いたような衝撃が全身に広がり、

彼女の肌をみるみる赤く染めていく。しかし反射的にしろ

意識的にしろ唇を落とされた手がそれから微塵も動かなかったのは

驚きに固まっていたせいか。その熱と感触を彼女が受け入れたためか。

否応なく早まる動悸の中で彼女はただ不快ではないことだけを

理解していた。それが彼女の精一杯だったともいえるが。


「……しくじったか。この位置からだと顔が見えん」


そんな様子を膝枕の位置から察したのか。

推測は出来るが直に見たかったと本気で残念そうな声を漏らす。

視界を遮るモノ(・・・・・・・)があるため現在の顔の位置からではフリーレの

顔は見えない。一旦起き上ればいいのだろうがその隙に彼女に

逃げられてしまう懸念があって、彼の脳内ではこのまま膝枕を

堪能するか羞恥に悶える顔をじっくり観察するか。どちらを

取るべきかでかなり激しい戦争が起きていたほどである。

激しい争い─現実時間で1秒─の結果前者が勝利したが。


「まあ眼福ではあるしな……登山家の気持ちが分かるというものだ」


うむ、と何かを悟ったように頷くシンイチ。

その視線は視界を遮るモノを逆に堪能するように眺めていた。

彼の頭の位置から上を向いた場合、スーツを内側から盛り上げる

“山”がこれでもかと存在感を主張していてそれ以外が見えない。

ただそれが彼女の些細な動きや呼吸で揺れ動くのだから正に眼福。

膝枕派の勝利の裏には意外な伏兵がいたのである。


「ぬ……」


などという戦略分析は読まれてはいないはずなのだが、今にも

拝みだしそうな雰囲気を感じ取って口付けの衝撃が薄まった彼女は

簡単な咳払いの後、教師らしい威厳を意識しながら責めるように問うた。


「コホンッ………ナカムラ、お前はどこを見て喋っているんだ?」


「無論、俺の視界を占拠する先生の豊満で魅力的な山脈を、だが?」


しかしその返答は、ナニカ問題があるのか、といいたげなほどに

あっさりとさも当然といった風に行われた。フリーレは痛くも無い頭から

頭痛がしているような錯覚に陥って眩暈を覚えた。


「っ、言い方がそこはかとなくいやらしいぞ! 正直か!

 もう完全にセクハラじゃないかお前!?」


「…嫌なのか?」


「は、何?」


「嫌ならそういってくれ、二度としない」


どうせこいつはまた笑って茶化すのだろうと思いながらの叫びに、

だが返ったのは突然切り替わったような落ち着いた声。自らの()越しに

見下ろした先には予想外に真剣に問いかける眼があった。フリーレは

直感的に本気で言っていると。ここで嫌だといえば彼は二度と

このような物言いや行動をしないのだと感じた彼女の返答は

こんなものとなった。


「……人目がある所ではやめてくれ」


「……………まさか許可がおりるとは思わなかった」


本気で驚いたと目を瞬かせたシンイチに、そこで初めて自分の発言が

消極的ながらそういう意味であると気付いた彼女は慌てた。


「い、いや、別に好きなだけ見ろといったのではないぞ!?

 ただお前にそういう顔されると強くは断りづらいというか……」


少しくらいなら良いのではないかという気分になる、と彼らの距離でも

聞こえるかどうか解らない程の小声でこぼすフリーレであるが、勿論

彼の耳はばっちりと全部拾っている。


「…危ないなぁ。

 なんか悪い男にいいように使われる気配がビンビンするぞ、こいつ」


主に俺だけど。

心の中でだけそう呟いた彼であったが顔には全力でそう書いてある。

幸か不幸か自らの豊かな山のせいで見えていないフリーレだった。


「ん?」


だがニタニタとその状況を楽しんでいたシンイチにある種の罰が下る。

懐から伝わる振動に訝しんでいたが、瞬間跳ねるように起き上がった。

通信が入った事と相手が誰なのかを読み取ってしまったのだ。


「おい、ここ電話通じるのか!?」


その途中で取り出したフォスタを覗きこみながら─何故か─座席の上で

正座したシンイチ。切羽詰まったような問いに、どこかから連絡が

来たのだろうと察した彼女は簡潔に答える。


「ん、次元間トンネル内なら容易に繋がる。出てもいいぞ」


「マジかっ、あ、はい、出ます! もしもしシンイチです!

 遅れてすいません! ちょっと移動中だったもので!」


背筋を伸ばした正座状態のまま慌ててフォスタを耳に当てる。

全身にどこか緊張感を漂わせ、冷や汗をかきつつも真剣そのものの

表情を見せる彼の姿ははっきりいえば物珍しい。隣のフリーレが

驚きと共に目を瞬かせながら眺めてしまうのは当然であろう。

尤も彼としてはそれどころではない。何せ相手が相手。


『…………それはいいんだけどね、信一くん。

 お姉さんに先にいうこと無いかなぁ? 

 もしくは何か忘れてないかなぁ?』


父の再婚相手である義母・中村凜子なのだから。

彼女からの明るいようでいて若干怒気を含んだ圧迫感のある声に

少年は「俺なにやらかした!?」と内心叫びながら顔を引きつらせた。


「え、えっ? あれ、その……もしかして凜子さん、怒ってますか?」


こういう時は曖昧に誤魔化すのも話を反らすのも分かったフリもNGだ。

と分かっているのに口から出たのはそんな全部が綯交ぜになった言葉。

発した後でしまったと思った所でもう遅い。

彼女の声色が、一段下がった。


『あはは、まっさか! 忙しいだろうから約束の連絡が数日滞っても、

 こっちからの連絡に返事が無くても全く気にしてないよ、うん』


───嘘だ

咄嗟に胸中でそう返しつつ記憶を掘り返せば、最後に彼女へ連絡を

入れたのはあの総合試験の前。実技試験で数日は連絡ができないと

伝えてからおよそ半月。彼は一度も中村家に連絡を入れていない。

遅すぎる自覚に彼の顔から血の気が引く。


「あ、あの、そのっ……すいません!

 色々とゴタゴタしててっ、目の前のことを片づけるのが精一杯で!」


慌てた頭では気の利いたセリフや言い訳を思いつく訳も無く。

何を語るべきかどう謝るべきかも思い付かずにただただ狼狽える。

それでも嘘を口にしない辺りがシンイチという少年の本質であり、

また彼から凜子に対する信頼と評価でもある。が、それゆえに

彼自身は四苦八苦している。


「今もですねっ、試験後に急に決まった修学旅行中でして!

 準備に手間取ってたといいますか心配事が多くてっ、えっと、あのぉ……」


先程まで見せていた軽妙さと余裕はどこに消えたのか。

頬を伝う冷や汗はもはや滝のよう。言葉は上滑り気味で言い訳に終始。

裏も表も、大人も子供も、男も女も手玉に取る悪戯坊主が見る影もない。

ただそれは彼女からしてみれば声を弾ませる理由にしかならなかった。


『あらら、慌て方が信彦さんそっくりっ……冗談よ信一くん』


「は、へ……冗談?」


見抜けなかったと愕然とする彼を余所に、意識してか落ち着いた口調で

続けた彼女はなんでもない様子で、さらに彼を驚かせた。


『仕事柄そっちで色々と起こってたのは聞いてるから……多分それに

 君が首を突っ込んだであろうことも……聞かないであげるけどね』


「…………ご、ご配慮ありがとうございます」


鋭い。

おそらく、関わった“深度”の認識は事実と差があるだろう。

だがシンイチが何もしない訳がないと確信している様子は脱帽だ。

そのうえ分かっていて問わないでいてくれる気遣いには頭が下がる。

表情は今にも死にそうな青い苦笑いだが。


『ふふ、まあ本題の方も結局は連絡が無かったことが問題なんだけど』


「え?」


そんな様子さえ彼女は見抜いているのかおかしそうに笑った凜子は

ようやくそこで今回直接連絡をいれた理由をシンイチに─楽しげに─告げた。


『どうしてアマリリスちゃんがうちにいるのかなぁ?』


「あ」


ヨーコを中村家に戻したのは彼だ。しかしそのことを家の誰にも

伝えておらず、それをこの電話があるまで完全に失念していた。

前後にあった出来事に意識が持っていかれていた、ともいうが。


『やっぱり! 今のでだいたい察したわ』


一文字の言葉とやってしまったといわんばかりの沈黙は

なぜか彼自身とは付き合いの短い凜子に内情を悟られてしまった。

おそらく父も似たようなことをしてこんな反応を見せたのだろう。

凜子はそれがおかしいのかクスクスと電話向こうで笑っている。

あちらからすれば父子の微笑ましい類似点といったところだが

当人からすれば自らのミスもあって異様に気恥ずかしい。


「ほ、本当に……すいませんっ!

 一番立て込んでた時だったので連絡を忘れててっ……」


『ふふ、だと思った。

 学園の修学旅行ってことはガレストへも行くんでしょ?

 あちらの都市でアマリリスを連れ歩くのは下手な有名人が

 街中に現れるより大騒動になりかねないと思うから正しい判断ね』


「はい、なので戻るまで家においてもらえれば……あ、大丈夫です!

 あいつに世話は必要ありませんし防犯・護衛には役に立ちます!

 例えミサイルが矢のように落ちてきても問題ありませんからご心配なく!」


『…………信一くん、そんな状態になったらそれ自体が問題で心配よ?』


「ご、ごもっともで」


返された正論にやんわりとだがその物騒な発想はやめておきなさいと

窘めるような声色を感じ取って肩を落とすシンイチである。されど。


『はいはい、必要以上に落ち込まないの!

 ちょっとびっくりしたのと連絡途切れて心配させられた仕返しです』


声だけで察したのか見えていないのに殊更朗らかな調子でそれ以上の

他意はないと気遣われてしまえばありがたくそれに乗るしかない。


「効果抜群、です。ぐうの音も出ません」


『でしょうね、さすが親子……ああ、本当に気にしないでいいから。

 真治は喜んでるし、あの子を見ててもくれるから私も助かってるの。

 ただ彼女自身、あの扱いはどう思って……』


『キュイーッ!?』


『あ、耳噛まれた!』


電話向こうでの獣の悲鳴と電話口での義母の叫び。

状況を察したシンイチは大丈夫と声をかけた。


「あいつ清潔を心がけているので口にしても問題ないと思います。

 毛も容易には抜けないので食べてしまうこともありません」


だから安心ですと大真面目に語る彼に凜子は軽く絶句する。


『………いた環境のせいかと思ってたけど、もしかして根っから?』


「なんのことでしょう?」


『あのね信一くん、真治の健康をまず考えてくれたのは嬉しいわ。

 でも慣れ始めてきた私でも噛み付いたり振り回したりなんかを見ると

 肝が冷えるのよ!』


「…なるほど」


そういった周囲から見た時の恐怖感を考えて地球側に置いていくという

話だったはずなのに、肝心の彼自身は知識としては分かっていても

感覚的にそれが分かっていなかった。彼女からの指摘にも納得した風の

返事をしているが結局のところ次の発言を思えば理解は遠い。


「大丈夫です。赤ん坊に手を上げるような事はしませんよ。それでも

 心配なら話は通じるので正直に言ったり聞いたりしてください。

 凜子さん相手なら、多分一番丁寧に相手してくれると思います」


『根っからだったかぁ』


「凜子さん?」


『ううん、なんでもないわ……でもそれ本当?

 そうなら助かるけど、どうして私相手に?』


“自分”が入ると妙に鈍い所のある少年は義母の呟きは聞こえていたが

意味が分からず、彼女の方はここで続ける話ではないと考えたのか。

接点が薄い自らとアマリリス(ヨーコ)で何故そうなるのかを聞いた。

これにシンイチはさも当然といわんばかりに答えを返す。

何の変哲もない、飾ってもいない平静とした声と言葉で。


「俺が敬意を払うヒトにはあいつも敬意を払うからです」


『…………』


「……………あの凜子さん? どうかしましたか?

 あれ、俺また何か変なことを言いました?」


その上訪れた沈黙にこう問うてくるのだからこれを受けた凜子の

心情は如何程だろうか。答えは即座に吠えるようにやってきた。


『君もなのね!!』


「え、は?」


『本当に信彦さんの息子っ! 今の言い回しそっくり!!』


先程までの微笑ましいといわんばかりの反応と違って、どこか

苛立ちが混ざったような声と意外な言葉に目が点となるシンイチ。


『別の話をしてたのに、気付いたら褒められてたり口説かれてたり!

 ナチュラルに不意打ちしてくるんだから、あなたたち父子(おやこ)は!』


「……ええっと、申し訳ありません?」


八つ当たりにも近い様相を感じ取った少年であるがここで否定しては

いけないことだけは察して無難に答えようとした。が、根が素直なせいか

声は完全に疑問のそれとなっていた。それが、いけなかったか。


『そこに自覚ないのも一緒!!

 ねえ、もしかして学園の子にも似たようなことしてない?

 困ってる時になんでもない調子で助けたりしてない?

 当然のマナーみたいな顔で地味に気遣ってポイント稼いでない?

 繊細な乙女心無造作にくすぐって反応楽しんだりしてない!?」


とても。

そう、とても身に覚えがあり過ぎることを問い質されてしまう。

特に最後のはつい先程までやっていたとさすがに自覚がある彼だ。


「は、ははっ………………ノーコメントでお願いします」


『やっちゃったかぁ…』


思わずの苦笑と苦し紛れの返答はまさに不器用な正直者の面目躍如か。

察した凜子の重たい息を吐き出すような声は経験者は語るのそれ。

自分の父はいったいこの女性との間で何をやらかしたというのか。

我が身を省みて─容易に─想像できてしまった少年は返す言葉もない。


『……信一くん、帰ってきたらその辺りじっくり話し合いましょう』


その沈黙のせいか凜子からはやけに重々しい口調で決定事項に

等しい提案をされてしまう。


「え、そっちですか!? 首突っ込んだ云々じゃなくて!?」


どうしてか圧のある笑顔の義母をイメージしてしまった彼は

身震いしつつそちらへの追及の方がまだマシだと自分からその

話題を提示するが彼女の感心事は常に家族(そこ)が中心であった。


『そっちよ! あれは一歩間違えたら女の敵まっしぐらなんだから!

 信一くんには真治のお兄さんとして真っ当な道に進んでもらわないと!』


「ぐはっ!?」


しかしそれはこの少年にとっては致命傷だ。

周囲の視線や評価をまるで気にしない彼も家族からのそれには

歳相応に見栄を張りたい、あるいは並程度だと思われていたい。

ゆえにあまりに耳が痛い。そして胸に刺さって抉る言葉と想いだった。

何せ“女の敵”に関しては、嬉々としてやっている、わけで。

“真っ当な道”に関しては、とっくに外れている、わけで。

完全にアウトとしかいいようがない。知られるわけにはという緊張感から

全身から嫌な汗が吹き出し、乾いた喉が水分を求めて勝手に鳴った。

今更ながら癖で旧式電話のように耳に当てて通話している事に安堵する。

自分が現在どんな顔をしているかを彼は全く把握出来ていないが、

見せられないほど情けない顔をしている認識だけはあった。


『だからね、信一くん』


「は、はい」


そこへまさか追い打ちかと身構えたシンイチは、しかし。


『ちゃんと、無事に帰ってきてね』


「…………」


不意打ちはどちらだといいたくなる言葉に思わず声を失って。

優しく柔らかな声に縋り付きたくなるような暖かさを感じて。

だから少年は少し悩みながらも、されど確かに返事を口にした。


「……………………はい」


『よろしい─────行ってらっしゃい!』


「い、行ってきます」


その長い空白を気にした風もなく交わされた家族の挨拶に少年は

照れながらも応じて、最後に短く別れの挨拶を続けて通話を終えた。

途端フォスタを握りしめたままの手が落ち、足を崩すと背もたれに

向かって倒れるように脱力した。そして緊張感からの解放を

喜ぶように大きく息を吐き出す。


「はああぁぁぁっ………もうダメだこれ。一生勝てる気がしねぇ」


フォスタを握る手とは逆の手で顔を覆いつつ、どこか喜ばしく

感じるような声色で「参ったなぁ」と天を仰ぐシンイチである。

どこか心地よい敗北感ゆえに心も体も緩ませた彼は、しかし。


「ぷっ」


隣に誰がいるのかをその瞬間まで完全に失念していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ワールドパージ? ガレストってノアの箱舟かなんかか? だから言語が類似してる?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ