第2話エッグタルトはお好き?
「もっと優しく混ぜるのよ、ルミナ」
私は木べらを握る妹の手にそっと触れ、ゆっくりと円を描くように動かしてみせる。
「わぁ……!お姉様、まるで魔法みたいに、生地がふわっふわになっていきます!」
ルミナの大きな瞳がきらきら輝く。
昨日まで毒を盛ろうとしていた私が、今日はこうして彼女にお菓子作りを教えているなんて……。
なんていうか、不思議な気持ち。
昨日まで普通の製菓学校に通っていた私は、目を覚ますと悲劇の物語に登場する魔女エリカになっていた。
毒殺に用意したケーキを自分で食べたところを、ルミナに救われた。
そして、お姉様とお菓子作りがしたい!とせがまれた私は今、こうして一緒に厨房に立っている。
この身体の記憶のエリカも、これまで妹ルミナを憎んできたはずなのに、本当はずっとこんな時間を待ち望んでいたような…。
そうやって、私が少し目を離していると、一生懸命になりすぎて我を失ったルミナが、生地をこねくりまわしていた。
「あぁ、ルミナ!だめよ。お菓子っていうのはね、混ぜ方ひとつで仕上がりが変わるの」
「力任せじゃいけないのよ。"気持ちを込める"つもりで――」
「気持ち…ですか?」
「そう。誰かに美味しく食べてほしいってね」
「お姉様らしいです!」
ルミナはそう言うと、優しく温かい手で生地をこねはじめた。
まあ、魔女だったエリカは、ケーキに殺意を込めてましたけどね。
◇
今朝から、私とルミナが仲良く台所で並んでいるのを見た城内もまた騒がしかった。
「……信じられません。あのお二人が」
「エリカ様は非常に冷たくなされてたはずなのに…」
廊下の隅で使用人たちがひそひそと囁く。
(あのぉ全部、聞こえてますよ……)
エリカには、聖女として癒しの力はなかったが、その分、身体能力は人並み以上であった。
そんな設定、全く小説に活かせてないんだけどね。
でも今となっては、色々便利でもあるし有難い。
部屋の向こう側くらいであれば、声だって聞こえる。
「きっと、何か裏があるはずだ」
「エリカ様の策略に違いない」
「ルミナ様を騙す気なのかしら…」
ああ、私って随分、嫌われてたのね。
ずっと好きでいてくれたルミナがいかに天使なのか、痛感していた。
◇
午後。
愛しい妹ルミナと焼き上がったケーキを囲んでティータイムをしようとしたとき、城の正門から慌ただしい声が響いてきた。
「来訪者です!隣国の王子殿下、フラン様!」
私の心臓が凍りつく。
(フラン……!)
原作小説の悲劇を思い出す。
本来なら昨日、ルミナは毒ケーキで命を落とし、彼が復讐の鬼となってこの城を訪れる。
エリカはその王子によって糾弾しまうのだ。
そして、王子はルミナの後を追って……。
誰1人として救いようのない話になっている。
でも、今は違う。
ルミナも生きているし。
エリカは妹を毒殺しなかった。
けれど……彼が私の正体を疑ったら?
中身が本当のエリカじゃないってバレでもしたら……。
私、処刑されちゃうーー!?
そのとき、玄関の扉が開かれ、そこから青年が姿を現した。
異様に整った顔立ちの青年。きらびやかな衣装に身を包んで、青い瞳にはたしかな光が宿っている。
どこからどう見ても、王子様。
日本にいる時もいたな、ああいう男の子。
佐藤真衣として生きた中で、一度たりとも絡むことのなかった人種。
私はずっと日陰で生きてきた人間。
王子様なんて呼ばれる男の人と、どう接したらいいのかーー。
「お久しぶりです、ルミナ様」
穏やかな笑みをルミナに向ける。
「久しくしておりました。フラン王子」
ルミナはいつもの笑顔でフランに笑いかける。
「今日のお召し物もすごくお似合いだ」
そう言うと、恥ずかしそうにしながらルミナも相手の言葉に答える。
「どうぞ中で、ごゆっくりなさってください」
「ぜひとも、ルミナ王女とお話したいことも沢山ありますので」
それから、別の部屋に移動し、楽しそうに会話をする2人を端から見ているだけだった。
さすが私の妹ルミナ。王子の対応も自然で可愛いらしいわ。
肝心の私は、後ろにいるだけで何もできなかった…。
◇
豪華なシャンデリアで飾られた客室に、テーブルを囲んでお茶をしていた。
フラン王子、ルミナ、その周りにいる両王家の使用人たち。そして、そこから離れて座るのが、私。
部屋に入って、数十分が経とうとしていたが、いまだにフランとは一言も交わせていなかった。
(なんか、私いないことになってない…?)
(気のせい?)
美男美女のやり取りを側から見るなんて、10年以上やってきた。
高校時代も、専門学校でもそうだ。
でも、今の私はエリカ。
ルミナに負けないくらいの美貌と、ナイスバディがあるじゃない。
見せてあげるわ、私の本気を。
私は、スタスタと部屋の中央へと歩み寄り、ソファにいる王子に話しかけようとする。
「…ごほっ」
言葉を発そうとすると、喉がつっかえて声が出ない。
ーーでも、何か言わなきゃ。
「フ…フラン王子…どうもです」
次の瞬間、彼の視線が私に移る。すると、その表情は明らかに硬直した。
「……エリカ」
氷のような声音。
さっきまでルミナには優しく、語りかけていたのに私にはこの一言だけ…?
使用人たちは固まった様子で、こちらを見ている。
唯一ルミナだけが、何食わぬ顔で私とフラン王子を見ていた。
何この空気。
でも、私には聞かなきゃいけないことがあるのよ!
「フ、フラン王子はどうしてこちらに?」
「…ただのご挨拶ですが」
短い。どう考えても私に対する返答だけ、やけに短い!
あなたは企業アカウントのbotなんですか!
いやいや、取り乱してはダメ。
悲劇を回避するために会話を続けるのよ。
「そ…そうなんですね」
返事をしただけで沈黙が流れる。
その時、ルミナが沈黙を破った。
「あの〜もしかしたら、エリカお姉様は何か理由があってフラン様が、ここにきたと思っているのではないでしょうか」
ナイス、さすがよルミナ。
あとで美味しいケーキ作ってあげるからね。
「実は……変な噂を耳にしたもので」
「噂……?」
ルミナが聞き返すと、フランは真剣な表情で告げる。
「エリカ嬢が、突然人が変わったようにルミナ王女と仲良くしていると…」
その瞬間、彼の視線が私を射抜くように冷たかった。
明らかに私が何かを企んでいることを、問い詰めにきた様子だ。
(……原作の私は、あなたが好意を寄せるルミナを毒殺し、最後にはあなたをも死へと追いやったんだもの)
今は何もしていないとはいえ、フラン王子も警戒して当然だった。
背中に冷や汗が伝う。
でも――。
今のエリカは、一度生まれ変わったの。
「ふふ、フラン様」
「せっかくですから、紅茶とご一緒にケーキでもいかがでしょうか」
私の脳裏には、あるアイデアが浮かんでいた。
「……ケーキ?」
突然の茶会の誘いに、フラン王子の顔には疑問の文字が浮かんでいた。
「そうね。……エッグタルトなんていかがかしら?」
わざとらしく、微笑んで言う。
ルミナもフランも、少し驚いたように私を見ている。
ーー原作ではあなたに“毒入りケーキ”の魔女と呼ばれたけど。
ーー今日は“最高のケーキ”で空気を変えてみせるわ。
そう。
これは、魔女に課された二度目の試練…。