『頭』(前編)
今回から頭の数字を外します。この後を考えると、延々と無駄に数字が増えるだけなので(汗
また後編は今年中に出る予定となっております、うん予定となっております!
(というと高確率で失敗するんだよな、俺)
いったい“ソコ”はいかなる思想と技術で作られた場所か。
室内なのは確かだが床も壁も同じ白色に支配されているせいか
境目が曖昧で部屋の広さを正確に認識できない。調度品や家具の
類が一部を除いて一切存在せず、出入り口らしい出入り口が
見当たらない事もあって基準とすべき物体が無いのも
感覚の狂いを助長していた。
「っ………」
しかしながら。
そんな部屋の─おそらく─中央に立つ男が落ち着かない様子で
息を呑んだのは何もそれだけが原因とはいえない。彼はいわば
中抜きされた円卓のような机に囲まれていた。これも部屋に
完全同化するほど一色に染め上げられているせいか。
立っているだけの男の感覚を正す目安とはなっていない。
その白き円卓に用意されている席の数は全部で九つ。
しかしそこに座る影はなく代わりに“ある”のはローマ数字だけを
表示する空間モニターだ。それが時計回りに数字の順に並んでいた。
尤も内三つ、Ⅱ、Ⅵ、Ⅶに当たるであろう席には何も映っていない。
それでも中央の男には空席以外のⅠからⅨの数字が浮かぶモニターから
遠慮のない視線と圧力を感じて判決を待つ被告のような緊張感に苛まれ、
とめどなく滝のような冷や汗を流していた。そんな男にとって
永劫に続くかのように思われた無言の責苦は次の瞬間唐突に
終わった。あるいは、始まった、か。
「─────さて、それでは緊急会議を始めようか」
空席の内、二席のモニターに『Ⅱ』と『Ⅶ』の数字が浮かぶと
そこからモニター越し、通信越しとは思えぬ明瞭な若い男の声が
白色だけの部屋に大きく響いた。
「おいおい、いつもの気取った挨拶はどうした?」
「くかかっ、さすがに無駄話が多い2番も今回は余裕がないとみえる」
「違いねえな。さすがは話題のマスカレイドといったところか?
定例会議ですら半数程度しか揃わねえのに8席埋まってんだから」
尤もそれに応えたのは老人と中年らしき男達の揶揄。
『Ⅱ』と表示された画面から響いた開催宣言へを茶化す物言い。
それぞれ老人は『Ⅴ』中年は『Ⅷ』のモニターからの声である。
「これは失礼を。何せ欠席と遅刻の常連である方々が
先に来ていたのでどうやら少々動揺してしまったようですね」
されど『Ⅱ』も然る者か。
言外に、出不精の穴熊が随分と急いできたじゃないか、とばかりに
逆に彼等を皮肉る。それが誰を差した物言いか当人は察したのか。
『Ⅷ』からは舌打ち『Ⅴ』からは不機嫌そうな笑い声が届く。
「……茶番はよろしいかしら?
当事者としては早く話を進めたいのだけれど?」
それを彼等より数段機嫌が悪そうな女性の声が切って捨てた。
『Ⅶ』のモニターだ。
「おっと失敬、仮にも『蛇』のヘッドナンバーを預かる身として
噛み付かれた以上は噛み付き返すのが礼儀かと思ってね」
お決まりの気取った言い回しが癪に障るとばかりに鼻で笑う『Ⅶ』。
「フンッ、そんなだから無駄話が多いというのよ、No.Ⅱ。
けど、あなた方もこれから待ちに待ったうるさい小娘の失態話よ。
批難する準備でもして黙ってなさいな、まったくっ」
「ぬ?」
「おいおい…」
苛立っているのはいつも通りの『Ⅶ』であったが常と違い、
自虐的な物言いをしているせいか。彼ら以外のモニターからも
息を呑むような気配が漏れた。それほどの事態なのかと。
「ではMs.Ⅶ、事の経緯と被害報告、そして現状の説明を」
「いわれなくてもするわよ……これはそこで突っ立ってる男と
彼を連れ帰ってきた兵達による報告、そして現在も続く調査から確実に
判明してる部分の話よ」
そんな前置きから始まった『Ⅶ』からの報告は様々な証言や映像資料、
各種データ、ベノム自身の返答を交える形で語られた発端から結末の話だ。
つまりはベノムの独断専行とその処断目的で動いたシックスが偶然にも
マスカレイドと遭遇してからの顛末。使徒兵器に関わる情報の露呈。
発覚したマスカレイドの弱点。ライブの影での激闘。シックスの狙い。
その結末と判明してる被害。そして容易には覆せない仮面の目論見。
常以上に不機嫌で苛立った声ながら『Ⅶ』は声を荒げる事なく
判明している事実を淡々と報告した。だがコトはそれで終わらない。
そんな事態となって何の対応も取らない者がその席に座ってられる程
『蛇』という組織は甘くない。尤も──
「当然私は情報収集をしながら各機関に電撃的に制圧された拠点から
最低でも各種データの抹消を命じて私兵や工作員を動かしたわ。
私自身に繋がる情報はそもそもどこにも記録しては無かったけれど
これまでの活動をあちこちに把握されるのは面倒だったからね。
もっとも、今のところ誰一人命令を達成できず帰ってもこないけど」
「……原因は?」
「どこの組織にせよ。裏にせよ。表にせよ。
まるでこっちの動きが分かってたかのように待ち構えられてたみたい。
各所に潜り込ませた『目』や『耳』は軒並み動きを封じられているか
裏切っていたわ。だからまだ調査段階でこれは確定ではないのだけれど、
ここまでがマスカレイドによる“脅しの命令”らしいわ」
──そんな組織内での名の重みなど考慮してくれる相手ではなかった。
ある種“そこまでも”誘導であったのだろう。ここまでの被害を
出されれば『蛇』側が取るべき行動はそう多くはない。『Ⅶ』の対応が
間違っていたと思う者は誰もいない。しなければいけない指示だと。
だがそれゆえに全員がマスカレイドに読まれていたのも察していた。
当人も分かっているのだろう。続く報告にはどこか力無い自嘲的な
笑みがにじみ出ていた。
「さらにご機嫌な情報として、現在の警戒態勢を暫く続けるよう
上からお達しが出てるそうよ……どこから出た予算かしらね?
そういえば活動資金もごっそり無くなってるのだけど、どう思う?」
「……ワシらの予算で治安維持ときたか」
無言の皮肉か嫌味。あるいは嫌がらせか。
誰の仕業で、資金がどう流れ、誰に利用されたか。
などそんなことは考えるまでもないほど明白であった。
「おかげでこの件とは関係ない裏社会の連中は版図を広げるどころか
逆に警戒してもう鳴りを潜めだしているわ。警察や対策室もこれを機に、
なんて欲もかかずに私達の再進出阻止と治安維持に力をいれる予定よ。
裏側の統治が利かなくなって混乱してる隙に、なんていう常套手段は
今回使えそうにないわ」
そんな状況下では新たな拠点を築くことは難しい。
人と物の動きは今が一番チェックが厳しい。それも表と裏同時に。
それはもう事実上そのエリアへの影響力を『蛇』が失った事を示す。
一国や大陸の一部どころか地球の三分の一というエリアから、だ。
「…………」
静寂という名の絶句が広がるのも当然といえた。
彼らも各々の情報網で『Ⅶ』と『Ⅱ』が主立って担当するエリア内で、
いくつかの一斉摘発があった事、同日に『蛇』の部隊とマスカレイドが
激突しこちらが大きな被害を受けた、という程度の話は掴んでいたが
事実はそんな程度で済む話ではなかったのだから。
都合よく利用され完全敗北。使徒兵器は通じず弱点は両世界中に流布。
衛星兵器は撃墜。多大という言葉が軽く聞こえるほどの拠点と兵の損失。
さらにその損失を即座に補填するのも難しいというおまけ付きだ。
これには普段なら失態にはネチネチと嫌味をいう『Ⅴ』や『Ⅷ』も
沈黙していた。口にはしないが内心ではこの状況下で、当事者の
証言があるとはいえライブからおよそ二日でこれだけの情報を
収集し、分析した『Ⅶ』陣営を評価し、労う感情すら彼らは抱いていた。
「……なあ、ちょっと確認なんだが」
「なによ?」
「噛み付くなよ、これでも同情してんだ。
だいたい誰もお前の失態とは思ってねえよ、そんなバカじゃねえ」
むしろお前は被害者だろうという『Ⅷ』の言葉に誰も否定を示さない。
これが『Ⅶ』単独の報告であればまた違った反応があったろうが『Ⅱ』が
内容を認め、ベノムの証言もあれば虚偽を疑う余地はない。嘘にしては
荒唐無稽過ぎる中身であったというのもある。そして事態の原因を
考えれば彼女は盛大に巻き込まれただけなのに対処に追われた被害者だ。
「だが、だからこそ確認しなきゃならねえことが二つある。
拠点が全滅したっていうならその時お前らどこにいた?
そして俺達への連絡が今日にまで遅れた原因は?」
そこに何の疑いもなければ、の話ではあるが。
ここに通信を入れられた以上、身は無事なのだろう。
しかしマスカレイドないし別組織の管理下なら話は別である。
確かに二日でまとめたなら報告内容はじつによく調べている。
しかし事態が事態だ。そもココへの第一報が二日後なのはいくら
特殊な組織構造をしている『蛇』とはいえ、あまりに遅い。
まずはその懸念を解消しろと『Ⅷ』は告げていた。
「ああ、ごめんなさい。そっちから先に説明すべきだったわね」
「私としたことが、やはりまだ動揺していたようです。申し訳ない」
片や動じた様子なく、片やむしろ慇懃無礼に、謝った両者は自身の
モニターにそれぞれ様々な情報を表示させた。その中には互いに
別の場所ではあったがガレストの地名を現在地と示しているものも。
それも地球から向かうには二日では少々難しい距離にある場所だ。
「なるほどのぅ」
「そもそも地球にいなかった、ってわけか」
たったそれだけの情報で疑いの声が出ないのは単純に表示しているのが
当人でなくシステム側からであり、それに対する信頼感からであった。
ここへの通信は彼らにすら情報開示がされてない『蛇』独自の技術による
特殊な通信システムで行われている。ナンバーズ当人に紐付けされるそれは
他人が成り済まして使用することはできず、また位置情報や生体情報を
誤魔化せない。他にも様々な情報漏洩の阻止や監禁・拘束の有無を
判定する機能まであって彼らのモニターにあるそれはどちらも否と
表示されていたのだ。
「この後を考えれば運良くか運悪くかは難しいところですが」
「ハハッ、確かに」
「捕まって取り調べを受ける方が楽そうね」
いつもは余裕ぶっている『Ⅱ』が心底疲れ切った声を出したからか。
二人がこれから背負う労苦が決して推し量れる程度では済まないのを
見越してか。『Ⅷ』そして『Ⅳ』の女が返した声には楽しげな色がある。
彼らがこの先どう動くにせよ他のナンバーズの助けが無ければ難しい。
貸しを作れるチャンスと考えているのだ。それを『Ⅶ』は察していたが
もう一つの懸念への答えを彼女は優先した。
「…報告の遅れは私達がガレストにいたのもあったけど奴に連絡拠点も
潰されてて、そもそもの第一報が届くのに半日以上の誤差が出たのよ」
「ああぁ、そうなったか。
末端の兵や潜入工作員が俺らへ直通の手段を知ってる訳がねえしな」
どちらも敵対ないし他陣営の組織や人員と接触が多い立場である。
『蛇』の幹部ともトップともいえる彼らと直で繋がる手段を持たせるのは
秘密結社という組織の形式上そして機密保護の観点からいえばあり得ない。
そして所属する拠点が全滅していた彼らは報告する先が無かったのだ。
出来るとすれば他のナンバーズが管理するエリアまで移動して現地の構成員に
接触するぐらいしか彼らには方法が無かった。それが優れた通信装備がある
この時代においてそれほどの誤差を出した理由だった。
「秘密組織なのが裏目に出た形ですか」
「どっちかといえば狙われたというべきじゃろが、よく半日で済んだのぅ?
装備の状態からして、移動だけでももっとかかるじゃろうに」
「偶然に助けられたのですよ、Mr.Ⅴ。
公の目を避けていた彼らが移動手段を求めて接触した裏のブローカーが
たまたま私の配下だったのです。それで事の次第がやっと私の所に。
それをそのままMs.Ⅶへ、というわけです」
「そこから最低限の確認や対処に奔走して一日が潰れたわ。
ふん、そうなると見越してた癖に何が報告してくれれば見逃す、よ!
マスカレイドの奴っ、あいつ絶対に性格悪いわよ!!」
ついに堪えきれなくなったのか。思い出して再燃したのか。
感情を爆発させる『Ⅶ』へ周囲はさらなる同情的な視線を向けた。
疑う余地が─概ね─消えた以上は彼女は貧乏くじを引いただけの
哀れな小娘。ただ他の誰であっても同じ目にあったであろう事が
容易に想像できるだけに責める気になれない者が大半だっただけ。
「─────クッ」
しかし。
ある種の生暖かいその空気を破る声が突然漏れ出る。
堪えきれず、といった風のそれは場の雰囲気を無視して存外に響いた。
そしてそれは次の瞬間には爆発する。
「ククッ、アハハッ! なんだそれっ、ハハハハハハハハハッッ!!!」
それは『Ⅸ』と表記されたモニターから聞こえる遠慮のない笑い声だ。
興奮して何かを連続で叩く音さえ無駄に臨場感あふれる音響で共に届く。
内容は安いバラエティ番組のSEのようでさえあったが。
「ヒーッハハハッ! そこまでやるかっ! アハハッ、ククッ、腹痛い!!」
笑い声は『Ⅱ』のそれよりさらに若い男のそれである。
少年と呼べるほど幼くはなく、大人と断言するには少し若い。
十代は超えているだろうが二十代は超えていないと思われる声。
それが息切れを起こしそうな程の勢いでノンストップに大笑いだ。
この事態に関わる全てが可笑しい、面白い、といわんばかりに。
「9番、何を笑っておる?」
「というかてめえそんなキャラだったか?
毎回出てきても二言、三言しか喋らねえ奴がなんだそりゃ?」
「ハハハッ……ああ、ごめんごめんっ。
最近ちょっと嬉しい事があってね、フフッ。
それからどうも、クククッ、笑い上戸になっちゃって、アハハハッ!!」
諌めた『Ⅴ』と訝しむような『Ⅷ』の声に返事をしながらも
まだ足りないとばかりに手を叩く音と共に笑い続ける彼。
それにこれまで沈黙を守っていた『Ⅲ』のモニターから
落ち着いた老齢の女の声が向けられた。
「『Ⅸ』の坊や、あなたは………何が面白いのかしら?」
「へ?
何がってそりゃマスカレイドの滅茶苦茶なやり口が、ですよ。
クククッ、たった一晩、たった一手でここまで、ハハッ!
やりやがったよこいつ! アハハハハハッッ!!」
彼が今まで参加した会合での沈黙っぷりが嘘のような『Ⅸ』の大笑い。
違う人物が『Ⅸ』を騙ってるといわれた方が─システム上あり得ないのは
全員が理解しているが─まだ納得できる程の、いっそ不気味に聞こえる
笑い声は止まる様子がまるで見受けられない。
「…………」
それに呆れか怯えか引いてる者が多い中『Ⅲ』のモニターから
訝しむような息が漏れているのに気付いた者はどれだけいたか。
大半は無かったことにするように放置を選んだ。
「……新入りの壊れっぷりは横に置いておくが、まあ笑っちまう程
認識が甘かったのは事実だろ。野郎の能力の高さだけを警戒して
中身への分析が足りなかった」
「男とは限りませんが、奇しくもあなたと同意見ですよ。
せいぜいが巨大な力を持った偽悪ないし露悪的な人物、という程度。
実態は遥かに面倒なようですね……シックスの焦りが分かります」
「それもかなり小賢しい上に慣れておるときとる。
排除できる可能性が僅かともあればそりゃ飛びつきたくもなるわい。
こやつは悪い意味で行動が読めん」
その上で幾人かが出したのは自らの認識不足と事実上この事態の責任を
問われるべき男への共感であった。とはいえそれは全員ではない。
「ねえ、男どもばっかで理解してないで説明してくれない?
確かにマスカレイドの人物像への分析はおざなりになってたわ。
今までのも動機という部分でどうにも私は違和感ばかり覚える。
特に今回は自らの弱点を守るためにここまで動いたというのが
ちょっと理解不能なんだけど……」
そう素直に疑問を呈したのは『Ⅳ』だ。分からない意見ではない。
絶対的といえる力を有する存在が自らを害する唯一に等しい脅威を
守護するのは確かにおかしな話に思えるだろう。が。
「そこじゃねえよ。そこはまだ普通だ。想像だが、たまたま見つけて
気に入ったペットがたまたま毒持ちの生物で飼うのに少し注意がいる。
っていう程度の感覚なんじゃねえか?」
観点が違うのだと『Ⅷ』はその不明さをそんな表現に落とし込む。
外部から見た時と当人から見た時で、価値と危険度が異なるのだと。
「なるほどの、案外秀逸な例えかもしれん。
まあ、昔から敵意や叛意を持つ部下など珍しくもない話じゃ。
それらに比べればこの弱点はまだ可愛いものともいえるじゃろ」
「確かに。
だがとんでもねえのはこの絵をどう考えても弱点発覚後にほぼ
一瞬で思いついて即座に描き出した精神性だ……あり得ねえだろ?」
周囲に、全員に問いかけるような『Ⅷ』の言葉にまず反応したのは
マスカレイドによって一番の被害を受けた『Ⅶ』の彼女であった。
「…ハッ、なんてこと……こんな奴にやられたの私?」
示された事実に鼻で笑った彼女だがその声にはあまりに力が無い。
それはなんて恐ろしい笑い話かと皮肉っているかのよう。
「Ms.Ⅶ?」
「ひどい話ね。
規格外の戦闘力を持っていてもこいつ発想が臆病なのよ」
「…臆病?」
「そもそもこれだけの被害を出せる目算があるなら、その上で
歌姫に手を出すなと脅すだけで充分効果的であったはずよ。
いかに我ら『蛇』といえどこれだけの被害が出た後でこいつの
庇護下にある歌姫を即座に襲うなんて、さすがに選べないわ」
その後に待っているのはこれ以上の被害をもたらす報復であろうことは
誰の目にも明らかであるのだから。今回を含め、マスカレイドが行った
二度の世界規模の大暴れはそれだけの抑止力を生み出していた。
ゆえに。
「確かに、普通はそこまでやれば……なるほど、だから“臆病”ですか」
「妥当な評価だな。
奴は自分の弱点を誤魔化すどころかわざわざ認めたばかりか、
それを俺らに証明させて、歌姫に手を出せないよう釘を差してきた。
“いいのか、貴重な私の弱点が消えるぞ?”ってな。
憎たらしいぐらい効果的な一手だが、逆をいえば…」
「…私達にも彼女を生かしておく旨味が無いと安心できなかった?
これだけの事ができる怪物がそんな不安を潰すためにここまでやったの!?」
信じられないと『Ⅳ』は叫ぶが彼女自身はそれが事実なのだろうと考えてもいた。
理解の埒外であったことで誰かに否定してほしかったのだが、この場の誰も
そんな言葉を口にしなかった。
「付け加えるのなら、彼女の歌を唯一の弱点と考えているのは外野だけ。
臆病な当人にとっては脅威が一つ増えたに過ぎないのではなくて?
だから弱点として過度に重要視せず、逆に彼女を守る盾として利用した」
「クカカッ、おかしな話じゃの。自分を脅かすモノはいくらでもある、
それが一つ増えたぐらいはたいした話ではない、といったところかの?
単独で二世界を脅しつけた怪物がなんとも……」
マスカレイドの起こした行動の結果は前代未聞の代物で、大規模だ。
されどその目的や狙い、派手な行動の裏の動きを考察していくと
どうしてか小心者が不安を消さんとするかのような動きがある。
多大過ぎる実績と尊大で自信たっぷりな態度とは裏腹な人物像が
そこに見え隠れしていた。
「………これまでのデータも含めてまとめるとこういうことかしら?
心配性なくせに剛胆な判断力、大雑把にも見えるのに采配は細かい。
行動は迅速で徹底的だけれどその基準は当人の好悪の比重が大きい。
また個人で動きながらも脅迫や交渉、買収で他者をいかようにも操り、
裏組織との敵対経験が豊富……地味に嫌な組み合わせばっかり」
自ら口にしながらも『Ⅳ』はその内容に矛盾ないし理不尽を感じていた。
短所を打ち消し合う組み合わせに動きを予測し難くさせる組み合わせだ。
そのうえ他者を積極的に利用する小賢しさまである。
敵対する相手としてはお断りしたいといえるだろう
「何があり得ねえって、化け物染みた力を持った奴が、だからな。
そんな力すら利用する道具としか見てねえようだ……正気かよ」
吐き捨てるような言葉には若干の震えが混ざっている。
世界を震撼させた力とそれを振るってる者との、妙な乖離。
あれだけの力があって、どうしてそんな人物像が垣間見えるのか。
『Ⅷ』はそう在れる仮面の中身を暗におぞましいと告げていた。
彼なりのそんな解釈に僅かな沈黙が広がる。腑に落ちたからか
その考えが恐ろしいのか理解できないのかは様々だが。
「────そこまでです。これ以上は詮無きことでしょう」
それを破ったのは老女『Ⅲ』の厳かな声。彼女は広がりつつあった
仮面への、その裏にいる誰かへの畏怖と忌避の空気を一言で抑え付けた。
「……そうですね、少々異質さにあてられましたか」
「悪い、俺がちょっと煽り過ぎたな。この手の臆病さを持つ奴が
結局一番厄介でな。その意識を共有しておきたかったんだが……」
「いいえ、必要な提言だったわ。それに今回の事も後々致命的な所で
初めて奴と激突するよりはマシだったと思うしかないわ」
「随分と高い授業料を、いえこの場合は必要経費かしら?
何にせよ、藪をつついてヒュドラでも出てきた気分よ」
「気持ちはわかるけど『蛇』の一員としては複雑な例えよね、それ」
「ふむ、人を使うことを知っている知恵持つ怪物、か」
「神話の英雄でも勝てない気がします」
彼等も裏の百戦錬磨か。自らが萎縮しかけていた自覚があるのだろう。
意識的におどけたように軽口をいいあって精神的なそれを解していた。
そしてそれが終われば本題だ。場を締めたのと同じように『Ⅲ』の老女が
どこか語り慣れている明瞭な声で、当然にして難題の議題を告げた。
「さて、そんな無双の英雄でも裸足で逃げ出すマスカレイド相手に
私達『蛇』はどう対処すべきなのか、を話し合いたい所なのだけど……」
「手勢を壊滅させられた以上は報復を、と言いたい所だけど
こいつってどう考えても絶対手を出すだけ損する類の相手よね」
「言動だけを見ておれば付け入る隙はありそうなのじゃが、それを
規格外の能力で補っておる……攻略するのは骨どころではないぞ?」
どうすべきか。
それを考えなくてはいけないのは誰もが分かっていた。
決して後回しにしていい話でもなければ曖昧な対応をしていい相手でもない。
組織として指針を決めておかなくては隙が生じ、そこから食い破られる。
誰もが分かってはいたが、ではどうするか、となると全員口が重い。
だからだろうか。まだ続く『Ⅸ』の笑い声をBGMにした沈黙を
破ったのは“この場の全員”に含まれてない人物だった。
「『蛇』の全勢力でもって誅殺すべきです!
ここで断固とした手段を取らなければ我らは舐められるだけです!」
緊張からくる冷や汗と血の気の引いた顔ながらベノムは声を張り上げた。
事態の推移を語らされてからは半ば放置されていた彼だが、話の流れが
どこかマスカレイドに及び腰になっていると感じて声をあげたのだ。
そんな流れだけは止めねばならないという一種の使命感を持って。
「難敵ではありますが所詮は一人! 限界がありましょう!
今回以上の軍勢を用意し弱点を利用すれば必ずやあのふざけた仮面をっ──」
「方向性としてはやはり積極的か消極的な放置でしょうか?」
「受けに回って防備を固めてもこいつ相手じゃ意味ねえしな」
「ならば逃げに徹して何かされたら“仕方ない”で済ましますか」
「ハハッ……1年いえ半年後にはここの面子どれだけ変わってるかしら?」
「半分残っておれば上々といったところかのぅ」
「──なっ!?」
聞く耳は皆無であったが。
それどころか流れは彼が危惧した以上にマスカレイドへの不干渉と共に
こちら側の、それも自分達自身の排除すら半ば容認した発言であった。
「こ、この場で私に発言権が無いのは重々承知していますが、
ヘッドナンバーを預かる方々がなぜそんな弱腰なのですか!」
「…………」
返る言葉はなく、むしろ一人笑い続ける『Ⅸ』以外のモニターからは
これみよがしな嘆息。相手にするのも面倒だという空気が漂っていた。
会議が始まる前の好奇に近かった気配より露骨なまでに鼻白んだそれに
先程までとは違う種類の冷や汗を流しながらベノムは狼狽える。
彼は、彼の視点では間違った主張をした自覚が無かったのだ。
「No.Ⅱ、ねえコレって連れてきた私がどうにかすべき?」
「出来ればそうしていただけると」
心底面倒だといわんばかりの深い溜め息が『Ⅶ』から漏れる。
が、即座に落ち着いた口調ながら力強い叱責が飛んだ。
「ベノム、勘違いしないことね。
あなたを召喚したのは証言を求めるためと諸々の独断行動への処罰を
ついでに決めるため。知っての通り名持ちの処分は最低でも同格以上の
名持ち三名の同意が必要……光栄に思うことね、私達ヘッドナンバーズ
ほぼ全員に処断されるんだから」
「それは覚悟していますがならばせめて奴へ放つ刺客として!
私は顔を知られています。囮になら充分使えっ……」
「あなたの罪状は試作使徒兵器の強奪から──」
「っ!?」
意見はまたも無視され、『Ⅶ』はただ明確となった罪を並べる。
シックスの管理下にあった歌姫暗殺計画への介入及び妨害。
またナンバーズを情状酌量の余地のない動機と状況での殺害。
「──そして『頭』会議における無許可の発言。
しかも内容は誰でも思いつく浅いもの……私達を馬鹿にしてるのかしら?」
「い、いえっ、そのような……」
見えていないのに、眼光鋭く睨まれたような威圧に彼はたじろぐ。
『Ⅶ』が発した声と纏う空気はそれだけの圧力を醸し出していた。
年齢でいえば彼より年下の女性であろうがその地位につけた事は伊達ではない。
「ククッ、怯えちまって可哀想に。
まあ今までの働きに免じて、なんでダメかぐらいは教えてやるよ。
まず俺らナンバーズの至上命題は単純────『蛇』の存続だ。
それを優先していればあとは自由、というのがこの椅子の美味しい所でな」
おかげで色々稼がせてもらっていると『Ⅷ』は臆面なく口にした。
組織をある種潔癖に崇拝するベノムとしては眉を潜めるが彼は見てすらいない。
それどころか嬉々として笑いながら語った。
お前のそれはあまりに間抜けな考えだと嘲笑って。
「てめえの案は、ああ確かに多少なりとも勝ちの目があるだろう。
だが、組織は続かねえ。どう少なく見繕ってもその目を出すだけの戦力を
用意するにはお前の言葉通り『蛇』の全勢力が必要だ。そのせいで止まる
業務がどれだけ多岐にわたり、どれだけ損失を出すか分かってるか?
そこまでして用意した戦力も相手を思えば全滅覚悟でぶつけなけりゃならん。
それで例え勝てたとしてその後の『蛇』に何が残ってる? 何が出来る?
奴を倒したという名誉か? 何が相手でも報復するという姿勢表明か?
ケッ、くだらねぇ! 次の瞬間にはどっかに潰されるのがオチだ!」
そんなことはお前以外はとっくに分かってんだよ。
彼も彼なりに消極的にならざるを得ないことに複雑な感情があったのか。
苛立ち混じりのそれは半ば以上八つ当たりであり、浅慮への非難であった。
「っ………」
立ち尽くすようにベノムが絶句したのはその話を理解できる頭はあるからだ。
まだ続いている『Ⅸ』の笑い声がさながらベノムへの嘲笑のように耳に届く。
そのショックか。足元はふらつき、頭を抱えていた。
そこへ。
「─────おいおい、弱い者いじめはそこまでにしてやれよ」
この場の全員が聞き慣れた、しかし再び生で聞けるはずがない声が響く。
どこか人を食ったような、それでいて威圧感のある男の声。それに
誰より先に反応したのはベノム。振り返った彼の顔は瞬間的に青を
通り越して真っ白となるとその口を無駄に開閉させた。
「っ…………!?」
「ハッ、寛大なことで」
白き会議場に突然現れたのは一人の偉丈夫。相貌から東洋系地球人か。
筋肉の鎧を着込んだような彼は風を切るように進むと当然のように
ある席に腰を下ろした。
「お早いご復活だこと。
今回はてっきり不貞腐れての病欠かと思っていたわよ、ねえ───」
が、隣の『Ⅶ』からは多少棘のある言葉が飛ぶ。
理屈で納得できても、必要な行為と彼女自身が思えても、誰が切っ掛けで
今回の被害が出たかといえば張本人であるマスカレイド以外で真っ先に
名が挙がるのは彼なのだ。嫌味の一つも言いたくなろう。
「───してやられた不死身の牙さん?」




