なぜ学ぶのか
私は昔から人物の一生を読むのが好きだ。歴史を学ぶと綺羅星のごとく鬼才、天才がでてくるが彼らが学校で学んでいないものも多い。燕青自身も学ぶときには、迷いが生じる、この学びはいるのかや使うのかなど。
そこで劉秀に洛陽で学ぶ理由を尋ねてみた。
「劉秀、君はなぜ洛陽で学ぶんだい、歴史上高祖劉邦や韓信なども学校などでは学ばず独学で大成したといえる。学校で学ぶのは非効率だというものも多い。なのになぜ学ぶんだい?」
「ふふふ、君は大人物の名前を挙げたな。」
「私は仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華だ」
この言葉は聞いたことがある、若き頃の劉秀の言葉だ。陰麗華は劉秀が若いころに出会った女性で執金吾は官職だという認識ある。
「官僚になるには、学問するのが道なのさ」
「君は歴史に名をのこすような人物になりたくないのか、そんな野心はないのか」
「そのような大人物になるのは、大変な努力も必要だが時の運もある。そのようなかけ離れた人物を描くより私は現実的な夢を描く、確かに西楚の覇王項羽は始皇帝を見て、「取って変わってやる」高祖劉邦は「男たるものああなりたいものだ」と語ったといわれている。
誇大な目標を掲げ、それに執着し、ことをなす。それもいいが、私は違う。私は執金吾になれればいい。」
だがその言葉が、後に天下を取る男の口から出たとは思えなかった
燕青は10代の頃に疑問に思い、ひんしゅくを買うのを恐れ、誰にも相談できなかった。疑問を劉秀にぶつけた。
「人間には、個、群れがあると思う。韓信がいくら軍略を学んだところで一兵士では何もできない。
兵士ではだめなのだ、執金吾も官僚組織の一つにすぎない。群れの一つとなれば人間の個は大きく制限される。群れで一日の大半を過ごし、個を伸ばすことができるのか?」
「群れには、群れの良さがある。群れでしかできないものがある。群れでの経験が個に影響を与える場合もある。世の中には群れで生きるものが大半さ、絵描きなど山にこもり、個のみで傑作を作るものもいるが、私はそうではない。そしてそれが上だとも思えない。」
「今の世は王莽が専横して政治が乱れているそれなのに官僚になりたいのか。理不尽な命令と思えるものに君は従えるのか」
「その懸念点は、確かにある。群れで生きるとそういう不条理は多々ある。だが、」
劉秀は燕青の肩をたたきこういった。
「いいか、燕青あれをよく見ろ」
目の前にはそびえたつ城壁、看板には虎牢関とあった。
「あの城壁が発するエネルギー、あれは群れでしか作れない。あのようなものをを作るために洛陽で学ぶ学問が全く無駄になるとは思わない。確かに無駄になることも多いと思うがな」
「ふむ」
劉秀の話を聞き、燕青は学問への疑いの気持ちが少し晴れ、共に洛陽で学問を学ぼうと進むようになった。
ここで存在する劉秀というのは、後漢を再興した大人物で、これを描いている私は所詮凡人にすぎない、その私が劉秀の学問への動機を語る等、果てしなく難しい。
ここでペンをおくべきか
もったいない。




