04-107 ライブ防衛戦線6
終わらなかった……話の前半も後半ももっと短い予定だったのに……終わらなかった。
だって、
だって!
こいつら勝手にイチャつきだすんだもん!
(なんか前にも言った気がする)
予定していた最後の曲を歌いきった二人の歌姫は一際大きな歓声を
受けたまま頭を下げると手を振りながら共にステージ裏に戻った。
そして観客の目が届かない所まで来るとお互いを見合って不敵に笑い、
無言のまま右手と左手でハイタッチを決める。同じ顔と似た衣装を
着ているが片やしてやったりな笑みと片や満足げな笑みを浮かべる
彼女らは確かに別人の空気感を持っていた。とはいえ、だ。
「ちょっといいかしらお二人さん?」
皆の総意を代弁するとばかりにテレサが微妙な顔で歩み寄る。
「ん?」
「はい?」
「どっちが本物なのかしら?」
登場した当初は元々いた方だと考えていた彼等もそれから何曲も歌って
踊って、そのたびに衣装チェンジもしていたので裏で見ていた彼らは
もうどっちが最初からステージに出ていた方か分からなくなっていた。
二人はこの問いに顔を再度見合わせると片方が挙手。そして。
「はいはーい、このプリティーな美少女モニカちゃんが本物でーす!」
愛らしい仕草でウインクを決めつつ媚びに媚びた声色で
そんなことを口走った。さすがに誰もが認める美貌を持つために
、見るに堪えない、とまではいわないが少々“イタイ”。
空気が凍る、のをその場にいた誰もが感じた。
「────っっ!?!
この悪ガキっ、私の顔と声で遊ぶんじゃないわよ!!」
「あははっ! つい!」
それに誰よりも顔を赤くしたのは当然ながら本当の本人である。
あざとい媚びを見せた歌姫の胸倉を掴んで激しく揺さぶって抗議する。
ああ、こっちだ。と周囲は真贋を察したが当人の羞恥と怒りは収まらない。
「つい、で済むか!」
「お、落ち着いてモニカ!
それとあなたも紛らわしいからその光学変装解除して!」
数秒前までステージ上で厳かな雰囲気で歌っていた両者とは思えぬ
表情と雰囲気に苦笑しながら力尽くでモニカを引き離したテレサは
相も変わらず楽しげな笑みを浮かべている偽者にそう続けた。しかし。
「光学変装?」
「了解だよ、中尉殿」
聞き慣れない単語に首を傾げるモニカとは別に敬礼で答えた偽者は
ウインクひとつを合図に自らに覆わせていたリアル過ぎる立体映像を
消し去った。残ったのはモニカより背丈の低い特徴が無いのが特徴
のような、少年。
「え、子供?」
「つーか誰だよ?」
「男のほうが化けてたのか!?」
予想と違ったのか困惑する周囲と違い、妙な緊張感を高めている
マネージャー陣はどこかモニカを守るように集結していた。
「テレサ? みんな?」
「……あなた、もしかしてあの男の方の護衛?」
「ん、あ、外見を間違えた。ま、いいか今は少年の気分ということで」
「…本物よ。
私にだけは最初からずっと本当の姿が見えてるから、信用していいわ」
姿が違うというのに彼の平然とした様子か。
モニカの落ち着いた口調でのとりなしゆえか。
マネージャー達は不承不承な雰囲気なれど幾分か警戒度を下げた。
そして周囲の全く事情を知らない出演者やスタッフたちに用意していた
出任せの話を口にしてそれぞれの仕事に戻らせる。ただその後ろでは
唇の動きだけで「ドジ」「面目ない」と二人はやり取りしていたが。
「まあ、舞台上は完璧だったから別にいいけど」
尤も彼女はその失態を本気で責めたわけではなく、その抜けた所を
どこか慈しむように機嫌良さげに笑って衣装に手をかけた。大き目の
アクセサリの一部分を三度触れて華美な装飾を消していく。
今の時代、こういったイベントの衣装は実在している着衣とリアルと
見間違う程の立体映像の投映とそれらの折半という三つに分けられる。
モニカは舞台上での早着替え演出以外では着衣か折半を好むタイプで
今回最後の衣装となったそれは基礎の衣装に映像で重ね着させた物だ。
映像を落とせば舞台映えしていたそれも飾り気のない薄着でしかない。
布面積は少ないが、職業性ゆえの慣れでモニカは気にしておらず、
シンイチに至っては相手が気にしてないためからかう気が起きない。
という妙な状態で当然のように向き合って普通に会話をし始めていた。
「これで曲目は終わりなわけだが……この後はやはり?」
「アンコール、でしょうね。あと数分もしない内に聞こえてくるわ」
いつものことよ、と肩を竦める。ライブスタッフたちもそれありきで
今もステージ袖や裏で次の準備をしているのが見て取れていた。
「偽者さんはどうする、アンコールも付き合う?」
「遠慮するよ。もう直接護衛する必要はなくなった。
最後はしっかりとお前だけの歌で決めてやれ」
どこか、出来るだろ、といわんばかりの口調にだが彼女は乗らなかった。
その言い回しと彼の雰囲気に別のことを感じ取ったのだ。
「行くのね?」
ほんの一瞬、目を見開いたシンイチだがすぐに苦笑すると降参するように
肩を竦めて正直に答えた。この察しの良さは家系だろうかと思いながら。
「明日からもお前を狙えなくするにはあと一手必要だからな」
「え?」
「お前が依頼したんだぞ?
護衛、ライブの成功、観客の安全に犯人の撃退。
どれも今日だけとは一言もいわなかったからな」
意外そうな彼女を余所に、ならそれは今日以降も含まれる、とさも
当然のようにおかしな理屈を掲げるシンイチ。それを語る彼の顔は
なんとも清々しい程にしてやったりなそれで、何度か目を瞬かせた
モニカは溜め息と共に額を押さえた。
「はぁぁ………呆れた。そこまでやる気だったくせにあんな挨拶みたいな
キス程度でよく、仕事と釣り合わない、なんて格好つけられたわね?」
むしろ壊滅的に釣り合わなくなっているのはこちらではないかと
確信し始めるモニカである。だが、返ったのはおふざけなど皆無で、
されど気負った様子も欠片もない不満げな声だった。
「事実だろ。俺がもらったんだからその価値は俺が決める」
何か文句があるか、とどうしてか彼の方が不機嫌な雰囲気であった。
自らの命を脅かす歌を聞きながら守り続ける行為と等価以上であると
誰よりも彼は本気でそう言っていた。
「へぇ……フリかと思ってたけど、変な所で偉そうなのは素?
けどそこまで言うならもう一回したらどこまでしてくれるのかしら?」
意味深に濃い目のルージュで彩った唇に指を当ててリップ音を鳴らした。
なんだったらもっとしてあげようか、と暗に示しているのは明白だ。
尤もモニカは乗ってこないと当りをつけての行動で、シンイチはそれを
察していたが時間がないのでからかう事はしなかった。
「生憎二回目以降はカウントしない仕様になっていますのであしからず」
「随分と気前のいい初回限定サービスね」
わざとらしい畏まった物言いによる茶化した返しにモニカは苦笑する。
だがそこには少なからず女としての、安堵と不満という矛盾した感情も
確かにあって、だから。
「じゃないといくらでも欲しくなるからな」
さりげなく最後に付け足された呟きはいとも簡単に、矛盾した感情を
それぞれ違うものにさせた。彼女に出来たのはそれが顔には出ないように
聞いてない素振りをすることだけである。ゆえに言葉が続かない。
だがそれを待っていたかのように。正確には二人の会話に
固まっていた彼女がなんとか再起動して割り込んできた。
「そ、そうだ! ちょっと待ってくださいモニカ!
あ、あのキスはいったいなんですか!
しかもあなたから彼にしてたってどういう!?」
「…それがどうしたのテレサ?」
「むしろ逆だった方が問題だと思うんだが?」
当人達から、何をいってるんだお前は、という視線にさらされ、
一瞬驚いている自分がおかしいのかと思った彼女だがすぐに思い直す。
確かに彼の言う事には一理あるが、こと長く彼女のマネージャーを
やってるテレサは別の問題点を気にしていたのだ。
「そ、それはそうかもしれないけど、あなた今まで男女問わずに
ああいう演出は嫌がってしてこなかったじゃない!!」
「そうよ、だからあれ演出のフリしたお礼。追加報酬。
誰も気付いてなかったアクシデントをなんとかしてもらったんだから」
内心、余計なことを、と思いながらもすまし顔で躱すモニカ。
案の定隣から「ほう」と意味深な呟きが返ってきて彼女は羞恥に
悶えそうになるのを歌姫の顔で耐えた。一方でテレサはその物言いに
「ああいえばこういう!」と頭を抱えている。人前で堂々と
やってしまった以上今後ステージやCM等の演出でこれから求められる
可能性がいままで以上に高まってしまったのだが本人が決して首を
縦に振らないと解るため今からどう穏便に断るか頭を悩ましているのだ。
「ずいぶんとイイ外面してやがるな、お前」
「あなたはずいぶんと悪い外面してるけどね」
そんなこととは、知らないこともない両者は互いの顔を見合う。
傍目には片や多くを魅了する歌姫の美貌であり片や街角の一般人その13
ぐらいの顔つきだが二人には面の皮程度にしか見えてないらしい。
かなり分厚い、がつく辺りは似たり寄ったりともいえるが。
「そうか?
これでも、初対面の時は普通の少年だと思ってた、と評判だぞ」
「………ひどい詐欺よね、それ」
「金を騙し取ったことはないからセーフ!」
「他の物なら取ったことある、って聞こえたわよ?」
「正確には、騙したことはある、だな」
「この悪ガキ」
「否定できないのが辛い」
「嘘おっしゃい、ノリノリで楽しんでるくせに」
「さて、どうだろうな?」
とぼけた彼にモニカがくすりと笑ってそれを見て彼もまた笑う。
なんとも状況や場所と乖離した何でもないやり取りだろうか。
それが実に楽しいのだからモニカは笑いが止まらなかった。
案外、自分と対等に接する相手に飢えていたのかもしれない。
「ふふ……あ、来たわね。ごめんなさい、準備いい!?」
「へえ」
しかし観客席から響く呼びかけに彼女は意識を切り替えた。
先程まで気安い会話を楽しんでいたとは思えぬ真剣な表情で
スタッフを呼ぶ。今のはちょっとした隙間の時間の小休止。
いま優先すべきはこの仕事だと染み付いている反応だった。
そこに落胆も不満も微塵もないのが見抜けるシンイチは頬を緩める。
「はい、できてます!」
呼ばれた形の衣装係が力強い返事をしつつ一斉に動き出す。
複数人に一気に取り囲まれて用意されていた衣服を着させられているが
慣れた様子で微動だにしない。そして10秒ほどでこれまたがらりと
印象が違ったモニカが現れる。着込まされたのはシックな衣服で、
長身とスタイルの良さからよく似合っていた。ただそれは舞台衣装
というよりは日常生活におけるコーディネートを思わせる代物。
舞台映えを狙っていたメイクもナチュラルなものに変わっている。
飾っていないモニカ、を演出するための衣装である。
「ん、モニカさんこのペンダント外した方が…」
だがそれを整えた一人が胸元に光る三日月のそれを暗に合わないと
告げてくるが彼女は柔らかく首を振って、優しくそれに触れた。
「構わないわ。これ、お守りなんだって。
今日ここまで無事にこれたのはコレのおかげ、なのかしら?」
どうなの、と視線だけを少年に向ければ、さてなとばかりに肩を竦める返事。
その態度に機嫌良く笑ったモニカに珍しいものを見たと目を瞬かせた衣装係
だが彼が護衛だと聞いていたので警備上のナニカと考えて下がった。
「あんたって本当に肝心なこと何も話さないわよね」
ペンダントの効果が本物なのか気休めだったのか。
昨日の暴挙の理由とそれによる弊害とその対処法。
そもそもにしてどこのナニに彼女が狙われているのか。
いくつか聞き出せた事はあっても自発的には話さない彼の態度は
彼女の目にはどうしても口下手な子供か格好つけたがりな男の子の
ように見えてしまって、どうにも微笑ましい感情がわいてしまう。
「……なんでも全部教えればいいってわけでもねえだろ」
「ふふ、まあいいけど」
そしてその視線と笑みの意味に勘付かぬシンイチではない。
不機嫌そうな顔と声でそう吐き捨てるが笑って流されてしまう。
より表情を歪ませて苦虫を噛み潰したようなものになっていくが
モニカは変わらず笑うだけ─────だから彼は油断したのだろう。
「あ、そうだ。このあと、物騒なことするんでしょ?
我が家伝統の無事を祈るおまじないしてあげる。手を出して」
両手を差し出して彼の手を待つ姿勢を見せたモニカ。
これにシンイチは逡巡なく左手を伸ばす。が、彼女はそれを取らず、
素人にしては素早く彼に踏み込んで下がっていた右手を取る。
「あ」
彼女以外だったのなら彼はそれを予見できたし避けられた。
ステージ上では意識していれば動きを合わせることもできていたが
それが終わって、雑談で気が緩んだ彼は外敵には未だ警戒していても
彼女に対してはある意味で隙だらけだったのである。
ゆえにこれまでのようにその突発的な動作に反応ができなかった。
「っ、やっぱり!」
そして右手の感触からモニカは責めるように睨み付ける。
殆ど反射的に視線から逃れるようにそっぽを向くがその眼前に彼女は
自らの顔を割り込ませた。にこやかなれど、全く笑ってない顔を。
「おかしいと思ったのよ。
あの後から妙に私の右側の位置を維持しようとしてるから。
それでよく考えてみたらあの時あなたが私を振り回してたのは左手で、
自由に動かせたのは右手……つまり、こういうことよね?」
どこか違うかしら、と圧力を感じさせる低い声での叱責にも似た指摘。
それで指し示られた彼の右手は、しかし声とは違う柔らかな手つきで
優しく包まれていた。見る限りでは異常は微塵も見受けられないが
触れた彼女にはその手が傷だらけだとすぐに分かった。
出血の痕跡を感じられないのが良い事なのか悪い事なのか。
モニカは判断がつかなかったがその目は確実に責めていた。
我が身を犠牲にしろとまでは言ってない、と。
「………あとでちゃんと治す予定だったんだ」
隠していたことへの後ろめたさもあってか盛大に目を泳がして
言い訳を口にするシンイチだが、彼女の返しに盛大に撃沈した。
「それ、やらない子の常套句よね?」
主に、宿題やりなさい、後でやろうと思ってたの、的なやり取りで。
ぬぐっ、と変な呻きを出して固まる彼にモニカはさらに追い打ちをかける。
「そもそも隠してたってことは気付かれるとまずいからよね?
私が変に気に病むかもしれないと考えたわけよね?」
「………」
つまりは悪い事だと自覚あった上で右手を犠牲にしたのよね。
そう言外に問いかける彼女に、そのエメラルドのような瞳から伝わる
もう誤魔化しは許さないという強い意志に、押し負けてしまった彼は
彼なりの形で降参する。ひどく穏やかで満足げな笑みと共に。
「……嬉しいものだな」
「は、なにが…?」
「お前がそこに気付けて、気に入らないと思う女ですごく嬉しい」
それは、自分の目は間違ってなどいなかったと喜ぶもので。
庇い甲斐があると胸を張るもので。それだけの価値があると当人を
差し置いて自慢げに誇るような白旗の振り方だった。
「……………」
そんな想像の埒外だった返答に彼女は呆けたように固まる。
けれど、誤魔化された、という呆れも怒りもわいてこなかった。
彼女はただ卑怯だと思ったという。そう思ったことだけは責められない。
自らを褒められたからではない。それを嬉しいと言って笑った彼を、
たったそれだけで救われたように笑う彼を、モニカはどうしても
否定したくなかったのだ。強くそう想うこの胸に宿った熱はナニか。
答えが浮かぶ間もなく彼女はただ自然と祈るように、嘆くように
傷だらけの右手に己が額を押し当てた。彼の温もりと歪な感触が
同時に伝わるそれは痛々しく思うものであると同時に彼女にとっては
一番大好きで一番尊敬している人とどこかよく似た手だった。
「……がとう」
「え?」
「ありがとう、本当にありがとうっ」
だからモニカの口から出たのは単純な、されど真っ直ぐな感謝。
「あなたのおかげで私の家族は無事だった。
あなたのおかげで今日もこれからも私は歌える」
そしてそれは歌姫でも、子供達の姉でも、シスターの娘でもない。
モニカという一人の女性が紡ぐ、素直な言葉であり気持ちだ。
「昨日、出会えたのが君で良かった!」
その想いが少しでも伝わるようにと願って傷だらけの右手にモニカは
深く、強く、そして慈しむように唇を落とした。それは彼をして
全身に電流が走るような熱のこもった口づけだった。
「っ………」
「ちゅ、ん……ふふ」
声を失い、呆けたようなその顔。
僅かに赤が入った表情に、やっと一矢報いたかしら、とばかりに
微笑んだ彼女は手を放すと踵を返して何事もなかったかのように
ステージに足を向ける。その背を目で追う彼の視線に気付いてか。
元よりそのつもりだったのか肩越しに振り返った彼女は、
「行ってくるわ、あなたも気を付けて。
けど、ケガ増やして戻ってきたらこれだからね」
握り拳を見せつけながら茶目っ気たっぷりにそういって笑う。
これにシンイチもまた釣られるように笑って、頷いた。
「それは痛そうだな。わかったよ。
ケガ一つ増やさずに戻ってくると約束する」
返答に満足したのか。
よろしいとばかりに頷き返して歓声の中に戻っていった彼女。
それを見送って、視線を一瞬だけ右手に下した彼は微苦笑を浮かべた。
「参ったね、こういうのたまにもらえるからやめられない」
例え自分自身で不器用だと、馬鹿なやり方だと思っていても。
これを“イイ”と思ってしまうのだから仕方ないと都合よく割り切る。
されどそんな充足感か幸福感を一瞬で─頭の中の宝箱に─片づける。
そしてステージに背を向けるように足を進めたシンイチの動きに
躊躇いなどない。例えマネージャー達が既に周囲を取り囲んでいても
まるでいないものとして扱う足取りはある意味で真っ直ぐだ。
「っ、ちょっと待って!」
「悪いけど、もうそろそろあっちが限界」
人間の囲みなど、静止の言葉など、何の意味もないというように彼は
それをすり抜けた。呆気にとられる暇なく追いかけるマネージャー達。
尤も返事があった事が僥倖だと、それなりに誠意ある対応だという事を
彼等は知らない。知ったところでどちらにしろ、だが。
「ねえせめて教えて! モニカはどこの誰になんで狙われたの!?」
「明日になればお前らの上から報告があるだろうが、全部は来ないか」
歩みを、ステージ裏から会場外へと向かう足取りは一切緩めない中。
テレサたちの手配と人気のない道筋を彼が選んだことが合わさり、
まだ裏手でしかないというのに周囲には彼ら以外がいなかった。
そして何より、今後を考えれば知っておいた方がいいと考えた
シンイチはあっさりとそれを教えた。
「首謀者は『蛇』の「毒」と「牙」だな」
一瞬の絶句のあと、誰かが小さく悲鳴をあげた。
それは彼女らがその意味を察せられるだけの知識を持つことを
意味しており、また知っている者にとっては身が竦む名である証左。
「嘘でしょっ、なんでよりにもよって『蛇』が!?」
「奴らの新兵器とあいつの歌、相性が悪いんだ。
聞かせるだけで兵器が自壊していったのを見た」
「なっ、だとしたら今回だけ防いだってそんなの!」
「だからもう手出しできなくさせるんだよ、これから」
「どうやって!?」
「……この姿は実在の人物から借りてるんだ。
裏でちょっとした有名人になってるから囮役にしやすくてな。
だがだからこそ本人には迷惑はかけたくない、いいかい?」
突如の関係無い話と試すような視線。その意図が解らない人間は
ここにはいなかった。それが条件という事だと誰もが察する。
実際にはドジを踏んで隠し損ねた素顔を誤魔化す方便でしかないのだが。
「……その顔が誰であるか私達は調べません。その姿も報告しません」
代表するように宣言したテレサに頷き返した彼はそこで足を止めた。
既にステージ裏から会場の外。ステージから漏れ届く光でほんのりと
明るい程度の夜の森。人目は完全に彼らだけ。機械の目も天空からの
目もない。悪友の目は、きっとあると思うと苦々しいが彼はそれを
意図的に無視して、疑問に答えた。
「いいだろう、まあでも方法は単純なんだがな。
要するにあいつを襲うことに途方もないデメリットがあればいい」
どういうことか。
そう問う彼等からの何重もの視線にシンイチは
不敵に笑うとそっと右手を自らの顔の前に翳した。
「なに、私の方が脅威になってしまえばいいだけさ」
──────マスカレイド
呟きと共に右手が下がり、そこに“夜”が顕現する。
とっくに帳が落ちた闇夜の森林の中でなお存在を主張する夜。
ソレが現れただけで僅かに届いていた光が萎縮するように陰る。
空気が、空間が怯えるように波打ったのを誰かが幻視する。
そして白き仮面が全員を見据え、その奥の魔貌で三日月が笑っていた。
「────────」
悲鳴、すらあがらなかった。
息を呑む、こともできやしない。
ただ誰もが時間が止まったように固まっていた。
目の前の存在が理解できないのか。理解したくないのか。
思考でさえ、呼吸でさえ、停止してしまう衝撃であった。
「あ…ああ…あ、あにゃたが、ななっ、なずぇモニカをっ?」
ゆえにそれだけでも問えたテレサは噛んではいたが立派である。
それにクスリと笑った仮面は敬意を示すように正直に答えた。
『昨日、初めて歌を聴いてね。ファンになってしまったんだよ』
尤も他者からすればそんな理由になってないような理由は冗談に
しか聞こえないが続くように、あとは任せてくれ、と確かに呟いて、
マスカレイドは全員の目の前で突如として消え去った。
転移したのだと残された人々が理解したのは約30秒後。
「ぁぁ」
「ひっ」
「うえっ」
次々と何か支えを失ったかのようにその場の全員がへたり込む。
場を支配していた絶対的な存在が消えたことでようやく怯える事が
できる、という妙な安堵に彼女らは包まれていた。
「あ、あれが本物のマスカレイド!」
「そこにいるだけで、あんなに息苦しいなんてっ」
「やべぇ、吐きそう」
「こ、腰抜けた」
全員が全員、冷や汗で全身を濡らして無様な姿勢で地に膝や尻を
つけているがそんな醜態を誰も笑えやしなかった。その、中で。
「はっ、ははははっ!」
完全に野に大の字になって倒れているテレサが壊れたように笑う。
まさか今ので廃人になってしまったかと動揺する同僚たちの心配を
余所に彼女は心底おかしいとばかりに、あるいは笑わなくては
やってられないとばかりに何もかもを矢継ぎ早に吐き出した。
「何が、初めて聴いた、よ。そんなわけないでしょう! バカにして!
ああ最悪っ、知りたくなかった! 関わりたくなかった!
なんで護衛任務で世界の脅迫者と相対する羽目になるのよ!
なんでここまで来てから正体明らかにしていくのよ!
ええ、ええっ、あなたが出たらそりゃ一発で終わりでしょうよ!
そして海に穴あける感覚で私達の胃に穴を開ける気なのね、そうなのね!
明日の定時報告が怖い! あの口ぶり絶対そっちにも手を回したでしょ!?
なにっ、私達なにをされるのよ! なに脅されるのよ!
本当にあの娘! 拾い癖が治ってないと思ったらとんでもない奴拾って!!
最悪に的確過ぎるでしょうがっ!!!」
ゼーハーと寝転がりながら肩で息をする彼女の愚痴のような叫びは
仲間達の同意の苦笑に見守られながら夜の森に響いていった。
ただそれも興奮した観客の声とモニカの歌に打ち消されてしまうのだが。
──────────────────────────────
くすんだ銀と黒を纏った赤の衝突は三桁をもう突破していた。
互いに決定的な一撃を入れられないまま打と斬が競い合う。
周囲の砲火と爆音はそんな二人を避けるように広がっている。
圧倒的多勢の『蛇』だが戦場を縦横無尽に激突していく両者の余波で
思うように全体的な動きが出来ないでいる。一方少数である彼女達は
その利点を十二分に利用して危なげなく彼らの数を減らしていく。
それでも元々の総数に差があるため事実上の戦果は微々たるもの。
百の兵のうち五十を倒せば半分の撃破だが、万の兵なら二百分の一。
戦術上では『無銘』が優勢でも戦略上では完全に劣勢である。
しかしながらそれは当事者たちの心情とは必ずしも一致しない。
多勢であり待ち構えていた形の『蛇』側にとって少数というにも
憚られるようなたかだが4名の敵兵を圧倒しきれないことへの
屈辱と憤慨、焦燥は筆舌しがたいものであろう。
しかし『無銘』側は戦況の不利を理解してはいるものの、そもそも
彼女らの目的は彼等の打倒ではない。『蛇』をここで自分達に
釘付けにすることであると認識しているため内心は落ち着いたものだ。
背後に控えているのがマスカレイドであるという点も大きいだろう。
そしてそれは互いの意識の大部分を相手にのみ向けている両陣営の
トップも理解していた。
『質より量で揃えたが、狙いが違うとこうも噛み合わねえか!』
ちょうど決戦場となった広い私有地中心の上空。
巻き添えを避けるため両陣営が距離を取っている妙な空白地帯で
睨みあうシックスとミューヒ。互いの鎧には所々相手の色が
刻みつけられているがどれも決定打とは言い難いかすり傷程度。
そこで呟かれた困ったといわんばかりの言葉は、だがどこか真剣さに
欠けている。それを聞き取った彼女は鼻で笑う。
『ふん、今さらなことを。全部狙い通り、でしょうに』
『はっ、何の話だか…』
『お前からは“勝つ”気概が微塵も感じられない。
何故か歌姫や私への殺意も希薄………何が狙いよ?』
素直な返事など微塵も期待していない問いかけではあるが、
直にやり合って感じたその疑問を彼女は軽視できなかった。
それを受けたシックスは僅かに沈黙するが、喉の奥から
押し出すよう笑い声を漏らすと武器を握ったまま手を叩く。
『クッ、ハハハッ、参ったな。
さすがはあの将軍さまの懐槍か──────ここまでだな』
『っっ!?!』
最後に冷たく吐き出された言葉は、会話ではなく宣言に等しい。
これで終わらせると暗に告げるそれに反射的に彼女は身構え、
だが感覚で理解したソレに背筋が凍った。そして次の瞬間には
爆撃を受けたかのような衝撃と爆音が広がって彼女は大地に叩きつけられていた。
「隊長!? くそっ!!」
「お前ら、近寄るんじゃないよっ!!」
20mクラスのクレーターを作りだした彼女の落下。
中心点で沈む赤に、好機とばかりに群がろうとする『蛇』の兵を
フォトンの砲撃と攻撃スキルの乱射で牽制しながら彼女達は上司を
庇うように集結する。
「ご無事ですか隊長!?」
『う、ぐっ……それをやられるとまずいとは思っていたけど、
本当に大盤振る舞いね、そんなに仮面が怖かったのかしら?』
気遣うそれに構うなとばかりに手で制しながら自らを見下ろし、
そしてゆっくりと降りてくる彼らを挑発しながら立ち上がる。
だが手にするトンファーと外骨格には今しがたつけられたと見られる
深い斬撃痕が五つ存在していた。そして下りてきた人数も
また五人。
『……恐ろしい女だ。
あのタイミングでの攻撃を全部防御したばかりか読んでいたとみえる』
褒めるような口ぶりのシックスだが、その声には余裕がある。
それもそうだろう。彼の周りを固めるように並ぶ突然現れた銀を纏う四人。
彼等は頭部の形状こそ違うが全員同じ使徒鎧装を装備していた。
そう彼女はあの瞬間この五名による、仮面の加護がなければ感知も
防御もできない斬撃を同時に受けたのである。回避できないと悟った
彼女は直撃だけは避けるように防御しその衝撃に逆らわなかったのだ。
「ア、ハハッ…あれが5人とかマジ?」
「そういうセールは勘弁してほしいわね」
「ちょぉぉっと、不味い、かな?」
しかし軽口を叩きながら冷や汗を流す彼女達は身構えていた。
彼女らも仮面の力を受けた鎧を纏っているが、それゆえに対峙して
即座に解ってしまう。これに太刀打ちできる力は与えられてない、と。
それでも、と今にも決起に走りそうな部下を諌めるためか彼女が前に出た。
『揃って銀色とは芸がないわよ、シルバー戦隊。
せめて色変えてほしいところね、目がちかちかするわ』
僅かにふらついた様子を見せながらも立ったミューヒに怯えはない。
満身創痍、というほどではないが装甲に刻まれた傷は深くて多い。
それでもシックスも他の四名にも隙というものはない。おそらくは
差はあれど同等の装備を纏っている影響かその戦闘力が失われた訳
ではない事を理解しているからだろう。一人は確実に抑えこまれる。
一人しか、というべきでもあるがそれはまだ一人ずつ仕留められる
という展開を否定しきれるものではない。
彼等が警戒心をまるで緩めていないのはそのためだろう。
ミューヒとしては内心舌打ちしたいほどに慎重だった。
先に部下達を狙われ、受けに回ったら勝ち目がない。
またいま飛び掛かって先手を取っても一撃で仕留められなければ
同じことである。そして、その自信は無かった。打つ手がない。
フルフェイスの内で、冷たい嫌な汗が頬を伝う。
『そいつはすまなかったな……で、どうするよ?
これは結構、チェックメイト、って奴だと思うんだが』
『そうね──────とりあえず役目は終わったとみていいのかしら?』
尤もそれはその瞬間までの話だったが。
『なんの話…っ!?!』
『ああ、期待以上だ……これは追加報酬をはずませるべきかな』
それは、怖気が走る唐突さだった。視界の凌辱だった。空間の汚染だった。
彼等と彼女等の間を、コンマ一秒前にはいなかった“漆黒”が支配する。
白き仮面に睨まれた『蛇』の兵達はその名前とは裏腹に蛙となってしまう。
二度目であるためか驚愕が薄かったシックスだけが舌打ちを返す。
『ちっ、神出鬼没過ぎるだろう!
空間異常も転移反応も皆無だったってのにどう、てめえっ!?!』
されどその時にはもう仮面の─おそらく─右手が振り下ろされていた。
もうそれだけで、終わっていた。山を越える巨人の腕かという漆黒の
暴力が闇夜さえ染め上げて全てを覆い尽くす。その場の全員が幻視
した黒き奔流のような攻撃はただただ破壊力が尋常ではない。
その一撃を受けた大地は認識阻害のフィールドバリアの内側
ギリギリまで罅割れていく。直撃を受けた場所は容易に底が
見えない地割れさえ生まれている。
余波を受けた地上の兵は100m以上を吹き飛ばされていた。
そして荒れ狂った衝撃波は意志を持つかのように空中の兵達に
絡み付くように襲いかかって大地に叩きつけた。たった一撃で。
異常な能力を持つ新装備もあり得ない程の数の差も仮面の前では
何の意味もないものだと誰も彼にも理解させる腕の一振りだった。
「っ」
息を呑んだのは誰か。その音がいやに響くほど場は静まっていた。
気味が悪いほどに何の影響を受けなかった仮面の背後の彼女達は
あまりの威力に固まっていたがそれでもまだ彼女らの方が音を出していた。
それ以外の、吹き飛ばされ、叩き落されただけに等しい兵達は
ダメージを受けており、中には戦闘不能になっている者もいた。
されど命は在り、意識はあり、装備が完全に破壊されたわけでもない。
しかし彼らは呻くことも苦悶することもなく、息を潜めるように
黒を纏う白き仮面を震えることすらできずに見詰めていた。
目を離すほうが恐ろしいと全員が態度で語っていた。
「っ、ぐぅ……容赦、ねえな……おい、くっ」
その異常な静寂を破ったのは仮面が造り出した地割れを横目に
ふらつきながらも立ち上がった半裸に近い姿のシックスだった。
あの使徒鎧装は見る影も無くなり、残骸が僅かに体に纏わりつく程度。
仮面の一振りはただそれだけで未知で驚異的な新兵器をただの襤褸にした。
『それで防いだお前がよくいう』
しかし仮面の視線は若干彼よりその前に向けられた。
そこではシックスと似たような状態の四人の男女が転がっている。
死んではいないが意識はなく、露になった肉体には数多くの出血を伴う
裂傷が数多く存在していた。その差の意味はすぐに察せられた。
「っ、あいつまさか部下を盾にしたのか!?」
「そのうえ全出力を防御に回してこれだ。ああ、もうひでえもんだ」
誰かの非難する言葉もなんのその。むしろ便乗して続きを説明する始末。
装備は半ば以上消滅しているが中身は見る限りは傷は無い。
それが倒れている四名の犠牲のおかげであるのは明らかであろう。
だがよく見ればふらついた様子で、立ち上がったばかりなれど即座に
その場で腰を下ろした姿はどこか疲れ果てているようにも見える。
「しっかしマスカレイドさんよ。いきなりやってくれるな、ええ?」
それでもにやけ面を浮かべる彼からは窮地に陥ったという感情が見えない。
この態度に『無銘』の面々は戸惑い、警戒心と共に武装を構える。
まだ何か隠し玉があるというのか、と。だがそれに気付いていても
シックスは彼女らに目もくれずに周囲を見回す。その視界に映るのは
無残で驚異的な破壊の爪痕とそれによって心折られた兵士たち。
「たった一撃、いやただの腕振りでここまでやれるのか。
わかってはいたが、見せつけられるとさすがに俺もしんどい」
これは勝てない、勝てない。と軽口をもらしながら首を振る。
本気の発言だとは仮面も彼女達も一欠けらも思えない口調だった。
「けどよ、お得意のおちょくりや嫌がらせはどうした?
問答無用の初撃で終わらそうなんて………随分と余裕がないじゃねえか」
そして案の定か。彼はその焦ったような行動を鼻で笑うように指摘する。
『…………』
『マスカレイド?』
仮面はそれに対してただ沈黙する。訝しむミューヒの声にも無反応だ。
それを予想通りと受け取ってかシックスは呵呵大笑とばかりに手を叩いて笑う。
「クハハハッ、そうだろ、そりゃそうなるだろう!
貴様にとって毒に等しい歌を間近で何曲も聞き続けたんだ!
もう限界なんじゃねえか、立ってるのも辛いんじゃねえか?」
『黙れっ、例えそうでも使徒鎧装とやらが無ければ私達だけでも!』
「ああ確かに。無勢でも脅威なのはさっきまでで証明済みで、
見る限りこっちの戦力はガタガタだ。例えそうでも勝ち目がない。
だがな………それをどうにかするのが指揮官の役目なんだぜ?」
疲れ果て、地にへたり込んでいるような男が恍惚めいた、そして
嗜虐的な笑みを浮かべて見せつける。勝つのは自分なのだと。
『─────ッッ!?』
瞬間その場を席巻したのは殺意でも悪意でも善意でも攻撃でも無かった。
それは、すべて、歌。『蛇』が用意した決戦場。その全域で響く歌声。
倒れ伏した兵達の端末から。何かが埋め込まれていたのか地中からも
歌声が響く。ここで意図して流される歌などたった一つしかない。
全てが、モニカ・シャンタールの歌だった。
それも同じ曲を同時にではない。歌声のない間奏部分を
消そうというのか複数の曲を流してあの美しい歌唱を積極的に
台無しにしながら『蛇』は歌を“攻撃”に使っていた。
『ぅ、ぐっ』
『マスカレイド!?』
ぐらりと揺れた体を咄嗟に支えた彼女はフルフェイスメットの奥から
シックスを睨み付ける。しかし意に介されないばかりか彼女の注意は
即座に別の所へ向けなくてはいけなかった。
「隊長!」
『分かっている! まだあれほど!』
見上げれば明らかに“バリア外”から突入してきた『蛇』の兵士達が夜空を
埋め尽くさんばかりに集結し始めていた。その総数は目視で二千は下らず、
小型の空戦支援機や爆撃機らしきものも数十機ほど空で鎮座している。
彼等からも不愉快な不協和音の歌が鳴り響き、仮面の呻きと苦悶が重なる。
『あ、がぁあっ!!』
『しっかりしろ! 私の声が聞こえるか!?』
「いくらお前らでもそんな状態の奴を庇いながらこの数での押し潰しに
どこまで抵抗できるか………おい、てめえらもいつまで呆けてやがる!
怖い怖いマスカレイドも、もう役立たずの足手纏い。叩きのめすぞ!!」
状況の変化についていけず固まっていた初撃で落とされた者達も
恐怖の対象が苦しむ姿に興奮と愉悦の雄叫びをあげて立ち上がる。
空でも地でも、一斉に向けられる銃口と砲口。高まる無数のフォトンと
それを集中させた遠距離攻撃スキル。そして数えきれない照準固定。
このまま大袈裟な程の多勢からの一斉発射による圧殺が狙いだろう。
都市をまるごと破壊せんとするような火力がたかが数名の集団に
向けられようとしていることに彼女達も戦慄する。
「隊長! マスカレイドを連れて離脱を!」
「活路は私達が死んでも切り開きます! 行ってください!」
『馬鹿をいうな!
命を賭けた程度で開ける活路などあるか、よく見なさい!』
怒鳴りながらも彼女が促したのはさらなる脅威への注意。
見れば地表から数多の砲塔が顔を出し、外からの増援は未だ絶えていない。
上空だけでなく地上でも二十台以上の軍用ガードロボが集まってきている。
それに搭乗している者達。外骨格の地上走行で追従する歩兵達。
軽く見積もっても一個大隊と呼べる数が地上の包囲網を形成する。
誰かが、あるいは全員が息を呑む。彼女達は二百や三百ほどの兵による
“壁”ならば単独でも突破できる自信がある。しかし総数を考えるのも
億劫になりそうな分厚い囲みを戦えない者を一人抱えて突破しようと
すればどこか一点に火力を集中させてもどこまで削れるものか。
そしてその隙を他方面の兵達が見逃す訳もない。
『……ひとつ聞くけど、この距離だとあなたも巻き込まれると思うけど?』
腕の中の仮面を放すまいと抱え直しながらも平然とした口調を装って問う。
彼と彼女達の距離は10mと少し。一足で飛び掛かれる距離。こちらが
あれだけの攻撃を受ければ巻き添えとなるのはまず間違いがない。
尤もそれを相手が分かってないこともないだろう。単なる時間稼ぎに
等しい問いかけで、それを分かっているだろうに状況の余裕ゆえか。
シックスは慌てることもなくも気軽に応じた。尤もその中身は
答えているといえるかは微妙なものだったが。
「敵の心配をしてくれるとは存外に優しいじゃないかクリムゾン。
だが俺は仮にも不死身と呼ばれる男……なに、どうとでもなる」
はったりか虚勢か。
薄ら笑いを浮かべる彼には恐怖心の欠片も見当たらない。
この男はこれでも命を張って仮面を殺しに来ていたとでもいうのか。
何にせよ自身の安全を考慮していないのは事実だと判断して歯噛みする。
これでは例えシックスを盾や人質にしても無意味だ。
「とはいえこれ以上時間を与えれば何をされるか。
だから、短い付き合いだったがこれでお別れだマスカレイド。
結局大赤字の大損害だがお前を殺せるのだからお釣りの方がでかい」
じゃあ、あばよ。
最後にそう付け足して彼は、撃て、と端的な号令を発した。
それを待っていたとばかりに全ての兵が各々の形でトリガーを引いた。
歌を阻害しないためか全てに消音を施された一斉射撃は光だけを放ち、
決戦場を埋め尽くさんばかりに広がった。そう、広がっていったのだ。
「っ……え、え?」
だからそんな声が漏れる。
それはありったけの盾や防御スキルを準備した彼女らの戸惑い。
だって、もう、その視界の中で─────『蛇』は全滅していた。