人外、指導者、悪童
『頭』会議が終わった後の白だけの会議場には人影が残っていた。
正確にいえば人影を残せるのはそも一人だけというべきか。
ただ浮かぶモニター群の中では二つの数字が映っている。
「ククッ、うまく『Ⅸ』に押し付けたじゃないか」
強面に傷持ちの偉丈夫が親しげな笑みを『Ⅱ』モニターに向ける。
といっても大抵の者なら獲物を前に舌なめずりしてる猛獣に
しか見えない顔であったが『Ⅱ』は怯えた様子も気にした様子もない。
「予想以上に下品な笑いをする男でしたが、語るべき所を全て
語ってくれたので楽でしたよ……どうやら破滅願望があるようです」
「あの戦いの様子を見せて逆に闘志が燃えてたからな。
頭は良いが、賢くはないっていうのの典型だろう。
まあ人間らしくていいだろ、不可能へ挑戦したがるのはさ」
応じた声にも、それに同意する声にも、少なくない嘲りがある。
『Ⅸ』の提案は彼らにしてみれば都合はいいがただの愚行でしかない。
されどそこに不自然なほど悪意は無いのだ。当然のことを語るのに
そんな感情が出るわけもないのだろう。
「ええ、まったく。
どうして彼らは自らの特別性を信じて疑わないのか。
あれなら虫けらの方が分を弁えているでしょうに」
「違いねえ」
そういって笑い合う『Ⅱ』と『Ⅵ』の声はじつに楽しげだ。
貶めることが楽しい、のではなく単なる雑談での笑い話への反応だ。
知識として人間と虫の違いは知っているが、知っているだけ。
公平性か残虐性か。生物の種類で差別することはないだけだと
彼らは本気で考えている。ならば、彼等、はナニモノか。
「ハハッ、まあおかげでいくらか計画を延期しなくて済んだんだ。
一応感謝しておこうぜ、虫よりは役に立つっつーことで」
「ええ、助かりますよ。彼が色々大暴れしてくれそうで。
それを陽動にして本格的に例の組織を探らせる予定です」
「例の?
ああ、確かAS…アンチスネークだったか?」
「ええ、地球側がこうなった以上本気で目障りになってきました。
封印作業の邪魔をされても困りますし、この際遊んであげようかと」
「好きにすればいいさ。だが……」
「なんです?」
意味ありげに言葉を切った彼は問いかけに呆れたように返す。
「……もっと他に名前無かったのかよ?
それ、こっちが勝手に付けたコードネームだろ?」
安直過ぎてセンスを疑う、と彼はそのネーミングに不満げだ。
しかし『Ⅱ』はその不満の声そのものが不満だと即座に言い返した。
「こういうのは分かりやすさ重視でいいんです。
凝った名前をつけても理解できる頭がなければ凝り損というものでしょう?」
「わからんでもないが、考える時間はいくらでもあったろう。
あいつらと初遭遇したの何百年前だと思ってやがるんだ、てめえ」
「それこそ時間の無駄でしょう。
いくらでも時間があるからといって無駄な消費はしたくありません」
「…そりゃ、お得意の高等な冗談か?
お前のいう無駄じゃない時間潰しで利用してた王朝がいくつ滅んだ?
戯れに唆した奴が暴君や独裁者になって邪魔立てしてきた事もあったな。
あと確か世界大戦が起きたのもてめえが切っ掛けじゃなかったか?
あれの混乱で必要な資材を集めるのにどれだけ苦労したか!」
忘れたとはいわせない、と強面の顔から刺すような視線を送る。
だがその中身はこの場に地球人がいれば問い返したくなる内容だ。
「………思い出させないでくださいよ。
私もあそこまで燃え広がるとは思ってなかったのです。
本当に、なんでああなってしまったのか……不思議です」
そんな話を微塵も否定することなく、どこか昔の失敗、
若気の至りだとでも言いたげな恥ずかしげな声で答える『Ⅱ』。
それはその中身に比べ、おぞましいまでに普通の反応だった。
「おバカさんたちをちょっと煽ってドタバタを眺めるだけのつもりが
あれよあれよという間に大戦争……地球人はホント好きですよね、戦争」
「分かってると思うが戦時中は戦時中で動くのが面倒だから程々にしとけよ」
それを諌める『Ⅵ』だがあくまでその手間を面倒がっているだけ。
ここに正常な人間がいればこのやり取りにどんな反応をしたことか。
彼等はそんなことなど気にもしない会話を続けていく。
どこまでも雑談の空気のままで。
「いや、待てよ。思い出した、元を正せば今回ねじ込んだ計画もお前が
変な遊びで大発生を連鎖させたせいで延期にしてた奴じゃねえか!」
「あれは別段冬眠中の話ではないでしょう? 確かに想定外ではありましたが
あくまで大発生研究の一環の実験。有益なデータは得られましたよ」
「おかげで準備中だった別の実験や計画は軒並み中止になったがな。
他の土地じゃASの監視が強い上に条件が合わねえから復興するまで
待つ羽目になって結局これだ。下手すれば今回も延期どころか次の
チャンスが来る頃には時代遅れで完全にやり直しになってたぞ!」
「今回動かせたのだから良いではありませんか。それにこちらは『蛇』。
壊れて隙間だらけの方が潜り込みやすかったですよ?」
「まったく、不死なのも考え物だ。失敗を失敗と考えやしねえ!
いいか、それは結果論で、損失とトントンじゃねえんだぞ!」
「ふぅ、同じ不死でもあなたは意外に堅実で口煩いですがね。
荒事担当だというのに妙な具合になったものです」
「お互い様だ。
内政担当がどうしてここまでいい加減になるんだか……」
おかしな話だと笑う『Ⅱ』と呆れて頭を振るシックスだ。
そこにある互いの言葉の妙なニュアンスに訝しむ者はここにはいない。
元々はこうではなかった、というよりもまるでそういう意図でお前を
そこに配置したわけではないと互いに言い合うようだった。
「まあいい……それで、どうだったんだ? 早く教えろよ」
しかしそんなやり取りも彼らにとってはいつものことか。
即座に切り替えたシックスは何故か嬉々とした様子で歯を見せた。
「どう、とは?」
「おいおい。
何のためにココへの繋ぎを埋め込む手間を省いて直接来たと思ってやがる。
俺を通して見てたんだろ─────マスカレイドを!」
早くしろと腰を上げた彼は『Ⅱ』モニターにまで顔を寄せる。
その顔面での接近と笑顔は迫力満点の圧があったが、モニターからは
沈黙しか返答がない。どうしたのかとさすがに首を傾げた彼に呟きが返る。
「──ったのです」
「ん、なんだって?」
目と鼻の距離だというのに思わず聞き返すほどそれは彼の耳朶に届かない。
どこか明言するのさえ嫌だという空気を醸し出す『Ⅱ』だが顔の圧に
負けたのか。隠す意味がないと悟ったのか。溜め息混じりではあったが
はっきりとこう答えた。
「見えなかったのです」
「……………は?」
一瞬何を言われたのかと戸惑う彼からの続く視線。
どういうことだと問うそれに『Ⅱ』はこれまでで、それこそ
会議中で発したどの声よりも真剣な声でその詳細を報告した。
「感覚の同調は問題ありませんでしたが……見えなかったのです。
おかげでかえって不気味な光景でしたよ、誰も、何もいないのに
結果だけは見えるのですから」
「……奴の姿が基本見えていないのとは別の話なんだな?」
力無く笑う声に、だが取り合うことなくシックスは確認する。
その軽口に付き合うつもりはないという態度に短い肯定の声が返った。
「ええ、その時はもう皆さんには見えていたのでしょう?」
「出てきてからは見失う事はあっても見えなくなることはなかった」
「ですから試しにと単なる視覚に切り替えてみたのですが…」
「おいおい、まさか…」
「薄らと黒い人型のナニカがいるような気がする、程度しか」
絶句して自らの席に脱力して落ちるように腰掛けるシックス。
それほどに『Ⅱ』が見えもしなかったことが彼には衝撃的であったのだ。
だからその後の呟きを結果的に聞き逃すことになる。
「あそこまで見えないとなると……まさか現世の黒衣?
いえあり得ません、あんなゴミ以下の代物が私達に匹敵する力を持つなど……」
僅かに放心する『Ⅵ』と原因不明な事態に唸る『Ⅱ』。
その一瞬のすれ違いのあと、先に我に返ったのは六の男。
「何もかもを見抜いてきたお前の“眼”にまさか映らねえとはな」
「自称第三の世界出身も真実味が出てきましたね。
そこでのご同類が来てしまったと見るべきでしょう。
しかも私達より戦闘や諜報に特化した力を持つようです」
「なら人間ごときが立ち向かえるわけもなし、か………やっぱ放置だな」
そんな危ない相手には関わらないに限る、とばかりに桑原桑原と
わざとらしく嘯くシックス。しかし。
「言ってることと顔が一致してないですよ、『牙』殿?」
それじゃ私のこと言えないじゃないか、と呆れたように
血に飢えた獣の笑みを浮かべる彼を─形の上では─窘める『Ⅱ』だ。
不死身ゆえの遊び心か。血の気が多いというべきか。普段はこんな
外見でも理知的で堅実派だが、根っこでは何をしても終わらない身を
使って暴れることを好む所がある。『蛇』にとって、自分達にとって
厄介な敵というのは多少枷を外して暴れても許されると何より彼自身が
自己弁護できるためどこかで都合が良いと考えているのだ。
戦闘担当として頼もしいというべきか傍迷惑というべきか。
『Ⅱ』はどちらでもなく面白がっているが。
「ハッ、影響がでかすぎるてめえの悪癖と一緒にすんじゃねえよ。
それに今回の話じゃ奴の相手役はどの道、俺にも回ってくる予定だ。
久しぶりに全力稼働で遊んでやるぜ」
獰猛さを湛えた笑みを浮かべるシックスにあるのは愉しさだけ。
つい先日の圧倒的な敗北と都合よく利用された敗戦が嘘のような余裕。
勝敗などどうでもいいのか。ただ暴れたいだけなのか。
まだ別に、切り札があったのか。
「マスカレイドも変な奴にからまれたものです。
フフッ、あなたはどう思いますか姉上?」
『よしなに』
突然、姉と呼ばれた彼女だが落ち着いた口調でそう返すのみ。
殆ど会話になってないが『Ⅱ』は何がおかしいのか調子よく手を叩く。
「姉上はそうでなくては!
さて、いと貴き我らが女神さまがお許しになられました!
その意志を尊重して我らは世界に混沌を起こすとしましょう!」
盛大に、大仰な宣言は聞いた誰しもが胡散臭いと思う芝居がかったもの。
あるいはわざとそう聞こえるようにしたと思える調子であり、よくやる、と
肩を竦めるシックスだ。尤もそこに否定の色は皆無でむしろ
同意するような空気さえあった。
「相変わらず趣味の悪いことだな、俺」
「お互い様という奴ですよ、私」
意味深なそんな呼び合いの後、立ち上がったシックスは『Ⅱ』の
モニターに背を向けるようにどこかに向かって歩いていく。
あまりに“白”しかないこの空間に果てや出口があるのか。
しかしながら彼の姿はその色の中に紛れてどこにも見当たらなくなった。
そしてモニターからは『Ⅱ』の数字も消え、残った『Ⅰ』は───
『では、これにて緊急会議を閉幕します。皆さま、お疲れさまでした』
───誰もいない白の会議場でそう呟いて、消えた。
────────────────────────────
ゆっくりと瞼を広げたのは手先まで皺まみれの一人の老女。
リクライニングチェアにその身を委ねていた彼女は静かに、
されど老齢さを感じさせない機敏な動きで起き上った。
寝ぼけ眼─というには鋭い双眸─で周囲を見回す。
フォトン由来の明るくも柔らかな灯りに照らされた静かな室内。
老女以外の息遣いが存在しない空間は広いがどこか簡素であった。
必要な物しか置かれておらず、目や心を癒すような観葉植物や
絵画の類は皆無。いくつかの作業机に書類棚、ウォーターサーバー、
机と同数の最新端末、程度か。どこかの事務所かという様相だが
応接用のソファも見当たらない辺り人を寄せ付けない雰囲気を
感じさせる。それどころか窓ガラスの類が一切なく外界をも
拒絶するような空気があり、そこが地上か地下なのか。
現在が昼か夜かも曖昧だ。質実さを突き詰めたがゆえか。
あるいはその主たる老女の在り方そのものか。
彼女はそこに変化らしい変化が無い事に僅かに息を吐くと自然と
自らの執務机、その卓上にある時計へと視線を向けて───嘆息。
「ふぅ、時間の短縮にはなっているのでしょうが、
やはり数分でも無防備になるのはたまりませんね……」
詮無きことでしょうが、と独り言を終えて足を床につけると
裾から僅かに見えた細さが嘘のように真っ直ぐに彼女を立ち上がらせた。
腰が曲がっていても、杖をついていてもおかしくはない年齢の老女は
そんな常識など知ったことかとピンと背筋が伸びていた。
ただそれだけで空気の方がひれ伏すような存在感がそこに生まれる。
この場に誰かがいれば自然と身を引き締めなくてはいけないという
強迫観念にさらされる程の圧迫感を彼女は当然と身に纏っていた。
そして、さてこの後は、と予定を脳裏に蘇らせていた所へ執務机に
一体化している端末から耳障りではないが年老いた耳にも
よく聞こえる音が発せられた。部屋の外からの呼び出し音だ。
慣れた動きで回線を開くと僅かに不機嫌そうな声で答えた。
「……なんです、20分は一人にしてほしいといってまだ半分ですよ?」
本人としては威圧感までは出した覚えはなかったが相手としては
そんな声色だけで怯んで萎縮するには充分であった。
『っ、も、申し訳ありません!
ですがロシア大統領から急いで取り次ぐようお電話が。
人と会っていると断りを入れたのですが、我が国極東での騒ぎに
ついてだといえば分かるとの一点張りで……』
それでも用件を伝えられたのはそれなりに老女との付き合いがあるからか。
与えられた仕事をちゃんとこなせない方が後々恐ろしいからか。
どれにしろ女性の弱った様子の声に老女はつい疲れた息をもらしてしまう。
先程までの会議に比べ、なんとも情けなく、なんとも耳が遠い話だった。
「はぁ……あのいかつい顔は飾りですか。
何歳になればおしめが取れるというの……坊やの方が胆力がある」
『は?』
「こちらの話です、それより3分後に私自身がかけ直すといって切りなさい。
それとスケジュールを調整します。補佐官を全員呼んで、いないなら
モニター越しでもかまいせん。10分後にミーティングをします、準備を」
『わかりました、そのように』
通信を切って、人知らず息を吐くとまず一番に頭を過ぎったのは
どこかの大統領でも、10分後あるいはさらにその先の予定でもなく、
今しがたまで行われていた『頭』会議での全てのやり取り。
「もう、彼を坊やとは呼べないわね。
きっと政治家としても一流になれるでしょうに、惜しいわ」
彼女にだけ伝わるような違和感を与えての大笑い。
それを利用してあくまで発言を強要されたかのように振る舞っての
予想以上の爆弾の暴露。そして議論を何時の間にか主導してあの結末。
どこまで本音と事実がそこにあったのかはともかく、望んだそれを
手繰り寄せた手腕は見事といえた。惜しむらくはその聡さを自分の
楽しみにしか使う気がない一種の享楽性か。
「そのためになら平然と利用されるプライドの無さも高評価なのですが」
あの結末を望んだ者があの場に三者いたことを彼女は気付いていた。
一人は彼自身であるが残りの二者の片方は自分なのだから当然だが。
あえて消極的で、おそらくは彼にとっては都合の悪い凍結案を出せば
ああしてくるのは読めていた。あちらも分かってて口車に乗った。
果たしてそれを残った一者は気付いているのだろうか。
「……茶番ね、すべては彼の」
一方で、ある種の功名心や野心が皆無なのは致命的だと内心で息を吐く。
その世界で生き残るには、求心力を持つには一定のそれも必要だからだ。
『蛇』に入り『頭』となったのは自らの目的に必要だったからと彼女は
考えており、執着はないと見ていた。じつのところ彼がいつ目的を
達成して立場を放り出すか彼女は影で戦々恐々としていたものだ。
『Ⅸ』はその頭脳と技術を買われて最短記録でその地位についた。
そんな男が目的のためになら泥をすすれるし道化も演じられる。
これを恐ろしいといわずになんといえばいい。
「あの人外どもはその危険性が分かっていないから困りものね。
やはりアレらでは裏の支配者には程遠い……愉快犯では遊ばれるだけ」
彼は何にでもなってしまえる気概と能力を併せ持っている。その、怖さ。
うまく利用したと思い込んでいるアレらはそれが理解できていない。
あるいはどうとでもなると思っているのか。実際それだけの“力”と
異能を持っていることは彼女も否定しないが人間の心理への理解が
中途半端だ。それらしく振る舞ってはいるが所詮は化け物。
コントロールできないくせに支配者を気取る姿は哀れですらある。
「……」
そんなことを思わず考えたせいか。
もう一人それを気取った相手には、妙な感傷が湧いた。
「可哀そうな、マスカレイド。殆ど我欲を失っていた彼をその気に
させたせいでガレストが悲劇にまみれることになるなんて……」
皮肉な話ですね。とどこか同情めいた呟きを彼女はもらす。
まるで他人事だと、自身もその下手人だろうにと批評しながら。
「あなたは、それでも守れるのかしら?
ああ、だとしたらなんて都合のいい支配者さまかしら…」
出来るものならやってみせなさいと鼻で笑う。仮面の働きを見れば
やり口こそ乱暴だが世界の安定を望んでいるのは見て取れる。
しかしながら強大過ぎるその脅威を前に一人の狂気を孕んだ天才が
動き出してしまった。勝ち目自体はないが少なくともガレストが
乱れるのはほぼ確定の計画が走りだした。否、そうなるように
誰も彼も『Ⅸ』に誘導されたというべきか。あるいはその流れに
乗りたい者があの場に多かったというべきか。何にせよその被害は
どれほどか。その怨嗟はどこに。そして、その結末は果たして。
「────らしくない。いやですね、歳を取ると独り言と小言が増える」
意識を切り替えるためか首を振ると無言で机の端末を操作する。
すると10秒も経たずロシア大統領への直通回線を繋げた。開かれた
空間モニターに映るのは強面の白人男性。ただその顔には焦燥と
動揺が浮かんでいるのは宣言した3分にまだ遠かったからか。
「毎回、毎回、いつになったら親離れできるのですかあなたは?」
不意打ちに近い開口一番の皮肉に、息をのんだ男は黙ってしまった。
せめて何か言葉を返すぐらいの語彙と胆力は持っていてほしい、と
呆れる老女の様子に気付いているのかいないのか。通信相手は
さらに一拍置くと緊張感を滲ませる声でまず謝罪から始めた。
『っっ……ま、まことに申し訳ありません。
ですがリナルディ国連事務総長っ、今回は────』
続く言い訳を感情の読めない平静な顔で聞き流しながら、
これはこれで使えるかしら、と内心でのみほくそ笑んだ老女傑は
事態への対応のアドバイスをこれみよがしに貸しの体で与えると
何も知らない彼を利用しての─意図的に迂遠にした─封印作業を
始めさせた。そして彼女の読み通り各国の首脳陣からは同日中に
似たような事態への相談事をされ続けることになる。その見返りは
勿論、彼らを─また─都合の良い駒とすることで支払われる。
そのために老女は彼らをその地位に就けたのだから。
────────────────────────────
「─────やっぱり、一番面倒なのは人外どもと事務総長さんか」
意識を肉体に戻した『Ⅸ』は開口一番そう呟いた。
「あの様子だと、いくらかは僕の狙いバレてるよねぇ」
片や感覚が違い過ぎて制御できない怪物で片や表の実質的な指導者。
前者には彼も把握できないナニカがあり、後者は聡い上に権力は絶大。
他の面子がある意味で解り易い“人間の悪党”である事を思えば方向性こそ
正反対だが、抜きんでて役者が違う。『Ⅸ』の提案に乗る形で自らの
思惑に沿った計画を進める手筈を整えたのだから。
尤も彼自身もそうなると読んで行動していたのでお互い様だろうが。
「ま、別にいいけど……絶対に全部は分かる訳がないんだから。
読み切った気になって好きなだけ利用すればいいさ。
僕の邪魔にならない範囲でね」
それ以外には興味はないと語る『Ⅸ』──眼鏡の青年は何の感情も
感じられない無表情のまま座っているイスを床を蹴る勢いで回していた。
安っぽい回転イスは錆びでもあるのかその度に耳障りな音を立てている。
くるくる、ギィギィ、くるくる、ギィギィと意味も目的もないまま回る彼は
度の入ってないレンズ越しに質素というより何も無いに等しい打ち放しの
室内を眺める。否、その目は光景を映しているだけで意識などしていない。
「お疲れ様です」
「まったくだ」
それでも近づいてくる長身の男には気付いていたし労いの言葉と共に
差し出されたグラス─中身はオレンジジュース─も回転しながら
受け取るとストロー越しにちびちび飲んでいく。
「んく、はぁ……これで一応の義理立ては済んだかな」
暗に面倒だったとうんざりとした顔の青年に対して、
飲み物を運んできた存在──金長髪の美青年は頬を緩めた。
他に人目があればそれだけで男女問わず黄色い声があがりそうな
色香と美しさを持った笑みだが、眼鏡の青年『Ⅸ』は気にも留めない。
それどころかオレンジジュースの方に夢中である。
「ご不満な口調の割にご機嫌ですね」
それに微塵も不満など無い美青年はその裏にある感情をそう読み解く。
これに対して「わかる?」とばかりに『Ⅸ』は楽しげに口端を吊り上げた。
「だって、すごいんだもん!
いや、僕だって仕返しのジャブや壊滅の下準備くらいはされてると
思ってたけど、蓋を開けたら地球側は気付かれないまま死刑囚だよ?
なんだよそれ? 久しぶりに本気で背筋が震えたよ!!」
気付いた時は本当にビビった。そう語りながらもその顔にも声にも
あるのは歓喜と─何故か─自慢げなそれであった。回りながら。
「本当に君って奴は簡単に僕の意表を突いてくる!」
無意識なんだろうけど、と察しながらもそれこそが
嬉しくてたまらないとばかりに彼はケラケラと笑う。
イスの回転速度もその感情を表すように上がっていく。
「というとマスカレイドがまた何か?」
そんな様子を慈しむような、それこそ心から祝福するような眼差しで
見守っていた美青年の問いに『Ⅸ』は大まかに会議で判明した仮面の
静かな侵略とその規模を教えた。まるで我が事のように興奮しながらの、
そして回りながらの説明は多少不足が目立っていたが青年は不思議なほど
すんなりと理解した。が。
「うん? どうした、何か疑問でも?」
その顔に別の意思が一瞬混ざったのを『Ⅸ』は目聡く気付く。回りながら。
直球で問われた青年は狼狽えながらも頭に浮かんだそれを彼なりの
言葉で素直に口にした。
「っ、いえ、ただご推察通りなら……あれほどの力の持ち主が
随分と迂遠あるいは甘い方法を用いているように思いまして」
ピタリ。
そこが疑問だっただけなのですと小さく締めた言葉に、青年の回転は
まるで今までが無かったかのように慣性を無視した動きで急停止。
大きく見開いた目が長金髪の美青年をまじまじと見据えていた。
「な、何かおかしなことを言いましたでしょうか?」
「いや…ただお前のそういうところ嫌いじゃないなって。
ふふっ、分かってないくせになかなかどうして……」
「え、っと……ありがとうございます?」
褒められていると感じ取る美青年だが、理由がわからないので感謝の言葉も
どこか疑問が混ざる。その反応こそも面白いと青年『Ⅸ』は頬を緩めた。
そして脈絡なく両手を伸ばすと掌の上に小さな立体映像を浮かべる。
同サイズに簡略化された地球という惑星とガレストという大地を。
その間に存在する黒い人型のシルエットはマスカレイドだろう。
「お前の言う通り、手口や規模で誤魔化してるがこのやり方は少し甘い。
『蛇』や歌姫以外の組織や人にも気を配ってるから良くも悪くも穏便で、
静かにコトを済まそうとしてる節がある。確かに普通は力押しや
力技ってのはどこかで通用しなくなるからそういう配慮も必要だ。
けど、あそこまで規格外の力があれば……」
すっと立ち上がった彼は指揮棒でも振るうように両手を動かした。
途端に映像の地球とガレストがマスカレイドを挟み込むように衝突し、
一昔前のコメディアニメのような爆発エフェクトが飛び出る。
「……力押しだけで充分。だってこっちから何をしても通じないけど
あっちに何かされたら終わりなんだから。正体不明の一個人という点を
差し引いても総合的な力の差が、存在の差があり過ぎる。
その力を片手間で振るうだけで全部が片付いてしまう……」
エフェクトが消えた後にあるのは砕け散った惑星と大地。
それらの残骸に混じって無傷のマスカレイドが平然と立っていた。
「本気で暴れられたら、二世界の全人類が団結しても止められない」
勝てない、ではなく。
倒せない、ではなく。
止められない、という表現にこそ今しがた戯れに作った映像以上に
彼が考えるその大差が垣間見えていた。同時にどれだけの人間が
それを理解しているのやらと呆れる色も。
「……はい、私もそう考えます。あれは次元が違う。
そんな絶対的な強者は何にも慮る必要はありませんから」
頷き、肯定する彼の顔にあるのは血の気が引いたような青。
かすかに震える体が自身の畏怖を訴えている。それは一辺の真実だ。
敵対者は倒し、邪魔者は排除し、従わない者を潰す。ただそれだけでいい。
賢しき者はそれを悪手と語る。不満、憤怒、敵意を増やすだけだと。
自ら以外の勢力がまとまってしまうと。ただの恐怖政治でしかないと。
それがどうしたというのだろうか。
同レベルの存在にのみ通用する空っぽの理屈だ。
そんな的外れの批判と脅威が何の役に立つというのか。
アレがそれらに脅かされている状況など空想するのさえ困難。
隔絶した力はただそれだけで他のあらゆる全てより上位となる。
武力も法も権威も歴史も倫理も善も悪も常識も普通も異常も。
あらゆるモノがアレより下で、胸三寸次第。人はそれを支配と、許さないと
囀るだろうが元よりそんな低次元の話ではない。
そう“なる”のが純然たる摂理なのだ。抗おう、逃れよう、
という考えはそもそもにして前提を勘違いしている愚行以下な行為。
ブラックホールに小さな虫が立ち向かってどうするのか。
アレは天災以上に“生物にはどうしようもない事象”だ。
だが、しかし。
「うん、そうだね───────でもやっぱりそれは横暴だよね?」
「……………は?」
『Ⅸ』はそれを─当然のように─無法で乱暴だと端的に評した。
悪い事だからしてはいけないんだと穏やかに教える親のような
言葉に彼が呆けてしまうのは当然のことだろう。
「い、いえそういう話では……あれ? そ、そういう話なのですか!?」
同時にその言葉にはそれが理由だという意味合いも感じられた。
それを察して愕然としている彼を見て『Ⅸ』は悪い笑みを浮かべる。
「くっ、くくくくっ、なに、すぐに分かるさ。
どの道ちょっかいをかけるのは決定事項だからね……手筈は?」
その話はもう終わりだと言葉尻で殊更声色を変えた問いかけに美青年は
慌てつつもしっかりと答えた。
「え、あ、はい!
既にご指示通りに整えてあります……しかし良かったのですか?
会議の決定を待たずに動いていたことを後で知られたら……」
「どうせ勝手にやるつもりだったから問題無い」
懸念を『Ⅸ』はあっけらかんとした態度で蹴っ飛ばす。
元々挑むのは決定事項であり『蛇』に関係する諸々はどうなるにしろ
自分に影響など無いと涼しげな顔で。その表情には虚勢も嘲笑も焦燥も
揶揄の色も皆無。彼にとってはその程度の話だったのだろう。
仮に提案が否決されても、この独断専行がばれていたとしても、
それによって生じる出来事など『問題』ですら無いのだと。
「………そういえば、あなたはそういう方でしたね」
呆れを含んだ言葉とは裏腹にそれでこそだと彼は満足げな顔で頷く。
それに気付いているのかいないのか。グラスに残っていた中身を
飲み干すと投げ返して向かい合う。
「さて、それじゃどれからどう始めようか。
あまりに小規模だとマスカレイドは来ないだろう。
かといって甚大な被害を出すと正規の組織が動くだろう」
「はい、理想はマスカレイドの目を引くほどの出来事で、
且つ他の存在がすぐにはやってこられない状況ですが、そんな
都合のいい状況など簡単に用意できるものではありません…」
そしてさも難題かのように語りだした両者の顔にあるのは、不敵な余裕。
「くくっ、普通はそこで悩む。けど」
『Ⅸ』が提案したやり方にあったその問題点。会議の場では先にいくつか
騒動を起こしてその反応を見ると誤魔化したが彼はそんな余分をする気は
無かった。する必要が無い、といった方が正確か。
「僕達はただ……本人の前でコトを起こせばいい」
それだけでいい。そうすれば絶対に無関心ではいられない。
『Ⅸ』は誰よりも“彼”がそうであることを知っている。
面倒臭がり屋で、根っこに冷めた部分を持っていても、自らの
痛覚を自分以外のモノに付けてしまったあの男はそこで我慢ができない。
「さあ親友、仲良くケンカしようか」
縁もゆかりもない異世界の大地で。
無関係の人間を山ほど巻き込んで。
君はその痛みを見逃せないだろうとほくそ笑む。
その口許には“親友”そっくりの三日月が狂気の色で輝いていた。




