②始まりの舞
スタジオの中は思っていたよりも広かった。
高校時代、1クラス30人ほどだったが、その教室と同じくらいの広さがある。
白を基調とした内装に、茶色の板張りの床。天井には等間隔でライトが灯っている。 無駄なものは一切、置いていない。
彼女は立てかけていた椅子を二つ手に取り、それを目の前に広げた。 彼女に促されるまま、椅子に座る。
「じゃあ改めまして。このダンススタジオをやっている、夕月 奏です」
彼女が丁寧にお辞儀をすると、美しい黒髪がふわりと揺れた。
顔を上げ、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめてくる。
「あ......は、はじめまして!柴田 光一と申します!」
緊張で心臓が爆発しそうだった。心なしか、手も震えている気がする。
「ふふ。そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。リラックス、リラックス!」
そう言うと、彼女は両手を掴んで軽く上下に動かした。
「あ、はい!ありがとうございます!」
意味のわからないお礼を述べると、彼女は手のひらを口元に当てて大きな口を開けて笑った。
「柴田さん、面白い人ですね。なんかすごく癒される」
癒される。 今までそんな言葉をかけられたことはない。 しかも____こんな素敵な女性に。
こんなことがあり得るのだろうか......
「た...さん......柴田さん?」
名前を呼ばれていたことに気づき、とっさに姿勢を正して返事をする。 疲れもあるのだろうが、さっきの言葉で夢見心地だったようだ。
「柴田さんは、ここでどんな踊りを身につけたいんですか?」
そう言われて思わず固まった。
踊りに興味もなければ、ここがどんな種類のダンススタジオかも知らない。 そもそも____ここに来たのは、彼女の美しさに惹かれて後をつけてきたからだ。
だが、そんなことは言えるはずもない。 どう答えたらいいものか……
悩んでいたその時、ふと昔両親と観た一本の映画を思い出した。
「昔、『Shall we ダンス?』って映画を観たんです。それがずっと頭の中に残ってて」
嘘だ。 タイトルだけは覚えていたが、内容なんてほとんど記憶にない。 冴えないサラリーマンが美人と踊る____くらいの知識しか持ち合わせていないのだ。
だが、この回答は大正解だった。
「うそ!?私も大好きなの!え〜、すごく嬉しい!」
そう言うと、彼女は両脚をバタバタと動かした。 最初に見た時はクールなイメージだったのに____そのギャップにもう心が持ちそうにない。
「でも、柴田さんかなり若く見えるけど......よく知ってるね!」
いつのまにか彼女から敬語は消えていた。
「子供の頃に両親と観たんですよ。あ、それとこう見えて26歳なんです」
「素敵なご両親ね。26か〜......じゃあ私の5つ下だ」
31____同僚の伊藤さんと同い年か……
同じ女性でここまで違うものなのか。
「じゃあ、柴田さんがやりたいのは社交ダンスってことだね。 スタンダードだと......ワルツとかタンゴかな」
そう言うと、彼女はスッと立ち上がった。 椅子から少し離れた場所まで歩くと、軽く手招きをした。
緊張しながら彼女の元へと歩いていく。
目の前まで来ると、彼女は右手を伸ばし____
「Shall we Dance?」
そう呟いた。
もう、どうしたらいいかわからない。
目の前で起こっていることに理解が追いつかず、彼女の瞳を見つめたままフリーズしてしまった。
「ふふふっ。もう、柴田さん!大丈夫?」
「あぁ!はい。すみません。」
「人の顔ジーッと見て......何かついてる?」
「いや、そういうんじゃなくて____瞳が!綺麗だなって!」
なんて歯の浮くセリフを言ってしまったんだ。 考えなしにも程がある。
彼女はまたふふっと笑うと____
「ありがとう。......私の父はね、泥棒だったの」
「どろ...ぼうですか?」
「うん。昔、夜空から星を2つ盗んでね。それを私の目に入れてくれたの」
「......」
「なんてね!大好きな海外ドラマの受け売り。でも、素敵なセリフでしょ?」
そう言うと、彼女は無邪気な笑顔を見せた。 嘘とわかっていても、彼女の瞳を見ていると思わず信じてしまいそうになる。
「少し踊ってみようかと思ったけど......柴田さんちょっとお疲れみたいだからまた次にしようかな。」
そう言うと、彼女は椅子を片し始めた。
「もう閉めちゃうから一緒に出ようか」
数度頷くと、彼女はスタジオの奥にあるカーテンで仕切られたスペースに入っていった。
数分後、着替えを終えて出てくると、スタジオの電気を消す。
「じゃあ、行きましょうか」
スタジオを出ると、鍵をかけて階段を上った。 外に出ると、彼女は両腕を上げて大きく伸びをした。
「柴田さん、お家はどこらへんなの?」
「あ、僕ここら辺に住んでるんですよ」
そう言って、駅とは反対の方角を指した。
「そうなの?じゃあ......いつでも来れるね」
彼女はにっと笑った。
「なら詳しい話は次来た時に話そうか! それじゃあ、またね」
そう言うと、彼女は駅の方に歩き出した。
____きっと、もう会うことはないだろう。 正直、別の日にもう一度会いに行く勇気なんてない。 今日が特別だった……それだけだ。
*
____気がつくと、彼女を追いかけて走っていた。 勇気を出すのは今日しかない。 だったら、“今”なにかしないと。
「あの!!」
声をかけると、彼女はこちらを振り返った。
「夜道は...危ないんで......駅まで送ります」
息切れしながら精一杯の気持ちを伝えると、彼女はにっこり笑った。
「そっか。じゃあお願いしちゃおうかな」
そう言うと、彼女は再び歩き出した。 その姿を目で追いかける____
ガッ!!
とっさに彼女の腕を掴んだ。
この道は……
「どうしたの柴田さん!?」
彼女は少し驚いた表情をして尋ねた。
「いや、この道はなんか暗くて危なそうだなって」
「でも、ここから行くと近道なんだよ?」
「そうなんですけど……」
なんて言えばいいのかわからない。
むしろ、言ったら絶対変に思われる。
“霊の気配を感じるなんて”
必死で言葉を搾り出そうとする。
でもどうしても出てこない。
そんな様子を見て、彼女が口を開いた。
「柴田さんってさ」
そして、そのあと____彼女から意外な言葉が出てきた。
「もしかして......見える人!?」
そう言うと、柴田の両手をギュッと掴んだ。
「えっと......」
「あ、隠さなくてもいいよ!むしろこっちとしては願ったり叶ったりだし!」
何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、彼女の瞳が煌めいているのはよくわかった。
「あの...見える訳ではないんです。ただ……いるのはわかります」
「……やっぱり。いや、そんな気がしたんだよね」
「さっきの必死な顔......“ナニカ”を感じてるように見えたもん」
“ナニカ”と言われても……。
「うんうん、いける!」
「柴田さん!今度の土曜日の夜って空いてるかな!?」
興奮気味にそう言ってきた。 その言葉があまりにも衝撃的過ぎて、先ほどの疑念など頭から吹き飛んでいた。
間髪入れず____
「はい」と一言つぶやくと、彼女は静かにガッツポーズをした。




