04-106 ライブ防衛戦線5
───撃たれた
彼女がその事実をきちんと認識したのは幸か不幸か歌い終わった後。
隣の偽歌姫と共に観客に深くお辞儀をしている最中の事だった。
演出の光に混じる見慣れぬ閃光の群、と本当にそれが空気を裂いて迫る音。
おかしいと思う暇もなく自分を振り回すように踊る彼がそれら全て天へと
弾いて散らした光景は確かに幻想的ではあったが、一曲を歌いきった後の
安堵が意味を考える余裕を与えてしまった。あれは銃撃だったのだと。
細かい所は分からずともそれだけは分かった。
そう、いま自分はまた撃たれるところだったのだ。
「っ、っ!?」
下げたままの顔が上げられない。見せられる顔になってない懸念があった。
気付いた途端に震えだす膝を押さえて必死に隠すが時間の問題だった。
それでも顔が上げられない。上がらない。あの光が、十数発の弾丸が
一気に迫ってきた光景が、その恐ろしさが分かった上で蘇る。
喉が閉まったように動かない。また声が出なくなったかもしれない。
ちゃんと守ってくれたのに。傷一つ付いたわけでもないのに。
頭でそれが解っても、一発でも当たれば確実に死んでいたであろう
凶器が迫ってくるのが見えてしまった恐怖は消えてはくれない。
情けない。仕事を放りだすのか。それでもプロか。昨日の言葉は嘘か。
そう自らを叱咤するが想いが先走るだけで体がついてきてくれない。
顔があがらない。これ以上はさすがに誤魔化しがきかない。
観客達が不審に思う前になんとかしなければ、なんとか。
「────っ、え」
焦りが焦りを呼んで余計に動かなくなる体が、急に動いた。
否、隣の人物によって引き上げられたというべきであろうか。
否、それもまた正確ではない。彼女自身がよく理解できないまま
気付けば偽歌姫の腕の中、胸の中に収まっていた。
「ふ、え──────っっ!?」
それを、その感触を認識した途端モニカは動揺と共に顔を赤く染めた。
演出や振付、曲の雰囲気などで男性ダンサーと密着した経験は無論ある。
だが“予想外”というものは容易に彼女の素の面を引っ張り出す。
シンイチの外見はモニカと全く同じ姿ではあったがしっかり抱擁されると
はっきり違うのだと分かる。分かってしまう。それは間違いないく
彼自身の感触なのだろう。けれどそれはモニカがどこかで想定していた
“年下の男の子”の体ではなかった。力強い腕と硬くがっしりとした胸板。
細見に見えてその実はかなり鍛えられたものと分かるそれ。
子供と思っていたのにしっかりと“男”になっている肉体だった。
その不意打ちのギャップを全身で味わった彼女は自分でも訳が
分からないまま真っ赤になって固まってしまったのである。
「…ちょっと一曲、付き合ってくれ」
続いて耳元で彼の声で囁かれた言葉は励ましでも叱責でもからかいでもなく、
柔らかな口調での“お誘い”だった。不思議そうな顔を彼に向けたモニカは
そこに「任せろ」といわんばかりに得意げな顔をした悪ガキを見る。
思わず頬が緩んでしまったのは仕方がないことだろう。
「やっぱり本物はすごいわ!
ついふざけて勝負を仕掛けてしまったけれど、
私のような猿真似ではついていくのが精一杯ね!」
それを受けてか。抱きしめたままの格好で彼の方がモニカの声で語る。
どこか感激したような声での敗北宣言は現在の抱擁の意味を、感極まって、
という意味にしていた。
「みんなもそう思うでしょーー!!」
そして観客に同意を求めれば歓声とモニカコールが続く。
誰もがいまステージ上で本当は何があったかを知らない。
だからこそ謎の二人目との歌とダンスのバトルを演出として楽しんだ。
その声が、ひとりひとりの顔にある表情がそれを物語っている。
モニカはそれに少し固まっていた体に自由が戻ってきたような、
活力が戻ったような気分になって適度に力が抜けていく。
「……みんなも私の勝手な乱入と勝負を見届けてくれてありがとう!
そのお礼にはならないかもしれないけどサプライズの歌があるの!
まだ曲もついてない、タイトルもない、発表するかも決まってない、
それでも今ここでみんなに聞いてほしいの、彼女の新しい歌を!」
「え?」
尤もその感慨も彼のその発言で吹っ飛んでしまう。何せ
そんな歌に覚えなどない。確かに製作途中の歌なら数曲あるが、
とてもではないがアカペラで歌える状態ですらないものばかり。
だが観客からは喜びの興奮を伝える歓声があがっており、もはや無しに
出来る状況ではなかった。それどころか考える隙間は与えないとばかりに
何時の間にか指を絡め合うように繋げられた手を天に掲げさせられた。
「っ!?」
モニカはもう驚く声がマイクに乗らないようにするのが精一杯。
手を上げさせられた直後に自分達を光のエフェクトが包み込む。
自分達の姿を観客から隠した彼は再び自分の声でモニカに囁く。
「口パクでいいから合わせろよ」
だが返事を待たずに彼は空いている方の手から指を鳴らした。
その音はあえてマイクに乗せたのだろう。会場に響くと同時に
光の幕は消え去り、二人の歌姫はさらなる衣装チェンジを遂げていた。
モニカのそれは民族衣装風のボディスにロングスカートのドレス。
シンイチのそれは飾り気のないシンプルな肩章がついた黒の騎士服。
まるで突然ライブから演劇舞台に様変わりしたかのような姿はさながら
その時代の村娘と一介の騎士を彷彿とさせる。そして彼は握ったままの
手を持ち直しながら跪く。同時に撫でるように自らの髪の毛に触れると
一瞬で黒に染め、髪型もポニーテールへと変化させる。
そしてさも当然のように手の甲に優しく唇を落とした。
「っ、っ…」
予想だにしなかった行為にモニカは内心動揺するがプロ意識を総動員して
表情だけは落ち着いた微笑みを見せる。が見下ろす先の自分の顔は
見抜いているとばかりに一瞬ほくそ笑んでいた。苛立ちが芽生えるがそれも
当然顔に出す事はしなかったモニカである。おそらくはそれすらも
見抜かれているだろうことは意図的に無視した。
「─────────」
そこから彼はゆっくりと立ち上がると手を放さないまま静かに歌いだす。
モニカの手を引いてゆっくりと誘導してランウェイを戻るように進ませる。
響く歌は穏やかなれどどこか力強くもある歌声で、ただ聞いている分には
確かに自分の声ではあるし歌い方もよく似せている。
が、歌姫当人としては他人の声であり他人の歌であった。
「─────」
「……………」
だからこそ耳を惹き付けるものがある。
リードするように手を取って先を進む彼だが顔は常にこちらを向いていた。
それはおそらく共に歌っている体をモニカがやりやすいようにするため。
彼女のはそれこそ“口パク”ではあるが会場に響く声はなぜかデュエット
しているかのような音になっているのは彼の仕業であろう。しかし
真剣な眼で、本気の想いで歌うそれに虚飾はどこにもない。
曲はなく、声は嘘で、歌い方は真似で、でもそれでも、
その歌はとても暖かなものだった。
人間賛歌、とでもいえばいいのか。
なんでもない“普通”といえる日々を生きる人々を称賛する歌。
名前も知らない誰か達がそんな日常を送れることを喜ぶ歌。
そこに“いる”ことを無条件に許し、素晴らしいと謳う歌。
立ち向かうこと、抗うこと、耐えることだけが正解じゃないと励ます歌。
不確かでも不完全でも“今”を認めてくれる、穏やかな歌。
特別じゃないことが特別なのだと教えてくれる優しい歌。
込められた想いが胸に染み込んでくる。歌声ではなくその歌詞から。
モニカはあたかも自分も歌っているように装いながら観客を眺める。
どうやらそう思ったのは自分だけではないらしいと見て取れた。
今まで見てきたモニカ・シャンタールの歌に陶酔している姿とは違う。
誰もが持つ、言ってほしかった言葉をくれる歌に誰もが感極まっていた。
我知らず涙を流しているような人が軽く見回すだけで幾人も見つかる。
かくいう彼女自身も油断すれば涙腺が緩みそうになっていた。
それだけその歌詞は絶大な力を、胸に迫る真摯な想いが込められていた。
「…っ………」
そして気付けば歌は終わっていた。感嘆の息を漏らしたのは彼女か彼か。
ステージ中央にまで戻っていた両名は静かに礼をしたが、返ったのは
歓声ではなく静かな、されど何かに感謝するような拍手であった。
またやってくれたわね、とモニカは内心穏やかではなかったものの
会場を自分とは違う形で虜にした隣を覗いて────瞬間怒りが沸いた。
自分ともあろう者が歌詞に込められた想いを読み間違えていた、と。
だって静かな顔だった。表情そのものは歌いきった、やりきった感を
醸し出していたが演技とわかるモニカにすればあまりに穏やか過ぎる。
それは慣れでも無感情でも無関心でもなく、ただ羨む顔だったのだ。
観客全てを魅了しておいてその成果を誇るではなく、聞いてくれた
感謝でもなく、感極まっている人々をその瞳は羨望していた。
ええ、そうでしょうとも。
今の歌は聞き手と歌い手で意味が違う。
これは“普通の日常”というものを外から眺めている者の歌だ。
求めながら、焦がれながら、そこへは入り込めない者がそれでもそれは
価値あるものなのだと謳い、肯定し、見守ろうとする誓いの歌。
だから彼自身は真剣に本気で歌っていても自らにこの歌で震える部分がない。
───冗談じゃない
「こら」
「痛っ!?」
気に入らないとばかりにその脇腹を拳で小突いた。
たいして力を込めてはいなかったが不意打ちになったのか。
自分の声ではあったがどこか彼の素っぽい反応での驚きと
痛がる様子が見れて少しばかりモニカは溜飲を下げた。
「何がお礼よ、勝手に未発表曲を歌うなんて!
勝負は楽しかったから一応付き合ってあげたけど、ほら見なさい!
会場がしんみりしちゃってるじゃない!」
「…あ」
それを隠し、彼の設定に乗っかって文句をつけながら観客席を指し示す。
釣られるように視線を向けた偽歌姫も静まり返った様子を認めて固まる。
まだ一、二日程度の付き合いだというのにこの方がらしいと思うのだから
奇妙なものだと彼女は笑って解決策を口にした。
「これじゃあまた盛り上がる曲にいかないとダメかしら?」
そんな思わせぶりな言葉を観客席に投げかければ期待するざわめきが返る。
これに気分を良くしたようにさらに微笑むと偽歌姫と向かい合って
真っ直ぐ見つめ合うと続けた。
「今度は私の歌に付き合ってもらうわ。
そうね………『恋したいアラモード』でいこうかしら?」
「っ」
タイトルを告げた瞬間、自分の顔がひきつったのをモニカは見逃さなかった。
どうやら昨日までモニカ・シャンタールを微塵も知らなかった彼も
護衛するにあたってどんな持ち歌があるかぐらいは調べたらしい。
あるいはどの歌でも自分に悪影響を与えるのかを試したのか。
何にしろその顔はその歌がどんな歌か知ってるからこその反応だろう。
だってそれはモニカの歌の中で最も甘ったるい曲調と歌詞で歌い手である
彼女自身ですら歌う前に気合いを入れないと羞恥心が勝ってしまいそうに
なる代物なのだ。それを男性が歌うとなれば余計に“キツイ”だろう。
ただファンからするとモニカの数少ない「恋」に言及した歌であることと、
無意識に避けているせいかライブではあまり聞けない希少性があり、
盛り上がりやすい歌でもあることから観客は喜びの反応を示していた。
つまりはもう歌うことは避けられない。
「ふふ」
「………」
向かい合った自分の顔は無言ながら、やりやがったな、と告げていた。
どういたしまして、とばかりにモニカはウインク一つを返事とする。
そしてそれが合図だったかのように二人を照らすライトが消えた。
ステージ上が一時暗がりに消えると互いに黙って背を向け合う。
モニカのそれは歌いだす前のいつものポーズを取っただけだが、
彼はそれに合わせたらしい。背中越しのそんな気配にモニカは
クスリと笑うと、されど強気に背後に声を投げかけた。
「私のライブに参加しておいて、つまんない顔で帰さないから覚悟なさい」
「…上等だ。もう一曲楽しませてもらおうか」
もちろん、と声に出さないまま頷いたモニカと彼に再度ライトが当たる。
二人の衣装はまたも変わっていた。偽歌姫のそれは殆ど色合いが黒から
白系統に変わっただけだが歌姫はフリル多めのピンクドレス風衣装。
動き易さを重視した意匠ではあるが、いかにも、な姿の二人が並び立つと
まさに姫と王子のような雰囲気を醸し出していた。
そして始まった楽しげでキュートでポップな曲が流れて王子と姫は
どこかコミカルなダンスを披露しながら糖分たっぷりの歌詞を紡ぐ。
それに観客達はピンク系統の光を放つペンライトを掲げてノリに乗った。
彼等を無事に楽しませられているようだ。ただそれも二人の同じ顔をした
美女がやっているから絵になっているのである。片方が本当は平凡な容姿の
少年だと知る歌姫は演技か本音か楽しげに笑う。果たしてモニカの顔の
下であの少年はどんな顔で砂糖を直接吐くような歌詞を紡いでいるのやら。
「そういえば、あなた本当はどこの誰なの?」
曲中の長い間奏に入るとお決まりの短いMCを入れて隣に声をかけた。
半分は演出上の設定をきちんと明示しておこうという思惑からだったが
残り半分はトークのアドリブも利くのかしら、という挑戦的な感情から。
だが互いに肩を寄せ合うポーズでの問いに彼等は最初から決まっていたと
思わせるやり取りを披露していく。
「素敵な歌に誘われてやってきたイタズラ好きな…」
「あら妖精さん?」
「いえ、邪神です」
「メルヘンな話が一気に不穏に!?」
「何もしませんよ、楽しませてもらえるならね」
「ふふっ、OK、神様だって蕩かせてあげちゃう!」
再び沸き上がる歓声と共に奏でられるは変わらず糖分過多な歌。
砂糖たっぷりのお菓子がさらなる甘い恋を求めて自らを着飾らしていく。
媚びた仕草や振り付けはともすれば顰蹙を買いそうだが他の曲や
メディアでは滅多に見れない歌姫の愛らしい姿は好評なのだ。
そしてそれを王子風の衣装を纏うもう一人の歌姫がより際立たせる。
これまでと違い、ソロでは歌わず舞台上の動きやダンスもモニカを
メインとしていた。気を利かし過ぎだと内心苦笑した彼女は不自然に
見えない動きで近寄るとその動きに合わせたシンイチの肩に寄りかかる。
可愛らしいポーズを決めながらモニカは首を少し伸ばして頬に唇を寄せた。
「チュッ」
「っ」
ちょうど歌詞上でもキス音が入る所での狙ったような口付け。
驚いた彼に、仕返し、と声なき口で紡いで茶目っ気たっぷりに微笑む。
自分の顔はそれに一瞬呆然とするが誤魔化すように手を引いたモニカが
連れ回すように踊らせる。対応した彼だがその表情には微笑みが浮かぶ。
どうやらお礼の意味があるのもバレたようだと彼女は内心苦笑したが同時に
「この私にキスされたのに平然とし過ぎじゃない!?」とご立腹でもあったが。
尤も内心のそれを微塵も出すことなく彼らのパフォーマンスは一切乱れずに
観客達を魅了する。ただ、その隙間。
「お前の唇は高過ぎる。仕事と釣り合わなくなっちまったぞ?」
どうしてくれると耳元で彼自身の声で囁かれた彼女は得意顔で頬を緩めて一言。
「なら、もうちょっと付き合ってしてよね」
いいでしょ、とばかりに小首を傾げたモニカに彼は頷きで答えた。
もう少し、このいつもと違ったステージを堪能してみたい欲が
生まれていた事に自身で驚いたが、彼の返答に楽しげな笑みを見せる。
そしてライブは二人の歌姫と共に終盤に突入していくのだった。
─────────────────────────
『あの男っ、まーた誰かとイチャついてる気がする!!』
会場から離れた空の上で彼女─ミューヒは妙な予感から突如苛立った。
それをぶつけるように視線の先で飛ぶ敵兵の背に槍を轟音と共に投擲。
メジャーの剛速球など目じゃない時速200kmを越えるそれだが外骨格からの
警告で気付いた標的とその仲間達は散開して避けるが即座に槍が自爆。
爆風で揺らいだ所へ後方から光の弾丸が雨のように襲い掛かるが
相手が上手なのかこちらの狙いが甘いのか当たりはしても墜落者は出ない。
─隊長、さっきまでは機嫌よかったのに
─急に不機嫌になったよね。男がどうとかってことは、つまり?
─ああ、今はモニカにぴったり、だもんねぇ
─自覚のない嫉妬! と思えば可愛いんだけど…
自分達に飛び火さえしなければ、そんな注釈を全員が心で思っていた。
尤もそんな心情とは別に逃げる敵兵への無節操な射撃を繰り返している。
部下達だけのテキストオンリーの会話はそうして誰にも知られる事なく流れた。
現在、ミューヒは部下のおよそ半数を引き連れての追撃戦の真っ最中。
尤も正確な意味合いにおいては、追撃戦のフリ、とでもいうべきだが。
今からほんの数分前、ひっきりなしに攻めてきていた『蛇』の兵士たちが
突然撤退を始めた。何か状況が変化したわけでも、そういう指示が
下った様子もなく、まるでこれ以上は戦えないと敗走するかのように。
あり得なかった。あまりにも見え透いた行動だった。
そうでなければこちらをあまりに馬鹿にしている。
何せこれは露骨なまでに敵指揮官シックスからの“誘い”である。
そしてそれは彼もまた同意見であったのだろう。
──『十中八九、罠、だろうなぁ』
──『そうだよねぇ──────で?』
突然の彼からの思念通信。
驚くこともせずに受け答えた彼女だがそのこころは、とばかりに
続きを促せばシンイチからは端的な指示が返った。
『何人か連れて、飛び込め』
罠と見え見えの罠に。
非情とも取れるそれに、だが彼女は外骨格の内側で笑みを湛える。
『へぇ、きっと仕掛け満載、兵士万全、兵器大量、準備万端、な
ところに私と数名で突っ込んでこい、というわけなの依頼人?』
『それでどうにかなるほど柔な女じゃねえだろ、お前もその部下達も』
『当然! って言わせるように言ってるでしょ?』
『当然』
それはなんとも日常的な空気を纏った雑談で、本来ならば死地に飛び込めと
言った側と言われた側の会話ではない。しかし二人はそこでおかしいと笑う。
どちらもこういった言葉遊びが嫌いではなかったのだ。
『──レディ2、自分以外で消耗度が比較的低い者を四名選べ』
『追うのですね、すぐに選定し飛ばします!』
彼女達もその撤退とあからさまな誘いには気付いていた。
上司からの指示の意味を察して、即座に動く辺りは教育が行き届いている。
またそれは同時に依頼人からの要望を受けたという意味もあった。
『助かる』
『どーいたしまして、かな』
短い礼は、されどその危険性を自覚するゆえ声が重たい。
一方で彼女の返答は気にするなとばかりに笑みが入った軽いもの。
それを気遣いと受け取った彼はだからこう返した。
『一日だ』
『ん?』
『俺が許容できる内容なら、一日なんでも付き合ってやる』
それが今の指示の追加報酬だと言外に告げたシンイチにミューヒは目を
瞬かせたものの言葉が頭に染み込むと思わず笑みがこぼれる。
だってあまりに“らしい”。
『………ぷ、ふふ、君はホントーにそういうことは妙な言い回しするよね』
だから、無理をするな。だから、無事でいろ。だから、無茶はするな。
危険な指示への申し訳なさとそれらを願う言葉は胸中に暖かな熱を灯す。
『ほっとけ……不満か?』
『まっさか!』
元よりその報酬を“楽しそう”と感じている自分がいるのだから。
彼女の士気は無自覚の領域でも高揚しきっていた。
突発的な女の勘が働くまでは、だったが。
とはいえそれさえもそこに到着するまでの話。
『蛇』の撤退と『無銘』の追撃はどちらも本気ではないという茶番だ。
あちらは見え見えの手で彼女らを釣ろうとし、こちらはそれにあえて
釣られて追撃を選んだのだから。だからこそその“場所”はある意味で
想定内というべきか当然ともいうべき光景であった。
『露骨もここまでくれば清々しいものね』
それを前にしてまで感情の苛立ちを処理できない彼女ではない。
追従している部下達も同感とばかりの空気でただ頷きを返す。
装甲の内の表情には多少の苦笑いも浮かんでいるが。
ソコは位置的にはイルムケップ山を望める自然が多い開けた場所である。
周囲には星明り、月明かり程度しか光源はないが外骨格の標準装備で
ある暗視システムがある以上暗闇は恐れるものでも隠れられる所でもない。
周囲には民家も施設も皆無で調べてみればどうやら私有地であるらしい。
そのおよそ中心地に平屋のログハウスがぽつんと建てられている。
殺風景といえば殺風景であり、風情があると思えば風情があるのだろう。
あくまで肉眼で見る限りは、だが。
「隊長」
『顔に似合わず丁寧な出迎えね』
部下の声に応じるまでもなくそれは見えていた。
ログハウスの前で堂々と傷のある強面の男が生身で立っているのだから。
逆の意味での歓迎の良さに彼女達は苦笑いしているのだが上司は鼻で笑う。
そしてはハンドサインだけで部下に戦闘空中哨戒を命じると一人で降下する。
強面の男─シックスはそれをにやにやした顔で見ているがその目が
笑ってなどいないことは上空からでも見て取れた。
『お招きに預かり光栄です、とでもいえば満足かしら不死身の牙さん?』
地面に静かに降り立った彼女は目の前─10m先─のシックスに声をかける。
男はそれに肩を竦めた。
「はっ、よしてくれ。
むしろ招待に応じてくれてありがとうとこちらがいうべきだろう」
『そうね、それで用件は何かしら?
降伏するっていうなら人権無視な捕虜にしてあげてもいいわよ?』
あらかじめ手にしていたランスを地面に突き立てながら居丈高にいう。
笑みを含んだそれに、だが彼は反応することもなく「まさか」と返す。
「単なる敵戦力の分散と誘い出しによる各個撃破ってやつだよ」
『その各個すら撃破できなかったくせに?』
「これは痛いところをつかれたな、くくっ」
参ったとばかりに苦笑してみせるシックスだが微塵もそう思って
無いのは言葉だけでも顔だけでも理解できるほどの余裕に満ちている。
呆れるように─警戒しながら─周囲に視線を巡らす素振りで首を動かす。
『ずいぶんと集めたものね。高く評価されてると思えば誇らしいけれど、
まあ十中八九マスカレイド対策なんでしょう。足りない気もするけど』
そしてあたかも他に誰かがいるとばかりにそう告げた。
シックスはそれに否定も動揺も見せはしなかった。
「ははっ、さすがは『無銘』の最新鋭か。
この程度のシステムじゃかくれんぼもできないときたか」
彼、彼女の目に映る人影は互いだけだ。あくまで目に映るのは、だが。
シックスの言う通り彼女らの外骨格のセンサーはこのおよそ半径500m
圏内の私有地全体から妙なノイズを報告していた。それは光学迷彩や各種の
遮断システムが多数稼働している時によくみられるもの。尤も彼女がほぼ
正確に、その圏内を埋め尽くさんとするばかりの敵兵士がひしめいている
事を察したのは不自然な空気の流れを感じ取ったからである。
しかしその勘違いを正す必要はない。
『ご丁寧に遮音、遮光、および偽装のフィールドバリアも張って準備万端。
なるほど、やはりここで決戦のつもりで………本当に何を考えているの?』
「なにがだ?」
『マスカレイドの恐ろしさと強さを、あなたは仮にも目の当たりにした。
けどその日の内から敵対する動きを選んだ……正直、好戦的ではあるが
それを抑える冷静さも併せ持つといわれるあなたらしくないと思ってね』
その疑問はミューヒの本音の疑問でもあった。
これまでの男の評判と実績と仕掛けてきた事実が彼女の中で噛み合わない。
確かに予想外に『歌』という弱点を知れたのは好機と取れなくもないが
その後弱ったマスカレイドにすら圧倒されたのを忘れたとでもいうのか。
「あの御仁を相手にするのに真っ当な判断が役に立つとでも?」
『……話す気はないと』
違いない、とは思いながらも言葉でははぐらかしたと暗に責める。
とはいえ正直に話してもらえるとは最初から微塵も思っていない。
おそらくはそれでも勝てると思える─甘い─目算がついたのか。
モニカ・シャンタールのみを確実に暗殺する手を用意できたのか。
そんなところだろうと当たりをつけて、長槍と短槍を両手に構えた。
「丸腰相手に怖いねぇ……始める前にこっちからもちょっといいか?」
『なにかしら?』
「報酬は五倍は払う。今回に限り共闘しねえか、お前らにとっても奴は──」
『──宣戦布告は受け取った、死ね』
問答無用。聞く必要のない戯言に殺意の二槍を投擲する。
これまで『無銘』は依頼人を自ら裏切ったことはない。依頼放棄もだ。
あるならばそれは依頼人の方が先に裏切ったか依頼そのものが罠だったか。
ガレスト裏社会では有名な話であり、無銘はその他にも自分達のルールを
決して曲げない組織としてある種の信用を勝ち得ている。
それを知らぬわけでもない相手からのその誘いはもはや侮辱だ。
それを狙ったのか。駄目でもともとであったのか。
男の強面に動揺はなく、やっぱりか、とでもいいたげな呆れ顔だ。
そしてその顔が揺らいだ空間に隠され、甲高い金属音が二つ鳴る。
最初からいたのだろう。見るからに頑丈で分厚い盾を構えた外骨格を纏う
兵士達が陣を組んでシックスを守る壁と化していた。その動きは見た目の
重装甲に反して素早く、男の視界を取るためか即座に左右に別れた。
それは弾いた槍が自爆してもシックスを庇える位置取りでもあったが
本命は彼に“道”を譲るためだろう。
『っ』
視認は一瞬。舌打ちする時間も無かった。
彼女は既に周囲に浮かせていた短槍型ビット兵器で飛来した銀弾を弾く。
左右で爆発と共に悲鳴と苦悶の声が響くが─どうせ敵だ─気にする暇はない。
眼前に突然に近い形で踏み込んでいた人型のシルエットが銀の刃を振り下ろす。
それを長槍による薙ぎ払いで弾き返しながら後ろに跳ぶ。同時にビットスピアの
突撃を食らわすが今度は相手の銃撃で容易く落とされる。その小さな爆炎の
向こうにある姿に彼女はただ息を呑んだ。
──くすんだ銀色を纏う人型がそこにいた
流動しているような鈍い銀光を放つボディスーツ。
その随所に簡易外骨格風の装甲版が装着されている。
右手には片刃片手剣が一振り、左手には大口径のハンドガンが一丁。
どちらも外見は何の変哲もない武器だが放つ銀光の圧力は背筋を凍らす。
外見だけを取るならまるで一昔前のヒーローショーにでも出てきそうな
悪の組織の幹部といった風体─事実その通りなのだが─である。
尤も彼女の鎧も現状方向性は違うが似たり寄ったりな雰囲気であるが
その点を彼女は意図的に無視した。正確には、無視せざるを得ない程に
ソレから感じる気配がおふざけする余裕を奪っていた。
マスカレイドの力の加護か昨日と先程似た物を見たおかげか。
それがただの衣装か否か。ただ銀の配色をしただけの代物か否か。
彼女は判別がついてしまっていた。すなわち。
『なるほど、昨日の試作品が実戦初投入というのは嘘だったわけ』
これが本当の使徒兵器の外骨格版。昨日装着したタンクが丸出しで
重厚な外見のそれとは雲泥のスマートさと完成度が見て取れる本物。
「嘘じゃねえさ、完成品があるとは言わなかっただけさ」
ヘッドギア越しに見えるシックスの顔はどこか得意げだ。
あの銀色の液体エネルギーを全身に流動させつつ纏う強化服。
飛行ユニットは見当たらないがあの不可解な結果を招く武装の技術が
使われている以上、じつは飛べない、などという欠陥は期待できまい。
「だが、これが本当にこいつの……使徒鎧装の初実戦。
どこまで出来るか試させてくれねえか、クリムゾンさんよ!」
シックスが今にも飛び掛かろうという姿勢を取るとヘッドギアだけの
頭部が一瞬で銀の液体金属に覆われ蛇の顎門を模ると、全てが消えた。
『っ、そこ!』
見えなかった。追えなかった。センサーなど毛ほども役に立っていない。
それでも体が、勝手に近い反応で右斜め上に向かって槍を突き上げていた。
途端、甲高い金属音と空間を軋ませるような衝撃波が果てなく広がった。
『ちぃっ!!』
『ぐぅっ!!』
落ちてくる斬撃を彼女は謎の感覚だけを頼りに槍で迎撃していた。
刃と穂先が火花を散らして噛み合って拮抗しているのは半ば奇跡だ。
シックスは対応された不快感か悔しげな声をもらしたが、彼女は彼女で
迎撃はできたが長槍を構えた両手が外骨格越しでも痺れる衝撃に唸る。
されどそれで動きが止まるほどどちらも微塵も甘くなかった。
シックスはハンドガンの引き金をひき、彼女は攻撃スキルを放つ。
奇しくも同じ射線を通った銀色と赤黒い炎の弾丸は二人の中間地点で
衝突して再度の衝撃波を周囲に起こし、彼らはそれに乗るように離れる。
姿を現したものの余波だけで吹き飛ばされていく『蛇』の兵士達を
互いに足場やクッションにして止まった両名はそれぞれ武器を向ける。
男は再度ハンドガンを向け、女は槍型ビット兵器を十機取り出していた。
シックスの一瞬の困惑が伝わる。戦闘中どんなにそれに適正ある者でも
四機までが限界というのにそれが十機である。だがそれは綿密な操作を
するならば、の話である。
『行け!』
ただ真っ直ぐに撃ち出すだけなら操作の必要などない。
赤黒い雷光のようなものを纏った槍が空間を貫くように飛ぶ。
相手は銃撃で幾本か撃ち落としながら翼もなく飛び上がって避けたが
元々いた地点は他の兵達もろとも局地的に爆撃でも受けたかのような有様だ。
『はああぁっ!!』
『調子に乗るな!』
それを見ることもなくランスを構えて突撃するミューヒに気炎をあげた
シックスは穂先が自らに届こうというタイミングでまたも姿を消す。
空中で勢いが空ぶった彼女は咄嗟に急停止をかけようとしたがそれよりも
先に背筋に走った悪寒に従ってそのまま突き進んだ。瞬間、通常ならば
動きを止めていた地点を切り裂く銀刃が通り過ぎる。舌打ちと共に
彼女の背に弾丸が届けられるが黒い紋様が弾くように防いだ。
タイミング的に避けられなかったがコレ相手でも防御は任せていいという
確証を得られたのは存外な幸運だった。同時に片手剣の方は怪しいとも
感じられて、振り返りざまにランスを投げつけるも銀刃に真っ二つ。
先程は押し負けはしなかった事を考えると体から放した武装では
仮面の加護も弱まって耐えられないらしい。
『……何気に私と相性悪いわね、こいつ』
“槍”とは概ね貫くものであり、あるいは薙ぎ払うものである。
貫く点の攻撃は尋常ではない速度を持つ相手には当てにくい。
大振りになる払いも似たようなものである。元より彼女は部隊を
率いて自分達より数の多い相手を突撃で食い破るのが主な役目である。
技巧ではなく外骨格の速度と出力が齎す破壊力で敵軍を貫いてきた彼女に
とって視認も出来ない速さの個人戦力というのは難敵といえるだろう。
それでも、マスカレイドよりマシ、と思ってしまうのは色々と基準がおかしい。
思わず笑みがこぼれて────相手が消えた。槍では駄目だ。
兵装端末内蔵の武装から“次”をセレクトしたのと謎の感覚が告げる、
真正面からだ、という予感に従って視認しないまま叩き付けた。
『ちっ、得意の槍はどうしたっ!』
『それだけと思われてたなんて心外、ねっ!』
振り下ろしの斬撃を叩き止めた右をそのままに、声と共に左を
高速回転させながら、がら空きとなった脇腹目掛けて振り抜いた。
『ぐっ!』
流体の銀で形作られたスーツに黒の波紋が刻まれ、衝撃で空中に轍を作る。
蛇頭のフルフェイスがこちらを見るのに合わせ、右を眼前で、左を腰辺りで
構え、強く握り棒を掴み直した。そこには大人の足ほどの太さと長さを
持つ鋼鉄の円柱が左右に一本ずつ。握り棒はその片側の先端近くから伸びていた。
そんな形状が示す武器は一つだけである。
『トンファー………クリムゾンに不得意な武装は無いとは
聞いていたが、そういうのも修得してやがったか』
大きさは外骨格向けに調整されてこそあったが形は確かにトンファー。
形状は単純ながら、打つ、突く、払う、絡める、防ぐ、を可能とする
近接格闘向けの武装だ。それも元来は装甲色と同じく赤一色であったが、
今や当然のようにそこにも黒い紋様が刻まれている。そのおかげだろう。
シックスは今しがた打ち込まれた自らの脇腹を気持ち─銃を持つ手で─
押さえていた。黒い波紋は時間経過で薄くなっていくのが見て取れるが
衝撃は殺しきれなかったのだろう。そしてその弱みを前にして彼女は止まる
女ではない。背中で黒い稲妻混じりのフォトンを爆発させて突撃する。
見た目通りの雷光といわんばかりの速度だが相手は視認できない速度か
移動システムを持つ以上接近しきる前に消えられてしまう。
シックスのいた地点で急停止するも即座に左のトンファーで銀弾を弾く。
弾丸が飛んできた方向など確認するまでもなく誰もいない。ならばと
ばかりに彼女は感覚のままに両腕をオールでもこぐように後ろに下げた。
背後から聞こえる息が詰まったような苦悶の声に満足することなく、
声から判断しておおよその首の位置を狙っての回し蹴りを放った。
ただし、縦の。姿勢制御スラスターを最大限に利用しての静止状態からの
機体の縦回転。その勢いが込もった落ちてくる蹴撃は断頭台の刃を
彷彿とさせるものだったが切っ先を横にした銀刃の腹と不快な金属音を
奏でただけで終わった。この間合いはまずいと判断したのか再度姿を
消したシックスだが息もつかせぬ気か彼女の四方八方には無数の銀の弾丸。
時間差で放たれた数えきれぬそれらをトンファーで時に受け止め、弾き、
高速回転で楯のように使って防ぎながらも“感覚”はまずいとばかりに
警告を出して体を斜めに傾ければその角度に沿うように銀刃が走る。
すれ違う銀の装甲服目掛けてトンファーを叩きつけようとするも空を切る。
そしてその同じやり取りがそれから都度5回続く。銀弾による全周囲への
迎撃の意志を誘導され、その隙間を狙うような銀斬撃と転移じみた回避。
いやらしいのは装甲で防げると確信できている弾丸もその射線が部下達を
狙える線であるため無視しきれず、最初からその射線でない弾丸も考え無しに
弾いた場合高確率で彼女達のいる戦場に向かうように計算されていた事だ。
彼女の部下達はミューヒが最初に槍を投擲した時から既に上司の邪魔に
ならない範囲を狙って蛇の私兵を始末している。何せそれなりの範囲とはいえ
敵兵がひしめいているのだ。攻撃をばらまくだけで簡単にどれかには当たる。
勿論そんな攻撃を受けて相手も黙ってはいないが所詮は有象無象。
迎撃に飛び上がった敵兵と乱戦に陥っているが、そうなれば少数側の
連携に何も問題が無いのなら有利なのは数が多い方ではない。
多過ぎるために連携も何もなく、下手に攻撃すれば味方を巻き込む恐れの
ある多勢はこうなればもはや足枷である。移動砲台や空戦型ドローンまで
出してきたが人数差があり過ぎる囲い込みに慣れてないのかその利点を
まるで活かせていない為体。そんな連中だけの相手ならば心配する必要は
皆無だがおそらく自分よりマスカレイドの加護が弱く感じる彼女達では
この弾丸は防ぎきれないという予感があった。
直接彼女達を襲われるよりはマシではあるとはいえ、これではジリ貧。
ひとえに原因はカウンター気味でしか相手の動きに反応できない現状だ。
どこから攻撃が来るか分かっても反撃を入れる前に消えられては意味がない。
対処方法は単純だ。あの謎の移動に追い付けばいいのである。
それが出来れば苦労はないとどこか冷静な頭がそれを酷評するが、
彼女の直感はそれが正解だと告げていた。ならば、と銃撃を捌き、
斬撃を紙一重で回避しながら彼女はその作業を半ば以上体の反応に任せた。
そして肝心のソレを掴もうと意識を別のところに持っていく。
─あの銀の気配を見失わず
─奴に反応した感触を自分におろし
─昨日体験したマスカレイドの領域に向かう
─感覚に委ねる、任せる、ただそれだけでいい
─だってあいつは言ったじゃない
『甘えれば、いいんでしょ?』
くすりと自然と笑って、意識を、感覚を、肉体の動きを、ただ己が鎧に委ねた。
瞬間銀の閃光の中にシックスを見た気がした。そして右手を突きだしていた。
『がっ!?!』
ただそれだけで消えていたシックスの蛇頭にトンファーが叩きこまれている。
驚愕と突然の苦痛に歪む声が間近で聞こえ、彼女は装甲の内で誰にも見えて
いないというのに攻撃的な笑みを浮かべた。そして、止まる理由はない。
立ち直る動きも思考も許さないと左のトンファーごと腹部を突き破らん
ばかりの一撃をぶち込む。相手が肺の空気を全て吐き出すような苦悶を
こぼしたがそれを聞くこともなく始まったのは激しいラッシュ。
右、左、右、左。拳撃、刺突、殴打、回転による斬撃が幾重にも
合わさって銀を黒に染める。しかし敵もさる者。それらが四巡した
後で反撃か銃口を向けてくるが発射される前に腕ごとトンファーで
絡め取り、締め上げ地上に落下させた。だがそれで互いの腕が繋がった
一瞬を狙うように片手銀剣が逆袈裟に迫ってくる。
反応した彼女は左トンファーでその刃先を受け止め黒と銀の火花を散らす。
二人は向かい合う状態で両手を互いに封じられたような格好となるが
それで止まる事もなく、示し合わせたかのように互いに足を突きだした。
どちらも相手を正面から押し出すような蹴撃で、衝撃に距離を取らされる。
『ぐっ…ち、くしょうっ、がっ、はっ! この女っ!
あれだけ打ち込んでおいてさらに金的狙うとか鬼か!』
銀蛇頭の口許部分だけを解除して血と悪態を吐いているシックスだが、
剣の切っ先だけはこちらに向けられており隙があるようで全く無い。
『仮にもレッドオーガですもの。おかしくはないでしょう?
それにその様子じゃうまく入らなかったようだしね………ちっ』
余裕綽々とばかりに薄く笑いを乗せながら流すが、その中身は
最後の残念とばかりに出た舌打ちが全てを語っている。追撃が
できなかったのは相手の隙の無さだけではない。脇腹に入った
相手の蹴りの衝撃が深く響いて動けなくなっていたのだ。臓器への
損傷は少なかったが周辺の骨には軒並み罅が入ったと己が鎧はいう。
ちらりと視線を下げれば案の定か蹴られた部位の装甲表面に
気に入らない銀色が足跡のように刻まれている。
コレの使い方は分かった。
狙い通り追い付けもした。
ダメージもしっかり与えられた。
しかしたった一発の蹴りでこれ────割に合わない。
どうやら斬撃と同様かそれ以上にあの使徒鎧装なる強化スーツそのもの
からの攻撃も種類問わずに極めて危険であると判断せざるをえなかった。
武装越しでなければ殴り合いも避けなくてはいけないようだ。
同じ土俵にあがれたといっても装備の差はまだ歴然か。
不意の一撃で墜とされかねないと歯噛みする。
『かはっ、がっ……まったく、困ったもんだ』
上がっている息をそうと気付かれぬように整えながら、相手のこぼした
言葉は奇しくも彼女自身も思っていたことだった。尤も当然ながら
何に対してかは違っている。
『こいつを作り出すのに俺らは数百年もかかったってのに、
見てた限りは後付的に、しかもインスタントで出来上がった代物相手に
簡単に追い付かれるとは……正直腹立たしい限りだよ』
言葉を素直に受け取れば相手は相手で忸怩たる思いがあるようだ。
ゆえにか彼女は自分のそれは微塵も感じさせない口調でこう返した。
『なんでも手間暇かければいいってわけじゃない、ってことよ』
『ちっ、言ってくれるっ……………参考までに一つ聞いていいかクリムゾン?』
全部マスカレイドのおかげだろうが。
という言葉が聞こえてきそうなほどに苛立たしげに吐き捨てた彼であったが
直後に一転して落ち着いた口調で問いかけてきた。
『何を、かしら?』
『俺はこれを使いこなすのに、特にあの動きの制御には一週間かかった。
どうやって今の一瞬でソレを手懐けやがった?』
真面目な声色であり実際に疑問ではあるのだろうと思わせる口調。
だがその実はダメージ回復の時間稼ぎだろうと睨んでいるミューヒ。
しかしそれはこちらも同じこと。ならば付き合うのも手だろうと自らが、
どうやったか、を考察し始めた時。どうしてか。頭の奥で、あるいは
いもしないはずの隣で。どこかの誰かが苦々しい顔をしている気がした。
───俺は一年半もかかったのに、お前一瞬って
『ふふっ』
『あ?』
思わず、抑えきれない、隠し切れない笑みが漏れた。
拗ねたようなどこかの少年の姿と声が過ぎって、余分な力みが霧散する。
警戒はあっても恐れは消え、鈍い痛みなど笑って流すだけだと武器を握り直す。
『そうねぇ………愛しい男に全てを委ねる感覚かしら?』
『………参考にならねえなぁ』
とぼけられたと思われたのか。
どちらにせよ分からないとばかりに首を振るシックスだが、ミューヒの
構えに反応してか空いた左手に銀の短剣を呼びだし二剣の切っ先を向ける。
時間稼ぎはこれまで、と互いに悟り次の瞬間に始まる殺し合いに意識が
切り替わる。軽口の言い合いどころか無言のまま向き合った両者は
周囲の部下達による戦闘、その怒号と爆撃音を完全に無視しながら
合図もないまま同時に消えた。
銀の流星と黒を纏う赤の雷が誰も知らぬ決戦場で再衝突をし続けていた。
彼ら以外に誰も視認できない激突。勝つのは『蛇』の牙か『無銘』の槍か。
ライブの開始と共に始まった両陣営の戦いは奇しくもライブの終わりが
近づくと共にその結末に辿り着こうとしていた。
そう、誰かが用意していた結末に。
次回、防衛戦線決着………という名のなにか(え?