①始まりの舞
半年前____
柴田光一はこれから活気づくであろう、夜の街を歩いていた。
大学を卒業して社会に出て、早4年。
部下と上司との板挟みで仕事がたまり、会社を出る時はいつも定時から3時間を過ぎていた。
会社を出たのは20時過ぎ。
「今日こそは自炊しよう」と意気込んでいたが、体力も気力も残っていない。
ふと、昨日コンビニで見た商品を思い出す。
「今日はインド風カレーにしようかな…」
そう呟いて、家までの道をとぼとぼ歩く。
駅前の通りには、外にテーブルや椅子を並べた飲み屋が立ち並んでいる。
学生の団体が大声で騒ぎ、カップルらしき2人がタバコ片手に楽しげに話していた。
別の店では、くたびれたスーツの中年男性が、
パリッとしたスーツの若者に神妙な顔で何かを話している。若者は、ただ黙って頷いていた。
下品なネオンピンクの立て看板の横では、キャッチの男が貼りついたような笑顔で通行人に声をかけている。
が、自分に声をかけてくることはない。
この見た目だ。きっと学生とでも思われてるんだろう。
居心地の悪さから、足取りが早くなる。
少し歩くと、細い路地が見えてきた。
人がすれ違うのも窮屈なその道は、車も通れない。
ここを抜けるのが最短ルートだが____
(……今日は、やめておこう)
道の中央あたりに、強い“気配”を感じた。
誰かが立っているわけではない。
でも、確かに“何か”がいる。
「はぁ……仕方ない。回り道するか」
そう呟いて、柴田は右方向から遠回りするように歩き出した。
やがて、その路地の反対側に出ると、
改めて中央あたりに目を向ける。
……やはり、いる。
間違いじゃない。
でも、それ以上に彼の頭にあったのは、
「これから帰るのが遅くなる」という現実だった。
溜息まじりに肩を落として歩き出す。
少し進むと、いつも寄るコンビニが見えてきた。
最近は毎日の様に世話になっている。
「インドカレー、まだあるかな」
さっさと買って、さっさと食べて、さっさと寝る。
今日はもう何もしたくない。
そう考えながら、店のドアに近づいたその時____
チャラリラリラリー
扉の開く音とともに、誰かが店から出てきた。
その瞬間、時間が止まった。
黒く波打つ長い髪。すらりと伸びた手足。
薄いグリーンのワンピースがひらりと揺れて、
独特な香りが夜の空気に混ざる。
気づけば、目は彼女を追っていた。
さっきまで考えていたことなんて、すべて消えていた。
今、心の中を支配しているのは、たったひとつの言葉。
"美しい"
光に吸い寄せられる蛾のように、衝動のままに彼女のあとを追っていた。
彼女は、コンビニから少し離れたビルの地下へと降りていく。
その姿が見えなくなったのを見届けてから、柴田も続いた。
階段を下りきると、壁に大きなロゴが貼ってあるのが見えた。
「alba?」
左を見ると、大きなガラス窓のついた茶色い扉があった。
開ける勇気はなかったため、そっと中を覗く。
壁一面が鏡張りになっていて、いくつか椅子が立てかけてある。
中はそれなりに広いようだ。
「ここ……ダンススタジオか?」
小さくつぶやいたそのとき、視界の端に彼女の姿が映り込んだ。
鏡に向かい、ペットボトルの水を飲んでいる。
ただそれだけ。特別なことをしているわけじゃない。
でも、そんな後ろ姿さえ、何か神聖な儀式のように見えた。
見とれていた、その時____
鏡越しに目が合った。
「ま、まずい……!」
慌てて視線をそらし、ゆっくりと戻す。
彼女は……すでに扉の前まで来ていた。
カチャッ……キィー……
扉が開く。思わず背筋が伸びた。
「こんばんは! もしかして、入会希望の方?」
彼女は、にこりと微笑んだ。
緊張で、彼女の言葉がどれだけ耳に届いていたかはわからない。
でも、口が勝手に動いていた。
「は、はい!」
彼女はふふっと笑い、手を差し伸べた。
その手に導かれるように、中へと一歩踏み出した。




