ブロードウェイの呪い
フジリナです。
今回のお話は、自分と他人、そして真の自分とは何かを、問うものです。
では、お楽しみに。
僕は、足を踏み入れなかった、ニューヨークの地。
そう、ブロードウェイだ。あそこは、享楽の梨園。さまざまな広告や、仮面とその役割を与えられた、主役たちのポスターと、虚飾の電球に包まれた場所。
僕は、そこに向かうことにした。
僕は、唯一の手がかりである、メモ帳に書かれている、筆記体の名前が、この享楽の梨園で生き残るための、サバイバル術なのだ。
僕は、特定の名前は出さないが、ありきたりなハッピーエンドと、ご都合主義な成功物語を、見せつけられるのは、永遠の享楽の地獄である。精神の餓鬼道ともいえばいいだろうか。
劇場のチケット売り場では、スマホで写真を撮る、僕と同年代の女子がいた。
「ブロードウェイ、デビュー!」と言い、カメラで撮っていたのだ。
既に、気がついていた。そう、僕は名前と自我を失いかけていると。光に包まれた派手な広告、役割を押し付けられた、ヒロインと称する女性。そして、ド派手な舞台と化粧をされているので、俳優も観客も、自我を失いかけているのだ。
「オレは誰だ…?オレは誰?わからない…名前が思い出せない。自分の名前が思い出せない――」
僕は、自我を失いかけていた。
同年代の女子も、実は、SNSでの「名前」と「仮面」に支配されているのと、本当の名前と、自我を既に失っていたのだ。
「多幸感に見舞われた、あのミュージカルというのは、自我を失う呪いなのだと…。」と僕。
僕は、ふとメモ帳を落としていったのだ。メモ帳を拾うと、
Robert Michel Nakamura
と書かれていた。
「…オレは、ロバート・マイケル・ナカムラ!!」と僕。僕がいかに、自我を失う毒霧に苛まれ、見失っていたかがわかるのだ。
「…思い出せ。ここは、オレの居場所じゃない。」
そして、派手な演出と偽りの多幸感に見舞われた、ダンスや歌のショーから離れた。
虚飾の電球に支配された、ブロードウェイから離れて、ニューヨークグランドロッジの倉庫にあった、古い琵琶を取り出した。
というのも、歌舞伎役者の血筋の僕は、義太夫と琵琶の腕を持っていたのだ。
黒い着物にきがえて、袴を着て、電飾が消え、派手な広告の光が消えて、静寂に包まれ、車の姿もなく、信号が点滅しているだけのマンハッタンの中で、僕は琵琶を奏でた。
空には、美しい望月。その琵琶の音色は、儚く、幽玄であったのだ。
僕は、平家物語の「祇園精舎」を奏でたのだった。
これは、自我を保つ修練でもある。自我は、ブロードウェイの欲望の毒霧には染まりはしない。
「すばらしいよ、ロバート。世俗の毒霧を晴らすための、東洋的な真理。アメリカの享楽が人に見せるのと、承認に基づく、病的なのに対して、日本的な『孤高な芸』そのものだね。」
盟主さまは、深夜の虚無に包まれたマンハッタンの、歩道に立っていたのだ。
「そうなんだよ。人に見せて、『いつかはあの星を』という時点で、闇雲に承認を求めているだけなんだよね。他人の顔色を伺って、承認を求めるんじゃない、自分を保つんだ。」と僕。
他人によりすがって、名前や自我を失い、機械や機能となっている、ブロードウェイの俳優は、自分を見失っているのだ。
「僕はただ、琵琶を奏でるだけでいいんだ。」
それがわかった、夜であった…。
また、お会いしましょう。
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