①あの日の約束
2025年__
病室の片隅で、神田 信彦は最期の時を迎えようとしていた。
一度の結婚に、子どもが二人。孫もいるらしい。
らしいというのは、ふと覗いたSNSに娘と小さな子供が映った写真を見たからだ。
もう長いこと繋がりもなく、会ったことすらない。
孤独にこの瞬間を迎えているが、不思議と寂しさはなかった。
記者として、これまで自由奔放に生きてきた。
夫としての務めも、父親らしいこともちゃんとしてやれた記憶はない。
それでも、ほんの一時ではあるが家庭を持ち、その温かさを感じることができた。
特別誰かに自慢できるわけではないが、人生に不満を感じることもない。
____もう十分生きた
今際の際に思い浮かべたのは、全てを捧げてきた記者人生でも、ひとときのぬくもりをくれた家族のことでもなかった。
それは50年以上も前。
廃ビルで目にした、あの光景。
死者と踊る、彼女の姿。
床をすべるように舞うたびにゆれる、
波打つような長い髪。
常夜を思わせる漆黒のドレスは、
窓から差し込む光に照らされ、淡く輝いていた。
情熱的で妖艶な姿とは対照的に、儚げな表情で静かに踊るワルツ。
瓦礫まみれのあの場所が、まるで壮麗なダンスフロアのように見えた。
あれ以来、彼女には一度も会っていない。
……いや、あの日が最初で最後だった。
***
彼女と会ったのは古い友人を介してだった。
当時、取材のネタを探していた神田に友人がこう言った。
「ちょっと変わった女性がいるんだ。会ってみないかい?」
オカルト好きな男で、いつも奇妙なネタを持ってくる。
神田自身、霊や信仰とは無縁の人間だ。
今回もただのネタ元として、軽い気持ちで会いに行った。
"死者と踊り、魂を送る”
事前に聞かされていたその話は、胡散臭い以外の何ものでもなかった。
過去に紹介された占い師は、のちに霊感商法で逮捕されている。
そういった経緯もあり、どうせ今回も同じ類いのモノだろうと__
そう思っていた。
*
踊り終わった後、ソレは静かに、満足げに、消えていった。
この世に強く残った未練。
それを解き放ち、旅立っていったのだろうか。
____気がつけば、彼女に引き寄せられるように歩み寄っていた。
「もし死んだら、君が俺を送ってくれるかい?」
そう呟くと、彼女は静かに微笑んだ。
***
あの時、彼女はなにも言わなかった。
ただ、俺が勝手に約束だと思い込んでいただけ。
こんなものでも……未練になるのだろうか。
ふと、葬式で嗅ぐような香りが鼻をついた。
____お迎えが近いというのは、こういうことなのか。
そんなことが頭をよぎった次の瞬間、今度は足音が聴こえてきた。
それは、ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。
「間に合ったみたいね」
聞き覚えのある声。
ゆっくりと目をやるとボンヤリとだが、その姿が現れた。
波打つ長い黒髪
スッと通った鼻筋
強く真っ直ぐな瞳
薄い唇
彼女だ。
忘れるはずがない。
その妖艶な雰囲気と美しさ。
50年前と、何一つ変わっていない。
まるで彼女だけが、時に縛られていないかのように。
彼女は顔を近づけると、耳元で囁いた。
「屋上で待ってますね…」
その言葉を聞いたあと、神田はゆっくりと、目を閉じた。




