04-96 彼の無双1
これもまた無双……
明日行われるモニカ・シャンタールのライブ。
それは各所を巡るツアーの開催箇所の一つに過ぎない。
が、同時に出来る限り─公にしてないが─故郷で歌う事を希望している歌姫
当人の要望でもあった。しかし今回は使える場所が軒並み先約があるか
不都合が発生したためにごく当たり前に会場はソレになってしまった。
巨大スクリーンを背後にしたむき出しの広いステージ。
数千人は楽に入る空間を簡易的な柵で一定間隔で分けただけの観客席。
そこに向かってステージから伸びるファッションショーのランウェイ染みた
縦長の舞台。外部からの無許可の目と侵入を阻むためか会場全体を囲む高い壁。
その向こうには人心を癒す緑豊かな大自然。そして遮るものなく見える空。
それはまごうことなき野外ライブ会場であった。
「わおっ、これは初手からしてやられてたって所かな。
もう下手したら設営にも奴らの手入ってるんじゃない?」
「え?」
「そもそも狙撃と空襲のし放題だ、さてどうしようか」
「ええ!?」
誰かさんたちはその解放感や美味しい空気、目に優しい自然、
前日でも漂うお祭り感など微塵も目にくれずに物騒なことを呟いていた。
間に挟まれた帽子とサングラスで顔を隠した女性が驚いているのを余所に。
────────────────────────────────
「私は反対です!」
両手で机を叩く音と凛としつつも激しい怒声がその場に響く。
既に設営は完了したライブ会場。ステージ裏手に隠されて設置されたプレハブ。
外からは決して見えぬように幕や壁で囲まれた場所にあるそれは関係者や
裏方の簡易控室といったものであった。そこで意外にバレない簡単な変装を
解いたモニカは怒声の中で平然としていた。厳しい視線を眼鏡越しに彼女に
向けるのはエメラルドグリーンの髪をボブカット風にしている妙齢の女性。
「昨日の脅迫メールのことは私も知っています。あなたがそれをいつもと
違って殊更警戒しているのも……だからっていきなりどこの馬の骨とも
知らない人を護衛にしたいなんてそんなの無茶苦茶でしょう!」
事務所と現場のスタッフを幾人か背後に従えて立つ彼女はモニカの
突然すぎる話にきちんと説明しなさいと吠えていた。その詰問するかのような
鋭い視線はさも当然のように既にモニカの背後で護衛をしている男女にも
向けられている。が、二人ともどこ吹く風で反応すらしていない。
「テレサ、違うわ」
そして彼女に対するモニカの返答は声色こそ柔らかであったが、
自らを曲げない硬さをも訴えていた。
「え?」
「したい、じゃなくてもうしたの。
私が雇った私の個人的な護衛よ。あなたの許可は必要ない、違う?」
「そ、それはそうかもしれませんがあなたのマネージャーとして
せめて事前に話を通して欲しいとっ!」
「だから、今こうして話をしてるじゃない」
困った子ね、とまるで聞き分けがないのがあちらであるかのように
苦笑しながらどこか穏やかで気品ある雰囲気で歌姫は佇んでいる。
「事後報告じゃないですかこれ! しかもその顔、絶対意見変えない顔!
ですけどね、所属も身元も明かせないっていわれてはいそうですかと
引き下がれるほど私は自分の仕事に不真面目じゃありません!」
「ふふ、あなたのそういうところ嫌いじゃないわ」
「う、そ、それはどうも……って誤魔化されませんからね!」
自らの美貌と美声をどこまでも自覚した微笑みと言葉かけは
同性である彼女の頬さえ染めたがさすがにデビュー時からの付き合いか。
それだけで絆されたりはしなかった。逆をいえばそれだけ付き合いがあっても
赤面させられる歌姫がすごいのかこのマネージャーが安いのか。
「………この歌姫、教会にいるときと全然雰囲気が違う」
モニカの背後で誰にも聞こえないようにそうこぼしたのは獣人の女性。
偽装のため既にスタッフジャンパーを着込んでいる彼女は、しかしとも思う。
メディアに出る顔はこうであったためむしろこちらの方が違和感がない。
仕事と私的な場所での振る舞いが違う人物などざらにいるのでそういう
ことなのだろうと察して静かに獣人女性は周囲を警戒し続ける。
「だ、だいたい何なんですかあの二人!
さっきから定期的に顔が変わってますよね!?
顔を隠さなきゃいけないってどんな後ろめたいことあるんですか!!」
男は男、女は女のままではあり女性側には常に獣耳があったが
それ以外の容姿、特に顔という点はテレビのチャンネルを切り替えるかの
ように次から次へと定期的に違うモノに変化していた。ここまで露骨に
見せられれば制限を解除した立体映像によるものだと多少聡ければ気付く。
それは本来の顔を隠したいという意思表示に他ならない。
だが歌姫は首を振った。
「だから身元バレを防ぐためよ、明かせないのもそのため。
ねえ、考えてみて、私に危害を加えようと計画してる人達がいたら
まず周囲から切り崩そうって考えない? 護衛本人、その家族友人にまで
手を回して自分達側に引き込む……常套手段でしょう?」
それを防ぐためよ、そういわれてテレサも一理あると思ってか返す言葉がない。
尤もモニカはおくびにも出していないが想像以上に簡単に黙ってしまって平然
とした顔の下で驚いていた。これはそう答えろと教わった内容を言っただけで
彼女自身はちょっと警戒し過ぎな言い分だと思っていたのだ。有名人とはいえ
実際に荒事に触れている者とそうでない者の認識の差である。
「……あなたの言い分は一応分かりましたモニカ。
ですがそれは私達だけのガードでは信用できないということですか?」
「盾と剣は多いにこしたことはない、が正確よテレサ」
「連携が取れなければ数の多さは逆に足枷になる場合もあります」
「テレサ、護衛とはいったけど私は盾と剣とも言ったわ。
あなたたちが盾。彼らは剣。役割が違うからそこは安心して」
納得いかないと睨むような視線を向けるテレサに微笑みで答えるモニカ。
主張そのものでは歌姫がのらりくらりとかわしているだけなのだが、
醸し出す余裕の空気感がその劣った部分を補ってなぜか押しているかの
ような状況を作り出していた。それを。
「………」
ひとり背後に立つ今は金髪猫耳少女となってるミューヒは素直に感心していた。
──あれだけ嫌がったくせに、よくやる
と。
────────────────────────────────
「話は分かったわ、ありがとう。
じゃあこれでもう用はないわね、こっちはもういいから帰っていいわ」
「モニカ!?」
シンイチがその五感を回復させてすぐに施設の一室を借りる形で
シスターとモニカに何があったかを語った。とはいってもシンイチたちが
語ったのは妙な組織がモニカを狙った事、今回襲ってきた者達は撃退した、
程度のことであり隣家に潜んでいた事や動機が彼女の歌そのものに
あったことは語らなかった。精神的動揺や周囲への余計な猜疑心を
与えるべきではないという少年の判断だ。だがそこで明日のライブでの
護衛も頼もうとしたシスターを遮るように彼女は強い態度で拒否を示す。
これに突然何をと驚愕しているのがシスター。何か変だなと怪訝そうな顔を
したのはシンイチ。あちゃあという顔をしたのはミューヒである。
「な、何を言い出すのモニカ! それで明日どうするというの!?」
「今日失敗して明日もって普通ないでしょ? それに考えてみたら
あの脅迫は私をここに誘き出すためだったかも……ならもう」
「まだ今日の犯人と脅迫者が同じ相手とは限らないでしょ!
同じだったとしても失敗した場合の計画というのもあるものなの!」
「そ、それが明日のライブとは限らないじゃない!」
「お、まだあんぱんあった」
「そうだったらどうする気なの!? あなたさっきから何か変よ?」
「はむあむ……うん、これこれ。安い菓子パンでもうまいんだよなぁ」
「変じゃないわ、冷静になっただけよ。別に今守ってもらったからって
この子たちに頼む必要ないとも思ったの。こっちはプロにだって頼めるもの」
「ヒナ、そっちの袋もくれる? こっち空になっちまって」
「い、いいけど……」
「一般のプロ程度でどうにかなる相手ならいいわ。
でも今回のはあなた危惧した通り普通じゃない。彼でないと!」
「お、スティックパンとか懐かしいな!」
「あんな子供になにを、ってさっきからあなた何してるのよ!?」
「あむ?」
モニカは自分達の口論の裏で行われていた呑気な会話に苛立って怒鳴りつけた。
互いの間にあるテーブルを立ち上がると同時に叩いて感情を現した彼女だが、
その先で彼は不思議そうな顔をしてパンを咥えている。そんなとぼけた顔が
あったせいで彼女の苛立ちはより募ってしまうことに。
「もしゃもしゃ、ごくっ……こっちはお構いなく。
もらったもの飲み食いしてるだけなんで好きなだけ親子喧嘩を。
それに見てるぶんにはすごく面白いので」
それを余計に煽るかのような言葉と─胡散くさい─満面の笑み。
隣に座るミューヒは苦笑しながら出されていた湯呑のお茶をすする。
“ボク、知ーらない”と思っていたとかなんとか。
「こいつっ……もう出ていきなさいっ!!」
「こらモニカ! もう、君からも何か言ってちょうだい。
まったく、この子は何を意固地になってるのやら…」
「なってないわよっ、子供扱いしないで!」
「子供みたいな我が儘いっておいて……」
「そんなこと言い出したらこの二人は本当に子供じゃない!」
「だから頼るのは嫌だっていうの?
大人が子供を頼ったっていいじゃない。
私はあなたたちに助けられてばっかりよ!」
「うっ…そ、そういってもらえるのは嬉しいけどっ…」
胸を張って自慢げにすら見える態度で言い切られて彼女の勢いが途切れる。
しかし負けてなるかと再び気炎を吐く。ただそれはあからさま過ぎる態度だった。
「い、今はそうじゃなくて! え、えっと、そうよ!
信用できないのよ、たかが雨から助けた程度の恩で守るといわれても!」
解り易いほどにいま思いつきましたという言い方にシスターは頭を抱え、
ミューヒは変わらずお茶をすすりながらも面白そうに狐尾を揺らしていた。
今なら彼が面白いと評した理由もわかるといいたげだ。だが。
「なるほど、確かに」
「ええ? イッチーがそこで納得しちゃうの?」
誰よりも深く頷いていた隣の少年には呆れた顔を向ける。
尤もそれはどちらかといえば“お前がいうな”的な感想だ。
一方で予想外ながら賛同者が出たと喜んだモニカは一気呵成に訴える。
自分の我が儘を通すためではあるが、嘘偽りのない彼女の信念を。
「シスター、私は歌手なの。
歌ってたくさんお金をもらってる。歌ってるだけでと影でいう奴もいるけど
私の歌にはそれだけの価値があると思ってるし、それだけ払ってでも
聞きたいという人がいる。だからそれが成立するし私は全力で歌うの」
「モニカ、あなた…」
「無償の奉仕を否定する気はないけど対価ってその人の仕事や力量、そして
責任にも払ってると思うの。歌っていう形の無いものを扱ってる私だからこそ、
そこだけは譲れない。何もいらないなんて人に私は安心して何も任せられない」
「……まいったわね……それは正しいと思うけれど………」
シスターの視線が迷う。
彼女はモニカが何かに拘って彼らの助力を拒否したがってるのは当然解っていた。
今の言葉もそのための建前の一つに過ぎない。けれどその考え方そのものは
モニカの歌い手あるいは社会人や大人としての矜持なのも事実なのだろう。
それを否定することはできず、かといって安直に彼らに何かを要求させると
いうのもさせている時点でモニカが納得しないと親代わりゆえに読めてしまう。
だから助けを求めるように少年に視線を向けたが、しかし彼は。
「こっちは別に構いませんよ。
頼まないというならこっちで勝手にやるだけですから」
興味なさげな態度で呟くように、されどはっきりと聞こえる声量でそう告げた。
「ど、どういう意味?」
「奴らを撃退しにいく前にもいったが、これは私のやるべき責務だ。
実際にやりあって確信も持った。あれは間違いなく私が倒すべき敵。
君の事情や心情とは関係がなく奴らは私が潰す、絶対にだ」
直前まであった軽さなど消え去った強い言葉に皆が息を呑む。
それは義憤でも目標でも決意でもなく、当然の結末であると
言い切る傲慢なまでの強さと冷酷さが垣間見える決定であった。
「だから……今のところ君に考慮して動く理由はないんだよねぇ」
「は?」
しかし次の瞬間にはそれが嘘だったかのように軽い口調で笑う。
「さて、そうなると明日のライブとやらはいったいどうなることやら。
入手困難な高いチケットを頑張って、運良くゲットしたヒトもいただろうに。
予定を無理に合わせたヒトもいたことだろうねぇ、多くのスタッフが
今でも汗水流して働いてるだろうなぁ────じつに残念な話だ」
にたり。
口端を吊り上げた軽薄で楽しげな笑みを浮かべている彼は、明日俺は
何をするか分からないけど関係ないから別にいいよね、と明るく告げた。
言外に含ませたその意味を察せられない者はここにはいない。
「え……ちょっ、待ってそれって!?」
「あらあら、いけない子ね」
「イッチー、顔と言ってることが悪党」
愕然し、苦笑し、呆れる女性陣だが彼の表情は変わらずで三日月が輝く。
「失敬な。善意24.4%の思いやりある交渉といえ」
「微妙に少なっ……あれ? あ、悪い顔してるのは認めるんだ」
それぐらいの自覚は─この場合は意図してだが─彼にもある。
何せこれは実質的に脅迫だ。金銭をもらった仕事に全力で励み、責任を持つという
モニカに向かって明日の仕事を台無しにするかもしれないぞといってるのだから。
それでもいいのかと言いたげなニタニタとした顔が彼女を際限なく煽る。
「あ、あなた本当に最低よ!」
「くくっ、二度目だな。けどそうだと思っていたなら注意すべきだ。
悪い奴の前で理念・信念・誇りを語るのは危険だぜ、お嬢ちゃん?」
利用されてしまうよと親切ぶった物言いも、これみよがしなお嬢ちゃん呼びも、
狙ったように─真実そうだが─モニカの癪に障って激情を呼ぶ。
「お子ちゃまの分際で生意気なことばっかり!
そこまでいうのならあんたに任せたらそうならないって言うのね!?」
「それは、何を、だ?」
「え?」
「俺に何を任せようというのだ? ああ、だが間違うことがないようにな。
滅多にないぞ、この俺に何かを依頼できる状況なんて。無論お前の望み通り
報酬もそれなりにふんだくるんだから適切な依頼をしろよ?」
果たしてお前は俺に依頼するに足る人物かな、とでもいいたげに
座ったままふんぞり返るシンイチの顔にあるのは意地の悪い笑み。
それを小馬鹿にされていると感じた彼女は感情のまま吠えた。
「え、偉そうにっ! いいわっ、それなら全部やってもらうんだから!
私の護衛! ライブの無事な成功! 観客たちの安全! 犯人たちの撃退!
やれるものならやってみろってのよ!!」
「わかった、やってみよう。報酬については後で詰めるということで」
「………………へ……あれ?」
しかしそれは淡々と受け入れられてしまい彼女は目を瞬かせる。
拍子抜けするほど突然居住まいを正した彼は偉ぶった様子も意地の悪い笑みも
消し去ってこの話はもう終わったとばかりに静かにお茶をすすっていた。
まさかと彼女が確かめるように信頼するシスターを見れば、あらぬ方を
向きながら肩を震わせていた。
「会って数時間なのに……この娘ったら……昔からこう…ぷふっ」
途切れ途切れでよく聞こえないが、それが決して悲しみから来る動作
ではないのは明白で、モニカはまるで裏切られたような衝撃を受けた。
「シスター!?」
「ぷ、く……あら、ごめんなさいね。
あなたがあんまりにも見事にしてやられてしまったものだから、ふふふ」
口では謝罪をしているがニコニコとした顔を見ればどこまでが本気か。
ただそこまではっきり言われれば自分が乗せられてしまったのと確信
するには充分でありキッと睨むような視線を少年に。だが。
「でも、まさか稀代の歌姫とあろう者に二言はないでしょう?」
「~~~~~っっ!?」
その横合いから微笑みを湛えたシスターがトドメを差す。
思わぬ口撃に言葉にならない絶叫をあげたモニカは頭が真っ白だ。
片やこれまで散々人心を弄んで操ってきた悪党と片や彼女を
幼少期から知るシスターである。シスターも冷静になってしまえば義娘を
コントロールする事など訳が無かった。そんな二人が同じ方向にモニカを
向かせようとしたのだから彼女からすればたまったものではない。
しかもどちらも彼女の信念やプライドを刺激してくるのだから。
彼女は自分の仕事に誇りがある。自らの歌で生きている事を自覚している。
だからそれを貶める、価値を下げるようなことを彼女はできない。
「ううっ、もうっ、わかったわよ! そうよ、二言はないんだから!
撤回もしない。私の言葉は、声は、全部本気のものっ!
繕うぐらいはしても自分の言ったことにはちゃんと責任は持つわよ!
それでいいんでしょ、ふんっ!」
とはいえその想いを利用されたのも分かるゆえに不機嫌そうに、そして
まるで幼子のように頬を膨らませた彼女は鼻息荒く腰を下ろした。
そんな様子に、湯呑で隠しながらも少年が微笑ましげに笑ったのは
奇しくも対面に座るモニカだけが気付いていなかった。気付いた者達は
横では呆れており、斜め前では少し怪訝そうな顔をした。
「さて、話がまとまった所でシスターの話をしておかないと」
それさえも一瞬のものであり彼はすぐに何でもない顔で話題を次に進めた。
さも自分は先の話には関わってないような口ぶりに若干歌姫は眉をひそめたが
口で勝てる気がしなかったのか沈黙。尤もその視線はシスターへ何か
ろくでもないこといったらひどいわよ、と言いたげな鋭いものだ。
今にも噛みつかんばかりの雰囲気だが彼はどこ吹く風。
むしろその態度こそ好ましいと楽しげですらあった。
「え、私に? 何かあったかしら?」
とはいえ何の話だと訝しむシスターへの反応は早く、また真面目であった。
「俺は彼女とあなたに借りを作った。ならあなたにも何か返さなければ」
「あら別段気にしなくていいのよ?
私はあなたがモニカを守ってくれるのならそれで…」
「彼女がそれで良かったのならシスターへもそれで良かったのですが、
こういう形にした以上一緒くたにするのも不義理ですし公平性に欠けます」
歌姫の『恩義だけでは任せられない』という主張に則り依頼する形を取った。
ならばそれ自体が借りを返したことになるだろう。その依頼がシスターに
とっても願いであってもそれで借りを返したとするのをこの少年は
認めなかった。それは歌姫への返しであってシスターへのものではないと。
「………」
「そういうとこ拘るよね、君」
この主張に意外そうに目を瞬かせのはモニカでまた呆れているのはミューヒだ。
そして仄かに笑ったのがシスターである。
「あらあら、なんとも律儀な子ねぇ、わかったわ。
何も返せないというのもしこりが残るでしょう、受け取ります」
それで何で返してくれるのかしらと微笑む彼女に少年は「きっと喜んで
いただけると思います」と告げて席を立つとフォスタ片手に室内を少し歩く。
まるで適切な立ち位置を探すような足取りのあと彼女達全員をシンイチから
見て正面側にまとめるような位置で通信モニターを開いた。
「……え、イッチーが通常映像通信を使った、だと!?」
「未開人が文明の利器を正しく使ったみたいな反応やめてくれないか?」
繋がるまでの僅かな時間でわりと本気に近い驚きを見せた彼女の反応に
シンイチもまたわりと本気で嫌がってげんなりとした様子を見せる。
が、それもモニターに誰かの姿が映るまでであった。
『っ、ちょっ、信一!? あんた無事なの!?』
「……トモトモ?」
画面一杯にあらわれたのは栗色のポニーテールを揺らす青目の少女。
シンイチからの通信によほど慌てたのか急いでモニターを開いたのが
目に見えるような勢いであった。おかしな所はない。彼女らしい反応と
いえばそれまでのそれに、だがミューヒは首を傾げた。何か違う。
「まあ、それなりに」
『それなりって、あんたの正直さは時々逆に解りづらいわね!
まあ思ったより顔色は良さそうで……映像、いじってないでしょうね?』
「なんだその変な疑い?」
『あんたならやりかねないからでしょうが、もう!』
懸念と憤りの声を次々と訴えながら表情をころころ変える元気な少女の姿。
それがミューヒ達側からも見えている。なのにあちらはどうもこちらが
見えていない、いるとも思っていない口調である事に彼女は訝しむ。
「こっちの裏モニターだけをオンにしてカメラはオフ?」
空間に投映されたモニターはさながら空に浮かぶ一枚絵だ。
当然表と裏というものが存在し、基本的に使用者側が見ているのを表として
その反対を裏と呼ぶ。通常裏面には何も映されず表側に何が映っているかも
分からないようになっている。が設定を変更をすれば裏側に表示することも
通信相手に自分達の周囲を見せることも可能だ。勿論、裏側に表示させつつ
こちらの周囲を見せないようにすることも。しかもこちらの呟きにもトモエが
反応しない所を見れば彼以外の声が届かないようになっている可能性もあった。
いったい何を企んでいるのかと訝しんだミューヒは、しかし。
「………あれはなーにをしてるのかな?」
最初の違和感の理由に気付いて顔が笑う。
どことなく冷え冷えとした眼差しと声を放ちながら、だが。
「ああ、じつはちょっとお前に頼みたい、こ、と……が?」
ソレにシンイチも気付いたのか。それとも画面一杯に広がっていた顔が
ようやく下がったことでやっと視界に入ったというべきか。目を瞬かせる。
『どうしたのよ?』
「………どちらかといえばそれ俺のセリフなんだが……おい、巴」
「っ」
『だから何よ?』
「お前、なんで俺の制服着てるんだ?」
『え?』
横長のモニターはおおよそ24インチ程でそこにはトモエの上半身が
殆ど映っていた。見えるその装いはどこからどう見ても詰襟の学生服。
これといって特徴はないが彼にはそれが自らの物であると解る目があった。
一瞬呆けた彼女はそのまま自らを見下ろすと────一気に茹で上がった。
『ッ──────ひゃああぁっっ!?!?
み、見るなっ、この、このっ、スケベぇっ!!!』
「それも勝手に着られた俺のセリ……いやいいけど」
真っ赤になってモニター向こうで慌てふためいたトモエは激しい動揺を見せた。
モニターの映像が二、三回転。フォスタを取り落した上に拾う余裕もないのか。
かろうじて見える光景から推察するに場所はホテルの一室だろう。モニターの
端々では気恥ずかしさから室内を無意味に動き回りながら学生服の上着を
放り投げるように脱ぎ捨てた姿が見えた。
『見られた、見られたっ、見られたぁっ!!』
羞恥の極致か。悲鳴さながらの絶叫が響く。当人の姿は見えないが、
部屋のどこかで真っ赤になって蹲ってる姿がありありと目に浮かぶ。
『あたしのバカ、バカぁっ!
なんで着ちゃったのよ! なんで着たまま出ちゃったのよ!』
声の響き具合からもしやバスルームに逃げ込んだかと埒もなく
推理しているシンイチは待ちの姿勢だ。いま自分が声をかけるのは
逆効果だろうと読めていたのだ。それから10秒ほど聞き取れない呻きか
言葉にならない絶叫が響いたが乱暴な足音と共に戻ってきた彼女は
荒々しくフォスタを拾うとこちらに一言。
『全部あんたの従者が悪い!』
「なんとも説得力がある言葉だ、正直すまん」
気恥ずかしさが一周してか。こうなった理由を端的に訴える発言だった。
大いに察しがつくうえに盛大に納得できる理由に彼は主として謝るしかない。
「そういえば嗅げとか羽織れとかなんとか言ってたわねあの女」
あの時のやり取りを思い出すだけで苛立たしげな顔となるミューヒ。
だが、それを実行してしまった上に見られて真っ赤になりながら
逆切れしている姿は実にトモエらしいと感じて自然と頬が緩んでいた。
ミューヒからすると彼女は言葉以外は逆に解り易いほど素直という印象だ。
ゆえにこういう仕草や態度を見せられるととても微笑ましく思ってしまう。
だがそこに気を取られ、彼女らが妙な顔をしているのに気付かなかった。
シスターは愕然としたように口許を押さえ、モニカは訝しげな表情を
浮かべながら首を傾げていた。
「しかし、なんだ。制服は別にいいが……そっちは照れ臭いな」
その様子に気付いているのかいないか。前者であろうが触れる事もなく
彼はモニター越しに見る彼女の姿に言葉通り照れたのか頬をかいていた。
疑問の視線にシンイチは素直にトモエ自身を指差した。
彼女が学生服の下に着ていたのは飾り気のない無地のTシャツ。
着替え途中だったのか部屋でくつろいでいたのか。薄着ではあるが
彼女にとっては彼の学生服姿よりはマシで、彼にしても照れてしまう
ような格好ではない。が、その首元には青緑色の勾玉がひとつ静かに、
そして当然のようにぶら下がってその存在を主張していた。
「実際に身に着けてもらってるのは、素直に嬉しく思うものだな」
それを嬉しいと言葉通り素直に笑って告げる彼にトモエは再び茹であがった。
『あ、ぅ……だ、だって折角もらったのを着けないのも失礼じゃない?』
されど先程と同じ醜態は曝せないと思ったのか真っ赤な顔で彼女は必死に
逃げ出したくなる自分を抑えていた。尤もその姿は事情を知らない者にも
ソレが男からの贈り物だと教えていた。当人がそれを憎からず想っている事も。
「別に気にする必要はない。どうせどこにでもある安物だ。
あの時の礼としては物足りないかもしれんが……」
それは彼としては単なる謙遜だったのか。
殊更大きく受け取る必要はないという気遣いだったのか。
しかしながらそれを聞いたトモエの表情は一転して崩れた。
『へぇ……どこにでもある、安物で、物足りない、ねえ?』
不機嫌か憤りか苛立ちか呆れか。
全てが混ざったかのようなその表情の圧力に彼も若干後ずさる。
「なんか怖い顔してるぞ巴さんや?」
『これ、出雲のメノウよね? しかも本当に力持ってる所の石使ってない?
それを誰かさんが勾玉にしてちょこっと力込めた痕跡もあるんですけど?』
どういうことかしらという鋭い視線にその誰かさんは盛大に目を泳がせた。
それがこの不器用な正直者の答えであり、どれだけ気を許しているかの
バロメーターでもある事実に彼女は呆れればいいのか喜べばいいのか。
「いや、その……どうせやるならちゃんとした物をと思って、つい」
『つい、でこんなすごいの渡さないでよ!
もらった時ははしゃいでそれどころじゃっ、ってそうじゃなくて!
後になって“これとんでもないものだ”って気付いた時の私の衝撃がわかる!?』
「ええっと、ちなみにどんな?」
『いったいあたしはどこの国宝持ってきたのかと思ったわよ!』
「大丈夫、お前の推測通りの手作り品だ。やましいことは何もしていない」
それは事実ではあった。彼は勾玉を作っただけだ。
材料入手や加工過程においても法に触れる事も倫理に反する事もしていない。
だから問題はないだろうと大真面目にいう彼に、だが青筋を立てたトモエは吠えた。
『それは大前提でしょうが!!
あたしが言ってるのは仕事と報酬が釣り合ってないってことよ!
ちょっと悪漢退治手伝っただけで神器一歩手前みたいな勾玉あげないの!!』
所々が何かが盛大にズレている少年に説教するような怒鳴り声。
互いの年齢と内容を考えなければまるで幼子を叱る母親のそれだ。
これに「む」と唸った彼はしばし首を傾げた後で「あ」という呟きをもらした。
いま気付いたらしい。モニター向こうで彼女は天を仰いだ。
『まったくもうっ………それで、さっき言いかけた用事はなによ?』
このうっかり者めと呆れの息を漏らしながらも一度気付いたのなら
もう大丈夫だろうと考えて彼女は自主的に話題を最初に戻した。
それが彼女からの彼への信頼の深さだと自覚していない辺りは
どっちもどっちであるかもしれない。
「じつは少しお前の刀を貸してほしいと思ってな……いやそっちじゃない」
言葉途中で彼女の目に宿ったその力がいる事態かという視線に彼は首を振る。
だがそうなれば当然どういう理由でとなるのだろうが一瞬だけ退魔師の顔を
したトモエはそうでないと知ると少女に戻って簡単に了承の声をあげた。
『なら別にいいけど、わざわざ連絡入れてまでいうこと?
あなたとっくに認められてるんだから呼べばいいだけじゃない』
むしろ好きに召喚しろと妙な許しまで出すのだからシンイチの方が戸惑う。
しかしそれでもそういうわけにはいかないと首を振るのが彼であった。
「いや、それはお前の刀だ。そしてお前の大事なものだ。
許されているからと勝手に持ち出していいわけがない」
当然といえば当然の理屈ではあるのだが妙な所で常識にズレを
起こしている彼だからこそ妙におかしく感じてトモエは仄かに笑った。
無論嘲笑うものではなく、こいつらしいと肯定する笑みで。
所有権とそれをどう思っているかを分けて考えている辺りが特に、と。
『ほんとにもう、そういうとこ律儀なんだから。
いいわよ、あたしは許可を出す。自分のタイミングで呼んで。
口ぶりからしてそんなに長い時間じゃないんでしょ?』
「長くとも今日中には返す予定だ」
そ、と頷いた彼女は何かに気付いたように言葉を続けた。
『あんた自身はいつ戻ってくる予定?』
「俺もヒナも遅くとも明後日の朝には何食わぬ顔で戻るつもりだ」
『そういうこと自分でいわなくていいの。
……けどわかったわ。先生にはそう伝えておく』
「頼む……勉強は忘れるなよ?」
『うえ、忘れてなかった! あ、嘘っ、冗談だから怖い顔しないで!』
一瞬怪訝そうな顔を少年が浮かべれば慌てたように弁明したトモエは
ちゃんとするからと必死な声で訴えて逃げるように通信を閉じた。
「ま、お前がサボる訳もないか………ありがとなヒナ」
そしてその視線に気付いて付け加えるように彼は感謝を告げた。
「なーにがかにゃー?」
「色々聞きたそうなのに黙っててくれて、だよ。助かった」
これがシスターへの返礼のナニカであると告げていたからか。
聞きたい事、割り込みたい所もあったろうに彼女は小さな呟きを零すだけ。
その気遣いに彼は真摯な感謝を示した。まず一番に。
「………君は本当にそつなく女の子たちにエサを撒くよねぇ。
直前までトモトモとイチャついてたかと思えばこれだもん」
「エサ? いちゃ、え?」
これにはやってられないと肩を竦めるミューヒだ。彼はそれに本気で
不思議そうな顔するのだからどちらに対しても遊びではない証明だった。
だからこそ厄介というか頭が痛いというべきか。
「誰に対しても、じゃないのは幸いなのか。余計に性質が悪いのか」
溜め息が出る。
極端な関係途絶っぷりを学園で見せているが彼の本質は世話焼きである。
ただ自らが抱える事情か生来の人見知りか単に煩わしいのかそれを知る者は
学園においてごく少数だ。大仰な立場や血筋を持つ者が多いその中に自分がいる。
その特別扱いはなんとも心くすぐるもので、溜め息は出るのだが妙な優越感
が芽生えて顔がにやけそうになる。
「……ねえ、あなた。いまの女の子って……」
二人の会話がそこで途切れていたからか。
表情が緩みそうになっている彼女を余所に席を立ったモニカはシンイチに
詰め寄ろうとしていたがその前に彼は手を翳すようにしてそれを止めた。
モニカは、その背後で愕然としたまま固まっているシスターと同じく
どう反応していいか解らないという複雑な表情を浮かべていた。
「お前まで気付いたのか。
よく見ているのだな────来い、カムナギ」
「っ!?」
喜ぶように仄かな笑みを浮かべてその名を呼ぶと指先で陣を描く。
そこから飛び出すように現れた鞘に納められた一振りの日本刀。
目を瞬かせる歌姫を横目にそれを軽々と掴みとった彼は、溜め息だ。
当然であろう。なにせいきなり、これだ。
『呼ばれて飛び出てジャジャ……ってもう古すぎるわよねこれ?
まあいいわ。はぁ~い、来たわよ未来の息子くん! どんなご用事かしら?』
突然、彼の視界に現れたのは薄らと透けているが輪郭のはっきりした女性。
今にも神楽でも舞いだしそうな格式ある巫女服を身に纏う大和撫子。
中身はこの明るくも軽い発言でお察しな人物。カムナギに魂を宿す者
ショウコ・サーフィナ。トモエの今は亡き母親である。
「なに、いつかの意趣返しですよ」
霊体ゆえ聞こえている、見えている人物が限られている彼女へ
小声でそうこぼすとシンイチは薄らと三日月を顔に浮かべる。
『ほへ?』
だが一瞬でそれを消した彼は軽やかな足取りでシスターに歩み寄ると
驚きで目を見開いている彼女に穏やかな笑みと共に刀を差しだした。
「これを」
「っ……ぁ、ぁあっ!」
それだけでもう彼女には充分だった。
言葉にならない嗚咽をもらしながらも伸びる二本の腕は震えている。
触れていいのか迷うような素振りを見せつつもシスターはカムナギを
しっかりと受け取ると優しく、まるで赤子でも扱うように優しく抱え込んだ。
『え、ちょっと信一くん? なに、え?
別に宗教こだわりないから別にいいけど、知らない人にいきな……え?』
そして、目が合った。
ショウコの黒い目とシスターの青い目が。
偶然ではない。どちらも確かに相手の存在を認識して互いを見ていた。
そうして向かい合う両者の姿は正反対。片や巫女姿で片やシスター姿。
外見から察せられる人種も違う。ただ、もし、ショウコを見える者が
この場に他にもいれば誰かはこう言うだろう───よく似ている、と。
「晶、子?」
『ママッ!?』
はらりと滴がシスターの瞳から零れ落ちる。
嘘でしょといわんばかりにショウコは絶叫する。
浮かべる表情はまるで違い、その年齢にも違いはあるが、それでも
見る者が見ればその顔つきや雰囲気の類似はわかったことだろう。
間を抜かした孫と祖母さえ“似ている”と義娘に思わせる程なのだから。
「っっ、母と、呼んでくれるのね。
……何もできなかった私をっ……晶子、ごめんなさい。私は、あぁっ、晶子!」
『わ、わわっ、泣かないでったらママ! えっと確かに色々あったけど
私はこうして無事、じゃなかったよ!? 私めっちゃ死んでる!!』
ついに堪えきれずに大きな嗚咽を漏らしだしてカムナギをまるで
彼女自身だというように抱きしめるシスター。その様子にあたふた
しながらどうしようと飛び回るショウコの姿はどこか彼女の娘と重なる。
これを見れただけでも意趣返しは充分だとにやりと笑ったシンイチは
その背をそっと押した。
『わっ!?』
「ぁ、晶子っ、ああっ、この手にまたあなたを!
こんな日が来るなんて、ううっ、ぁあぁっ、晶子、晶子っ!!」
それによってシスターとぶつかったショウコはそのまま母親の
逃すまいとするかのように動いた両手に強く抱きしめられた。
『ママ落ち着いてって! この歳でこれはっ……ちょっ、信一くんやったわね!』
その腕を拒否することもできずに狼狽える彼女は少年を睨む。
だがしてやったりな笑みを浮かべた少年は何のことやらと肩を竦めるだけ。
無論、これは彼の仕業だ。一時的に霊体であるショウコを半実体化させ、
霊視できる者なら触れられる状態にしたのである。
『あとで酷い、って力関係的にどうにもならないわ!?
ね、ねえ、せめてママに何かいって、これ本当に、ねえ!』
「あの刀はシスターの亡くなった娘さんが受け継いでいた物だ」
ショウコの気恥ずかしさからくる助けを求める声を無視する彼は
一方で“視”えていない彼女らにはそんな一言で簡単に説明した。
似ていると感じてたモニカと聡いミューヒはそれだけで充分であった。
分からないことがあるとすればそれは。
「でも、さっきの子が孫の巴ちゃんだっていうならあの記事はいったい?」
彼女は確かに見たのだ。安倍一家三人が死亡したという新聞記事を。
どういうことだというもっともな疑問に、だが彼はあっさりと答えた。
「ちょっとあいつらの血筋は訳ありでね。事故で偶然生き残った巴が
バカな連中に狙われないようどっかの若作りな婆さんがその死を
でっちあげたんだ。名前もわざわざ通りがいい母親の旧姓を使ってな」
おかげで実の祖母に娘夫妻どころか孫まで死んだと思わせてしまったのだが。
だからやることが中途半端なんだよと誰知らず彼は毒づく。
「よく分かったね。
ボクも人の顔は見る方だとは思ってたけど指摘されるまで気付かなかったよ」
「別に大した話じゃない。俺もショウコさんの顔を見たのは殆どつい先日だ。
その時も色は違うのに巴とそっくりだと思ってた。それが頭にあったまま
だったからシスターの顔をちゃんと見た時に、あ、ってな具合で」
「…………恐ろしい偶然だね。トモトモと知り合って、どうしてかは
知らないけどお母さんの顔を見て、その後でおばあちゃんと遭遇、なんて」
明るくそう指摘するミューヒだが、その目にあるのは訝しげな色だ。
全員が同じ場所で生活しているのなら、まだ起こりえる偶然ではある。
しかしながら全員が全く別の場所に住み、一人は既に亡くなっている。
そもそも彼がここに来る事になった過程そのものが幾重にも偶然が
重なったゆえだ。彼が学園に来てからのコト、つい先日の総合試験で
起こった出来事を考えると彼の周囲では気味が悪いほどに偶然が重なる。
あるいは出来事が連鎖する。彼にとって良きにせよ悪きにせよ。
「別に、俺にはよくあることだよ」
そして当人がそれを当然のことのようにしているのが、どうしてか。
ミューヒは気に入らないのだが言葉にできないその感情は表せなかった。
ゆえにそれからはしばし娘の形見を抱きしめるシスターが落ち着くまで
彼等は黙ってその様子を見守った。
「────俺のお返しは気に入っていただけましたか?」
そして漏れ出る嗚咽が小さくなってきたのを見計らって少年がいう。
霊体の娘を名残惜しげに解放しながらも彼女は涙を湛えたまま笑ってみせた。
「ええ、とっても……でも、本当に悪い子。
長く生きてきたけど男にここまで泣かされたのは初めてよ?」
「ははっ、それはじつに光栄な話です」
「いけない子ねぇ……ああ、ところで一つ聞いてもいいかしら?」
「はい、なんで───」
しょうかと続くはずの言葉は封じられた。代わりに場を支配したのは鋼の閃き。
抜身の刃があと数センチという距離でシンイチの喉元に突きつけられていた。
「───うちの孫娘とはいったいどういう関係かしら?」
シスターのにこやかに過ぎる笑みと共に。
『待って! 待ってママ! 彼はいいから!
この子ぐらいじゃないとあの子の難儀な所受け入れてもらえないのよ!
巴も本気で好いてるみたいだからお願い認めてママ!』
突然の凶行に誰もが驚きで固まっている中。彼の視界では巫女服姿の娘が
刀を持ったシスター服姿の老婆を羽交い絞めにして止めているという
微妙にシュールな光景が展開されていた。
尤も娘の発言は母の視線をより鋭くするだけだったが。
「ずいぶんとまあ、あの子から熱い視線を注がれていたようで?」
どうやってうちの孫をたぶらかした、このクソガキ。
シンイチは言われてもいないそんな本音が聞こえた気がした。
「そう来たかぁ」
渇いた笑みをもらしながら彼は降参とばかりに両手をあげる。
その後ろではミューヒの無言の問いかけにモニカが苦笑交じりに答えていた。
「シスターってここを巣立った子が恋人とか伴侶とか連れてくるとうるさいのよ。
お眼鏡に適っても適わなくても不機嫌になって、ちょっとだけ拗ねるの」
私も時々愚痴られたとおかしそうにいう彼女にミューヒはふと思った。
「それはなんとも似たモノ親子だね?」
「え?」
「どこかの誰かさんも子供達の人気を取られて拗ねてなかったかにゃー?」
「あ、いや、それは……」
指摘に、半分狼狽えつつも残り半分嬉しそうに微笑んだのは慕う相手と
似ているといわれてのことだろうと見抜いてミューヒもまた笑う。
一方で少年は頃合いだと形ばかり強張っていた顔から力を抜いて目尻を下げた。
「こんなことしなくても、ちゃんと話しますよ。
俺が知る限りのあなたの孫娘のことを」
本当に聞きたいのはそっちでしょうと匂わせれば不承不承ながら刀は仕舞われた。
「……察しが良すぎるのも何か腹が立つわね」
「わかってくれますかシスター!」
「ヒナそこで同調するな! 話が進まない!」
「ごめんごめん、ならお詫びにボクもトモトモについて語りましょう!」
形ばかりの謝罪という体を取って彼女もまたこのシスターに学友について
話すことに否やは無かった。ならと全員が再度席につく中で、だが
代わるように席を離れたのはモニカ。
「じゃ、私は子供達の様子でも見てくるわ。
シスター、時間は気にしないでいいから」
その間の面倒は自分が見ると去ろうとした彼女に誰よりも先に声をかけたのは
シスターではなくシンイチであった。
「待てって、お前も聞いていけばいいじゃないか。実質あんたの姪の話だぜ?」
「……私の、姪?」
そのフレーズに思う所があったのか。しばし硬直した彼女は何やら
わざとらしく咳払いすると定型文のように「そういうことならそうしましょう」と
告げるとそれなりに格好つけて去ろうしたことなど無かったように腰を下ろしていた。
これに親代わりは笑えばいいのか頭を抱えればいいのか複雑な顔をしていたが、
少年たちは受け入れるように微笑んで語りだす。
自分達が知る限りの彼女らの家族についてのことを。
余談だが、その内容はいくらか話せないことは隠されていたが、
嘘や極端な脚色のないものでトモエという少女の長所も短所も伝えるもの。
尤もかの少女の性格上どうしても失敗談のエピソードが多かったのは否めない。
それは先ほどの通信でのやり取りを見ているがゆえに説得力がありすぎた。
ゆえに、シスターは無言で霊体の娘を半眼で見据えた。それにショウコは
ばつが悪そうに目を泳がして霊なのに冷や汗をかいていた。さながら、
というよりはそのものだが、孫の教育に物申す祖母と針のむしろの母だ。
一方でモニカは語られたエピソードになんだか本当に他人のような気が
しないと愕然としていた。勿論シンイチはその反応の全てを楽しんでいたが。
そしてミューヒはそんな彼に今日何度目かも分からない呆れを抱くのであった。
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その後も別口でひと騒動あったのだが、いくらかの交渉と助言のあとで
三人連れだって出発し、この野外ライブ会場までやってきた。
一度口にしたことは守ると言った通り彼女は仮面であろうが余裕の態度で
彼等を護衛として近くに置くことを決して曲げようとしなかった。しかし
マネージャーとの言い合いは終わる気配が見えてきていないのも事実。
ここは自分達も参加すべきなのではとミューヒが考え出したまさにその時。
「おい、あんた何やってんだ!?」
どこかからスタッフらしき人達の怒声が響き、何事かとまず隣を見て、絶句。
何せ、シンイチがいなかったのだ。