1話
水滴の音。
そして、肌寒さ。
それに驚き、俺は飛び起きた。
「……どこだ、ここ?」
目覚めた場所は、薄暗い洞窟だった。
ジメジメした岩肌と、生臭い空気。
岩壁には光を放つ苔のようなものが群生し、視界はかろうじて確保できている。
「なんで、俺……こんな場所で……」
記憶を必死に呼び起こそうとする。
だが、何も思い出せない。
自分がここで起きる前の情報に、まったく心当たりがなかった。
「──ッ!? な、なんだ?」
突然、手の甲に痛みが走る。
視線を落とすと、不思議な模様が脈打つように浮かび上がってきた。
「これは一体……──ッ!?」
次の瞬間、脳裏に様々な事が浮かび上がる。
異世界。
ダンジョン。
魔法。
スキル。
ステータス。
それらは泡のように現れては弾け、頭の中に染みを残していく。
あまりにもそれが痛くて、俺はうずくまることしかできなかった。
「……はあ、はあ、はあ……」
実際は数分。
だが体感では、数時間はもだえ苦しんだと思うほどの苦痛だった。
やがて、それは嘘のように過ぎ去る。
そして、当たり前のように理解してしまった。
「……ここは、異世界?」
疑問というより、確認に近い独り言。
それに答えるように、俺は自然と自身のステータス画面を開いた。
【ステータス】
名前:織上 樹
レベル:1
筋力:E
技量:E
俊敏:E
耐久:E
魔力:E
スキル:なし
……全部、最低ランクか。
妙に納得できてしまうのが、腹立たしい。
記憶通りなら、今俺はダンジョンにいるようだ。
世界樹のダンジョン。
世界樹の内部で周期ごとに展開され、
踏破者はどんな願いも叶えることができる――らしい。
ダンジョンに挑む者は探索者と呼ばれ、
探索者はダンジョンによって選ばれたものしかなれない。
俺の手の甲に浮かんだ、この模様。
これこそが探索者の証、《刻印》だ。
「……いや、なんだよそれ」
知識としては理解している。
だが実感が、まるで伴わない。
ダンジョン?
世界樹?
ゲームの設定でも聞かされている気分だ。
「……でも、見えるんだよなぁ」
視界に表記された俺のステータス。
パラメータは最低ランクのE。
スキルは、一つも持っていない。
今の知識からしても、
今の俺が探索者としてクソ雑魚なのは理解できる。
実感は、やっぱり湧かない。
あくまで知識と感覚の話だ。
それでも、俺は今、
本当に異世界にいるらしい。
「いや、なんでだよ……」
理由が分からない。
心当たりも、見当たらない。
目覚める前の記憶が、どうしても思い出せない。
多分、普通に学校に行っていた。
何事もなく過ごして、家に帰って、
自室でゲームをして、動画を見て、
そのまま寝た。
……そんな当たり前の日常を、
確かに過ごしていたはずなのに。
「とにかく…………どうすればいいんだ?」
分からない。
どう動くのが正解なんだろうか。
ここがダンジョンの中。
それだけは分かる。
だが、ダンジョンのどこで、
出口がどちらにあるのかは分からない。
一体、どうすれば――。
「あれ?」
ふと、視界の表記が変化した。
次の瞬間、
脳内にゲームでよく見るようなマップが表示される。
探索者の基礎能力。
どうやら、それらしい。
「とりあえず……移動しながら考えるか」
マップを見る限り、
この洞窟は一本道のようだ。
まっすぐ進めば、
ひとまず洞窟からは抜けられる――らしい。
歩きながら確認するのは、
自分に起きた変化についてだ。
探索者に浮かび上がる刻印は完全にランダム。
冒険者や騎士、魔法使いといった
戦える者だけでなく、
ただの一般人でさえ探索者になれる。
いや、なってしまう。
そのため刻印からは、
最低限の知識がインストールされる仕組みらしい。
ダンジョン攻略の知識。
戦うための体の使い方。
「よっ、ほっ!」
学校の身体測定では、
万年中の下を維持している俺だが、
今はやけに体が軽い。
動かし方が、
考える前に分かる。
生涯したことのなかったバク転も、
「ほっ、と……出来た」
簡単にできてしまった。
「すごいな……。
本当に自分の身体じゃないみたいだ」
急激な身体能力の向上。
そのカラクリは、魔力の発露にある。
インストールされた知識のせいで、
今の俺は魔力と呼ばれる力を、
当たり前のように行使している。
魔力とは、
体が持つ精神エネルギーであり、
この世界では誰もが自覚し、操れる力だ。
魔力は質量を伴ったエネルギーで、
それを纏った人間は、
外骨格を身に着けたヒーローのように、
頑強さと怪力を手に入れられる。
イメージとしては、
魔力が体中を人工筋肉のように
覆っている感じ。
だから今の俺は、
自分の体を、
文字通り考えた通りに
動かすことができていた。
「すごいけど、これって……」
並べてみれば、
良いことばかりのようにも思える。
でも、嫌な予感がした。
俺は、
強制的に戦える状態に
されているだけなんじゃないか。
探索者が戦う相手は、人間じゃない。
ダンジョンの攻略を妨げる存在だ。
つまりは――
「……ですよね」
マップが反応した。
同時に、
視界の端で影が動く。
軽口とは裏腹に、
体は勝手に臨戦態勢に入っていた。
物陰から現れたのは、
巨大な虫の魔物だった。
カブトムシに似た姿。
大きさは大型犬ほど。
無機質な複眼が、
こちらを見据える。
「■■■■ッ!!」
耳をつんざくような雄たけび。
【魔物ステータス】
名称:シェルビート
種別:虫型魔物
脅威度:E
筋力:E
技量:E
俊敏:D
耐久:E
魔力:なし
「……チュートリアル開始って訳だ」
心構えをする間もなく、
俺の最初の試練が始まった。




