あの日を忘れない
フジリナです。
季節は違いますが、今回のお話は、夏のあの日のことです。
もし、この物語で、複雑な思いを抱かれている方、そして様々な考えをお持ちの方がいるので、不快な気持ちになったり、どうしても割り切れないというお気持ちの方は、このエピソードを閲覧するのを、お控えください。はしょってしまっても、構いません。
025年8月14日
あまりに、夜の散歩がしたくなって、街の中を、湿り気と暑さが残る中、グランドロッジの近くを歩いていたのだ。
明日は、日本にとっての終戦記念日。僕は、日系アメリカ人としての、アイデンティティーを噛み締めていたのだ。日本にある、母方の実家には、曽祖父である、中村伝次郎の日記と、あとは仏間にある彼の若い頃の遺影がある。
彼は、特高時代に、前衛芸術家の友人で、同級生である、飯塚昌明を、ナチス・ドイツの迫害から逃れるために、フランスやスイスを逃げ回って、命からがら生き残っていたのだ。その時の記録が、生々しく日記に書いてあったのだ。
「1944年3月5日 まだパリは、ヒトラーの手にある。だが、彼は相当パーキンソン病に侵された、老人になっていて、生来の激しいヒステリックな気性と、その癇癪が激化して、もはや頭がぼんやりした老人になりかけていると、ドイツ兵から聞いたぞ。もうそもそも、ドイツ国総統をやめればいいじゃないか。だが、そんな事を言うだけで、ドイツ兵に銃殺される理不尽さは、この世の地獄だ。いつ、妻子の元へ帰れるのか。父を知らぬまま育つとは、なんと、悲しいことか。」
その、記述を子孫として、診てみたら、この夏の悲劇は、二度と繰り返してはいけないのと、歴史を繰り返してしまうという、人間の悲しき性を乗り越えられるかどうかの、課題である。
僕は、哲人王としての使命を完全に受け入れた。その夏の幻想的な夜の傍らには、二人の魔法使いがいたのだ。
盟主様とレディ・クラリスとともに、お散歩をして、夜の中庭を歩いていた。
「これは、使命なのだよ、ロバート」と美しい盟主様はクスクス笑いながら言う…。
「そうよ、ロバート」とレディ・クラリス。
「それはわかったけれど、あのね、日本の母方の実家にある、曽祖父の日記を読んでいたんだよ。そしたらね、明日は日本にとっての終戦記念日なんだよ。それで、友人を思いながら、曽祖父は逃げていたんだよ。まさに、パリは燃えているかって感じ。ナチス・ドイツの迫害から逃れるために、いかに生きてきたかが。でもね、特高の地位が脅かされる原因を作ったのは、曽祖父自身で、なんとね、ヒトラーだと知らずに、ムカついたから殴ったんだって。けれど、そんなことやったら、特高の警官の地位すら追われるどころか、当時友好国だったが故に、日本政府高官から追われる羽目になったんだよ。」
僕は曽祖父の思い出を語る。
「現代だったら、自己責任だとして、ソーシャルメディアで叩かれるだろ。でも、自己責任じゃないんだよ。自己責任だと悠々と語ってられる連中ほど、実は、自己責任どころか、無責任な言動をしているんだよ。そう、自分のことを棚上げにして、人の批判ばかりをしているという意味で。――人の振り見て我が振り直せということわざがあるだろ。まさにそれだよ。当時の人だったら、自己責任だとか、非国民だとか言われそうだけど、友人を守るためには仕方なかったんだよ。」
「当時は、ドイツの友好国ほど、うんと矮小で偏狭な思想に取り憑かれたものだ。」盟主様は、当時を懐かしむ。
「そうか…そうだよね。イタリアだってそうだった…。」と僕。「いかにね、戦時中の昭和時代が息苦しくて、同調圧力が強固で、お国の意向に従わないやつ=非国民扱いされていたからな。」
「イギリス人やアメリカ人に対して、『鬼畜英米』だなんて、ひどいことを言ってたしね。」とレディ・クラリス。僕なら、もっと立場が複雑だ。
「鬼畜英米じゃなくて、鬼畜なのはテメーらの心の中の鬼と、弱虫な自分だって言いたいから。」僕は正々堂々、正論を言う。
「まさにそのとおりだ、ロバート」と深い悲しみをたたえた目で言う盟主さま。
フジリナです。
最も重い人間の尊厳に関わるテーマですので、賛否が分かれるかと思います。ですので、このエピソードを閲覧するのを控えても大丈夫なのと、よほどの覚悟がある方のみ、閲覧を推奨します。




