04-95 狙われるのは…
短いですが、必要な視点と思いまして……そして他と混ぜづらい視点なので……
北海道・旭川某所。華やかな駅前からは少し離れた立地なれど
それなりに人の往来があるビル街にさして大きくもない雑居ビルがあった。
新しくも古くもないその最上階4階フロアはさる会計事務所が借りている。
この近辺では仕事も早く、真面目で優秀な人ばかりだと評判の事務所だ。
尤もそれは“表向きの”という言葉が頭につく話ではあったが。
内部では従業員たちが各々の仕事をいつも通りに行っていた。
さして変わった様子はなく、時折雑談なども交えて彼らは職務に励む。
つい数分前に10名にも満たない作業着姿の集団が突如入り込んで
自分達のロッカールームを事実上占拠したというのに何も変わらず。
「全員、仕事道具をここに全て捨てていけ、翻訳機やここに予備がないモノもだ。
できれば衣服も全て交換しておけ、済んだらここを出て次に行くぞ。急げ」
会計事務所として、あるいは人が複数集まった職場として適切な話声や
物音を立てているのを横目に顔に傷のある強面な男がその場の全員に命じた。
いたく苦々しげであったが彼等はそれには反応することなくロッカーを開けると
所持していた端末を置き、代わりに天井に張り付けてあった何かを取る。
その手には何もないように見えていたが一瞬空間が揺らぐように歪むと
次の瞬間にはガレスト製端末が姿を現した。作業着だった衣服も中に
かけられていたどこにでもあるようなスーツにてきぱきと着替えていく。
その手際の良さはどこかの軍隊かというほどに息が合った素早い代物。
尤もただ一人を除いて、ではあるが。
「何を慌てているんだ六道?」
食ってかかる、というほどではないが何もそこまでといいたげなのは
人の良さそうな顔をしている四十代ほどの英国人らしき男性。
「処分保留でまた働けるチャンスをもらえた身でいうのはなんだが
ここで本店と連絡を取って次の指示を仰ぐべきではないのか?」
「ニック・ブスジマ、担当違いとはいえ今は俺に従え。
いまそれらには性質の悪いウイルスが感染した疑いがある。
そしてこの先を思えば可能性の話でも捨てていくべきだ」
その会話は日常的とは言い難い雰囲気ながら、事情を知らなければ
意味を正確に理解することは難しい。ここが防音性の低い安ビルで
あることを考慮しての言葉選びと偽名呼びであった。
「ウイルスだって? まさか奴に仕込まれたと?
壊滅的な破談を回避できたのは確かに君の手腕で、感謝しているが
さすがに奴もあの状況でそんなことができたとは……」
「誘導されていたとしてもか?」
「……なんだって?」
「全部誘導されてたんだよ、最後の動き見ただろう?
追及しようと思えばどこまでもやれただろうぜ。なのに見逃された。
しかもこっちに都合がいい動きばっかやって、だ……警戒するのは当たり前だ」
その中で六道という男は当然のように語った。自分達は故意に逃がされたのだと。
これには一瞬だけ移動の準備を進めていた部下達も驚いたように固まるが彼に
一瞥されただけですぐに作業に戻っていく。相変わらず動かないのは愕然と
しているブスジマという男だけ。
「わざと逃がして奴に何の得が……」
「俺達の監視、示威行為、本店への圧力、支店の把握。
色々予想はできるが本命は次の交渉を優位にするためだろう。
少なくとも面と手口はバレちまったし幾人かは引き抜かれちまった。
準備万端、手ぐすね引いて待ってるぜきっと」
「………本当に彼女側に立つつもりなのか、奴は?
あれはあいつにとっても害になるし私達と完全に敵対することになる。
デメリットしかないじゃないか」
そんなことがあり得るのかといいたげなブスジマに六道は本気で眉を潜めた。
つい先程そいつにろくな抵抗もできないまま逃がされたと言ったばかりというに。
ただ言いたいことが分からないわけでもないため彼はそれだけの反応で済ませた。
あの無敵に思えた仮面を唯一地に倒した毒を奴自身が守ろうというのだ。
組織への狂った忠誠心が何よりも優先されるこの男では理解できないか。
あるいは無意識の同族嫌悪で理解したくないのか。組織の為になるなら
例え自分にしか効果がない猛毒を世界中にばらまけといわれてもコレは
嬉々として実行するだろうに。そこに何の違いがあるのか。
判断基準が自分の感性か組織かの違いでしかない。
これだから狂信者は使えないと六道は呆れ交じりに嘆息だ。
「奴はそう思ってないってだけの話だ。てめえの尺度で考えんな。
あの手の奴は精神的満足が一番なんだ。お前さんがいうデメリットも
あいつにとってはどっちも取るに足らぬ石ころなんだろうぜ、ったく突き抜けてやがる」
「わ、私達が……石っ、ころっ!」
六道がそれらを比較的オブラートに包んで告げれば見るからに不快だと表情を
ブスジマは歪めた。六道はそれを白けた目で眺めながら自らも汚れた作業着から
小奇麗なスーツへと着替えた。
「だがこうなるとてめえのスタンドプレイは僥倖だったな。
おかげであのお姫様にとんでもねえ騎士がついたことが分かった。
しかもあっちは明日もやってくると思ってる……これはでかいぜ?」
そして表情さえも一瞬で切り替えると、いかようにも利用できる、とほくそ笑む。
しかしブスジマの顔にあるのは困惑とも迷いとも違う無力感に苛まれた諦観だ。
「いやあれはそうすれば実家に相談しにくると踏んで待ち構えて……」
「だが来なければ明日交渉する気だったんだろ?」
「そのつもりではあったが……こちらの手札はもう全て役立たずじゃないか」
自らの命を投げ出すのもいとわない程。
あるいは時として命令さえ無視する行き過ぎた忠誠心はあれど
何をしても意味がない、抵抗しようがない、対抗手段がない状況で
アレに立ち向かう無謀さを理解するだけの冷静さは彼にもあった。
元より通常兵器・兵装はマスカレイドの特異性が相手では無力。
虎の子であった使徒兵器でさえいってしまえば同じ扱いを受けた。
それに対する憤慨もありながら、もうどうすればいいのだといいたけな
顔は情けなくはあるが少なくともその点は現実を見ているともいえる。
これには一瞬意外そうな顔をした六道は彼の言葉そのものには
否定も肯定もしないまま、ある推測を語る。
「明日来ると身構えている奴のプランは大まかにはこうだろう。
交渉で俺達を返り討ちにして次の準備が整う前に本店に圧力だ。
隣にいた女は大手所属、奴とあそこの一声があれば同業者全員が敵というのも
あり得ない話じゃない……そうなればさすがに本店さまでもね…」
手を引かざるを得なくなる。濁したそれを視線でブスジマに伝える。
表情から彼がそれを察したのを確認すると似合わないスーツを整える六道。
だが横目でブスジマが勝手な義憤と屈辱から顔を歪め、拳を握りしめているのを
見て口許を歪ませる。半ば以上、否確実に『蛇』を神聖視する彼にとって、
事実上たった一人の手で敗北するのは断じて認められない話なのだろう。
それが仮の、推測の話であっても。だが。
「しかしそれは俺たちが本当に返り討ちされるなら、だ」
「っ……策が、あると?」
思わせぶりな言葉に驚きながら縋るような目の彼に六道は不敵に笑う。
「直接対峙して大まかだが実像を知れた。偶然だが弱点も発覚した。
当然奴もその対策はしようとするだろうが一日足らずでは難しいだろう。
あれに関するデータもこちらの方が豊富で、手数は当然俺たちが有利。
あの大手が協力したとしてもあそこは実質少数精鋭だからな」
勝ち目はあると暗に匂わされたブスジマは知らず喜色を見せる。
ああ、単純な男だ。侮蔑を完全に隠してそこへさらなる餌を六道はぶらさげた。
「何より目的は奴の排除じゃなくて本丸の彼女との交渉だ。
お前の解雇を待ってもらったのは明日働いてもらいたいからだ。
彼女との交渉、またやりたいんだろう? 任せてやるよ」
「は? あ、ああっ、そうだな! やらせてくれ!
今度こそ成功させてみせる! すまないな六道! 恩に着る!」
その言葉の裏の意味を察して一転して喜びの表情を見せた彼は
ここまでが嘘のようにきびきびと動いて準備の遅れを取り戻していく。
決して狂信だけの男ではない。頭も悪くはない。潜入工作の手腕はある。
純粋な戦闘技能も他の部下達より上であろう。だが、それでも。
「……一般人の中に長く居過ぎたな」
ほんのわずか冷めたような視線を向けた六道はだがすぐにそれを消す。
“その程度”に意識を向ける意味などないと頭の中で明日の計画を練り上げる。
──マスカレイド、お前の策に乗ってやるよ
──お前自身を討ち取るためにな
仮面の抹殺計画を。
この状況下で明日のライブでモニカ・シャンタールを狙う必要性は薄い。
本来なら仮面がいるとわかった時点でしばらく手出しを控えるべきだ。
だが、マスカレイドを抹殺するためとなれば逆に明日しかない。
明日だけ仮面が持つ重大な優位性を三つも剥ぎ取ることができるのだから。
一つ目は当然あの異常ともいえる戦闘能力の弱体化である。
場所は彼女のライブ会場だ。こちらで用意するまでもなくあそこは彼女の歌で
満ちている。仮面にとっては猛毒が気化した場所で走り続けるに等しいだろう。
それでも一戦士としては凶悪な戦闘力を持つことは我が身で体験したが
『蛇』がかき集めた情報と比べれば能力が低下しているのもまた事実。
とはいえ相手があのいくつもの不可思議な力を持つ仮面となれば
時間をおけば対策を用意されるか克服されてしまう恐れがある。
相手がその対策を用意しきる前に攻められるのは今だけだ。
二つ目は明日だけは仮面の不透明さが薄まること。
神出鬼没さの権化たるマスカレイドはどこにいるか分からない存在であると
同時にどこにいてもおかしくない存在である点が攻めるにも防ぐにも極めて厄介。
だが歌姫には明日のライブでの殺害を匂わしている。その歌声に価値があると
本気で聞き惚れ、奪おうとした自分達を恥知らずと罵ったアレがその状態を
放置するわけがない。ライブ中は必ず会場やその周辺にはいるはずだ。
三つ目は仮面が庇わなくてはいけない存在が現れたこと。
どこの誰か解らずその無貌の奥にある人物への攻撃が今まで出来なかった。
そのため常に自分達が襲われる側にならざるを得なかったが今回だけは逆。
自らモニカ・シャンタールという自衛できない無力な存在を守るとしたのだ。
仮面が彼女を見捨てない限り歌姫への攻撃はマスカレイドへの攻撃と同義となり
攻守が逆転。強くとも一人でしかない仮面が防戦をさせられるのはこちらには
有利に働く。
まさに千載一遇のチャンスといえよう。
これを逃せば自分達は常に彼女の歌を発する何かを持ち歩きながら
どこから来るか分からない仮面に怯える日々を迎えることになる。
当然、使徒兵器という数百年にも近い開発期間と国家予算など目では
無い研究費用をかけて作った凶悪な武器は使い物にならなくなる。
あれを完成させることは『蛇』の悲願の一つであったというのに。
またアレには交渉も脅迫も懇願も通じない。アレを動かすのアレの理屈のみ。
そしてその理屈と自分達『蛇』は致命的なまでに合わないと男は感じていた。
ゆえに明日しかないのだ。仮面の異常な戦闘力と神出鬼没さ、言葉の通じなさを
実体験した彼はたった一人の正体不明の存在にいずれこちらがジリ貧となると読む。
随分とふざけた滑稽な話だと思いながらも六道は全く笑えない。それだけの結果を
仮面は戯れのような空気で出し過ぎていた。そう大きな手加減の中で自分達は負け、
そして逃がされた。ぎり、と知らず歯噛みした自分に彼は首を振る。
──明日だ
──否、明日しかない
そこでマスカレイドを必ず抹殺しなければならない。
好機を得たからだけではない。単純に自分達に次が無いのだ。
今までは本気でなかったのか。他の事柄を優先させるためか。
マスカレイドが『蛇』に与えた被害というのは解り易い傾向があった。
たまさか遭遇した組織の『目』や『舌』を悉く潰し、
他の裏組織の壊滅か支配のために資金源を破壊するか乗っ取って、
結果、人、資財、資金の入手ルートが間接的にいくつか消滅した。
つまりは別の目的で行動中にたまたまいたから排除した、あるいは
意図していなかったが結果的に『蛇』の痛手となってしまった、だ。
それは組織全体を見ればまだ軽微といえる被害ではある。しかし
ここ数十年を振り返ってみれば桁違いに最大の損害でもあった。
ふざけた話であるが全く笑えない。そしてまさかの鉢合わせと
ベノムの暴走にも近い突然にして明確な敵対。その上使徒兵器は通じず、
歌が流れてあの騒ぎ。こちらが歌姫を狙う事情はもう隠しようがなかった。
だから彼はペラペラと自白して万が一に賭けてみたが仮面が自分を殺しかねない
歌に魅了されるとは予想だにしていなかった。二世界相手にほぼ単独で
ケンカを売った狂人の精神を、少なくとも頭はまともだと思ったことが
間違いだった。これで完全に敵対関係となってしまった。今まで片手間と偶然で
あの被害である。ならば本気でこちらを潰す気になった奴が出す被害はいかほどか。
彼が笑えないのも当然だ。機会が揃った明日しかない。いちいち『頭』に
確認や許可を取ってる暇もない。あとでどんな懲罰があろうと動かせるモノ、
使えるモノ全てでマスカレイドを消さなければ遠くない未来で自分達は終わる。
そもそも歌姫を守るためには狙う理由と力がある『蛇』が邪魔なのだから
どの道それを考えているだろうことは想像に難くない。壊滅されるまでは
いかないだろうがそれに近いダメージを受ける可能性は充分にあった。
そこからの回復は下手をすれば百年以上を考える必要がある。『蛇』の歴史を
思えば短い時間だが、避けられるなら避けたい話であるのは当然。そして
そのための道筋は見えている。あの二世界脅迫事件からまだ半月未満だと
いうのにもう裏社会では仮面に目をつけられる事はイコールで身の破滅
という認識が定着し始めているが─────奴は倒れた。
─赤い血を流した
─無敵の魔人などではない
─あのふざけた仮面の奥にいるのは人間だ
─ならば殺せる
─排除できる
─道筋は、ある
頭の中でどう攻めるか。何が、どれだけ必要なのかを弾きだす。
元よりライブ会場での暗殺を全く考えていなかったわけではない。
様々な都合から先日のアミューズメントパークの方を選んだに過ぎない。
破棄されただけでライブの予定や会場場所の情報は元々頭にはあった。
どこに、どんな罠を、どんな牙を、どんな毒を、どれだけ。
それらに対する仮面の様々な反応を想定し対策を思案する。
名目上は歌姫の暗殺作戦でもその成功は二の次、三の次でいい。
仮面に比べれば歌姫程度の存在など些末事。それに乗り気な男もいるが
どうせ処分が決まっている捨て駒だ。せいぜい役に立ってもらうとしよう。
男は誰にも見えないところで一人ほくそ笑んでいた。こいつが知らなくても
まだ切っていない札はこちらにはまだあるのだから。
──マスカレイド、待っていろ
──明日はこっちが翻弄する番だ
──俺が楽しいライブにしてやるよ
という、シックスくんの頑張ります宣言でした(え
彼が用意する仮面翻弄の手段とは、彼が持つ切り札とは!?
弱点を見抜かれた仮面はこれらをどう切り抜ける!?
とか予告っぽく煽ってみたが、
相手が相手なんで悪党が頑張れば頑張るだけ盛大な前振り感が(汗