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帰ってきてもファンタジー!?  作者: 月見ココア
修学旅行編 第一章「彼の旅はこうなる」
180/285

04-94 しょうがないなぁ

果たして、これをイチャイチャといっていいのか、それだけが不安である









「────わかったわ、あとは交代人員が来るまで現状維持。

 問題があればすぐに私に連絡して、いいわね?」


『了解』


少女にしか見えない女が狐耳と狐尾を揺らしながら廊下をひとり歩いている。

耳に装着したインカム型の翻訳機(通信機)に呟くように指示を出すと通信を切った。

これで今できる後処理というものはない。あちらの後処理部隊と気絶した兵士達は

全員武装解除し捕縛済み。今は損壊した隣家─高度な立体映像で偽装済み─で

厳重に拘束されている。彼等全員は勿論、装備及び隣家そのものがこれから

『無銘』預かりで調査予定。世界を跨いで活動している割に裏社会でも

謎の多い『蛇』関係となれば小さな情報でも欲しい以上は必要な処置であった。

そして『蛇』が作りだした偽家族がまだ普通に生活しているように装った上で

近日中に転居して穏便に周辺住民との繋がりを切る予定である。一家族が突然

いなくなると騒ぎになるが転居後、徐々に音信不通となれば話は別だろう。

ただどちらも必要な対処とはいえ、それなりの人員と手間そして金がかかる話。

尤もこれは依頼という形でどこかの仮面が適当な金額を出しているため

『無銘』としてはさして問題がない。裏社会の死の商人は伊達ではない。

それは何も武器を売り買いするだけではない。武力そのものを売る事も

あればその後始末を請け負うことも珍しくはない。今回は使われた兵器や力は

規格外であったが規模は家一軒の内側の事であり、その程度の裏の争いの

後処理など定番依頼の一つとさえいえる。だが。


「君ってホント、どこまで読んで動いているのやら」


あの後、起き上がって即座にこれを依頼する辺り“最初から”こうする予定だった

ように思えてしょうがないミューヒだ。だがその“最初”がいつなのかは彼女も

想定しきれない話で────果たして彼は頭がいいのか悪いのか。


「……おとなしくしてるといいけど」


何度目かも解らないその問いかけを胸に仕舞いながら扉の前で溜め息。

抱き留めた彼の瞳に隠しようがない疲労感が出ていたのには気付いていた。

それでもあの少年が休んだのはほんの数分。ミューヒの硬い腕の中から自力で

起き上がって後処理を依頼すると彼女共々転移で礼拝堂に戻った。おそらく

隣家から教会へと戻る姿を誰にも見せないためだろう。彼はすぐにもう問題が

無いことを伝えると当然のように子供達に「助かったよ」「ありがとう」

「偉いな」と労うものだから女性陣は若干白い目をしていたのだが。尤も

照れ喜ぶ子らの手前と少年が本気でそう言っているのが伝わったのだろう。

付き合うように、あるいは守ろうと思ってくれた事を喜ぶようにシスターや

歌姫も感謝を示した。そして詳しい事情を聞こうとうまく子供達を施設に

戻して職員に預けたのだが、その直後にシンイチがまた崩れ落ちかけたのだ。


───『ははっ、すいません。ちょっと休んでいいですか?』


即座に反応したミューヒに支えられながらなんとかそうこぼした彼の顔は

力無い苦笑といった代物で覇気が無かった。一瞬前まで子供達に見せていた

頼り甲斐がありそうな兄の顔は跡形もない。ミューヒがそれを呆れたように

責めればどうも、子供達に早く安全を伝えて安心させたかったために無茶を

して立っていたがその役目を終えて子供達の目が無くなった事で気力が

尽きてしまった、という事をかなり遠回し且つ正当性があるかのように

主張したために三人の女性陣から概ねこんな評価を受けた。


───『男の子って奴はどいつもこいつも格好つけたがるわね』


うちにいる子らとなんら変わらないではないかと呆れるモニカの言葉に

他二名も同意しながらもシスターは自分の部屋で休んでいってと提案をした。

だが彼はなんだかんだと理由をあげて─主に先に休むべきはシスターだと

主張して─固辞するので苛立ったミューヒが彼を力尽く担いで案内された

部屋のベッドに問答無用で叩き込んだのだ。拘束系スキルまで使って。

効果が無いのは知っていたがこちらの意志を示すためと気分の問題。

それからシスターに呼ばれ、差し入れだという飲み物や食べ物を

渡されて戻ってきたのだが果たして。


「それ以前にまだいるの? アレが? おとなしく?」


じつは今ブラジルにいるといわれても驚かないミューヒである。とはいえ

ここで悩んでも仕方がないので一度頭を振っていつもの調子でドアを開けた。


「イッチー、ちゃんと寝てるかーーーい!? 色々もらってきたよぉっ!!」


突き破らんばかりの勢いと労わっているとは到底思えぬ声量でのご挨拶。

いなければ痛いほどの静寂が返るだろう。いれば胡乱な視線と共に静かに

しろという呆れと疲れが混ざった声が返るだろう。そう、思っていた。


「………」


「…はへ?」


彼はいた。

予想通りおとなしくベッドに寝てはいなかったが、その縁に腰かけていた。

自らの膝に肘を突きながら項垂れるように両手で顔を覆っている体勢で。

騒がしい入室に気付いている様子は全く見られない。それどころか

周囲で起こる事すべてを拒絶しているかのような雰囲気を感じ取って

彼女は次の言葉が中々出てこなかった。今まで見た事もないほどに

纏う空気が重い。さほど広くはない、むしろベッドと机に本棚しかない

質素で狭い部屋だというのに彼女は一瞬地球の裏側などよりもっと遠い

場所に彼がいるかのような錯覚をして耳や尾の毛が逆立つ。


「………お、おおーい、イッチーやーい? 入りますよー?」


それでもやっと絞り出した声は自分でも驚くほどにか細いもので、

だが意を決して足を扉からもう一歩先に進めれば激しい反応が。


「っ!?」


跳ね上がったようにこちらに向いた顔には『警戒』その一色しかない。

それを真正面から受けたなら彼女も身構えただろうほどの厳しい視線。

しかしそれは微妙に彼女自身を捕えていない。そもそもこちら方面を

見るその目はどこか焦点が合っていないかのよう───まさか。

差し入れのビニール袋から一本のペットボトルを取り出す。


「ほれ、差し入れだよーん」


そしていつもの口調ながら硬い声色で彼に放り投げると少し横に移動する。

緩やかな放物線を描くソレは真っ直ぐにシンイチのもとへと飛んでいくが、

彼の眼はそれを途中まで(・・・・)見ていなかった。


「っ、え?」


驚いたように受け取る、にしては鋭く素早い手の動きはまるで手刀による斬撃。

否、真実そうであったのだろう。その半ばまで切り込んで急停止したのは何が

飛んできたのかを理解したからか。尤も当然ながら入った切れ込みから中身が

零れ落ちて床を濡らす結果となったが。


「あ、わっ!?」


これはまずいと思ったのか。スキルか別の何かの作用で切り口を氷が覆った。

対処が早かったため零れた量はたいしたものではなく雑巾等で一拭きすれば

消えてしまう程度で済んだ。


「……ヒナか?」


見るからにホッとした顔を浮かべた彼は、だが手元のペットボトルを

いくらか見下ろすと再び扉がある方へ視線を向けながら訝しげに呟く。

そこにミューヒはもういないというのに。


「……はいはーい、あなたのストーカーのヒナちゃんですよぉ?」


「あ、ああ…」


問題ある事をいいながら少し距離をつめるが彼からの反応は薄い。

普段の彼なら「ついに認めたか」か「自分でいうか!?」という所だろう。

あるいはその声の低さと笑ってない目に顔を引き攣らせたかもしれない。

これはもう間違いが無いと判断して彼女はゆっくりと、そしてわざと

大きな足音を立てながら歩み寄ると彼の顔を覗きこんで一言。


「その目、見えてないでしょ?」


ようやく目が合った彼の瞳に映るのは自身の満面の笑み。

宿る感情に気付いてか少年はそこでようやく顔を引き攣らせた。


「な、何をバカな」


「そうだね、このぐらいの距離は見えてるみたいだし」


ミューヒは互いの鼻と鼻がぶつかりそうな距離でニコニコと笑う。

完全に形だけの笑みだと見えているから(・・・・・・・)彼はどこか居心地が悪そう。

目を泳がすほど露骨ではないがどう対応すべきか頭も働かないのか声も出ない。

その様子にクスリと笑った彼女はそれじゃあと室内のある場所を指差す。


「そこの机にある花瓶にはお花が何本?」


見えてると言い張る気なら答えてみろ、といわんばかりに問う。

彼がベッドに座るより前に室内を散策していたら意味はないが

ミューヒは拘束を解いてからずっとあの姿勢でじっとしていたという

妙な確信があった。


「…………4本?」


そしてこの問いにどう答えようと結果が分かりきっていると理解してか。

再度項垂れながら疲れた声で彼が答えたのは無駄なあがきか男の子の意地か。


「正解は、そもそも花瓶なんて無い、でしたぁ」


「…だと思った」


結果は互いに予想通りの不正解で、彼女は笑い、少年は頭を抱えた。

しかしそんな状態は5秒も続かなかった。


「────で、はっきり視認できるのはどの程度?」


「1メートルちょいぐらい、その先はもう光の無い世界だ」


大人の声で率直に問えば観念したのか彼は素直に答えた。

放り投げたペットボトルに対する反応から彼女が考えた距離と

大差がない言葉に本当だろうと納得しながら、笑みが深まる。

途端彼の顔が怯えたように見えたのは錯覚か。失敬な。


「い、いや、大丈夫だから。あと10分もあれば目もちゃんと治るから!」


「ふーん、目()?」


「あ」


この男はやはりバカの方か。なんて絵に描いたようなうっかり。

内心呆れつつも、あるいはと考えてしまうのは過ぎた思考か。

取り繕うことも隠すこともできないほどに彼はいま消耗しているのか。

懸念を抱いたままながら彼女はヒナの声でとぼけたように問う。


「……そういえば目だけがおかしいならボクが来たのわかるよねぇ?

 空気の流れとかもよく感じ取ってるイッチーくんならさぁ?」


「おぅ」


さも今の失言から察したようにいっているが入室してからの

反応の無さから彼女はとっくにそちらも勘付いていた。


「聴覚と触覚も鈍ってるんでしょ?」


「………はい、その通りです」


嘘や誤魔化し、言い訳や弁解が通用する段階ではないと悟ったか。

それをする気力すらないのか。気落ちした声ながらシンイチは認める。


「それも彼女の歌の影響?」


「…ああ、五感全部がだいぶ機能不全だ」


「その状態で戦ってた?」


「おう、あ、いや一応ちゃんとこう……意識を広げて場の把握はしてたよ?」


だから一応会話っぽいことはできたわけだしと妙な事を言い出す彼。

どうもそういう方法で補っていたから危険は無かったと言いたいらしい。

バカ決定でいいだろうか。


「でもあの時のあなたの戦い方って単に動きの速さと強さで

 近づいてきたの全部潰す戦法よね? さっきのペットボトルみたく」


「うっ」


恐ろしいことに、この男にとってガレスト武装の刃も光剣も光弾も

ペットボトルも同じ扱いであった。それも反応速度が並じゃないのを

利用したとてつもない力尽くな対応である。その範囲で気付いても

後出しで対応できるからこそできる芸当。だが、それは。


「あれが心配して駆け寄ってきた子供だったらどうする気?」


敵しかいない場所でしか通用しないやり方だ。

そうでない者が近づいても彼はきっと同じ反応をしてしまっていただろう。

だから、彼女のそれを指摘する声はどこか辛辣な色を含んでいた。


「悪影響の程度を教えたくなかったのか男の子の意地か知らないけど、

 せめてボクには適当なこと言ってフォローをさせるべきだったと思う。

 それっぽいこといって誤魔化すのわりと得意でしょ、イッチーは」


「はい、その通りです。すいませんでした」


当人もわかってはいたのか。

明確に指摘されてガクンと肩を落としてより深く項垂れてしまう。

ただミューヒとしては、やはり、という想いの方が強くなっていた。

その程度の事をすぐに思いつけない程に彼は疲労しているのだと。

ただ彼の完全に落ち込んでいる姿自体は不思議と距離感という意味では

入室時よりは近くに感じてしまい、彼女は自然と頬を緩めて尾を振っていた。


「わかればよろしい。

 それじゃボクはちょっと雑巾か何かもらってくるね。

 入る時はフォスタ鳴らすからちゃんと持っててよ」


彼の対処が早かったのは確かだが床には小さな水たまりができてもいた。

半ばこうなるような気がして投げた結果なので拭くぐらいは自分がしよう。

そう思って踵を返した彼女は、だが即座に引っ掛かりを感じて動けなくなる。


「っ、およ?」


なんだと振り返れば少年の手が彼女の衣服を掴んでいた。

何もいわず、ともすればこちらをろくに見てもいないのに無言で引き留めている。


「どうし、ひゃっ!?」


そこからはまさに一瞬の出来事で何をどうされたのか。その手の経験が

皆無なミューヒには分からず、彼に引っ張られたと思った時にはもう正面から

抱き着かれていた。


「ぁ、う……イッ、チー?」


座る彼と立つ彼女がそれを行えば当然少年の黒髪は眼下。

シンイチは何もいわないまま彼女の胸元に頭を埋めていた。

そのうえで背中に回された両腕がしっかりと彼女を抱きしめている。

伝わる彼の温もりとしがみつくような力強さにミューヒは狼狽えて

自らの腕をどこにおけばいいか解らずに無駄に彷徨わせてしまう。

頭上の狐耳もそれに合わせるかのように過剰且つ無意味に動いていた。

何せ今までにあった戯れに近い触れ合いとは密着具合が違い過ぎる。

手を繋ぐより、突然抱き上げられるより、何もかもが近い。

否、距離などゼロに等しい。これでは驚いて早まる鼓動を直に

聞かれてしまうのではないかと気恥ずかしさに勝手に頬が染まった。

仮にも子供達が大勢いる教会のシスターのベッドの上だというのに

何をやっているのかと。そんな別の事を考えようとしてその背徳な気配に

かえって鼓動を激しくして内心「何考えてるの私!?」と絶叫してしまう。

なぜ、どうして、どうすればと動揺したまま彼を見下ろして、絶句する。


「っ」


震えていた。

目に見えるほどにその体が。

しがみつく彼からその震えをミューヒは確かに感じ取る。

愕然とする彼女を知ってか知らずか少年はまるで独り言のように呟く。


「……俺だよな」


それはあまりに弱々しい声で。


「え?」


「ちゃんと俺は……俺だよな?」


なのにどこか悲鳴のようにすら聞こえる声が彼女の胸元で紡がれる。


「どこも変わってないか? 体は、腕は、顔は、姿は……俺のままか?」


そうであるのか否かの確信が持てない。自身の感覚が信用できない。

淡々とそう訴える声は彼女にはそれがひどく感情を抑圧した結果にしか聞こえない。

体の震えと合わさってまるで誰かに見捨てられるのを過度に怯える子供のよう。



─────迷子



彼を初めて見た時から感じていたそのフレーズが唐突に蘇る。

問いかけの意味も、その裏にある事情よりも、彼女の脳裏に浮かんだのはソレ。

進むべき道も帰る場所も分からないと泣き出す直前の子供がそこにいた。

───ああ、もうしょうがないなぁ


「そうだねぇ、いつも通りだと思うよ」


我知らずクスリと微笑んだ彼女の手は自然に動いた。

まるでそこが定位置であったとばかりに両手は彼の黒髪を抱きしめる。


「手は相変わらずガレスト女性には毒だし、そのくせ痛くしない程度には

 加減してるんだから気遣いしすぎでその手慣れた感は腹立たしいし」


「……………ん?」


「がっしり捕まえたくせに密着してるの結局、額と腕だけで最終的な線は

 こんな状態になっても越えさせない優しさだかこじらせた人見知りだか

 判別つかないから面倒くさいし」


「おい」 


「そしてさも全部解ってますよっていいたげなのにどっか自信無さげで

 天然で庇護欲そそる顔するんだから、ホント憎々しいぐらいいつも通りだよ」


「…………」


常と何も変わらぬ口調と声色での“いつも通り”という言葉。

果たしてシンイチは彼女の答えをどう思ったのか。どう受け取ったのか。

彼女から表情は伺えないが構わないと抱きしめている頭を撫で、

その裏で尻尾は気分が良いとばかりに揺れていた。


「ふっ、なんだよそれ?」


「ボクの正直な感想だよ」


そして彼から出てきたのは吹き出すように小さく笑った声。

隠し切れていなかった強張りは消えていた。目に見えるほどだった体の震えも

確実に小さくは(・・・・)なっていた。一瞬目元に憂いが宿った彼女ではあったが

彼に釣られるようにして微笑をこぼして、静かに黒髪を慈しむように撫でる。

シンイチはそれを微塵も拒絶せずに黙って受け入れてされるがまま。


「─────悪い、あと10分ぐらいこうしてていいか?」


その、少なくとも彼女にとっては心地よい沈黙を破ったのは彼のそんな言葉。

弱々しいというよりは、一休みしたい、その時間だけ寄りかからせてほしい、と

願うような声はミューヒに再度仕方ないと思わせるには充分なものであった。


「延長料金かかりますがどーします?」


だが寄りかかってもらえたと高揚する自分を隠そうとそんな物言いで

誤魔化してしまう辺り初心としかいいようがなかった。


「言い値で払うさ、ここは落ち着く」

「ぇ、うっっ!」


尤もそれはシンイチにていのいい理由を与えたに等しかったらしい。

ぐっと腕に力を込められて体が彼の側へと引き寄せられる。より密着が

深まって彼の温もりが、近く、強い。それでまるで縋る子供のように

身じろぐものだからミューヒは直接手でまさぐられるより卑猥なこと

でもされてるような錯覚に陥って勝手に顔に熱が宿る。だがそれでも、

伝わるまだある震えを彼女は見捨てられなかった。


「は……ははっ、そ、それはどうも……クンクン」


代わりに、というわけではないが今更ながらに自分が一戦終えた後だと

気付いて汗臭くないだろうかと気にしてしまうのだから乙女である。

ゆえにその動揺っぷりは本人の想定以上だった。


「ま、まあでも誰かさん達に比べれば抱きしめ甲斐のない胸でごめんねぇ」


──なにをいってるの私は!?

体勢の気恥ずかしさと体臭への懸念に混乱したのか。

そんな自虐的な発言が出た事に彼女自身が驚いて、だが間もおかずに彼は。


「馬鹿をいうな、気に入った女の胸の中ほど男が安心できる場所があるか」


こちらを問答無用で黙らす言葉をさも当然とばかりに口にする。

顔は相変わらず見えないがその声色は平素のそれでからかいの色がない。

本人にとって当たり前の話を当たり前に口にしただけの、厄介な言葉。


「ま、まったくもうっ……イッチーは半分天然(そっち)だから困るよ」


「そっち?」


再起動した口はまともに動いているのか。

満更でもない、といいたげな声を出していないか。

耳や尻尾はこの喜色を現して動き回ってはいないか。

頭を撫でる手は抑えるような強さで触れていないか。

だって、困る。気付かれて彼に顔をあげられたら見られてしまう。

分かるのだ。いま恥ずかしいぐらい自分の顔が盛大に緩んで(ニヤけて)いるのが。

──なんて安い女、しっかりしなさい!


「ふんっ、なんでもないよーだ。

 まーたうまいこと言って女をその気にさせるんだから!

 10分ってのはさっき言ってた回復にかかる時間のことでしょう、どうせ!」


冷静で客観的な自分を総動員して他意がないからこそ読めるその意図をくみ取る。

拗ねたような口調になったのが本音かポーズなのかは本人が一番解っていない。

ただ、彼が求めた10分という数字が『こうしていたい時間』ではなく

『こうしている必要がある時間』なのだと思うと少し()が冷めた。


「そうだ──」


「ほら!」


「──体内の気の流れや魂魄の状態、その他自分の内側にある諸々に

 意識を集中して調整しないといけないから外界を見る意識が殆ど残らないんだ。

 10分もあれば回復させられると思うが、その間に何かあったらヤバイ」


「………ん?」


だからやはりと思いながら彼の言葉を頭にいれていって、首を傾げる。

いま何かもっと簡単に言える話をやたら遠回しに、言外に頼まれたような気が。


「ねえ、もしかしてイッチーはさ。

 ボクにその10分の間守ってくれって言ってるの?」


要約すれば彼の主張は10分ほど無防備になるからこうして(そばに)いてほしい、となる。

率直に問えばシンイチは少しだけ間を開けて、不承不承な調子で答えた。


「…………まあ、簡単にいえば……」


───あ、これダメ。またニヤけるやつ

冷めたと思った一瞬前などまやかしであったという熱が自分を支配する。

それは優れた戦士を敬うガレスト人として当然の光栄からくる感慨か。

この期に及んでそんな不器用な『守って』をいうこの男のいじらしさか。


「ふ、ふふっ、イッチーって随分な甘えん坊さんだねぇ」


どちらなのかを彼女はあえて自分でも明確にせずに、ただ

その解り難さをそう揶揄して楽しげな笑みを浮かべる。

しかしそれは彼からすれば予想外の表現だったらしく、


「え、なんでこれでバレた!?」


焦ったような声と共に彼の愕然とした表情が跳ね上がる。

発せられた言葉に目を瞬かせる彼女がその顔と見合うこと数秒。

三日月が女の方に浮かぶ(・・・・・・・)


「へえ」


──ニタァ


「…っ」


もはや、しまったという顔、の見本のような表情を彼は浮かべた。

油断か疲れか。盛大な自爆で、尚且つ見過ごせないネタに彼女は歓喜する。


「そっか、そっかぁ、イッチーは甘えん坊さんだったのかぁ!」


そして弾んだ声が追い打ちをかけるように響けば顔は背けないまでも

見る見る赤くなっていくそれは珍しい代物で、ミューヒは今までの

様々なことの溜飲が下がる想いであった。


「いいよ、いいよ、それならこのお姉さんに全部任せて!

 ちゃんと10分守ってあげるよ、よし、よーしいい子いい子!」


赤い顔のまま微動だにできなくなった彼の頭を盛大に、大げさに撫でる。

そして出来得る限りその視線に慈愛っぽい色を乗せて暖かく見守ってみる。

正直そんな顔をした経験のない彼女にとってはきちんとできているか不安も

あったがこんなものはノリだとこの機を逃すかと盛大に彼をおちょくった。


「くっ、ぐ、くそっ……なんてアホな失態を!」


否定しないのは失言してしまうほどに自覚があったからだろう。

これまでと意味の違う体の震えを見せながら歯噛みする彼の表情は美味。

これだけでご飯を二十杯はいけそうだと胸を弾ませるミューヒである。


「あなた、疲れてるのよ」


「笑いながらいうな! そうだよ疲れてるよ!

 現在進行形で精神がガリガリ削られて死にそうだよ! このっ!」


「あん、乱暴!」


小さな仕返しか。もう顔を合わせていられなくなったか。

再び胸元に、しかし今度は顔そのものを埋めてくるシンイチ。

茶化しながら受け入れた彼女はその黒髪も背も本当に優しく撫でた。


「……ちくしょう、毎日、毎日厄介事ばっかりだ」


「うん、お疲れ」


そうすれば震えるように彼はそんな言葉(愚痴)を─やっと─吐き出した。

バレたのだからこの際本格的に甘えてしまえ、ということなのだろう。

反射的に出た相槌は、とても穏やかな声色で本物の慈愛に満ちていた事など

彼女自身はまるで気付いていない。


「どいつもこいつもなんてアホなことばっかり。

 手を出していいものかどうかも分からないのかよ。

 暴れて騒げばどうにかなると思ってんのかよ。間抜けどもがっ。

 ああもうっ、いやだ、知らん。そんなに自滅したけりゃ

 勝手にやってろよ、鬱陶しい、面倒臭い。

 それで何もかも失くしたあとで嘆いてろ、バーカ」


次々と出てくる嘆きか愚痴か悪口。適当な相槌を重ねながらも彼女は

僅かにその瞳に憐憫を宿した。これも確かに本音ではあるのだろう。しかし。


「ふふ……イッチーはウソツキだね」


自らに宿りかけた下手な同情をかき消すように、笑い声混じりでそう告げた。

彼がきっとそうしないのが分かる。それが出来るほど周囲に無関心でもなければ、

身勝手でも、無責任でも、無謀でも、蛮勇でも、自信家でも、無い。あれない。

さらにいえば致命的なまでに“我慢ができない”。


「どうせ明日のライブでどう歌姫ちゃん守ろうかとか考えてるくせに」


視線を一度だけ開いたままになってた扉に向け、瞬時にシンイチに戻す。

何もかもに“もう知らない”といえる弱さ(救い)を彼は持つ事が出来ない。


「それは……」


「ううん、きっとその先も君は考えてる。

 奴らにとって彼女の歌は邪魔、一度防いだぐらいじゃ諦めない」


「…………」


「やっぱり!」


沈黙を肯定とみなせばいじけたように胸の中で彼は身じろぐ。

くすぐったさはあったがそれ以上にこの不器用な正直さがどこか愛らしい。


「まったくよくやるよ。

 君にとってもあの歌は劇物だっていうのに。

 ボクも身震いしたけど、そんなに気に入っちゃったの彼女の歌?」


「……それもあるがそれ以前の話だろう」


「ん?」


「だって、あいつに何かあったらあの子達が泣くじゃないか」


──ああもうこれだからこの男は

そんなのは嫌だから守るのは当然の行動だと当たり前のようにシンイチはいう。

これにはもう呆れを通り越して感心に近いものを抱いてしまうミューヒだ。


「今日会ったばかりの、赤の他人。

 それも自分を殺せる歌声の持ち主を守ろうっていうのにブレないよねぇ」


尤もその声には少し責めるような感情が乗ってしまっていた。

それに気付いたのだろう彼はどうしてか嬉しそうに言葉を返す。


「大丈夫。

 おかしいのはちゃんと分かってるよ……でも、キレイだと思ったんだ」


価値がある(キレイだ)と思った。

それは、それだけで充分なのだろう、とこちらに思わせる満足げな声だった。

ああ、と彼女は納得する。彼はそれを見つけただけで嬉しくなってしまうのだ。

だからソレを害するモノが現れると我慢できなくなってしまう。さながら

自身の楽しみを邪魔されて、ごねる子供か怒りだす悪党のようである。

わかってるといいつつ直す気のない態度がその印象に拍車をかける。


「イッチーは根っ子では自信無いくせに自分の感性は絶対視するよね。

 傲慢なんだか我が儘なんだか……そこだけは身勝手なんだから、もう」


困った男だと呆れたように言葉を落とせば胸の中で彼が笑った。


「是非、気弱系俺様と呼んでくれ」


「……日本だとそれ、内弁慶っていわない?」


「世界は、全て、俺の、内!」


「やめて、ホントに」


実際、そんな気がするから是非に。

そんな軽口を言い合って、互いにくすくすと笑いあう。

やはりこの少年はこうでなくてはという気さえする。


「ふふ……まったく。

 仕方ないから手伝ってあげるよ。ボク、すごく高いけど」


「知ってるさ、ちゃんと払う。ありがとうな、助かる………じゃあちょっと頼む」


「うん、どうぞ」


そしてさも当然の流れのような空気で唐突に彼は意識を手放した。

内部の回復に集中したということなのだろう。眠りについたのとは

どこか気配が違うが体からはほぼ完全に力が抜けてこちらをがっしりと

抱きしめていた腕が落ちる。代わりにこちらを支えとするかのように遠慮も

何もなく寄りかかられ、密着度合いが上がって彼女の顔の赤は格段に増えた。

その気恥ずかしさを気合いで頭の片隅に追いやるとちらりと扉を見て、

遠のいていく気配(・・・・・・・・)に首を振る。


「……さて、これでどうなることやら」


無防備となった彼の頭をもはや癖のように大事に撫でながらひとりごちる。

聞かせたいことは概ね聞かせられただろう。その反応は後で見るべきこと。

今は。


「任されたからには、きちんと警戒しておかないとねぇ」


自分に委ねられた彼自身を優しくもしっかりと抱え込んで端末に触れる。

各種センサーのフル稼働に複数種のバリア展開、外の部下達への指示。

そして彼女自身が周囲を警戒する。たった一人のたった10分の警護を

するには過分なそれをやってる自覚が薄いまま、二人きりの、傍目には

抱き合ってるだけの時間がそれから過ぎていくのだった。




余談だが、この際やりすぎな防備を固めたことはもちろん。

シンイチへ危害を加えるどころかイタズラさえ微塵もしようと

思わなかった事実にも後々気付いた彼女はどれだけ守護を任された事に

浮かれていたんだと一人悶える事になるがまだ先の話である。


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