04-104 ライブ防衛戦線3
第二防衛ラインと『蛇』、『無銘』、双方から呼称されているものの正体は
マスカレイドが構築した侵入者の精神、肉体、装備を即座に汚染して活動不能
にしてしまうというその分野から見ても異常な性能の呪術結界であった。
地上と空中は勿論、地中さえも結界の内であり侵入したモノの機能や心身に
不可逆の深刻なダメージを与えている。その効果範囲は第二ラインで
区切った内側その全て─────というわけではない。
『蛇』がいくらかの兵士を切り捨てて発見した“高度500mまで”という
高さの限界は暴かれている。それが用意されていたものだという事は
『蛇』側の指揮官だけが気付いているが、実はあと二つ穴がある。
当然といえば当然の穴が。
一つはもちろん会場内及びその周辺の一定空間。
ここにまで効果が及んでしまえばそれこそライブどころではない。
そしてもう一つは会場の出入口、もっと正確にいえばライブのために
借り切った敷地とそこへ繋がる一般道との繋ぎ目付近のことである。
ライブ運営側は客の出入りをスムーズにするためにその唯一といってもいい
大人数を運び込める道から延長線上に会場の正面ゲートを置いていた。
会場の立地状況や周辺の環境を見るにその道を使う以外にここへ訪れる者が
いればそれは確かに余程の方向音痴か不心得者だけだ。そんな所にまで
効果を及ばすと不意や緊急時の人の出入りを阻害してしまう。
それこそ、道に迷った車がやってきて警備員に話を聞いて戻っていった、
という出来事さえじつのところ数分前には起きていたのだから。
そう、凶悪過ぎる結界も上空と真正面から続く内部は開いているのである。
尤も上空のそれは効果が及んでいないだけで会場自体は結界に覆われている。
あくまでライブに支障がないよう内部の一定空間が開いているだけなのだ。
仮にその上空の守護者であるクリムゾンを突破し降下出来ても間の結界に
囚われて他の脱落者の仲間入りするだけ。しかもそれで会場内に墜ちる事もない。
呪術の触手がきちんと外に弾きだすように結界は構築されていた。
そのため真の意味で開いているのは真正面のみだがその事実を知らない
『蛇』側からみると可能性として上空から降下できないという予想は立つが
確かめるまで戦力投入を止めることはできないでいた。シックスからすれば
そういう建前ではあったが。
しかしそれは正面の道という穴に彼らが気付いていない、という事ではない。
会場を覆う壁その周辺にある人影は巡回中の警備員だけなのだが、じつは
正面ゲートだけに限っていえば付近にはチケットは手に入らなかったが
熱心なファンが雰囲気だけでも、薄らと漏れる音だけでも感じたいと。
あるいは限定のライブグッズだけでも手に入れようと会場外に設置された
売店に少なくない人々が集まっていた。ゆえにそこに一人か二人、
結界効果範囲の検証に『蛇』構成員が潜り込むのは簡単だ。
あっさりと何度も通り抜けられていっそ拍子抜けしたほどである。
しかしだからといってここから兵力を送るのは『蛇』としては避けたい。
ただその理由は当初の目的である歌姫暗殺を考えるベノムや兵士たちと
別の思惑でもって全体をコントロールしているシックスとでは別である。
前者は正面からの突入は一番騒ぎになりやすく且つ標的に逃げられる目算が
高いと考えているため。そも現状では会場内にマスカレイドが潜んでいる
可能性が高い以上、正面突破などという手段は博打以下としか言えない。
またその騒ぎの犯人が『蛇』であると断定されれば地球・ガレスト双方の
対策室のみならず日本の公安部、各国諜報機関、ガレストの正規軍や諜報部
すら動き出して彼女の周囲を固めだすだろう。『蛇』は裏社会ですら存在が
疑われている秘密結社だが、逆に少なからずその『尾』を見続けてきたそれらの
組織では当然のように危険視されているのだ。そうなれば暗殺への難易度が
高まるばかりか何故彼女を狙うのかという点に興味を持つ者も現れるだろう。
使徒兵器の弱点を秘匿したい以上避けたい事態であった。
一方後者のシックスの思惑としては“いま”“ここ”以外に仮面抹殺の
チャンスが揃う場面がまたあると思えない以上、台無しにする一手は打てない。
客が気付くほどの騒ぎになりライブがご破算となってしまうとマスカレイドは
歌姫を連れて逃走するであろうというのが彼の予想であった。
ここまでの攻撃的な采配と矛盾するが、シックスとしては身内には真剣に
攻略を狙ってる素振りを見せながらも失敗するであろう手段を選んでいるのだ。
仮面側の防衛網にあえて引っ掛かりつつ、相手を疲弊させながら“その時”が
くるまでの時間を稼ぐために。万が一成功して突破できたところで次の罠が
あるだけだろうという予想をしているからでもあったが。
だがそれらはあくまで「正面から武力による突破を狙った」場合の問題点だ。
そこから離れて考えれば『蛇』にとって会場正面まで問題無く入れることの
意味は大きい。だからそのタイミングでシックスは彼をそこに配置した。
会場を覆う壁は高い。大人が二、三人肩を組んでも向こう側は覗けない。
またライブ会場用ということもあり遮音システムもある。見た目には上方を
囲ってない壁なのだがそこは遮音系スキルを用いた異世界のシステムである。
だがそのシステムはじつはスタッフ側の遊び心かモニカのファンサービスか。
場所やライブ形態にもよるが正面ゲート付近においては若干遮音システムの
出力を抑えてある。つまりは会場内の興奮や彼女の歌声を少しばかりなら
耳にすることができるのだ。いま正面ゲート付近に集まっている者達は
チケットは手に出来なかったがそれを知っている者達と物販目当てで
やってきて初めてそれを知った者達が雑多に存在している。
ライブは中盤といったところだろうか。
漏れ聞こえてくるのはモニカの歌の中でも切ない歌詞が好評なバラードだ。
観客たちも聞き惚れているのか先程までの興奮しきりな騒ぎが嘘の
ような静かさで、正面ゲート前でも彼女の声がよく聞こえるほどだ。
それにうっとりした顔で浸っているファン達やせめてグッズだけでもと
売店に詰めている人々から少し距離をとって携帯端末を眺める男がいた。
およそ四十代に思える白髪交じりの金髪と青目の英国人───ベノム。
何の変装も、立体映像による偽装もなく、それこそわざとらしい程に
昨日と同じ服装で彼は堂々とそこにいた。
その日常感はライブに参加中の家族の帰りを待つ父といった雰囲気すらある。
周りもそう思っているのか。当たり前にガレスト人が街中に溶け込んでいる時代。
翻訳機の存在もあって今の若者達にとっては異国人は身構える存在ではなく、
誰も気に留めてもいなかった。元より彼は潜入工作を主とする『毒』のベノム。
場に不自然なく紛れ込むというのは得意分野である。彼はあたかも時間つぶし
をしているかのように端末を覗いているが実際は自らに受けた指示を頭で反芻し、
そして密かに昂っていた。
──『ベノム、てめえにはいくつか役割を担ってもらう』
いくらかの指示変更をしたシックスは厳かに、されど淡々と告げる。
そうして彼に与えられた指令は大まかにいえば三つあった。
その一つ目としてベノムは周囲の誰にも悟られぬようにしながら
スラックスの裾から親指程度の自立稼働型マシンを複数放った。
人が集まっているとはいえ時間帯ゆえに暗い空間に紛れ込む黒の彩色の
それは超小型偵察機である。人目を避けるように移動したそれらは
半分が会場を囲む壁に取り付き、残りが壁を越えて内部に侵入する。
が。
「ふぅ」
端末を覗き込んだままベノムは軽い溜め息をこぼす。全機シグナルロスト。
ソナーやレーダーによって内部を探ろうと壁に張り付いたモノも、
直接内部に入って状況を把握しようとしたモノも、等しく機能停止していた。
尤も予想通りのことであるが。
『まず一つは堂々と会場正面まで行って、ファンに紛れ込みつつ
偵察機を会場内に向かわせて内部を調査するフリをしろ。
成功すればそれに越したことはないが奴の守りは欺けまい。だが、
何度かトライして失敗し続ければこちらが未だ内部状況が分からない事。
そして調べる方法がもうそんな手しかないと思い込ませられる。
これにより本命の調査手段を隠す』
内部を実際に把握する手段はあらかじめ別に用意してあったのだ。
これはその本命を使用するまでの間に勘付かせないための一手。
それゆえベノムに落胆はない、が目的の為にその表情は苦々しいものを
装っている。さらにその勘違いを助長させるために次の偵察機を、それも
全く違う系統の技術で作られたモノを放った。無論それらも無力化される。
そういった行為を幾度か繰り返した後、次の目的のために隅から移動すると
興味津々な素振りで売店内を物色したり店員に積極的に質問を浴びせていく。
『二つ目はマスカレイドや他の者の注意をひく囮だ。
ベノム、てめえは俺と同じく既に奴らに顔が知られている。
そんな野郎を解り易く目立つ場所に配置して内部偵察を目論ませれば、
例え囮と即座に見抜けても注意を向けないわけにはいかねえ。
周囲にあれだけ一般人が集まっているとなれば余計に、だ。
防衛側としては致命的に人手が足りないあの連中にとって、
気にしなければならない場所や人物が増えるのは負担になる。
その状況下で仕掛けを起動させ内部の状況を、標的の位置を正確に
把握する。おそらくそれでもマスカレイド相手じゃどれだけ動かせるか
わからんがコトは一瞬で済む、お前はその一瞬を作るための要素だ。
その後は得たデータをもとに即座に標的を攻撃する。
俺たちの隠し球が使徒兵器だけじゃないってところを見せてやるさ』
そのために自らを目立たたせる。
日本が初めてのような素振りで派手なリアクションをしながらいくつか
商品を購入し、ファンたちと熱心に交流までしながらその中に入っていく。
どんな場所にも紛れ込む潜入工作員『毒』の腕の見せ所であり、
存在を主張しながら周囲の人間を盾にする行為でもあった。
仮面でも無銘でも彼だけを狙う方法はごまんとあるだろうが、
ライブ自体も守ろうとしているらしい彼らからすれば人の輪の中にいる
ベノムを乱暴な手段で排除するのは騒ぎになってしまう可能性が高い。
しかもこの瞬間もクリムゾンとのその部下達には蛇の攻勢が続いている。
割ける人員はないが放置するには危険。その警戒心が彼等には圧力となる。
例えその影響が僅かでもこの状況が続けばその“僅か”は重くなっていく。
その役目を彼は真っ当に遂行していた。
『だがそれでも。
そこまでやって意表を突いたとしても相手はあのマスカレイド。
あれだけの戦闘力と数多の能力を持っておいて妙に用心深い奴だ。
その攻撃も失敗に終わるかもしれない……その場合の切り札はお前だ』
そしてその三つ目こそがベノムが内心を滾らしている理由であった。
『俺には奴を歌姫から引きはがす秘策がある。
このパターンになった時お前は慌てて撤退するフリをしろ。そうすれば奴を釣りやすい。
奴には方法は不明だが反則的な転移能力がある。だがそれゆえにある程度の不安要素が
払拭されれば標的から離れても、いざとなれば戻ればいいという油断があるはずだ。
そこをお前についてもらう。俺の合図で会場に戻って渡した切り札を使え』
この指示に彼はえもいわれぬ高揚を感じていた。処罰を待つ身でありながら
失敗後の話とはいえ自らが、否、血族が全てを捧げた組織の一大傑作品に
まとわりつく害虫を直接抹殺できる栄誉が与えられようとしているのだから。
ゆえに作戦失敗を願う暗い感情は二度目ゆえに抑えようもない。
例えそれが自らの死が避けられない類の話でも、だ。
この後、命令違反で処罰されるより有意義な死に方だと彼は本気で思っていた。
そんな内心をおくびにも出さず陽気な英国人を気取って紛れ込むベノムは
不謹慎とは理解しながらも三つ目の仕事が来るのを今か今かと待っていた。
──能力は高いが、解り易い男だ
それがそんなベノムの様子を見ていたシックスの感想である。
琴線に触れたナニカがあると暴走するためにこれでも扱い易くないのが問題点。
尤もここで使い潰す駒の短所など今更どうでもいいというのも彼の率直な感想だが。
視線を正面ゲート前までは入れた偵察機の映像から別のモニターへと移す。
第二ラインの結界、そして会場の壁による何かしらの妨害は決して“全て”を
阻害しているわけではない。一般の通信、もはや携帯端末の一機能である
電話やメール、ラインといったものは当たり前に外と通じている。
彼の見るモニターには中央にスイッチのようなアイコンとそこから複雑に
枝分かれして伸びる白い線がありその終着点には複数の小さなアイコン。
数は大雑把に見ても数百はあるが断線しているものは無い。
それが“本命の調査手段”であった。
彼が使う『蛇』特製のスパコンは観客達が持つ携帯端末に
入っている一部のアプリといま秘密裏に繋がっているのである。
それは『蛇』の息がかかった開発者達の手によって作られた代物で
情報収集の一環として世にばらまいた彼等の『耳』の一つであった。
種類が豊富で表向きの開発者や会社がバラバラなうえに話題には
ならないがその手の端末を使う者にとって汎用性や利便性を追求した
モノであったため全ユーザーのおよそ四割が知らぬまま同開発者製の
何かしらのアプリを端末に入れていた。それには巧妙に隠される形で
端末を遠隔操作できるようにするバックドアが仕込まれている。
尤もその仕掛けを徹底的に隠蔽するのを念頭に製作されているため
干渉できる範囲に限度はある。しかし事前準備をしなくてもある程度の
人数を集めれば自動的におよそ三割前後は『蛇』に操られる端末を
勝手に持ってきてくれるのだ。実にお手軽でローリスク、そして
自覚のないスパイたちである。
ただ。
──ま、どうせ気付いてて泳がされてるだけだろうがな
ベノムへの指示と違って、彼自身はそう読んでいた。
マスカレイドが短期間で見せてきた異常ともいえる情報収集能力と
侵入したと目される施設で完全無力化された最新セキュリティの数々。
それらを考えるにハッキング及びクラッキング技術においても自分達を
遥かに超える能力を持っているものとシックスは睨んでいる。
ならばアプリに潜ませた仕掛けに仮面が気付いていないと楽観視するより、
気付いていて泳がされていると考えた方が自然であろう。
内部を見えなくした意図はむしろそちらにあったのではないか、とも。
クリムゾンレディと凶悪結界により侵入、突入が実質不可能に近い状況で
しかも会場内の事が何も分からないとなればこれを使うしかない。
が、それは攻撃が準備段階になったのを教えることであり、また標的の
位置を正確に把握させて守る対象を歌姫に限定する目論見からであろう。
薄ら寒い。
そこまで推察した時は背筋に怖気が走った。これは勝てるわけがない。
単純な戦闘能力の高さだけでも絶望的。なのに直接対峙しないまま駒の
打ち合いだけでも全てを手の平で転がされているような感覚を覚える。
それは半分以上あえて引っ掛かっているシックスですら震えるものであった。
なにせこの時点で取れる歌姫への直接的な攻撃手段は限られている。
前述したように兵士や暗殺者を侵入させることは実質不可能。
第二ラインの結界のために遠距離攻撃の類は殆ど意味がない。
突破できるかもしれない程度の確証で大規模破壊攻撃をするのは下策だ。
失敗した時のリスクが高すぎる。今回しかチャンスがない以上博打をする
のは限りなく最後にしたい。だが、そうなると何があるのか。
──ひとつだけ、あるにはある、が
元より用意はしていた一手だがこうなると読まれていた、あるいは
誘導させられていたと理解させられ背筋が凍る。アプリが見逃されてると
勘付いてからは手間をかけて用意したその手段を選択肢から除外さえした。
無意味だからと。状況が進んで今なら逆に使えると判断したためベノムを
乗せて動かしたが本当に歌姫暗殺だけを第一優先にしていたら完全に手玉に
取られていただろう。何せその手段はある意味マスカレイドの専売特許と
いってもいい手段なのだ。対抗策が無いと思う方が愚かである。
そんな事実が、状況が、どうしようもなく苛立たしい。
分かっていて乗っかってやってるのだからいいだろうと己に言う。
だが即座に返るのは単純明快にして彼が不快に感じている話だ。
──なら本当に歌姫暗殺を狙っていたらどんな対抗策がある?
無いのだ。
ある程度の差異はあろうとも結局の所見抜けても同じ手を打つしかない。
出来るとしたら作戦を台無しにしてあえて愚策を打っての嫌がらせだ。
しかしやった途端少し溜飲は下がるだろうが次の瞬間何もかも叩き潰される。
その絶対的な予感がして彼は本当の意味で遊ぶことができない。
そうこれは勝負ではない。戦いではない。遊びですらない。
マスカレイドが求める結果を手にするための作業なのではないか。
そのために自分は敵の指揮官役をやらされているような屈辱感。
適切な対応を、敵を攻略しようとすればするほど思う壺な違和感。
当初から自分は違う目論みで動いているはずなのに、本当の狙いも
予定通り進行しているはずなのに、既に負けているような錯覚。
──あり得ない
最終的に勝つのは自分であるはずだ。
何度も作戦は見直した。否定的に検証しても問題点は少ない。
出た問題もカバーする策を二重三重に用意した。それでも全てを
打破された最悪の場合すら想定して最終手段も準備してある。
ベノム程ではないがこの命を捨てる覚悟はとうに決めていた。
マスカレイドはそれだけの脅威であり倒すべき“敵”なのだから。
だからと彼は正体不明の不安を呑み込んでモニターに触れた。
中央のアイコンをタッチすれば数百の端末から一気に情報が送られてくる。
端末の位置情報と周囲の音を拾っているだけだが位置と音の情報があれば、
それも複数地点からのものが大量となれば音の反響具合の差や同じ音が
届くまでの極僅かな時間差などを解析していき、何が、どこに、どう、
あるのかを限りなくリアルタイムに近い状態で把握することができる。
遙かに進化した端末の集音能力と従来の処理速度を凌駕したスパコンだから
可能となったそれはシックスの前に会場の現在を立体映像化した。
そうして目の前に現れたのはまるで細部まで再現した動く模型だ。
音由来のため色合いや人物たちの顔の造形までは曖昧であったが、
動きと形状は実在のそれと何ら変わらない。元より会場の設営には『蛇』も
関わっているのだ。仕掛けそのものは全て除去されてしまったが会場内の
環境やステージ構造は最初から把握しているといってもいい。
そこに音から得られた情報をプラスしたのだから再現に間違いはない。
ただ肝心の歌姫の位置については少しばかり懸念はあった。
ステージ上の人物だけに限定しても主役は動き回るものである。
特に過去のライブ映像を見返せばモニカ・シャンタールの動きは激しい。
またバンドやダンサーに混じっての演出も少なくない。
しかしこれは彼女の単独ライブ。歌っているのは彼女だけだ。
運のいいことに現在歌姫は会場中央のランウェイをゆっくりと歩きながら
バラードを響かせていた。念のため声紋で確認したが一目瞭然であろう。
そして待機させていた特殊部隊にこれらのデータごと攻撃開始の指示を
送ろうと再度モニターに触れようとした時だった。
「ん──────は?」
人間の耳には聞こえづらい、聞こえない音も機械の耳は拾っている。
だからこその音の分析による再現は可能となっていたが、それゆえに
奇しくも“ソレ”の動きに誰よりも先に気付いたのは彼となる。
だがその想定外にさしもの彼も少し固まることになった。
ライブ会場の観客たちはこれまでとは全く違う魅了の時にある。
興奮による熱狂の渦とそれに負けない力強い歌声とのぶつかり合い。
僅か数分前のそれが嘘のように誰もが彼女とその歌に酔いしれていた。
ランウェイを歌いながらゆっくりと進むモニカはまさに輝いている。
舞台上ゆえの派手な化粧がではない、ライトの照り返しなどでもない。
落ち着いたデザインの青のワンショルダードレス姿は美しく色気があるが、
穏やかで耳心地の良い曲と共に切ない想いが込められた歌詞を
情感たっぷりの歌声で胸にくるほど表現しているモニカが単純に、
そして純粋なまでに美しいのである。そんな姿は周辺を飛び回る
小型ドローンカメラが巨大モニターに映し出してステージから
離れた場所にいる観客達さえも大いに陶然とさせていた。
そして歓声は一斉に沸く。
彼女がランウェイの先端、その少し手前辺りに来た所で歌が終わったのだ。
マイクを下ろして小さくお辞儀した彼女に観客達は拍手代わりの声をあげた。
それを微笑みながら受け取ったモニカは、されどその表情のまま次の手順へと
意識を向けている。この後いま彼女に注がれている淡い光のスポットライトが
切れる。歌に合わせて会場全体の明かりが下げられているため観客達は一瞬
彼女を見失う。その間に目の前のランウェイの先端へと足を進めるのだ。
そこは円形に広がった踊り場となっており中央には上下する機構がある。
それでランウェイ下に降りて急いでステージ下まで戻って衣装替え。
即座にステージ中央から飛びあがって今度はアップテンポな曲を歌い、踊る。
「っ」
そういう予定になっていた。
だから突如としてスポットライトが先端踊り場を照らした事に一瞬固まる。
自分を照らす光もまだ切れていないが数と強さは目の前のそれの方が上。
複数の強い光がまさにそこに注目しろとばかりにモニカの前に集まっている。
誰からも何の説明もないまま観客に動揺は見せまいと表情を崩さない彼女だが
突如動いた中央の機構に息を呑む。何かが、誰かが上がってくる。
「………うそでしょ?」
マイクを下ろしていたからこその油断。
さすがの彼女も現れたその誰かの姿にそんな呟きが漏れる。
だがそれはモニカだけの話ではなかった。ランウェイ付近の客は勿論。
“誰か”を巨大モニター越しに見た多くの観客たちも思わず息を呑む。
何せそこにいたのはモニカと同じデザインながら赤のドレスを着た女性。
桜色の長髪と褐色の肌を持つ長身の美女が、そうモニカ・シャンタールがいた。
思わずこれはなんだと本物はスタッフたち裏方と繋がる小さなイヤリング型
通信機で問いかけるが裏での混乱と喧騒が聞こえてくるだけで返答はない。
完全に、誰にとっても予想外の出来事で、
誰にとっても正体不明の乱入者だった。
「っ、あなた誰?」
今度は意識して声がマイクに乗らないように小声ながら、屹然と問う。
表情は平然としたものだが内心ではこれが自分を狙う何者かの手による
ものではないかと不安と警戒心でいっぱいになっている。しかし不意に
暖かで優しい手が肩に触れた────ような気がした。
『大丈夫、よく見て』
耳から聞こえたように思えないのに確かに聞こえた女性の声は少し笑っていた。
それで何故か妙に落ち着いたモニカは気付けばしっかりともう一人の自分を
見据えていた。瞬間巨大モニターでは二人のモニカが見つめあってるように
見える横からのアングルに切り替わり、そしてもう一人の彼女はゆっくりと
唇だけを動かす。
「…え?」
彼女は別段読唇術をマスターしているわけではない。
だが仕事柄、自他含めて誰かの歌う姿を何万回と見聞きしている。
そのためか本人も知らないうちに自然と読み取れるようになっていた。
それによれば目の前の誰かはこう言っているらしい。
──ワ・ル・ガ・キ・サ・ン・ジョ──
「ぷっ」
理解した途端、噴き出してしまう。何せ「悪ガキ参上」である。
これほど端的で当人同士には意味が伝わる名乗りがあろうか。
運良くか目の前の誰かの仕業か。その彼女の反応はカメラもマイクも
拾えず気付いたのはもう一人のモニカだけ。だからソレは彼女と
全く同じ顔をそうとは思えぬほど満足げに歪めて、してやったりとばかりに笑った。