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月夜のピアノ

サニーサイド・クリスマス

作者: 渡瀬 圭

カタンと音がしたような気がして、ふと目が覚めた。

いつの間にか、ソファーでうとうとしていたらしい。

つけっぱなしだったテレビはバラエティ番組からアニメ映画に変わっている。

クリスマスツリーの向こうに見える窓はすっかり闇色となり、鮮やかな電飾の瞬きを映していた。


『ユウ? ごめん。得意先の接待が急に入ってさ、今夜は遅くなりそうなんだ。せっかくのクリスマス・イヴなのに、ホント、ごめんな。早く帰るって約束してたのに。……一人で大丈夫?』


あのケイゴの電話からもう2時間近くたったことになる。

あの時、私はなんて答えたっけ?


『うん。だ、大丈夫だよ。子供じゃないし、お仕事だったら、仕方ないものね……』


朝から一日かかって、クリスマスツリーを飾り付け、プレゼントを用意し、テーブルに花を飾り、料理に悪戦苦闘して……本当はすごく楽しみにしていた。

結婚してから2ヶ月。

二人で過ごす初めてのクリスマスになるはずだったから。


ふいにブルッと身体が震える。

寒い。

ファンヒーターで部屋の温度は一定に保っているのに、こんなに寒く感じるのは、ケイゴが側にいないせいだろうか。

テーブルの上の料理はすっかり冷めてしまっている。

ラップをして冷蔵庫に片づけてしまおうと、気だるい気持ちを抑え、私は立ち上がった。


思えば、今まで私は一人ぼっちでクリスマス・イヴを過ごしたことはなかった。

去年のイヴは私の家のホームパーティーにケイゴを招待した。

高校生だった頃、家族を事故で亡くしたことを知った私の両親が、半ば強引に彼を誘ったんだっけ。

みんなの笑い声で賑やかだった。

今はテレビの音声も妙にしんとしている。


テーブルの上には料理書とくびったけで作ったローストビーフとフルーツサラダ、オニオンスープに……それから目玉焼き。


「今夜は汚名返上のチャンスだったんだけどな」


ほっとため息がもれた。






「ユウ、それってさ、目玉焼きってよりは、スクランブル・エッグに近いよね」


あの日も朝からトーストとベーコン・エッグにコーヒーというごくごくシンプルなメニューにも関わらず、その支度に悪戦苦闘している私の肩越しに、フライパンの中を覗いたケイゴがつぶやいた。


ケイゴのおかあさんの作る朝食はトーストとカリカリのベーコン、それにサニーサイドアップの目玉焼き。

それが定番メニューだったらしい。

そのせいか、家族を亡くしてからも、ケイゴはその朝食のスタイルを変えなかった。


最初は、たかが目玉焼きと思ったのだ。

だけど、白身はしっかり白く、黄身はトロトロのサニーサイドアップの目玉焼きは思った以上に難しく、黄身が崩れたり堅くなり過ぎたり、白身が焦げたりで、なかなか満足できるものができない。


ケイゴは料理でも、何でも手早く上手にこなす。

心中では女のくせにって呆れているんじゃないかと思うけど、意気消沈している私の表情に気づくと、彼はいつも「料理なんてそのうち上手になるさ」そう言って、私の髪をくしゃっと撫でる。


今日はようやく及第点がもらえそうなサニーサイドアップができたのにな……。


目玉焼きの皿を持ち上げた時だった。

ふっと目眩がした。

次の瞬間、手が滑り、皿を取り落とした。


とっさに目をつぶり、身を固くしたが、皿が割れる音はしない。

かわりにおでこに何か冷たい物が押しつけられた。


「あっ、やっぱり熱があるよ。ユウ」


ケイゴが傍らに立って、私の額に手を当てていた。


「えっ? 熱? 本当?」


私の反応に「全然自覚なかったの? ユウらしいなぁ」と、ケイゴはクスリと笑った。

寒く感じたのも、気だるかったのも、寂しかったせいだけではなかったのだ。


「玄関のドアも鍵、かかってなかったぞ、不用心だなあ」


とブツブツ言いながら、受け止めた皿をテーブルに戻すケイゴに、「どうして? 今日は遅くなりそうだって……」と、私はつぶやく。


「うん。そうだったんだけどね。ユウの様子がおかしかったから。嫁さんの調子が悪いみたいって言ったら、職場の連中に、早く帰ってやれって言われちゃってさ。ほら、俺って日頃の行いがいいもんだから」


ケイゴは薬箱から取り出した体温計を私に渡すと、ソファーに座るよう促した。


「……私、様子、変だった?」

「ユウってさ、嘘憑く時、言葉が詰まる癖があるんだよね。『一人で大丈夫?』って聞いたときの返事聞いて、ああ、大丈夫じゃないなって思った」

「ごめんね……」


お仕事だったのに、迷惑かけてしまった。

だけど、うつむく私の目を覗き込むようにして、


「なんで謝るの? 仕事はもちろん大事だけど、仕事で俺の代理はいても、ユウの家族は俺で、代理はきかないでしょ? やっぱ、大事なものの優先順位は間違えちゃいけないと思うんだ」とケイゴは笑う。


そして、計り終えた体温計を見て、「解熱剤飲むにも食べなきゃな。ユウ、食べられる? 顔も真っ赤だけど、大丈夫?」と尋ねた。


「うん、大丈夫。ケイゴもごはんまだでしょう? 今温めるね」


顔が赤いのは熱のせいばかりではないかもと思いながら、私はあわてて立ち上がり、スープをコンロにかけ、目玉焼きをレンジに入れようとする。


「ちょい、待った。目玉焼きチンはまずいかも。俺がするから、ユウは休んでなよ」


ケイゴは少し強引に私を椅子に座らせると、小さな鍋に手慣れた手つきで何種類かの調味料を入れ、コンロの火にかけた。


「昔、ゆで卵を手っ取り早く作ろうと思って、レンジでチンして、卵が爆発したことがあるんだよ。レンジの中至る所に卵の残骸がへばりついて後片づけが大変だったんだよね」


対面式のシステムキッチンの向こうから、照れたような顔をする。

料理でも、何でも、およそ失敗とは無縁に見える人なのに。


「ケイゴでも、そんな失敗するんだ」

「俺も一人暮らしが長かったから、料理なんか嫌でも覚えるさ。最初の頃はユウもびっくりの失敗ばかりしてたよ。これはその頃の得意料理でさ、『目玉焼き丼』。温かいご飯の上にサニーサイドの目玉焼きを乗せて、醤油と味醂で作ったこのタレをかけて……混ぜながら食べると結構いけるんだ」


ケイゴの笑顔に、私も自然と笑みがこぼれる。

さっきまで、あんなに寒かったのが嘘のように、気持ちが温かく、優しくなってくる。


料理をする彼の後ろ姿に向かって、「私…今は失敗ばかりだけど、……上手になるかな?」と問いかける。


「あったりまえじゃん。ユウは真面目だし、いつも一生懸命だから、きっと上手になるよ」


うん、頑張る。

だけど、明日からね。


今日はこのまま、子供みたいに甘えて、穏やかな気持ちに浸っていたい。

我が家のサンタさんがプレゼントしてくれた言葉が、宝石のように、心の中で瞬いているから。


『ユウの家族は俺で、代理はきかないでしょ?

 やっぱ、大事なものの優先順位は間違えちゃいけない。』


メリー・クリスマス!





街中でクリスマスソングが流れる季節になりました。


拙い小説を読んで下さった皆様に、ちょっと早いですが、クリスマスプレゼント代わりに、『月の記憶』のケンゴとユウのその後を贈ります。

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