③あの日の約束
屋上での幻想的な光景を目の当たりにした後、
柴田 光一は夕月 奏を家まで送るため、車を走らせていた。
彼女と出会って、もう半年ほどになる。
それから何度か、あの“舞”の現場に立ち会っているが、慣れることはなかった。毎回、心を揺さぶられる。
踊りが終わったときには、すでに日付をまたいでいた。
車のディスプレイには01:30と表示されている。
「ごめんね、柴ちゃん! こんな遅くまで付き合ってもらっちゃって」
申し訳なさそうに、奏は手のひらを合わせて頭を下げた。
「全然ですよ!むしろ、お役に立てて良かったです」
惚れた女性に頼られて、嫌な男などいるはずがない。
それに、これは自分にしかできない役割。
そう思うと、この時間だけは彼女を独り占めしているような気がして、柴田は少しだけ誇らしかった。
「それにしても......今日はずいぶんと急いでましたね?」
「まあね。今回は、相手がまだ生きてたから。基本そういうことはないんだけど」
「なにか、特別な依頼だったんですか?」
「おばあちゃんのね。想い人だったらしいのよ」
「昔、一度だけ立ち会ってもらったことがあったみたいでね。踊り終わった後、素敵なセリフを贈られてコロっと落ちちゃったみたい」
「なんか......ロマンチックですね」
「うん。でも相手は既婚者だったから、会ったのはそれが最初で最後だったんだって」
そう言うと、奏は窓の外に視線を向けた。
「まあその後、おばあちゃんもおじいちゃんと出会って結婚したんだけどね。でも、その時交わした"約束"だけはずっと忘れてなかったみたい」
「......おばあさまはもう亡くなられてるんですか?」
「3年前にね。亡くなる前に言われたのよ。彼が旅経つ前に会いに行って欲しいって。自分は会いに行けないからって」
「おじいさまの手前、難しかったんでしょうね」
「ううん。おじいちゃんはもっと前に亡くなってるし、踊った相手もかなり前に独り身になってたみたい」
「じゃあ......なぜおばあさまは会いに行かなかったんですか?」
「若くて綺麗なままの自分を覚えていてほしかったんじゃない?乙女心ってやつよ」
「……なるほど。じゃあ、今回はまさに適役ですね。
奏さん、昔のおばあさまにそっくりなんですよね?」
「そうそう! 本人ではないけど......まあいいでしょ」
おどけるように笑いながら、彼女は言った。
彼女は時折、子どものように無邪気な笑顔を見せる。
でも、隠しきれない色気がその奥にあって──
柴田には、それがより一層魅力的に映った。
信号待ちで、ふと窓に映った自分の姿を見つめる。
今年で26。
身長も低く、童顔のせいでコンビニでは必ず年齢確認をされる。髪型は流行から遠く、なんの工夫もないセンター分け。洗って干しただけのシャツは、あちこちにシワが残っている。
(どう考えても釣り合ってないよな)
信号が青に変わり、再び車を走らせると、奏が口を開いた。
「おばあちゃん、こうも言ってたの。
“未練を残すことなく旅立てたのなら"それでいいけど、もしそれができなかったなら……」
「代わりに踊って欲しいと?」
「うん。病室で彼の顔を見たとき、ピンときたの。
屋上を指定しておいて、正解だったわ」
「どんな未練だったのかはわからないけど......約束を果たせて良かった」
「そうですね。でも.......よく彼の近況がわかりましたね」
「共通の知人がまだ生きててね。おばあちゃんが亡くなったあと、私が時々やりとりしてたの」
"まだ生きている"ということは、かなり高齢なのだろう。
それでも──
自分より長く、彼女と繋がりを持っている“知らない誰か”に、柴田は軽い嫉妬心を抱いた。
そして、そんなことを考えてしまう自分に、ほとほと嫌気が差した。
「いつまでも忘れられない人……か。柴ちゃんには、そういう人いる?」
「ん〜…僕には、まだわからないですね」
──間違いなく、目の前のあなたのことだ。
でも、それを口に出す勇気なんて、あるはずがなかった。
「私もわからないのよね〜。でも……いつか出会ってみたいかも、そういう人に」
「奏さんも……ロマンチストなんですね」
「ふふっ、おばあちゃん譲りよ。情熱的で、でも切ない恋……はぁ〜……キュンキュンするわ」
──きっと、その相手は自分ではない。
そう思いながらも、横でまだ見ぬ誰かを想像して微笑む彼女を見ていると、その不安も自然と消えていった。
「あ、ここらへんで大丈夫だよ」
車を脇に寄せると、彼女はドアを開け、外に出た。
そして、ひょこっと顔を覗かせる。
「今日は本当にありがとね!気を付けて帰るんだよ」
「はい。じゃあ……おやすみなさい」
「おやすみ、柴ちゃん」
車を発進させると、バックミラーに手を振る彼女の姿が映る。見えなくなるまできっと振り続けているのだろう。
______なんて、愛くるしい人だ。
車内には、まだ彼女の香りが残っている。
セルジュノワール
最初に嗅いだときは、お焼香みたいな匂いだと思った。
でも今は、とても心地が良い。
鼻をくすぐるその香りが、彼女に包まれているような気分にさせてくれる。
*
香りに導かれるように──
柴田は、彼女との出会いを思い出していた。
あの日、彼女の後ろ姿を追いかけて入ったダンススタジオ。
興味なんてなかったはずなのに、一目惚れで入会してしまったこと。
そして──
死者と踊る、彼女の舞を。




