⑤始まりの舞
どこに......いるんだ......
ずっと......待ってる......
誰を......待っているんだ......
なんだ......
思い......だせない
誰を......俺は......
大切な......
それは......
*
カツッ カツ カツ カツ
常夜を思わせる漆黒のドレスに身を包み
彼女はゆっくり、部屋の真ん中へと歩いてゆく。
*
気配のする場所まで辿り着くと、静かに立ち止まった。
奏は目を閉じる。
両手を胸の前で交差し、
ゆっくり地面へと広げてゆく
少し上を向くと、一つ息を吐き出し、目を開けた。
そして再び、目の前に視線を向ける。
右脚を後方に少し曲げると____
カツーン・・・
地面を蹴る音が、辺りに響き渡った。
空気が張り詰める。
次の瞬間、目の前に"霧"のような何かが現れた。
それと同時に、彼女の周りが淡い光に包まれる。
(あ、あれは......なんだ!?)
柴田は突然の出来事に思わず声を発しそうになったが、なんとか言葉を飲み込む。
彼女は一瞬こちらに視線を向けると、小さく頷いた。
それが合図だと理解した柴田は、慌てて再生ボタンを押し、スピーカーを地面に置いた。
曲名:ポル・ウナ・カベーサ(Por Una Cabeza)
流れてくるヴァイオリンの旋律に合わせるように、彼女はその霧のまわりを、ゆっくりと回り出した。
やがて霧に背を向け、静かに立ち止まる。右脚を後ろへ軽く上げると、首をかしげるようにして目を閉じた。
____その瞬間。
突然、ピアノの一打が空気を裂く。
彼女は体をくるりと反転させ、霧へと身を預けるように歩み寄る。
右手を横に広げ、左手は胸の前で優雅に折りたたみ、ステップを踏み出した。
(霧と......踊ってる)
重なる音。跳ねるリズム。ひとつひとつの動きが、霧の中に眠る“想い”を呼び起こしていく。
揺らいでいた霧が、ゆっくりと形を持ち始める。
まるで、彼女のダンスに導かれるように____ぼんやりとした人の輪郭が浮かび上がる。
それは、踊りに合わせて腕を広げた。
もはや、見えない“誰か”ではなかった。
確かに、そこに“誰か”がいる。
彼女は静かに目を開ける。その目に映るのは、霧の中で手を差し伸べてくる影。
ほんの一拍の“間”。そして、触れ合う指先。
重なるステップ。絡む影と影。
彼女はまるで、過去を抱きしめるように踊っていた。
ピアノとヴァイオリンが激しく絡み合い、音楽はクライマックスへと向かっていく。
影の手が彼女の腰に添えられる。彼女は身を預けるようにしてしなやかに背を反らせた。
息を呑むような旋律。時が止まったかのような数秒。
そして____
最後の音が鳴り響くと同時に、影はふっと、光の粒となって天へ舞い上がった。
音もなく、ただ美しく。夜の静寂に溶けていくその姿を見つめながら、彼女は深く一礼をした。
柴田は自然と理解した。
これは、魂との最初で最後のダンスだと。
その踊りが終わったとき、一つの未練が、この世から消えていた。
***
ポル・ウナ・カベーサ(Por Una Cabeza)
情熱と切なさを併せ持つ、至極の愛情を表現したカルロス・ガルデル作の名曲。




